第3話
樋口さんによるキビシイ追及を華麗に躱した俺は、ようやく帰路につくことができた。
しかし樋口さんの必死さは凄かった。しつこいったらありゃしない。あの調子じゃ迂闊に隣の部屋に住んでるなんて言った日には俺の部屋に移住しかねない。それだけは絶対に阻止せねばならない。聖璃さんはどうでもいいとして、俺の平穏のために。
「……さて、どうしたものか」
寝間着に着替えた俺は思案していた。当然、異世界のことである。
行き来する方法は聖璃さんに教えてもらったものの、彼女は俺が異世界に来ることに難色を示していた。その理由として、彼女は「無関係のあんたを巻き込むわけにはいかないから」的なことを言っていたわけだが、何とも面白味も意外性もない平凡な聖女っぽい言葉ではないか。
……だがどうも臭う。何か隠しているような、そんな臭いだ。
それが気になるっていうのはあるが、何よりあそこまで異世界を知ってしまったのに今更無関係に過ごすのも難しそうだ。好奇心は猫を殺すという言葉があるが、好奇心を封じれば人の進化を殺すというものだ。
しかし、何かを隠していたとしてもだ。あの時聖璃さんが言っていたことが嘘というわけではないと思う。そんな雰囲気は感じなかったし。ともすれば、それは彼女なりの気遣いだったとも言えるのかもしれない。それを無下に好き勝手行動していいものかと思う自分もいた。
悩ましい。実に悩ましい。
ふと、壁に視線を送る。その壁の向こう側は聖璃さんの部屋である。
彼女は今日も、異世界へと帰るのだろうか……。
「……」
……っていうか、結局なんであの人はこっちの世界なんかに来たんだ? 色々誤魔化されまくっててまだ聞けていないんだが。
深い事情があるとは言っていたが、それは、世界を跨がないといけない程のことなのだろうか。
「……よし」
一度声を出した俺は立ち上がる。そしてその場で軽く準備体操を始めた。
グダグダ考えるのは止める。そんなに気になるのなら行けばいいだけの話だ。それに、向こうからこっちには帰って来れたが、まだこっちから向こうに行けるかは試していない。今日はその実験をメインということで割り切ろうと思う。聖璃さんと話すのは二の次としよう。
目を閉じ、意識を集中して、そして、イメージを固める。
場所は、一番記憶が鮮明なこの前の場所。ドラゴンを倒した、あの場所。ドラゴンが寝ているであろうあの平原。
(俺、飛べ。俺、飛べ……)
そんな自己暗示のようなことを考えていると、徐々に、いつもの浮遊感がやって来るのだった。
◆
気が付けば、俺は異世界にいたらしい。
らしい、というのは、俺が想像していた場所と違うところに出たからである。暗雲が空を覆い、時折雷鳴が響く。なんというか、暗い。どうやら建物の中のようだが、全部石で出来ていて、劣化も酷い。ひび割れなんかがあちこちあるし、管理者は一刻も早くリフォームをすべきだろう。
話は戻るが、なぜそんな見知らぬところであるにも関わらず俺が「異世界」と断言出来たのか……。
その答えは、酷く単純で分かりやすいものだった。
「……そりゃ、目の前にあのドラゴンがいるからなぁ」
昨晩、俺が異世界にて踏みつけてノシたドラゴンが目の前にいた。ドラゴンは大穴の中でとても疲れた様子で眠っており、地響きのようなイビキが聞こえる。睡眠時無呼吸症候群を心配してしまう。
しかし、周囲をいくら見渡してもまったく見覚えのない場所だった。いったいどうしてそんなところに出てしまったのか……。
周囲を見ていて、その答えが何となくわかった。
前回の時に強く印象付いたのは、聖璃さんとドラゴン。そして、俺が異世界に来る時に強くイメージしたのは……。
「ドラゴンか……」
異世界を想像するにあたり、場所ではなくドラゴンを強くイメージしてしまったようで、結果、こうしてお望み通りドラゴンの元へと出て来た……ということらしい。
なんという間抜けだろうか。とは言え、異世界に来れたのは事実だ。辛うじて褒めてやるぞ俺。まあ次は気を付けよう。
しかし、これはどう見ても今までとは場所があまりにも違う。これでは聖璃さんと合流することも出来ないだろう。
やむなく、今日は大人しく帰ろうと思った時である。
「何者ですか!?」
突然後ろから声をかけられた。
振り返るが……誰もいない。
「何者かと聞いているのです!」
再び声がかかる。足元から。
視線を下げると……いた。
「うぉぉぉ!?」
ビックリして思わず転んでしまう俺に罪はない。
それは、俺の膝ほどまである大きさの虫だった。全身が濃い茶色であり、大きな団子に虫の頭が乗っているようなフォルム。そして胴体からは、嫌悪感など一切感じない脚が六本。
その虫はつぶらな瞳を懸命に細くさせ、俺を睨んでいた。
「……答える気がないということですね。それならば、すぐに捕らえて尋問を……!」
「ちょ、ちょっと待った!」
慌てて立ち上がって弁明を述べてみる。
「勝手に入ったことは謝るから! でも俺、ここがどこかも分からなくて!」
「そんなわけないでしょ! どこの世界に道に迷って魔王の居城に入り込む人がいるのですか!」
そりゃ確かにいないだろうなぁ。俺以外では。
「……ん?」
俺の空耳でなければ、今最ッ高にかぐわしいフレーズが聞こえたのだが……。
「ちょっと! 聞いているのですか!?」
「すんません。よく聞こえなかったんだけど……ここが、どこだって?」
「ですから! 魔界の統治者……つまり、魔王様の居城ですよ!」
「……」
魔王……魔界を統べる者。魔界の支配者。魔界の王……。
一瞬だけ思考が停止してしまった。だがすぐにクリアになる。
「……マジで?」
「当然です!」
ダンゴ虫はどこか誇らし気に胸を張る。
「……」
ヤバい……。魔王キタよこれ。キちゃったよ。超ヤバい。
魔王っていうと、アレだ。こういうファンタジーな世界の定番というか何と言うか。一種のロマンの塊なわけで。
正直超会ってみたい。もちろんどんな奴かは分からん。イメージとしては冷酷で残虐非道であり、自分のことを“我”とか言って相手のことを“貴様”とか“うぬ”とか呼ぶ姿が想像できる。なんか角とか生えたりしてさ、顔色も真っ青だったり。でっかいマントも外せない。
(どうするよ俺……会っちゃう? 会ってみちゃう?)
少し怖いがそれ以上に好奇心がとどまることを知らない。だいたい危なそうになったらすぐさま念じて元の世界に転移すればいいわけで、ぶっちゃけ危機感なんてものはあんまりないのである。
まさに万能緊急離脱プログラム。ある意味チートと言えるのかもしれん。
だが、会うにはどうすればいいのか。ずげずげ奥に進み警戒されると会うどこか魔物的なやつに囲まれてしまう可能性が高い。それは避けたい。是非とも一目でもいいから見てみたい。
クドクド何か喋ってるダンゴ虫の話を聞きながら、作戦を練る。
……どうやらこのダンゴ虫、魔王という存在にたいそう心酔しているようだ。由緒正しき魔王城だとか、魔王様は偉大だとか、とにかく魔王様万歳な話を繰り返している。
これを使わぬ手はなかろう。
「……すみません、よろしいですか?」
少し下手になることにした。
「ん? なんですか?」
「いえ、ここがかの偉大なる魔王様が住まわれる魔王城とはつゆ知らず、ずげずげと入り込んでしまい大変申し訳ありませんでした。心からの謝罪をいたします」
思いつく限りのそれっぽい謝罪をしてみた。
ダンゴ虫は少しだけ驚いた顔をする。だがすぐに勝ち誇ったかのように腕を組んだ。
「……ふ、ふん! わかればいいのです! まあ素直に謝りましたし、今回ばかりは特別に許してあげましょう」
マジかダンゴ虫。あっさり許してくれたのは嬉しいが、危機管理的にそれでいいのかダンゴ虫。
だがチャンスだ。このダンゴ虫、案外ちょろい。上手くおだてれば魔王様との面会も可能かもしれん。
ここが勝負と、ダンゴ虫に提案してみた。
「あ、あのぉ……」
「ん? まだ何か?」
「ええとですね……。実は俺、魔王様の大ファンなんですよ!」
見たこともないが。
「……大ファン?」
「ええそうです! 偉大なる魔王様のことは昔から聞き及んでおります! だから、以前から是非お会いしたいと思っていたのですが……!」
「……」
ダンゴ虫は無言になってしまった。
さすがに調子に乗り過ぎたかもしれん。密かに緊急離脱の準備を始める。
「……それは、部下になるということですか?」
ダンゴ虫はボソリと呟いた。
「え? 部下?」
「ですから、それは魔王様の配下になりたいということですか?」
どうしてそうなる。どうやらこの虫の中で俺の言葉は超変換されたようだ。
だが、この際なんでもいい。
「え、ええ……まあ……」
「よろしい! 採用しましょう! 今日からあなたは魔王様の配下です!」
(えええええ……)
改めて言っておくが、俺はこのダンゴ虫とは初対面であり、そもそもここが魔王城であることもしらなかった。おまけに魔王がどんな奴かも知らん。
にも関わらず、どうやら俺は魔王の部下になったようだ。
もう一度言わせてもらう。
それでいいのかダンゴ虫。いいわけないんだなぁ。
「ともかく! そうと決まればさっそく魔王様に挨拶に行きますよ! あなたがどこの誰であれ、そのような社会常識はワールドスタンダードですよ! こういうのは最初の印象が大切ですからね!」
お前はバイトの先輩か。まあ樋口さんよりもしっかりしているのは間違いないが。
こうして、何やら一気に上機嫌となったダンゴ虫に案内され、俺はまんまと魔王の元へと案内されたのであった。
何度でも言おう。
危機管理的に、それでいいのかダンゴ虫。