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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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喜怒哀楽その1

書きたい物はあるんだが書く順番が分からなくなる。

Aを書いている内にBを掘り下げていき、書き終わればBの事ばかり書いてある。

それならいっそのことBとして書き直せば今度はAの事を掘り下げ、あるいはまったく別のCを掘り下げていたりする。

上手く行かないものだ。

喜怒哀楽、所謂人間の感情だ。

そして最近のエピソード絡みのエッセイでこの喜怒哀楽について考えた事がある。


まず最初に今回のエッセイの結論としては

「喜怒哀楽のエピソードはそれぞれの人生の節目、時期毎に重視される順番」

シンプルに言語化して結論を書き出すのは難しいのだか以前、エッセイを描き始めて大分最初の頃に「人生」というものを「春夏秋冬」に分ける話をした。

勿論それは自分のオリジナルの例え話ではなく、昔からある概念である。

青春、朱夏、白秋、玄冬。

恐らく日本人にとってもっとも馴染み深いのは「青春」というワード。

若さの象徴である。

そして年齢的には働き盛りの朱夏、徐々に老化を感じ始める白秋、そして完全に老年期となる玄冬。


ただ、元々がこれは古代中国の思想、「五行説」からくる概念であり順番が玄冬からスタートし、青春→朱夏→白秋で終わるという考え方もある。

これは玄冬の玄が黒を意味し、冬場の地面、草花もなく、芽生えすらない黒い大地を種が地下で力を蓄えている様子を子どもの状態として考えた事から玄冬を子どもに当てた、という考え方である。


この二つの人生における春夏秋冬。

日本人的な春夏秋冬と古代中国の五行説的な冬春夏秋の二つのそれは国の文化、あるいは思想的な違い、だと思っていたがエピソードの話を書いてきて思ったのは

「自分の事は春夏秋冬」「他人の事は冬春夏秋」で考えるとしっくりくるのではないか、ということ。

そして今回は「自分の事は春夏秋冬」で考えた上で感情である「喜怒哀楽」と話をつなげたい。


喜怒哀楽と春夏秋冬。

それぞれ四字熟語という共通点しかないがそれぞれ喜怒哀楽の順番とは春夏秋冬にそれぞれ対応しているように感じた。


喜→春、怒→夏、哀→秋、楽→冬。


人生の春夏秋冬においてそれぞれの季節には喜怒哀楽、それぞれの感情のエピソードが重要になってくる。


青春の頃には「喜」のエピソードをたくさん集め、

朱夏の頃には「怒」のエピソードを集め、

白秋の頃には「哀」のエピソード、

そして玄冬には「楽」のエピソード。


よく言われる「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という話はそれに当てはめると正解となるのだが、問題はその「若さ」の定義の置き所。

「喜び」のエピソードを集める「青春」の時期に若さの定義をおいて「苦労」を買う必要はなく、「怒り」のエピソードを集める「朱夏」の時期にこそ集める必要がある。

ただ自然と同様に人間はデジタルではないため、「今日まで春、明日から夏」という風にはいかない。

五行説でいうところの「土用」、つまり季節の移り変わりの「移行期間」がある。それぞれ前後の季節が混じり合う中途半端な時期。

その期間に当たる感情や季節がないが季節と季節を繋ぐ橋で感情や他の季節と同様に重要な期間である事には違いない。



勿論、生きていれば青春期、つまり子どもでも喜びだけでなく、怒りや哀しみ、楽しさのエピソードを得る事もあるし、それは他の時代も同じこと。あくまでその時期に重要視すべきエピソード、という事。


人生を「旅」として表現する事が歌の歌詞などを見ていると多い。

だがたまに「家を作る」事に例える人もいる。

今回は「家」の方で考えたい。


家を作るには家の壁や床、柱、そうした材料がいる。

作りたい家の姿、「憧れ」もまた材料の一つである。

その材料こそが「喜び」。


材料を集め終わったら今度は「怒り」の力で加工する。

切り出しただけの木材、塗料、そして漠然としていた「憧れ」を現実的な「予想図」へと書き出す。


そして加工した材料、書き出した予想図を「哀しみ」によって建てていく。

その土地、環境、時代によって実際に予想した通りにはならない。

足りない材料、逆に余った物。

実際に作り上げていく過程で揃えた物を使い切り、きっちりと作り上げるのは理想だが大抵は上手くいかない場合には補填したり、あるいはそもそもとして予想図から消す事も必要。


そうして作り上げた「家」で余生を過ごして「楽」をする。

楽とは身体を休めるという意味、リラックス、ネガティブな表現なら「ぐうたら怠惰に過ごす」という事にも「楽」というものが使われるがそれは「行動」であり、「感情」ではない。

ただそうした行動を通じて「趣味を楽しむ」、「友人、知人を招待して楽しむ」。

様々な「楽しむ」という感情についてのエピソードは生まれるが、それは自分が行った行動について「考える」必要がある。


そして「土用」という各季節の移行期間。

この期間は移行期間故に感情のエピソードこそ必要ない。

しかし、「春から夏」「夏から秋」「秋から冬」、そして「冬から春」の間にするべき事がある。

それは「反省」と「改善」と「次の目標」。

家に例えるなら「廊下」や「玄関」、「ドア」や「窓」。

ただそこに住むだけ、ただ広いだけの空間の一部屋ではなく生活の「部屋」を考え、「動線」を反省するにもこの期間は重要だ。


話を敢えて大きくするが日本の問題はこの人生の春夏秋冬とエピソードの喜怒哀楽、それらの関係が一致しない人が多い事ではないか、と思う。



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