内向きの男の強さ
男の内面で差が分かりやすいのは運動経験、体育会系であるかどうかだろうね。
ただ運動をすれば内面が強くなるかどうかはあんまり関係ない気がする。
テレビに出る芸能人を見れば運動能力の良し悪しに関わらずメンタル強い。
比較的に運動経験があれば強い傾向があるようにも思えるがだったら、運動が苦手な人間の方に視点を向けたほうがそのメンタルの強さの秘訣が分かる筈だ。
そもそも運動が出来ればメンタル強いならプロスポーツ選手は強い筈。勿論一般的な人より強いだろう。
けど実際は?と。
最近だと某野球選手のパートナー?との性行為のSNSのやりとり内容の流出。「○○確定」みたいなのがトレンドになったり。
スポーツはステロイドだとか、暴力沙汰の話もそうだ。
「男の強さが行き過ぎた結果」「英雄色を好む」とあくまで強さを主張する人もいるかもしれないが結局はメンタルが弱いから欲求、欲望を制御できずそちらに走る。
例え年俸1億以上の経済的な強者であろうとそういう問題を起こした以上あくまで「勝者」でしかない。
そこから経験を経て賢者に至る場合もあるが肉体的な強さ、外向きへの強さと精神的、内向きへの強さは異なる。
そもそも日本国民がスポーツを楽しめる、学べるようになったのはここ100年程度の事だろう。
それじゃあそれ以前の人間は皆弱かった?そんな筈はない。
大和魂とやらはどうした。
昔の男はどうやって強さを手に入れたのか。
結論としては仕事だ。娯楽が少なくて人権なんてものもない。
今の小学生ぐらいの年齢、あるいはそれより幼い頃から農民の子供は農作業、武士の子供は稽古。
そこではどうやったって子供と親がコミニュケーションを取らざるを得ない。
男女の役割がはっきり分かれていた時代である事を考えると男は主に農作業や武士の稽古を通じて男の親と男の子供のコミニュケーションを取る。
女は女で家事を通じて女の親子でコミニュケーションを取る。
男は仕事、女は家事というそれぞれの性別で親子としてそれぞれの性別の強さを与えられ、
そしてそれで疲弊したり傷ついた身体や心を労るのが異性の親、息子にとっての母親、娘にとっての父親になる。
1000文字前後でおさめたいところ。