鏡に写る姿。「他人」その1
この「他人」の話をその7としてで1話でまとめるつもりがいつも通り話しが長くなったから分ける事にした。
3作品の親子関係についてそれぞれ語ってきたが似通った「正論」をぶつけつつも教育に成功した親子と失敗した、というと語弊があるが親の方の期待通りにならなかったのは何故か、という話をしてきた。
そしてこれまでは母親と対峙する時の子供の成長段階を3パターンに分け、適切なタイミングで適切な距離の取り方をしたために成功した、という話を展開していった。
つまり子供の成長段階、「時間の軸」での正解、不正解を考えていった。
ただし、これまで「時間軸」の違いを語りながらも別の部分にも触れて書いた。
それは「母親以外との人間関係」と「世界観(環境)」である。
とりあえず、今回は「母親以外との人間関係」を。
この「母親以外との人間関係」であるがこれまた成功例であるドラゴンボールの「チチと孫悟飯」親子が示している。
それはドラゴンボールの主人公であり、孫悟飯の父親でもある孫悟空の「父親」としての役目、そして孫悟飯の成長に大きな影響を与えた第2の父親とも言える「ピッコロ」の存在である。
まずは父親の孫悟空から。
孫悟空は日本どころか世界クラスの知名度、人気のヒーローキャラであるがネットなどでは素直であまりにも脳天気な性格からサイコパスなどともネタにされたりもする。
実際、自分の強さを確かめたい、強い相手と戦いたい、といった思いからピンチに陥る事も。しかもそれが地球規模、宇宙規模の影響があるということから巻き込まれるほうは溜まったものではないだろう。
そんな良く悪くも素直で天然な孫悟空。
父親としてはどうか、といえば「普通」なら非常に問題のある父親だろう。
しかし、この「チチ」と「孫悟飯」を相手にした時に上手くハマっている、最適解と言える父親だと個人的には思う。
それは何故ならチチが孫悟飯に対して「100点」を示した母親なら、孫悟空は父親として「60点」を示したからだ。
母親のチチが孫悟飯に対して「勉強しなさい」と言えば、孫悟空は基本的には何も言わない。語気が強すぎればたしなめるだけだ。
孫悟空が口にするのは「腹が減れば狩りをすれば良い、畑を耕せば良い。
汗をかいたら川で水浴びすれば良い、何の心配もいらない」
それを無責任な父親とする者がいる。
だがこの「何の心配もいらない」という言葉と地球最強のヒーローというその説得力は本当の無責任な親にはない「セーフティ」として絶対の安心感を与えている。
同時に孫悟空は教育や家庭の事は基本的にはチチに丸投げではある。
しかしだからといって孫悟飯の事には無関心か、といえばそういうわけではない。
ベッタリではないが見守っている。
また地球の危機で孫悟飯の力が必要となればチチの傲慢な主張を抑え込み、切り離す。
普段はチチに家庭内の主導権を握られてはいるもののいざという時はチチに自分が嫌われてでもやる、という意思の強さを持っている。
つまりは勉強という部分は熱量も知識もチチの方があるから丸投げするものの、重要な所では強引でも主導権を握る。
そこに明確な線引がある。
そうした地球の危機なんかでは喧嘩する事もあるがそんな時はチチが引き下がる。
何故ならチチが間違っているから。それを自覚出来るから。
地球の危機に子供の勉強を優先している場合ではない。
悟空に当たり散らし、怒りを発散した後にチチは泣き崩れながら主導権を譲る。
建前、とは少し違うかもしれないが、「地球なんてどうなってもいい。息子を学者にするために勉強させるんだ」と先に主張した手前、引くに引けなくなっている。
母親としてのこれまでの実績を否定されたくない。
だから正論で正す。暴力で威圧され、泣く泣く息子を戦いに向かわせる。
という体裁を取る事で母親としてのこれまでのメンツが保てる。
「教育方針」を正されたのではなく、あくまで「暴力」で負けた。
その「正論」と「暴力性」を見せつける嫌われ役を孫悟空は父親としてこなすことができる。
冷静になれば作中最強クラスの戦力である孫悟飯は戦士として戦わなければならないという孫悟空の主張は元々戦士だったチチには「愛」故に理解出来るからだ。
男女間の性愛を語るつもりではない。
自分のエッセイで語る「愛」である。
愛とは金、時間、労働力。
金とは過去の象徴、時間とは未来、労働力は現在。
チチの戦士としての「過去」、親としての「現在」、そして向かおうとしている「未来」。
チチと孫悟空の愛が全てが一致しているからこそ、「現在」が主張を強めた時、違う方向に向かおうと間違えた時に「過去」から経験を、「未来」から目的が主張を正す方向に矯正する。
その矯正は一人でも可能だが「現在」に振り回されればそれは全てが終わった後に「後悔」となって押し寄せる。
「あの時、勉強なんてさせずに地球のために戦わせていれば地球は滅亡しなかったかもしれない。」
ただの一般人ならその選択肢はない。
しかし戦士としての経験があるからこそ、その選択肢が生まれ、そして選ばなかった事を後悔する。
そうならないために孫悟空が父親として、夫として受け止め、「情け」をかけて未来を正す。
逆に言えばチチが母親として現在をしっかりと担うからこそ、孫悟空は戦士としての過去の経験から父親として未来を冷静に判断できる。
実際、戦士としての「誇り」「プライド」という「過去」に振り回されがちな孫悟空のライバルであるベジータは未来を見誤ってピンチに陥っている。
そして作中で敵として現れ、破れていった者は「野望」という「未来」に振り回され、孫悟空や孫悟飯、その仲間達に破れていった。
子供に対して両親がしっかりと「愛情」を与える事が出来ているのなら、「愛」 が乱れた時は「情け」が正す。
「情け」がない時は「愛」が補填する。
それぞれの役割を男女のやり取りからさらに発展させ、母親と父親として子供を「愛」と「情け」の間に挟み、100点から60点の間から零れ落ちないようにしているからこそ、波乱万丈な孫悟飯はあの世界でもすくすくと育った。
教育ママから与えられた重い愛を父親のセーフティで分散する。
軽くなった身でまた飛び込む。今度はさらに上に。
自分はあの親子をそんな風に解釈している。




