毒親認定と対処
これで本当に毒親については終わり。
まぁ毒親関係は終わったけど親に関係する話はやる予定だけど。
親の愛情は金、時間、手間。
毒親はそれらを与えない。
だったらそれらの愛情が低かったら毒親なのか、ということについても答えは「ノー」
何故なら子供は家の外で成長するから。
それじゃあ毒親ってなんなんだ、というと「与えない」「応えない」「共有しない」の3つ。
愛情はこのうちの「与えない」に該当する。
愛情を与えれば1項目はセーフ、与えなければチェック。
そして応えない。
これは子供からの期待や責任、約束とか。
どれだけ子供を人間扱いしてるか、って事。
2分割で言えば子供は弱者、そして親は強者。
だから強者の人間が弱者からの期待は応えない、責任は取らない、約束は守らないとかやってると弱者からすれば親は主になる。
それらに応えていれば子供にとってヒーローよ。
最後は共有しない。
これは子供、というか家庭全体にも波及するけど
楽しみを共有しない、問題を共有しない、悲しみを共有しない。
まぁ子供に対して「うちは放任主義だ」って言って子供と向き合わず好き勝手やってればそりゃあね。
楽しみを共有しなければ子供はコミニュケーションを取れなくなる。
悲しみを共有しなければ子供は孤独になる。
問題を共有しなければ親を信じられなくなる。
至極当然の事なんだけど、毒親はそれを惑わす、だから毒親なの。
対処については3つかな。
向き合う、逃げる、従う。
ちゃんと向き合うには子供にとって相当な勇気がいるし、毒親に毒親である自覚をさせるための証拠がいる。中々に難しい。
だから大抵の人は逃げるか、従うか。
どちらもいずれは「向き合う」必要がある。
その準備期間を稼ぐための物。あくまで対処だから、それをやれば終わりってわけではない。
そこで終わり、って考えるから逃げた人は「逃げるが勝ち」を正当化して自分自身が毒親になる。
最近、毒親育ちだけどその後は幸せです、みたいな作家が娘から毒親認定のカウンター食らって炎上してたような。
従順になるのも、そうだね。
中々に辛いよ。毒親にとって「都合のいい子供」を演技しながら向き合うための準備するのは。
失敗すると最悪のパターンになるから。
回り道をしてでも向き合わないと毒親の毒を解毒できないからね。
結婚しない、子供も作らない、だから毒親にもならない。
それを宣言する時点で結婚にも子供にも未練があるんだからシンドイと思うよ。
普通に生きてれば先に死ぬのは親だからね。
親が死んでからは向き合えるのは仏壇か墓石ぐらいだから。
後悔したくなかったら、ひとまず逃げて生きていく力やパートナーとか仲間とかそういう生きていくのに大切なもの?を手にして毒親のどんな毒にもブレない、という自信が備わった時でいい。
向き合った方が満足して死ねる。
まぁ、向き合ったところで親が毒親だとちゃんと過去の事を自覚するか、というのはあんまり期待しないほうが良いけど。
だから毒親なんだし。
凄く嫌な思いはすると思うけど、生きていく力、場所が既にあるなら問題なく納得出来るでしょ。こんな人たちだったんだ、って。
凄く普通に考えていけばいい。
嫌な思いをした。それを伝えるだけ。
毒親がまともになってれば謝るよ。そしたら水に流して各々の場所に帰ろう。
毒親のままなら縁を切る。出来るはずだ。他の縁を結んでいたら。
「だけど」何だよなぁ。
どれだけ毒親のチェック項目にチェックが入っても親を信じてしまう。
優しくて、弱い子供なら特に。
子供の側からしたら親を毒親だと認めたくない。
自分が無能、低能なのは自分の努力が足りないからと思いたいから愛情という養分の枯渇状態て頑張って、成果がでなくても怒られて、の悪循環。
毒親だと認めたら自分が親に向けていた信頼や愛情が無駄にもなる。
何より、親が無能だと、弱い存在だと理解してしまう。
人間は弱いものだけど、子供にとって親は強くあってほしいと思うものだよ。
人間は弱い、親もその人間の一人と理解するのは子供が大人になってからであるべき、と思いたいけどね、個人的には。
何ていうか、毒親は日本にはたくさんいる。
不満は溜まっていて、それでも普通に過ごせてるのは外から問題が持ち込まれずその不満のダムを決壊させないから。
例えば毒親育ちで限界まで溜まっているところにイジメの問題が出てきたら引きこもりになったりする。
家庭が問題ないなら立ち向かえる筈だから。
親の立場の人間は改めて引きこもりは自分達が追い詰めていた、と自覚すればいいし、子供の方も内外から追い詰められていた、と自覚したほうがいい。