自分の書いていた小説のヒロイン その4
ヒロインについては「光」と「闇」どちらにしろ容姿となるものは基本的に存在しない。
性格や色んな設定を詰め合わせるが見た目については無個性だ。
「女は嫌いだが女体は好き」という話があるように
ヒロインに求める「女性像」と性的な対象としての「女体」に分かれている。
とはいえ「普通」の多くの人はそれが一致している、もしくは極端な拘りがないから妥協ができる。
だからそこまで気になる事はないのだろう。
だが自分はそれが剥離している上にそもそも性的欲求自体が薄い。
その癖に色んなジャンルにおいて少数派の変わり者。
「変わり者」を自称するのは自分でも「イタい」と思うのであまり自称したくはないのだが、実際そうとしか言えない。
その変わり者故に「拘り」が強い。
「女は嫌い」
「性欲は薄い」
「拘りは強い」
食べ物で例えるならアレルギー体質で食べれる物は限られている癖に、その食べられる物の多くが嫌い。
その食べられる食べ物の中で好きだと言えるごく僅かな食べ物。
そんな感じだろうか。
そんなごく僅かな「理想的な女性像」と「理想的な女体」を満たす存在、数学でいうところの必要十分条件を満たすのを見つけるのは不可能だ。
コレに対して「理想が高い」というのは間違いだ。
単にその二つの条件の重なり合う部分が少ないというだけ。
「人間として付き合う」なら「性格」を見れば良い。
「性欲を解消する」なら「容姿」を見れば良い。
単純な話であるし、日常生活で何も問題ない。
しかし「ヒロイン」を作り出すという事ではこの必要十分条件の重なり合う範囲の狭さが致命的だ、というだけだ。
自分が描くヒロインの役割は「光」と「闇」、それぞれ「過去」と「現在」を司る。
自己投影した主人公は対して「過去の選択の肯定」と「現在の行動への応援」。
「光」は「過去」の時間の共有を示す事から長い時間を共有した「幼馴染」という属性をあてがう。
「闇」は「現在」の行動への共感を示すため、主人公が興味、関心を向けた先にいる存在として「お姉さん」あるいは「オタク」の属性をあてがう。
そして「ヒロイン」の最終な役割としては「主人公と最後はくっつく」という役割だ。
では上記の「理想的女性像と理想的女体の必要十分条件」と「自分の作るヒロインのルール」を踏まえて、それでは実際にヒロインを作る場合、「年齢」はどうすべきなのか。
年齢と肉体、そして精神は密接に関わっている。
単に「精神」だけを見るのであれば「同世代」と言うのがヒロインとしては1番楽だ。
男女差や多様性と言うものもあるがそれはあくまで「個人差」だ。
「時代の変化」による「価値観の違い」に限れば同世代が一番ブレが少ない。
「光のヒロイン」に求めるものとしては正解だ。
しかし「闇のヒロイン」に求める物としては正解とは言い切れない。
「お姉さん」と言う事は主人公よりも年齢が上という事を考えた場合、「同世代」には必ずしも当てはまらない。
「両手に華」で2人のヒロインならそれでも良いが、「陰陽」として1人のヒロインに光と闇の要素を入れた場合どうするべきだか。
そこで考えるのは自分の思う「人生100年時代」における「喜怒哀楽」の季節の節目となる「土用」である。
100年を4つの季節に分け、25年毎に季節が変わる。
その変わり目の前後の5年〜10年を季節が変わる節目として前の季節の反省と次の季節の備えに使う。
5年〜10年と幅があるが他の季節が25年である事を踏まえた場合、その各季節の変わり目に分散しているとはいえ節目の合計は25年。
人生の初めと終わりの2つ、そして人生の中にある3つ。
合計5つの節目があり、25年を5で分割すれば基本となるのは「5年」だ。
ヒロインをつくる上で「同世代」を考えるなら主人公の年齢に対して前後合わせて5年が基本。
主人公が15歳なら同世代とは「12歳と半年」〜「17歳と半年」となる。
その上下を広げた場合でも前後合わせて10年が限度。
同じように主人公が15歳なら「10歳」〜「20歳」を同世代とする。
あくまでもそれが主人公の「女の好みのストライクゾーン」
ではなく、主人公に対しての「同世代」という事だ。
では「光のヒロイン」としての「同世代」であり、なおかつ「闇のヒロイン」としての「お姉さん」の要素を兼ね備えたヒロインを考えた場合の「幼馴染のお姉さん」とは何歳とすべきか?
答えは「主人公の年齢+2.5歳まで。最大5歳までが限度」となる。
ではそれを踏まえた上で「理想的な女体」を考えた場合、果たしてどうだろうか。
仮に主人公15歳で「同世代のお姉さん」なら同級生から最大で20歳となるわけだが15〜20歳。
実家が金持ちのお嬢様でもない限り、化粧や髪型はともかくとしてその他の「美容」に気を回すのは金銭的に限られている。
では主人公の年齢を20歳にすればどうか。
「同世代のお姉さん」のヒロインに求める年齢は最大で「25歳」。それなりに落ち着いてきた年齢ではある。
歳は離れてはいるが離れ過ぎず、それなり。
ここでの問題はヒロインそのものではなく「なろう系のファンタジー」において「20歳主人公と25歳ヒロイン」をどう扱うべきなのか、という問題になる。
どういう事か、といえば自分が描きたいものは「自己投影した主人公がファンタジー世界で活躍する話」であって別に現代の社会を舞台にしたラブロマンスは書きたいわけではない。
仮に書いたとして主人公には「自己投影」しているのだから現代社会の20歳の男の主人公とは無自覚の「女嫌い」であり、それのヒロインとなると相当お節介で変わり者、それでいて聖母のような存在になる。
自分が書くとしたらファンタジー世界よりファンタジーなヒロインとして描かなければならなくなる。
主人公の年齢でヒロインの年齢を天秤にかける。
ヒロインの年齢で「精神」と「肉体」を天秤にかける。
世界観で主人公とヒロインを天秤にかける。
書きたい物で世界観と自己投影を天秤にかける。
いくつもの天秤を掛けて全ての必要十分条件を満たすまでやるのは気が遠くなる。
だから結局リアルさを求めれば妥協しなければならない。
「光」と「闇」、両方で100点のヒロインを作るにはどうしてもフィクション、嘘や矛盾が付き纏う。
それを「女が好き」ならそのフィクションや嘘を作り出すのは楽しくて仕方ないだろう。
ゲームで難関クエストの攻略法を考えたり、キャラを育てたりするのと変わらない。
「好き」とは「面倒臭い」を「楽しみ」へと変える。
「嫌い」は逆に「楽しみ」を「面倒臭い」に変える。
そうやって突き詰めると「指導者」としては「同世代の範疇の年上ヒロイン」よりも「◯◯オタクの幼馴染ヒロイン」ってのがつくづく都合が良い。
あくまで自分のルールに沿って書いた自分の書いた小説では。
「オタクに理解のある女子」みたいなのが「理想」の一つとして騒がれだして暫く経つ。
しかしこの「理解」は「知識」への理解じゃない。
「自分がその分野にかけた愛情」への「理解」。つまり「光のヒロイン」と同じ「過去の選択の肯定」。
「自分がこれからその分野にかけていく愛情」への「理解」。
つまり「闇のヒロイン」と同じ「現在の行動への応援」。
それが「オタクに理解のある女子」の理想。
そしてそれを小説のヒロインとして落とし込むために「◯◯オタクの幼馴染」は「陰陽のヒロイン」として主人公の年齢を考える必要が無くなるから迷いが減る。
そうやって迷いを減らしていった結果「ヒロインは必要無し」になったわけだが。
「オタクに理解のある女子」を描くために主人公が関心を寄せる分野の「◯◯のオタク」という共通点が出来るという事は「過去」と「現在」という時間軸の共有と共感。
その分、ヒロインへ求める「容姿」のハードルが下がると思う。
「美人は3日で飽きるがブスは3日で慣れる」。
極端な例えであるがつまりは「3日」という時間を一緒に過ごしても本質的な意味では時間の共有も共感もしておらず表面的な「見た目」への理解をお互いにしただけ。
だけどもしコレが「自分」と一緒の趣味なら趣味の会話もするだろう。
それは一気にお互いの「過去」と「現在」を結びつける。
その繋がりは「見た目だけ」の関係を簡単に上回る。
「無貌のヒロイン」は主人公の「過去の選択肢」と「現在の行動」の共有、共感で「必要」とされて生まれる。
逆に言えば「容姿端麗なヒロイン」は「運任せ」で生まれる。特に必要性もない。
「主人公とヒロインの絆」を求めるなら「無貌のヒロイン」で十分。
「主人公の行動の景品」としてであれば「容姿端麗なヒロイン」で良し。
さてどちらをヒロインに求めるか。
それは突き詰めれば「個人の価値観」による。
何のオタクになるのか。
そしてどんなオタクになるのか。
それがヒロインを考える上で「主人公」に必要な事、重要な事だ。




