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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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自分が書いていた小説のヒロイン絡みの話 その1

「女嫌い」について直前まで書いてきて、自分も弱者男性の女嫌いだ、という事を告げながら「ヒロイン」について語る、しかも自分が書いた作品のオリジナルヒロイン。


結局、「女が好きなんじゃねぇか」という理屈は「まぁ、そりゃそうよ」という答えしかだせない。

女嫌いの話で散々語ってきたが生まれてきた段階で「女嫌い」という男はいない。

女から加害を受けて「女嫌い」になるのだから。

裏を返せば女に期待していたわけだ。

そしてその最たるもの、無条件で自分を好いてくれる筈の女である「母親」から裏切られたのだから。

最もその母親も根っからの悪人ではなく、「若い頃」に「旧世代」からの介入があった事は理解している。

根っからの悪人なら自分も根っからの悪人で今頃どうにかなっている。

少なくともエッセイなんて書いてない。


まぁ、女嫌いの話はひとまず区切ったので女嫌いを掘り下げる話はおしまいだ。

それで自分のヒロインだが、まずそもそも基本的に自分が描いていた小説はかなり自己投影が強い妄想だった。

ファンタジー小説、所謂「なろう系」が殆どだ、と認識しているが果たして「なろう系」と言っても10年以上は利用しているから、どの年代の「なろう系」なのかは正直自分でも分からない。

ただそうした「主人公」に自己投影して「ファンタジー世界」で活躍する、ヒロイックな妄想を書き起こしていたわけだ。


そして当然ながら「ヒロイン」もいた。

「主人公」が自己投影なら「ヒロイン」は理想の女性といった所か。

理想のヒロイン、を書いていた筈だと思う。

だが今思えば、果たして理想の「女性」だったのか、と言われれば疑問が残る。


自分の小説は「プロローグ止まり」「序章止まり」だ。

そのため、何度も書いては消し、書いては消し。

作品の数自体はそれなりの数だがその世界観や主人公の振れ幅は小さい。

ただ、振れ幅が小さいながらもその時に影響されたもので変化があるため、それなりに変化はある。

しかし、「ヒロイン」に関しては「2パターン」しかなかった。

「陰陽」であり「光のヒロイン」、あるいは「闇のヒロイン」

その2パターンの性質のヒロインを2人のヒロインとして登場させる事もあれば二つの性質を1人のヒロインに詰め込む事もあったが、どちらにしても2パターンというものは変わらない。


ヒロイン2人以上の作品は「なろう系」以外でも珍しいわけでない。

所謂「ハーレムもの」。

むしろ昔は「ハーレムじゃないもの」を探す方が難しい、という状況において自分はハーレムものを何作品も読んだが一度たりとも「ハーレムもの」を書きたいと思った事は無かった。


個人的に「ハーレムもの」は「苦手」である。

代わりに2種のヒロイン、「両手に華」状態となるヒロイン2人制のものは割と書いた。

「ハーレムもの」は受け付けない癖に「両手に華」は書きたがるという面倒臭い自分の性分。

当時はそうした物を単に「性癖」と捉えていた。


そうした「性癖」、として捉えていた自分の書いた「光のヒロイン」、「闇のヒロイン」。

自分の小説で作るヒロインというのは勿論、現実には存在しない、架空の、自分の「妄想」のヒロインだ。

だが自分は彼女等の「性格」や「設定」はガチガチに固める癖に「容姿」は全然妄想出来ない。

「理想的な性格」、「理想的な設定」、だけど「理想的な容姿」が全くもって想像できない。


勿論、自分がイラストなど全然書けないから、というのも確かにある。

だがそれを言うのなら「主人公」や「世界観」など、その他についても同じことだ。

しかし、そちらについては「容姿」、「見た目」なども描く事は出来ないが自分の中でハッキリと想像できる。

言語化して説明しようと思えば説明出来なくもないし、「似ている物」や「似ているキャラクター」などを上げる事ができる。

だがヒロインの容姿については「似ている女キャラ」を思い浮かべる事も出来ない。

ただ「性格」と「設定」だけがある抽象的な「紋章」が自分の小説の中で主人公や他の仲間といる。


例えれば「リアルな8頭身キャラ」の世界に「ドット絵キャラ」がいるような感覚。

ドット絵がリアルに劣る表現、というような話をしているわけではなく、世界観が違うのだ。

バトル漫画の世界にギャグ漫画のキャラがいるような異質さ。

だけど、不思議と自分としてはその世界観にマッチしないにも関わらずあまり違和感がない。

そもそもイラストなんて書けないし、書くつもりもない。

自分のための自分の小説だ。

だから納得していた。

しかしその一方で自己投影した主人公や他のキャラ、アイテムなどと言ったものには「容姿」にも拘る。

ヒロインと同様、イラストなんてものは描かないにも関わらず、である。


ヒロインについては容姿が無くても何ら違和感を感じなかったのに、その他については容姿が無くては違和感を感じる。

この違和感の有無についてあくまで自分の満足出来ればいいだけの小説なので深掘りする事はなかった。

しかし今思えばそこを自覚していれば1作品くらいは完結まで書き上げられたのかもしれない、そんな風に感じる。


理由は「女嫌い」だから。

とはいえ「女体」として自分の中で理想的な造形はある。

こうした面倒臭い人間だ。

拘りも強く、「女体」の性癖もそれなりに尖っている。

漫画やアニメ、ゲームが好きなオタクでもある上に筋トレ好きなトレーニーでもある。

加えて好きな音楽もそれなりにマイナーだ。

様々な癖がある故に確固とした「理想的な女体」がある。

その癖に自分の理想的な女のキャラとしての「ヒロイン」と自分の好きな「女体」を結びつけられない。

「女嫌い」だが「拘りの女体」がある。

最近聞くようになった「女は嫌いだが女体は好き」という話そのままだ。


「ヒロイン」に「理想的な女」として「理想的な性格」を投影する事が出来る。

それは幻想の「女性像」である。

しかし「女嫌い」故に精神的な「女性像」と物理的な「女体」を結びつけられない。


一方で自分は2次創小説も書いた。

前にも少し触れたが主に「新世紀エヴァンゲリオン」と「ゼロの使い魔」の2次創作を読んでいた。

小説を書くのも思い起こせばその2次創作から始まった。


2次創作故に最初からヒロインが容易されていた、という事もあるが2次創作故にキャラ改変も行った。

そしてそれは逆に言えば「自分の考える女性像」を「最初から用意された女体」に当てはめる事が出来たという事になる。

勿論、2次創作ではハーレムものも書いた記憶もある。

オリジナルでは書けない「ハーレム物」。

そして何故「女性像」と「女体」の融合した「ヒロイン」をキャラとして書けたのか。

と考えた時に思うのはやはり「ヒロイン」というのは「主人公」と最終的に「くっつく」前提で考えるからだ。


ヒロインがくっつくのは主人公だ。少なくとも自分の小説では。NTRとかはするのもされるのも好かん。

2次創作ではいくらでも自分の妄想でヒロイン達、そして主人公やその他のキャラを改変する事は可能だ。

だがそのキャラを崩壊させるほどに改変してしまえばオリジナルとほぼ同じ事。

「改変」と「崩壊」には一定のラインがあり、そのラインは2次創作の作者の価値観による個人差はある。

だが、個人差はあるとはいえそこには作者自身で「超えた」「超えない」がある。

そして2次創作を書くに当たって、少なくとも自分なら「ラインを超える」ような自己投影をしてまで原作キャラの体裁を整うようなキャラなのであればいっそのことオリジナルキャラにしてしまう。

あくまで自分の基準となるがそのラインを超えないなら「原作キャラ」として扱う。


改変がされていたとしてもラインを超えない、根っことなるものに「原作」が有れば自己投影をしたキャラ、主人公であってもあくまで自分にとって都合の良い「他人」でしかない。

他人同士でハーレムを形成した。

2次創作の作者としてそれを形成したのは自分だが、あくまで自分は外部の存在。ただ眺めるだけ。

しかし自分の書いたオリジナル小説の主人公は「自己投影」であり、「理想の自分自身」といって差し支えない。

だから「女嫌いの自分」が「女」とくっつくのは嫌なのだ。

例えそれが妄想の世界とはいえ。


精神と肉体の揃った理想的な自分となる「主人公」と精神的な理想的女性像しかない「ヒロイン」。

「人間」と「幽霊」という絶対に結ばれる事のないカップリングを「ヒーロー」と「ヒロイン」と言うだけで結びつけようとする。

だからどんどんヒロインを「戦闘用アイテム」のようにしか思えなくなる。

「ペルソナシリーズ」の「ペルソナ」、あるいは「ファイナルファンタジーシリーズ」の「召喚獣」。

そうした「剣」や「魔法」と同様の存在にしか「ヒロイン」を扱えなくなる。

けど、当初の目的は主人公とくっつけるための「ヒロイン」であり、キャラクターである。

「ヒロイン」として描きたい、けれど書けば書くほど「兵器」となる。

その葛藤に疲れて毎回のように小説自体を書くのをやめていた。


とはいえこのエッセイを書き起こすにあたって「女は嫌いだが女体は好き」という事も「エピソード」。

つまりは自分にとって「過去の事」。

「女嫌い」から「女に無関心」に片足を突っ込んだ状態にある。

今新しく小説を書くとするなら「ヒロイン」は書かないだろう。

少なくとも自己投影した「主人公」とくっつけるための役割のキャラクターとしては。

かといって現状として自己投影以外の「主人公」を書く熱量も無い以上、自己満足の小説そのものを書く事もできない。

だけど「自分の考え」を「伝えたい」。

その選択肢の一つとして選んだのがエッセイ。

そんな状態なわけである。


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