#1 結婚したら毒殺されました
私はレヴィ、レヴィ・エコーズ。クィン王国一番の商家、エコーズ家の一人娘です。自分で言うのは気が引けるのだけれど、誰が見てもご令嬢です。
であるからして私に結婚の話が舞い込んで来たの不思議なことではありませんでした。数えだしたらキリがないのでしませんが、少なくとも両手両足の指では足りないくらいの縁談が来ました。
私はそのすべてを断ってきました。
だって、皆この肩書に惹かれて寄ってくるのです。誰一人私を見てくれません。私を褒める言葉は、すべて私に取り入るための言葉ばかり。本心で言っている言葉があるのかどうか見当もつきません。誰がそんな人と結婚したいでしょうか?
しかしエコーズ家において、私のような恋愛至上主義者が陽の目を見ることはありません。必死の抵抗虚しく十六になった夏、遂に私は縁談を組まされることとなってしまいました。
相手はランチマネー子爵ジギー・マーセルズです。端的に言って没落貴族です。今や領地も先代当主の浪費癖のせいで全盛期の三分の一になってしまったそうです。
今回の縁談も、とどのつまり財産目当ての政略結婚でしょう。だって私と結婚して子供が生まれれば、ゆくゆくエコーズ家の財産はすべて子供へ渡るのですから。そうなれば三分の一になってしまった領地も簡単に取り戻せるでしょう。いえ、それ以上の土地だって手に入ります。
そんな私は憂鬱な気持ちのまま縁談の当日を迎えました。
◆◇
「はあ……」
「お嬢様、そんなに溜息を吐かないでください。今日はランチマネー子爵との縁談の日なのですよ? 子爵に幻滅されたくないでしょう?」
「いっそ幻滅されるのも手かもしれないわ」
「もう、冗談は止めてください、お嬢様」
冗談ではないのだけれど、という言葉は言わないでおきました。私だって一応人の心はあります。召使いたちの心労をわからない人間ではありません。
きついコルセットに息が詰まりそうになりながら、私は彼女らのされるがままに礼装を着せられてしまいました。
はあ、これを着せられては私も覚悟を決めるほかありません。
「エコーズ家として最善を尽くしましょう」
こうして、私は気乗りしないもののエコーズ家のために縁談に臨むのでした。
◆◇
単刀直入に言います。
ランチマネー子爵はいい人でした。
彼はお世辞もおべっかも使わず、ありのままの私を見てくれました。それに話の馬も合いました。私の好きな本を彼も好きだったり、好きな音楽家も一緒でした。
最初こそ子爵の一挙手一投足に警戒していた私ですが、彼の真摯で優しい声音に誘われ、しばらくすると私は一緒にピアノの連弾をしていたのです。
図らずも一緒にいて楽しいと思ってしまったのです。
ですが、だからと言って縁談を了承した訳ではありません。何せ私は子爵と一回しか会っていないのです。ですのでもう少し様子を見ることにします。
◆◇
それから二月の間に、二度三度両親と子爵を交えた四人で会食をした後、二人で出掛けるようになりました。
子爵はオペラを好みました。私もオペラが好きでしたので異論はありませんでした。
こうして二人でオペラを鑑賞する日々が続き、知らず知らずの内に劇の幕間に席を立つ彼の後ろ姿をオペラグラスで追っている私がいました。それは戻ってくるときに見せてくれる笑顔を見つけるためでした。
私はその笑顔を見ると顔が火照ってしまうのです。
認めたくありませんが、私は子爵を好きになってしまいました。
まったく呆れたものです。あれだけ縁談を断っておきながら、恋愛至上主義者を謳っておきながら、いざ縁談に望むとコロリと絆されている私がいます。
しかし、これもある種の恋愛なのでは?
そう思うことにしました。そう思えば私の主義も曲がることはありませんから。
◆◇
結婚式は雪解けの季節に執り行うことになりました。
子爵が父上と話し合うために何度か屋敷を訪れたり、逆に父上が子爵の屋敷へ足を運んだり忙しくしました。何を話しているのか私は知る由もありませんが、きっと結婚についてだけでなく、家と家の小難しいあれこれをしているのでしょう。
話に混ざれないのは少し寂しい気もしますが、子爵が屋敷に来ている間私はピアノを弾いて気を紛らせました。こうしていれば、話し合いが終わった彼が私の元に来るからです。
私は決まって子爵を連弾に誘うのでした。
◆◇
結婚式はありったけの贅を凝らした盛大なものになりました。国内外の貴族たちを招き、王国一の楽団に舞踏曲を演奏してもらい、王城の料理長も務めたことのあるシェフに料理を作ってもらい、王国一のデザイナーにドレスを拵えてもらいました。
私と子爵は皆から祝福の言葉を貰い見守られる中夫婦の契りを交わし、晴れて夫婦となりました。私はランチマネー子爵夫人となりました。
◆◇
しかし、人の世は泡沫とよく言ったもので、私の幸せの絶頂は折り返し地点を迎えていたようです。
結婚式から一週間後、私は病に伏せてしまいました。王国一のお医者様にも診てもらいましたが病名も分からず首を振るばかり。
けれども私は悲しくありませんでした。何故なら私の隣にはいつもジギー様がいたからです。ジギー様は手ずからご飯を作り、私に食べさせてくれました。
一方私は日に日に衰弱していきました。
ここ最近は自分で起き上がることもできず、窓の外の木に留まる鳥を眺めて過ごす日々を過ごしています。
そして今日もまた、ジギー様はお医者様に教わったお料理を持ってきてくれました。何故だか今日のジギー様は少し嬉しそうです。
「何かいいことでもありましたか?」
「わかるかい? ははは、君に隠し事はできないな」
「ええ、ジギー様のことなら何でもお見通しです」
「実は僕の元に大金が入るんだ」
「大金?」
「ああ」
ジギー様はお盆を私の膝の上に置き、ベッドの淵に腰を下ろしました。そしてスプーンで粥を掬うと、十分に冷ましてから私に食べさせてくれました。
「お聞かせください」
「もちろんだ。何から話そうか」
「時間はたっぷりあります。全部お聞かせください」
どうせベッドに寝ているだけの私なのだから、もっとジギー様とお話をしたいです。
「いや、実のところ君が思うより時間は少ないんだ。だから手っ取り早く説明するよ」
「そ、そうなのですか?」
執務が忙しいのでしょうか?
「すまない」
ジギー様は悲しそうに私の手の上に自分の手を重ねました。
「僕は――いやマーセルズ家とエコーズ家は、僕と君の婚姻にあたり『跡継ぎがいない間にどちらかが死亡した場合、その財産を生きている方へ譲渡する』という契約を結んでいるんだ」
「えっ……」
それはつまり、私が死ねばその財産がジギー様に渡るということでしょうか?
「察したかい?」
「ジ、ジギー様はお金が欲しいのですか?」
「ああ、家名を再興させたいんだ。そのためには大金がいる」
「でしたら私がお父様に言って工面します……!」
「その必要はないよ」
声音が変わりました。
「な、何故ですか……!? 私がこの病から回復すれば――」
「――必要ないんだ。だって君の病が回復することは無いんだから」
ジギー様は懐から空の小瓶を取り出すと、私の手に乗せました。
「これは……?」
「なんだと思う?」
「お医者様から処方されたお薬……ですか?」
「君は純粋だなあ。それは毒だよ」
「……」
それまで嫌になるくらいあった体の熱が一気に引いていきます。
「ど、毒……?」
自分でも驚くほどか細い声でした。
「空だね」
ジギー様が小瓶を指さします。
「その小瓶一杯で丁度人一人が死ぬ致死量でね。体内に蓄積していく種類の毒なんだ。だから少しずつ料理に混ぜておいた」
手ずから料理をしてくれたのは毒を盛るためだったのですか?
「あ……あ……」
不意に呼吸が苦しくなりました。どれだけ大きく息を吸ってもちっとも肺へ空気が入りません。息苦しさに口を押さえて咳き込むと、私の手の平に真っ赤な血が広がっていました。
「一つ勘違いしないで欲しいのは、君が病に伏せたから僕は毒を盛ったのではなく、僕が毒を盛ったから君は病に伏せたんだ。あの医者も馬鹿だね。何が王国一の医者だ。君のことを流行り病かもしれないと言っていたんだぜ? 残念、真相は僕の毒さ」
「い、今までの……ことは……すべて嘘……だったのですか?」
「ああ」
「音……楽が好きなことも……?」
「大嫌いだね。あれは君に話を合わせただけさ。そしたら面白いくらいに食いつくじゃないか」
「オペラが……好きな……ことも?」
「あれほど退屈な娯楽がこの世にあることが驚きだよ。娯楽と呼ぶのも烏滸がましい。大体、鑑賞料金が高すぎるんだ。あの出費は僕にとって本当に痛かった」
「結婚式……のキスは……?」
「僕は君みたいな恋愛とかいう妄想癖に取りつかれた女が一番嫌いなんだ」
「愛している……と言ってくれ……ました」
「嘘に決まっているだろう?」
このとき私の心は決壊しました。あらゆる感情がせめぎ合い、声にならない声となって私の口から血と一緒に漏れ出しました。
殴ってやりたい! 殺してやりたい! その軽薄な笑みにナイフを突き立てたい!
しかしそんなことはできません。精々私にできるのは悔し涙を流しながら子爵の袖を掴むことくらいです。
「僕に触れないでくれ、血がつくじゃないか」
私の必死の反抗はすげなく子爵に振り払われ、私は朦朧とする意識に姿勢を保てず枕に倒れこみます。
「よし、そろそろ召使いを呼ぶか。こう見えて僕は演技が上手いんだぜ?」
子爵は目を瞑り大きく深呼吸をして再び目を開けました。
そこには私の病状が急変し慌てふためくランチマネー子爵ジギー・マーセルズがいました。
「だ、誰か来てくれッ! レヴィが大変だッ!」
彼は部屋を飛び出していきました。
◆◇
「匂い立つ怨嗟の香りがすると思って来てみれば、実にいい魂だ。この魂を堕落させればさぞ素晴らしい眷属が作れようぞ」
誰もいなくなったはずの部屋で、私は死の直前、背筋が凍るほど恐ろしい声を聴いた気がしました。