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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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自分の書いていた小説のヒロイン その6

長い。とりあえずヒロイン絡みは今回で終わり。

基本的に自分が書きたいのは「自己投影した主人公を活躍させたい」というものが原点にある。

最初は二次創作小説。

新世紀エヴァンゲリオンの二次創作で「エヴァSS」と言われたりしたもの。

ネット小説には勿論他の作品の二次創作もあった。

しかし「アニメ・ゲームの二次創作小説」とは別に「エヴァSS」というものが分けられるくらいに最盛期の「エヴァSS」の勢いはあった。

その次はライトノベルの「ゼロの使い魔」の二次創作の「ゼロ魔ss」。


自分も二次創作として主人公に自己投影して「魔改造」して活躍する、というのを書いたりしたがエヴァssの時代はともかく、ゼロ魔の頃はもう既に大人であり、「作中の主人公」と「リアルの自分自身」には年齢差があった。

「バトルで活躍」という側面では自己投影をして設定などを書き込む事は出来た。

しかしもうこの時点で原作の未成年の主人公と同じような年齢のヒロイン達に対して、「自分自身のヒロイン」として投影するのは難しい状態だった。

あくまでも自分は「眺める客」である。


そうしていくうちに「原作主人公」ではなく自分自身に近い年齢の「オリジナル主人公」を作り原作に登場した主人公のヒロイン候補ではなくオリジナル主人公に近い年齢の女キャラをヒロインにするなどして二次創作を書いたりしていた。

そうやってドンドン「オリジナル要素」が強くなっていき、ネットの状況としても「二次創作の権利絡み」が問題視されるようになり、色々なところで二次創作小説の投稿が鈍化した。

自分もその流れで「小説家になろう」のオリジナル小説を読むようになり、「 なろう系」の影響を受け始め、結局「いっそのこと、オリジナル小説でも書いてみるか」と小説を書き始めた。

とはいえやはり「自己投影したヒーローを活躍させたい」という気持ちは変わらなかった。


その一方で「女の好み」、というより「女体の好み」も変わった。

嗜好そのものの方向性は変わらないとは思う。

先鋭化しただけだという事に゙近い。

自分のもともとの好みの女体は「巨乳」だった。

これだけ言えばそこまで尖った性癖でもない。

ただ、時代の変化、周りの情報の増加のおかけで性癖は「より大きく」となっていった。


勿論、一般人レベルで考えればさほど大きな変化はないように思える。

特に田舎にいるとそう思う。

しかし芸能人やグラビアアイドル、AV女優等はその身体付きは大分変化したと思われる。

90年代では80cm代でDカップなどでテレビなどで「巨乳グラビアアイドル」なんて売り出されていたりもしていたが現代では90cmオーバーは当たり前、Dカップじゃ巨乳扱いも微妙となり、100cmオーバー、jカップなども探せばそれなりにいるレベル。


加えて自分は筋トレが好きだ。

特に自分がハマり出したのは現代ほど筋トレやフィットネスが日本人に浸透していない時期だ。

自分の筋トレに取り入れるための解説は日本語のサイトを利用していたが当然「憧れ」としては海外のフィットネス界隈を覗く事が当たり前になった。

そして海外では身体の部位として女性のセックスシンボルとして「胸」と同列、国によってはそれ以上に「尻」が注目されている。

「脂肪」の塊である「胸」は努力ではいかんともしがたい部分があるが「尻」は身体の中でもかなり筋肉の割合が大きい部位だ。

だから「下半身」のトレーニングは女性に人気があり、それは日本に伝わって筋トレ女子達もこぞって「尻トレ」をしていた。

あと「下半身トレーニング」の動作自体が見ようによっては性的な見え方もするわけで実際、あからさまに性的なアピールとして過剰な開脚だとかトレーニングフォームの確認とは思えないアングルから動画を撮影してそれをSNSに上げている場合もある。


そうした海外のフィットネス界隈を見ていた事で「胸」だけではなく「大きな尻」も筋トレを通じて性癖として加わり、さらに「大きさ」だけではなく「形」にも拘るようになった。

勿論、変化していった性癖に当てはめる「女体」についても海外の方が「理想的」になっていく。


さてここで小説の話に戻す。

「自己投影した主人公」は「平凡な男」であるべきだ。

何故なら自分が平凡だから。

勿論、ヒーローとして活躍させるためにある程度「盛る」必要がある。

平凡な自分そのものを出しても活躍させるにさせられない。

とはいえ「盛る」にしても限度がある。


自分が好きな筋トレでは体格が重要な要素。

その上の解りやすい指標の一つとして身長がある。

身長なら171cmが日本人の平均として「平凡な自分」が自己投影するとしたら「盛る」にしても「平凡」と言われる範囲内に収まらなければならない。

と言うことは「平凡の上限」を決めなければならない。

この上限は個人差がある。

自分の個人的意見としては「平凡の上限」としては+5cmとなる。

つまり176cm程度。

実際、日本人の成人男性で175cmオーバーは18%ほど。

約20%、5人に1人くらいがいるという事を考えると「デカいけど平凡」の割合に当てはめるには十分だ。

しかしこれがさらに+5cm、180cm以上となると6%程度。

185cm以上では1%を切るという。

185cm以上を「平凡」というのは流石に無理がある。

しかし180cmの6%程度、20人の男がいれば1人くらいは180cmオーバーがいる、というのを「平凡」の範囲に解釈できて自己投影できるのならそれはそれで体格を「盛る」のも悪くはないだろう。


それではヒロインの身長はどうするか。

前回の話でもした通り、自分は「筋トレが好き」であり、そのために主人公のフィジカルを重視する。

フィジカルは力の土台となるものであり、異世界ファンタジー、特にRPG的なシステムの場合、基礎的な「ステータス」を重視するという事に置き換えた。

そしてその強みを活かすために主人公の強みとは真逆の世界観、「ステータス軽視、スキル重視」の世界観を作りがちなのが自分だ。

そしてヒロインとは主人公に無いもの、つまり世界観に沿った「低ステータス、高スキル」というヒロインにするのが「凸凹コンビ」の連携による「瞬間的な爆発力」を演出するのに都合が良い。

その上で主人公の身長をかんがえたようにヒロインに当てはめる。


日本人の女の平均身長は157cm。

主人公は「フィジカル」を盛るために「平凡の上限」として176cmを想定した。

ではヒロインの「低ステータス」というフィジカルを際立たせるために主人公とは反対に「平凡の下限」とする。

そうして考えた場合、平均値-5cmとなる152cm程度が自分はラインだと思う。

157cm〜152cmは37%ほど。151cm以下は11%ほどだ。

それが自分が思う女の身長の「平凡の下限」となる。

仮に男の身長の180cm以上と同じ6%近いものを「平凡の下限」としてギリギリを攻めるとしても150cm程度だ。

平均値-10cmの147cmで3%を切る。

「平凡の下限」をヒロインに求めるのならこの辺のラインとなる。

勿論、自分はこれらの身長でどこぞのインフルエンサーのように「◯◯cm未満は人権がない」とかそうした話はするつもりはない。

ただのデータである。


それらを踏まえた上でこの「平凡の下限」というものをヒロインに゙求めるシンボルとするわけだがコレは別の見方をすると「理想的女性像」、転じて「求めていた母性」、最終的に「過去の自分自身」となる。

身長そのものには大したコンプレックスはないが、それを通して「過去の自分」、「弱かった自分」のコンプレックスがあらわになる。

今が強いのか、と言われればそういうわけでもないが。


そして前回の「主人公の力を周りのキャラに認めてもらう」という話において

第1段階が「凸凹コンビの連携による爆発力」で潜在能力の高さを「人を見る力のある特定の実力者」に認めてもらうフェーズ。

第2段階が「苦手分野を克服」によって安定感を「その他大勢の一般人」に認めてもらうフェーズ。

この2段階目のフェーズに自分は「主人公とヒロインの苦手分野を相互に師弟関係を作り克服させる」とした。


コレはストーリー的な側面で見れば主人公とヒロインの繋がり強化イベントでもあるし、作者として二人の関係性から「遠慮」や「躊躇」、「好み」や「癖」といったものの把握や認知で都合が良い、という側面もある。

それと同じように「自己投影」という側面から見た場合も重要だと思う。

「主人公」は自己投影、とはいうがそれは「現在」の時間軸の自己投影だ。

「ヒロイン」は理想的女性像、それは巡り巡って「過去」の時間軸の自己投影とも言える。

その上でお互いがお互いの「苦手分野の師弟」となる、という事は結果として「自分の自己投影」という意味では「師弟関係」を描く事で全ての時間軸を描く事になる。


「ヒロインが師となり主人公が学ぶ」というのは「現在の自己投影」による「未来へのアプローチ」。

「主人公が師となりヒロインが学ぶ」というのは「過去の自己投影」による「現在のアプローチ」。

そしてそれらを第2のフェーズの締めくくりとして「その他大勢のキャラに゙認めてもらう」のが「未来の自己投影」。

主人公は「現在」の自分の迷い、ヒロインは「過去」の自分の弱さ。

そして締めくくりの他者から認めてもらう事は「未来」の自分の強さ。


「経験した」という「過去」があるから「今の自分」はファンタジーにリアル感を持たせられる。

「強く願う」という「未来」があるから「今の自分」は物語を書く事が出来る。

「未経験」では「他人の出力」を元にするためファンタジーはファンタジーのまま、嘘くさい。

「どうでもいい」のでは結局「他人の真似」をする羽目になり、物語を書く手が止まる。


こうした理屈なのだが、では今回のエッセイの前半の自分の性癖的な「女体」の話はどう繋がるのか、といえばヒロインに「平凡な下限」として152cm程度の体格を求めた場合、「平凡」とはかけ離れており、自己投影には繋がらないという事。

海外のモデルに目を向けると130cm近いバストとヒップ、その上で75cm以下というクビレのあるモデルもいる。

そうしたモデルは軒並み身長も日本女性の平均値より高い。

漫画キャラみたいなスタイルだが現実として存在する。

ただでさえ現実感がないモデルを「平凡の下限」として152cmに押し込めるとなれば多分探せばそうした女性も居なくはないのだろうが尚更現実感が遠くなる。

あくまで主人公もヒロインも、他のモブキャラ、そして異世界ファンタジーも自分の小説はあくまで「自己満足」であり、「自己投影」できなきゃならない。


こうしてこのエッセイを書いている内に一つ結論が出た。

理想的女性像と理想的女体を「過去の自己投影」として折り合いをつけられないなら「ヒロイン」そのものを「未来」にしよう。

物語の最終盤、魔王に誘拐されたお姫様を助け出す。

ありきたりな「絵本」や「昔話」などにもある展開。

「クエストの報酬」としての最後の最後に登場させる。

それならどんな現実味のないナイスバディで自分好みの顔立ちのお姫様でも構わない。

自分がいつか新しく自己投影の小説を書くとするならそんな感じでヒロインは可能な限り後に出す。

単純な答え。

だが「主人公にヒロインと仲間」の物語が当たり前の物語が多すぎて昔ながらの「勇者一人で魔王を戦う」というものが新鮮にも思える。

自分も新しく「小説」を書いてみたいという気持ちが少しだけ、ほんの少しだけ湧いてきた気がする。

完全にラスト数行はエッセイというより個人的な呟き。


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