男の内面その2
さて前話の続き。
昔の人間が役割を与えられて男の子は父親から男の強さ、母親から癒やしを、女の子は母親から女の強さ、父親から安心を得てそれぞれ成長した。
現在はどうなのか。
現在でも女の方は所謂「おままごと」から始まり、家事手伝いを通じて女同士のコミニュケーションを取る事が出来る。
それじゃあ男の方は、というと大人が稼ぐために行う仕事で子供が出来る「仕事」なんてない。
仕事を通じて男同士の親と子がコミニュケーションを図るのは農家などの一部の仕事だろうし、それだって今の時代、子供には学校があるから100年前のように毎日というわけにもいかない。
せいぜい休みの日ぐらいだが学校があれば人間関係も広がる。
子供はそこで成長する以上は極力邪魔しないほうがいい。
そこでスポーツ、運動を通じる事で男の親と子供が擬似的な仕事のような関係を作りあげ、コミニュケーションを取る事が出来た。
だけどそれも選択肢が少なく、「スポーツ=野球」という1種類に限られていた「昭和」 という時代ゆえに何とか保つ事が出来た関係性。
様々なスポーツ、或いは娯楽が日本に入ってきて親の経験したスポーツと子供がやりたい事に違いが生まれる。
ここでスポーツ経験における賢者なら自身の経験したスポーツの種類に限らず子供のやりたいことでコミニュケーションを取り、子供のやりたいことで経験、教訓を伝えることが出来る。
敗者なら自分のしてきた、実績の残せなかったスポーツは積極的にはやらせないだろう。
だから子供のやりたいことを優先させて応援できる。自分には出来ない事はコーチや監督に頼む。
勝者は子供に自分のやってきたスポーツをやらせる。
自分の出来た事をやらせる。勝者の自分は正しい、勝者の自分の子供なら出来る筈。
だから子供の成功は自分のもの。子供の失敗を責めるし、その失敗の責任はコーチや監督、あるいは教師、もしくは子供の交友関係に責任がある、と周りに責任の所在を求める。
ほんの20年前、30年前では馬鹿にされたオタク文化が一般的になり男性どころか女性もそれを趣味として公言する時代。
何故それが許されるようになったのか、というとモテるから。
モテるという事はその先に結婚し、子供を持つ事。子供を成長させ、そのためには教訓も必要になる。
その際に適齢期と言われ、人生100年時代ではまだ若い20〜30代の人間には「一つの経験からそれを他人の嗜好に合わせてカスタマイズして教訓を伝えることが出来る」能力を持ち合わせるのは難しい。
そしてよく世間一般的に言われている「男は子供が出来ても変わらないが女は子供が出来れば母親になる」という現象。
コレが自分の言うところの父親から強さを教えられなかった男。
だから男は父親になるには成長が遅い。
娘に対して本能的に可愛がれるのは娘として守るというより、女として守っている。
かといって女として守っているのは狩猟民族時代からの男の役割、外的から女子供を守るため、という理由で性的対象として見てるわけじゃない。
と、言い切りたいけどゴミクズみたいな親モドキによる性虐待あるからな。そこも問題ではある。
話を戻して言えば結婚適齢期の若い世代にも二分割でいうところの強者、3分割で言えば賢者はいるがごく一部。
だから自身の経験を他人向けにカスタマイズするのが困難な普通の人間、2分割で言えば弱者、3分割でいえば勝者と敗者という一般的な人間でもモテるようになるには結果として多趣味にならざるを得ない、という事。
「大丈夫か?自分。
話脱線してないか?ゴールはどこだ?」
と話の内容が枯渇するより脱線してるかどうかが気にしながら書いてる。
今回も大丈夫か?自分。




