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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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喜怒哀楽の節目その1

他の喜怒哀楽と同様にこの節目、「土用」についても一話でまとめたかったが5000文字超えても終わりそうになかったのでとりあえずブツ切りだけど投稿。

ちなみにこれは2400文字程度。

五行節の季節の節目となる「土用」の期間。

人生100年を基準に春夏秋冬を25年ずつ分けた。

それぞれの節目に小分けにあると考えると一つの土用の期間は5年〜10年。合計で25年の季節の入り混じる「土用」がある。

春と夏の間、20〜30。

夏と秋の間、45〜55。

秋と冬の間、70〜80。

それぞれの期間からそれぞれ5年くらいずつで合計15年くらい。

残りは春の初めの0〜5。

最後の冬の終わりの95〜100。

合計して25年。


勿論これは単に機械的に分けただけではある。

節目の季節は入り混じるからこそ、他人の助けが必要だ。

この内、無意識な春の初めの5年、つまり産まれてから5年程の間を除けば春と夏の間が生まれて初めて直面する「土用」の期間。

法的にも未成年から成人になり、「出来る事」が増える。そうすればおのずと「やりたい事」「やるべき事」も増える。

この期間、「やりたい事」を優先するという事は「喜びのエピソード」の期間を引き延ばす、という事。

「やるべき事」を優先するという事は「怒りのエピソード」の期間を前倒しにするという事。

どちらかを「優先」するとほぼ間違いなく後悔する。


「喜び」を延長すれば本格的に「怒り」の季節に成ったときに「準備不足」に「後悔」する。

だから「苦労は買ってでもしろ」と言う風に言われる。

かと言って「怒り」を前倒しにすれば周りから先んじる事が出来て悦に浸れる。

しかしそれはあくまで「周りの目」を向けられるからだ。

同時に他人より「喜び」が少ないという事はその「周りの輪」に入れない。

「若い頃」にもっと「喜び」を得ていれば…と後悔する。

どの道、どちらか一方を優先すればどうやっても後悔する。


だが「後悔」して良いのだ。

「怒り」の時代には怒りの感情をエピソードに昇華させるために「反省」が必要。反省のために「後悔」が必要。

だが「後悔しないように選択する」という文言が一般的になり、多くの日本人がそれに沿うように少しでも「後悔」しないように物事を選択する。

結果、「反省」しない。

反省しないから自分が起こした行動、事実を「正当化」する。

どれだけ上手くいったとしても物事が「変化」するという事は何処かに負担がかかるものだ。

その負担が反省によって見つめなければならない「問題」であり、後悔でもある。

けれど「後悔しないように」というある種の覚悟は「これが終わったらもう自分は無関係」という意思表示でもある。


「今戦ってるラスボス倒してクリアしたらこのゲームは処分しよう」

という気持ちなら例えまだ見ていない「隠しイベント」やまだ手に入れていない「伝説の武器」などの情報があってももう自分には関係ないのだ。

つまり「後悔しないように」とは「反省しない」宣言でもある。


そして「反省しない」事を正当化した場合、あるいはそれに「馴れた」場合。

何処かで思想、価値観、あるいは立場などが異なる誰かと衝突する。

「獣」なら力の強い方が正当化をゴリ押しする「弱肉強食」の理屈も通用する。

だが人間なら、ましてや「怒り」の季節である25〜50の大人が暴力沙汰を正当化するつもりか?それではいけない。

だから反省によって把握した「問題」を「罪」として感じ、「罪悪感」というものを「怒り」の季節にその身に備える。

勿論、衝突する人と人のうち、片一方ではなく、「お互い」にだ。

そうした「罪悪感」から「歩み寄り」が生まれる。


こうした「後悔」と「罪悪感」を感じない、という事は「喜び」の季節を延長させている事に他ならない。

「歩み寄る」ためには優しい性格が必要なのではなく「後悔」と「罪悪感」が必要である。

「怒り」の季節に向かう「春と夏の間」の「土用」の期間は

過ぎていく「春の喜び」を「後悔」する。そしてその後悔から「春」の喜びを反芻して「反省」し、エピソードを作り上げる。

これから来る「夏の怒り」によって周りに迷惑をかけるだろうと「罪悪感」を想像する。

勿論、まだ「夏本番」ではないから想定外の事も起こるだろう。

だが事前に想像し、「想定」の範囲を広げておけば想定外は減る。

最初に直面する「土用」でエピソードを作り上げることで、これから来る「怒り」に振り回されそうな時、生き方がブレそうな時に自分を安定させる事ができる。

「春」の「喜び」が「夏」の「目標」を生む。


そして「喜び」のエピソードがしっかり「土台」として安定していれば「過去の喜び」から「未来の目標」に向けられた直線上に「今の自分」がいる筈だ。

少なくとも「土用」の時点では。

そこから「未来」において様々な誘惑、迷いが発生するかもしれない。

そんな視界に霧のかかったような状態で「未来の目標」に目を向けても先は見えなくなる。

しかし「過去の喜びのエピソード」がしっかりしているなら「霧」が無くなる所までエピソードを頼りに戻る事が出来る。

霧が消えた場所まで来たらまた「未来の目標」に向かって歩けば良い。


逆に言えば「過去の喜び」をしっかり整理していなければいつまで遡っても霧は晴れない。

ただ「喜び」を求めて霧の中で動く。

目隠し状態の中、「怒り」から場当たり的に避けながら。

しかも目隠しだから避けたものが「怒り」なのか、それとも「喜び」なのか、あるいは「人の優しさ」なのかも判断がつかない。

だから余計に「怒り」が加速する。

そうやって「過去の喜び」を求めて「時間」と「労力」だけを浪費した人間の辿り着く境地が「何でもやってみる」。

それはまともな「報酬」が支払われるならそれでも良いのだが「ブラック」な社会ではその「報酬」が不確定。

報酬は「他人」から与えられるもの。

「他人」ありきの「楽」は「冬」の季節。「春と夏の間」にそれを考えるのはまだ早い。50年近く先の話だ。




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