都会の田舎化は思ったより早い気がする。
本来なら前話を考えたきっかけの3作品のキャラについての事を書こうとしていたがSNSを見ているとある漫画についての感想が目に入った。
漫画そのものの話を語りたいわけではなく、あくまで感想について語りたい。
田舎が嫌で上京し、自分の好きな仕事をするが不安定な仕事のために挫折した時を想定して田舎に帰らないための保険として結婚。
それについては田舎は糞、と同意する人もいるし、田舎と言ってもこんな昭和みたいな田舎の環境あるかよ、リアリティに欠ける、と思う人もいる。
仮にあってもそれは田舎でもごく一部、特定の家庭に限った話、と言う人もいる。
実際ある。
むしろ農家などの「後継者」として男をあてがうパターンが多い。
そのため女は初回の引き止めさえ強くとも、一度出てしまえば後は自由にされやすい。
一方で男は「一度は外に」と言う事で田舎から出されても、特定の年齢、あるいは親の身体的な都合などで引き戻す力が強くなる傾向が強いように思う。
実際、農家などは学校卒業後、そのまま農家となる人はあまりいない。
だからコレは女に限った話ではなく男もそうである、と言っても結局のところは体験しなきゃ分からんだろう。
そしてそれは確かに田舎の全てに当てはまるわけではないだろうが、決して「ごく一部」と無視できる数ではない。
分散しているし、外部には露呈しない。だから可視化されていないだけ。
性的マイノリティもほんの数年前は「ごく一部」だったが実際のデータとしては10人に1人とか。
「リアリティに欠ける」と思う人が考える以上にそんな人、そんな環境がある。
まぁ、今回は話をしたいのはそこではない。
恐らくは上記の感想の中で「リアリティに欠ける」みたいな立場の人間で東京生まれらしい人の感想についてである。
比較的バズっていた感想であるが「東京をダシにして自分語り。東京が故郷の人間からすると不愉快だ」と言う感想。
また、「自分の能力不足を棚に上げて東京と田舎、両方を貶している」。
全く持ってその通り。
だからそこに日本の問題が集約されてある。
そんな中で不愉快そうに語っていたのが「東京はどんだけ馬鹿にしても許されがち」といった評価の言葉。
「東京は日本で最も栄えた、最も強い場所。
だから馬鹿にしても良い。そんな風にされているのが東京生まれ、東京育ちとしては悔しいし、不愉快。」
この評価と言うか、感想を見た時、田舎の人間であり、漫画のキャラの考えに同意している側の人間でもあるが罪悪感よりも都会の人間が田舎の人間みたいなことを言い出した事に都会の田舎化はもうとっくに始まってるんだな、と思った。
強く美しい、最先端の場所。
そこに生まれた自分達が何故こんな暴言を吐かれなければいけないのか。
そんなの決まっている。嫉妬、やっかみ、羨望。
才能や性別と言うのが個人に最も残酷な現実であるように、生まれてきた土地、育った環境と言うのもまた残酷な現実である。
そしてそれは日本の昔ながらの男女関係でもある。
男が仕事、女が家庭。
そんな風に分けて考えていたように日本は田舎と都会を明確に分け、そしてそれはドンドン格差が開いていった。
勿論、この漫画の感想を述べている人からすると知ったこっちゃないのかもしれない。
勝手に田舎が衰退し、ひとりでに都会に人が集まって、自分はそこで生まれただけ。
自分一人に都会と田舎の格差問題をぶつけるな。
勿論、国レベルで取り込まなければならない格差問題を一個人に責め立てるのは間違いだ。
しかし、それは田舎に生まれた人間も同じ。
だから陰影を深くする。
いかに都会が恵まれているか。いかに田舎が悲惨か。
誇張。拡大解釈。
1を100に、あるいは100を1にして語る。
苦労を大袈裟に語り、報酬を多めにもらう。
その報酬を少なく語り、自分への嫉妬の目を遠ざける。
自分さえ、自分の身内さえ良ければ良い。
サイコパスの考え。
そして強者の皮を被った弱者のやり方、技術でもある。
そして件の漫画で描かれている「女」のやり方とも言える。
ああした家庭が全ての田舎の家庭に当てはまるわけではないように全ての女があの漫画のような打算的な女と言うわけではないのは百も承知だが、それでも敢えてこうしたやり方、考えを「女」と言う。
なら田舎が「女」なら都会は「男」でなければならない。
この「◯◯でなければならない」と言うのは男と女の性役割を正当化、あるいは美化してきた日本の「古き良き」文化を守るにはそうするしかない。
男である都会を女である田舎が立てる。
その一方で家事などは女任せ。
女が我慢をして、そして女は危険な戦場の矢面に立つ事無く。
男はその女の我慢があるからこそ、ソレを守る為に戦場へ向かう。
お互いにお互いを貶し、利用し、支える。
だから性役割が正当化され、それを上手く立ち回れることで称賛される。
では男がその役割を降り、女と同じ様に振る舞えはどうなるか。
最近のトレンド、「弱者男性」についてのコメントが表している。
都会とは田舎から、女から馬鹿にされても「強い男」として、日本と言う大きな家庭の大黒柱として軽く笑い飛ばすほどでなければ都会ではなくなる。
都会は「最新」の技術や価値観を創り、生み出し、田舎はそれを後世に伝えるために「文化」を作る。
そして都会が故郷である、故郷を馬鹿にするな、という主張はその土地の文化を大事にしたいから。
だけとそれは即ち、「最新」のものへ関心が向けるのが難しくなることを意味する。
住みやすい環境、文化を作ると言うのは即ち「過去」に目を向けるということ。
そして住みやすい環境、文化とは誰にとっての話かと言われると「自分」と言う内側に意識が向かっている。
都会が田舎に目を向けず、殻に閉じこもる方向に向かうなら田舎が、女が変わる必要がある。
問題は現実の田舎に若者が少ないと言うことだ。
年齢だけではなく、価値観も古い。
「 男がだらし無いから女の私が立つ」
と言うには世界の最先端と日本の意識は離れつつある。
世界でスマホが流通している中、日本はガラケーが最盛期だったように、日本の価値観や技術は先鋭化、ガラパゴス化しやすい。
本来の理想の「田舎の都会化」は都会が田舎の先頭に立ち、先導し、遅れないように、誰も落とさないように支え合うこと。
だけど我先にと他人を蹴落とし、そして弱肉強食、自己責任を盾にする以上、こうなるしかない。
そんな浅ましい女を男は守りたくないし、女としてもそんな情けない男に上から目線で守られるのは癪だろう。
だからお互い様。
理想とは真逆だが結果として「都会の田舎化」によって「田舎の都会化」が加速するなら良いのかもしれない。
ただ、再三言うように「若者が少ない」と言う問題がある。
可能ならサイコパスに食い散らかされる前に「都会の田舎化」、「田舎の都会化」が完了してほしいものだ。
他人事だが、それすらもお互い様。




