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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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「女嫌いの加速」とかいう話について オマケ

ここ最近、「女嫌い」や「ヒロイン」の話をしてきたわけだが、たまたまSNSで流れてきた話があった。


以前も少し話題にはしたが「オタクに理解のあるギャル」についてである。

自分が見たのはギャルがスマホかネイル、手の方を見ながら口を開いているイラストがあり、そのギャルの台詞の吹き出しが2つ。

「オタク」らしき者との会話だがその相手自体はイラストには描かれていない。

そしてギャルの台詞。

「オタクに理解のあるギャルとは言うけどそれは『オタク』ではなく『俺』に理解のあるギャル、の方が正しいのではないか?」

というもの。


台詞については自分も過去のエッセイでも語っているがそれ自体は「正論」だとは思う。

正論だけど逆にいえばコレは「誰でも言える」わけだ。

間違えてもなければ正解でもある。

極めて「女らしさ」を感じさせる「捨てる」立場としての言葉だ。

タイトル、テーマというか作者の意図としては「理解度が高すぎるギャルからのオタクへの論破」といったふうな感じか。


正直な所、台詞について非難しても仕方ない。

見るべきはこのイラストのテーマの「理解度」とイラストのギャルの姿勢。

まずこの理解度だが「何も分かっていない」と思う。

その一方で「正論」だ。

「何も分かっていない」けれど「正論」は言える。

つまりこのギャルの向けられている意識はあくまで「社会」であり、眼の前の「オタク」には向いていないという事だ。

それはこの作品を描いたイラストレーターとしての立場上、「自分の絵を見てくれる人達」に向けてなのは登場したキャラの向いている方向性が「社会」なのは当たり前といえば当たり前ではある。

そしてそのその証拠に「会話している」にも関わらず、イラストに描かれたギャルは興味なさげに相手を見ずにスマホを弄りながら「理解」から発した「結論」を述べている。


相手を見ずに視線の先は手に持つスマホ。興味、関心の無さ。

そしてメタ的な側面もあるが「理解度の高さ」から発した結論というものは眼の前の人間ではなく、社会を重視したもの。

なぜならこのギャルの「『オタク』に理解があるギャルじゃなくて『俺』に理解があるギャルがいいんでしょ?」というのはギャルが向き合うオタクが語っている「ギャルへの感情」を言語化したものではない。

「社会」における「オタクが語るオタクに理解のギャル」というものの役割、立ち位置を言語化したものだ。

それはつまり「オタクの我儘」を「社会」に向けて言語化してやった、という事でしかない。

何故そんな事をするのか。

その答えはそのイラストの続きにイラストレーターが付け足した一文、「迎えに来た人と帰った」と完結に〆られてあった。

それが答えだ。


迎えに来た者が彼氏なのか、友達なのか、それは知らないがつまりは「早く会話を打ち切りたい」というギャルの心情からくるものだ。

そして「イラストの後」の事はそのギャルのみの事であり、説明していて会話相手のオタクには触れられて居ない。

「赤の他人で通報された」とか「迎えに来てくれた人にボコボコにされた」といったようなオタク側のそれがない以上はそこは然程重要ではない、という事だ。

そうした主張を強引に聞かせた不審者として通報された、とか迎えに来た人にボコボコにされた、とか。

ギャルの方は一言添えられたにも関わらず、「相手」は一言もない。

毒にも薬にもならない、他愛もない日常。

たまたま帰り道で一緒になった交流のないクラスメイトぐらいの存在なのだろう伺える。


「早く切り上げたい、面倒臭い」からと会話の途中で無視をして切り上げれば「自分が悪者になる」。

かといって興味のない会話を続けるのは疲れるだけで時間も勿体ない。

ましてやこの会話を続けた事で変に「勘違い」されても困る。

「自分と眼の前のオタクとは生きる世界が違うのだ。」

そこまでは考えずとも明日以降、「理解あるギャル」として友達面で絡まれるのは勘弁してもらいたい。

そこで「社会」における「君の言っている主張」の示すものの「役割」を語る。


それは例えるなら「趣味」について「そんなもの、なんの価値があるの?」と問いただしている行為に近い。

仮にそれがコレクターなどであった場合、「一見、ただの人形にしか見えないけど、コレはプレミアがついていて30万円近い価値があるんだ」とコレクターが答えたとする。

しかしコレクターが語ったのは「社会における誰しもが共有できる価値」、つまり「金」で語っただけである。

コレクターが向ける「愛情」はそれを遥かに上回る。

だからこそ「30万円」に変えずにコレクションしている。

コレクターに゙とっての価値と社会にとっての価値は異なる。

そこに目を向けなければそこにあるのは「30万円」としか認識しなくなる。


イラストに描かれたギャルの相手となるオタクはその「社会の価値」とは別の「自分の思い」を語った。

しかし、ギャルはオタクの言葉から「社会の価値」だけ摘み取り、「社会としての価値」を語った。

ギャルの言葉は眼の前にいるオタクに向けられているようで実際のところは「社会」に向けてアピールしている。

そうしたアピールで「社会」という物、不特定多数の第三者という「数の力」を盾にして「オタク」の口を閉じさせる。

「お前の主張」には「価値がない」。

そしてそれを聞かされた自分は時間と労力を無駄にさせられた被害者だ、と。少し極論ではあるが。

少なくとも「会話」についてはイラストに描かれたギャルと、描かれていない相手の「2人」での会話であり、そこに第三者はいない。

1対1にも関わらず「自分はこう感じた」というギャルの立場からの返しの言葉ではない。

そこにいない第三者に゙向けた「皆からこう見えてる」というものの言語化。

あくまでギャルの能力の高さは「オタクへの理解度」ではなく「皆への理解度」であり、ギャルの立場というものは「第三者」の立場だ。


そして疑問となるのは「何故こんな価値観の違う人間同士が会話する事に゙なるのか」という事。

例えばコレが仕事や授業の話し合いの場など価値観の異なり者同士が会話しなければならない状況であるならばこの「第三者」の立場というものは重要である。

しかし「スマホを弄りながら興味なさげに話を聞くギャル」という構図、そして「迎えに来た者と帰った」というその後の展開からそうした場ではないことは明らか。

そこからは単純なイメージでしか無いがたまたま「ギャル」と「オタク」が居あわせてどちらから会話を振るだろうか。

十中八九、先に会話を振るのはギャルから、とは思わないだろうか?


勿論、先に話を振ったのはギャルだからギャルは相手の話を聞かなければならない、という訳では無い。

ギャルに゙話しかけられて多少なりに舞い上がったオタクが相手を無視して自分の話をし過ぎた可能性は大いにある。

それはそれでオタクに問題と責任がある。

一方で何故そんな普段から価値観の異なる存在と会話する事になったのか。

それはあくまで「ギャルの気持ち」であり、言い換えれば「ギャルの我儘」だ。


普段交流のない相手に話を振るのはそれなりに勇気が居ることだし、面倒な事だ。

実際、上記のようにギャル側が面倒になって会話を打ち切るために「正論」を持ち出しているわけだから。

普段交流がない以上、面倒に感じるなんてのは最初から分かり切っている。

そしてその逆、面倒に゙なるのが分かっているから普段も交流していないという事にもなる。

なら面倒事を避けるならそのイラストのように最初からスマホでも弄りながら「迎え」を待てば良かっただけ。

わざわざ面倒事を起こして被害者面、あるいは「正論」をぶつける裁定者のように論破する。

イラストの中のギャルの行動はマッチポンプも良いところだ、と感じる。


上記の考察の流れでイラストの台詞までのストーリーを考えると

1.学校の下校途中に迎えを待つギャルの近くにオタクが居て、暇つぶしか気まぐれで話かけた。

2.オタクの話が熱が入り置いてけぼりとなったギャルはスマホを弄りだす。

3.迎えが来たのでつまらないオタクの主張を正論で切り捨てる。

その主張がイラストレーターの主張したい物であるのかもしれない。

だがこの流れ、「女嫌い」のエッセイで語った「未熟な母親」の行動と同じなのである。

それは「色目を使う」という事。


性的なそれではない。興味や関心があるようにほのめかす仕草。

未熟な母親はそれを弱者となる子供に対して主導権を握る為に行う。

そうやって自分は動かない癖に子供を意のままに動かそうとする癖に責任は取るつもりはない。

「我慢」「自己責任」「性役割の押し付け」そうした理由で突き放しつつ、子供が何か社会に認められるような事、報酬を得れば自分が掻っ攫う。

ギャルの行動はそれとほぼ同じだ。

ただギャルの場合は未熟な母親より更に未熟であり、「色目を使う」のも「駆け引き」も下手くそなのだ。

母親のそれは自分に逆らえない子供相手にやっているが、曲がりなりにもギャルの相手は他人であり、「俺」という事から男である事を考えると「万が一」がある。

自分から「色目」を使って置きながら主導権を握れない。だから会話がオタクからの一方的なものとなり、置いてけぼり。

未熟な女が一人で「幸せ」になれないように、ギャルが下手くそだから主導権を握れずイライラ。

そこから話の主導権を握り返す事もそこで手打ちにして話を終わらせる事もせず、逃げ出してスマホを取り出す。

その時点で主導権の取り合いでいえば負けだ。

その負けを認めたくないからこそ最後の最後に「社会」を持ち出して正論を、「皆の意見」を語って勝ち誇ったように逃げる。

スマホを取り出す前にそれを言えれば巻き返せた、あるいはノーゲームだったかもしれないが。


勿論、イラストレーターが伝えたい主張を表現するためのものでイラストにはそうした状況に置く事でそれを見てくれる人達へ伝わりやすい、だからそう描いた、それは理解している。

だけど「1を聞いて10を知る」のが大人には求められるらしい。

自分にはそんな事は出来ない。

だがそのためには1から10へ向かうストーリーを導きださなければならない、それだけは自分でも分かる。


そしてそのためにはイラストに描かれていない部分を妄想する。

その上でそのイラストがそれが「自然」だと思うのであれば。

「ギャルの行動が不可解だ」と思わないのであれば。

日本社会において「女」とはそういうものである、「男」とはそういうものであることが「前提」であるという事を図らずも表現している。


「そういうもの」というのはイラストに描かれたように

・「女」は価値観の異なる他人の話をちゃんと聴かなくても「数の力」でゴリ押して「女の考え」を突き通して良い。

・「男」は女の価値観に従わないのであればイラストにその姿を描く価値もなく、主張はおろか、台詞すら与えなくても良い。

「そういうもの」が現代日本の男女の在り方、というのが前提にある。

その前提があるからこそ、主張の全てがギャルの言葉で始まり完結しており、それが全て。

ギャルが「オタクの主張」を「社会の役割」に置き変えたように、自分もまた、イラストの主張から「女嫌い」という目線で見た時にそう思う、そう置き換えた。

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