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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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「女嫌いの加速」とかいう話について その2

自分もエッセイで何度か「弱者男性」を自称しており、今回なテーマでもある所謂「女嫌い」でもある

そうした「女嫌い」の自分であっても前回語った通り、「全ての女」が加害者とは思わない。

そして「母親」を筆頭とした目上の女が「女嫌いの種」となる本質的なトラウマであり、その後の学校などで遭遇する事になる同級生の女、あるいは社会に出た後に遭遇する女から受ける可能性のある理不尽な仕打ちは「種を成長させる水や肥料」でしかない。


自分は子供の頃、イジメを受けていた過去があるがそれは「男女両方」からだ。

つまり過去にイジメを受けたから「女嫌い」になるのであれば「男嫌い」にもならなければ筋が通らない。

だが男と女を嫌いになる、というのは「人間嫌い」となることを意味するし、いわゆる「反出生主義」的なものになる。


自分に「人間嫌い」の性質が無い、とは言わない。

無ければ自殺を試みようなどと思わないのだから。

だがそれでも男として生きている。

それは即ち、男として生きる故にイジメを受けた事で「男の悪い面」とともに男として生きるからこそ「男の良い面」も知っている。

だが男だからこそ「女」の良い所、悪い所は自然には知り得ない。

全て与えられなければ分からない、受け身とならざるを得ない。


とはいえ学校の同級生、あるいは先輩、後輩程度の女から受ける「女の良い面」「女の悪い面」など、たかが知れている。

10歳程度までは「子供」でしかなく、仮に第二次性徴期を迎えそれぞれの性に沿った身体や精神に変化した所でそれは「見た目」だけであり、なおかつ「未成熟」である。

仮にどれだけ豊満な体つき、母性的に見えたとしても「女」としてはまだ「未成熟」。

未だ「喜び」の時期にある。

「怒り」の時期どころかその「節目」にも至っていない。

当たり前の事だ。


どれだけ「女子」からイジメを受けていたとしても所詮は「遊び」の延長だ。

だからイジメの加害者は大事となり、責任を問われる事に追い込まれる事態に陥った時、「そんなつもりはなかった」という。

責任逃れでもあると同時に未熟故に責任の全容を把握できる能力も持たない。

そうしたイジメの時点で自殺を考える程の壮絶さを覚え、実際に自殺してしまう子供もいるが、自分の場合は当時はイジメという部分に関していえば「女」からよりも直接的な暴力や孤立感として「男」からのイジメの方がキツかった。

女より男の方から受けた傷のほうが多く、深い。

にも関わらず、「男嫌い」は発症しておらず、「女嫌い」ではある。

それならば女からイジメを受けた事は自分の「女嫌い」のトラウマの「種」ではない。

トラウマの種はそれ以前のものであり、その種はやはり「成熟している女」であり、自分の近くにいる者の影響がトラウマの種になる。

子供の身近の「目上の女」となると「学校の女性教師」、「姉」、そして「母親」。

それが前回の結論に繋がる。


問題となるのはこの「母親」。

以前から何度かエッセイでも語っているが本来なら子供を持った女は「女」から「母親」というステージに上がっていなければならない。

仮に未熟でまだそこに至っていなくてもそこへ上ろうと努力しなければならない。


そもそも「男」にとって実の「母親」が「女」として候補に上がること自体がおかしいのだ。

にも関わらず、この「目上の女」として「女嫌い」のトラウマの種の候補に上がるというのは「母親」の未熟さ故。

「母親」が未熟故に子供に向けて「色目」を使って「女」として接して「主導権」を握る事を教育すると勘違いしたまま「女嫌い」の種を植え付けていくのである。


「女嫌い」を自覚する者達の多くが自分がトラウマだと考えている学校や会社などで遭遇した「理不尽な仕打ちをした女」とは本質的にはトラウマ、女嫌いとなった種ではない。

どれだけ「女嫌い」を克服しようとしてもそれは種から出てきた芽を刈り取る作業でしかなく、時が経てば、あるいは別の女からそうした水、肥料を与えられればまた芽が出てくる事になり、本質的な克服には至らない。


勿論、過去の出来事が原因だからといって「今現在理不尽な仕打ちをする女」には責任がない、とは言わない。

種がなければそもそも女嫌いは発生しない。

0か1で語ればそれは正しい。

しかし種があっても水も肥料も撒かなければ時間や労力をかければ自力で何とかするだけの力は人間には男女問わずある。

自力でどうにか出来ないのは自分が種を退けようと努力の傍らで水と肥料を与えて発芽させた「今現在の理不尽な仕打ちを行う女」、

発芽したそれにさらに追い討ちをかけて花まで咲かせた「第三者となる男」の1対2の構図だからだ。


弱者を蹴落とし、賢者の言うことに従う。

綺麗な他人の作り出した言葉を使い、責任は他人の所為にする。

「楽」でいい。「楽」は「楽しさ」を生み、「楽しさ」は感情を思考を奪い、反射で発揮される。

種から発芽したのは女が「理不尽な仕打ち」をした行動の結果。

花まで咲かせたのも男が「無視して切り捨てた」という行動の結果。


「何もしない幸福」があるように「何もしなかった罪」がある。

「無知は罪」というが「他人が不快になる事は止めよう」「我儘は言わない」「困っている人を助けよう」

子供でも知っている「知」であり「選択肢」だ。

何をしてもその選択の裏には「責任」が付き纏う。

ましてや年齢を考えれば「喜び」の季節のままではいられない。

そしてまだ子供であっても早く大人になりたいならその「怒り」に向き合う事を覚悟しなければならない。



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