毒親についての考えまとめ
今まで一通りまとめてきたが毒親の「我慢を強いる行為」、「無関心」、「過干渉」。
コレはつまり、愛情の逆。
金↔我慢
時間↔無関心
手間↔過干渉
そして愛情として子供に渡されるものは安心感と過去現在未来の親自身の資産となる物。
目に見える財産、親自身の可能性、親の労力。
それらを子供に渡さない事で毒親は身を守る。
それは自らもまたかつて勝者に虐げられて来た敗者の側、強弱の二分割で言えば弱者の側だったからだ。
そしてその弱者側から強者に、敗者から勝者になった事でその道こそ正しい、絶対の道だと思いこんでいる。
毒親は忘れている。
毒親は真夏の祭りの最中。
若くエネルギーに溢れている。
生涯現役、アンチエイジングで肉体的、精神的な若さも手に入れられる時代。
「若さはあっという間に過ぎ去る」そんな時代が逆転した。
どんなに夏を引き伸ばそうとやがて秋が訪れ冬が来る。
老化して、死ぬ。そして時代は次の春がくる。
さて、唐突に毒親なんてのを投稿したのは自分も毒親育ちだからだ。
個人的な感情、我儘で言えば、非常に恨みたい。
おそらくこれを理解した以上、以前のように愛そうとは思わない。
だけど毒親もまた毒親育ち、勝者から踏みつけられた過去があり、身を守るのに必死だと感じた。
自分の自殺未遂は事故、不注意として大きな問題には世間的には問題にはなっていない。
だがそれからこの10ヶ月、親達の雰囲気が変わった。
自分が無意識、意識問わず常に親に持っていた感覚だから、そして自分が親に愛してほしいと気を使って親を見ていたからこそ分かる。
親の纏う空気、目つき、表情、以前と異なる言葉遣いの小さな違い。
自分は過去に事故や怪我を負った事があるがその時の反応とまるで違う。
完全に恐怖している。
子供が死に自ら近づいた事で自分達の冬を悟った。
子供が自分より先に死んだら老後はどうする、死んだ後の始末は?誰が私達の葬式をしてくれるの?
怒りより憐れだと思う感覚がある。
そしてこんな人達におびえていたのか、と自分自身も情けなくなって憎む事が面倒になった。
結論としては自分の感覚では毒親は憎むだけ無駄。先に死ぬから。まぁどうしても実力行使したいなら自分みたいに…いや、それをやれとは言わんけど。
色んな人が言葉にしているが子供がどんなに偉くなろうと金持ちになろうと親から見れば子供は子供。
ソレは本来「どんなに傷ついても私達は貴方の味方よ」というポジティブな物語な親だけにしておいてほしいんだけど、現実では毒親も親モドキも同じ。
どんなに偉くなろうと金持ちになろうと子供は親に従うもの。
それを変えるには親の意識が変わる必要がある。
自分の場合はそのきっかけを与えた、というか叩きつけたというか。
まぁ幸せになりたいなら自分みたいなやり方はやらんほうがいい。
。
毒親への考えについてをまとめた。
これで毒親の話は終わりにしようと思ったけど毒親への対処とか、毒親への気づき方みたいなのも後で投稿しよう、とか。
書けば書くほど脱線して言って書きたいものが出てくる。