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第2話



 翌朝……そう、翌朝だ。

 気が付けば俺は何事もなく、ごく当たり前のように、涎を垂れ流しながら自分の部屋で寝ていた。まるで件の剣と魔法のファンタジー的な異世界なんてなかったかのように、退屈過ぎる毎日の中の一ページがまた始まっていた。

 顔を洗って歯を磨きながら、単純接触効果の影響を存分に受けているであろう俺自身の顔とにらめっこを慣行する。すっとぼけた表情とピンと髪が立った寝癖頭。間違いない。いつも通りの俺だった。

 聖璃さんから教わった元の世界……つまり、こっちの世界に帰る方法は至ってシンプルだった。

 中二臭い呪文も、奇々怪々な魔方陣も必要ない。

 聖女曰く、「思い描くこと」らしい。

 なんてこった、異世界とは想像以上に近いところに存在しているようだ。要するにリアルな世界を想像し、そして「帰れ俺ぇぇ!!」と念じるだけで元の世界に帰れるということのようだ。事実、俺はこうして目を覚まし、バイトに行く準備をしている。聖璃さんが言うには、異世界に行くにもほぼほぼ同じ方法らしい。

 異世界への扉は物理的なものでも未知のパワーでもなかった。100%の精神論という。

 果たしてそれでいいのかと一つ問い掛けたい。俺は別に中二病などではないし、その病気は既に完治していると思っている。だが、あまりに夢がない話ではないか。ロマンが欠如している。特殊な方法を用いらず、また特殊な器具も用いらず、考えるだけでいつでも異世界へと行けるというお手軽さだ。

 このシステムを構築したのが誰かは知らん。神様だか世界そのものだか想像もできん。それでも、一つだけ確信的に断言できる。

 そいつはきっと、超ド級のアホだ。

 それでそいつが気を悪くしたのなら、更にもう一つ言ってやろう。

 自業自得だ、バカヤロウ。



 ◆



「ィラッシャッセぇ……」


 夕陽が射し込むコンビニに、一ミクロンのヤル気もない樋口さんの声が細々と流れる。しかしながら、樋口さんとの勤務にはもう慣れっこである。そこそこの人間関係も出来上がり、仕事の流れもかなり掴めているものと自負している。

 ……だからこそ、最近気付いたことがあった。これまで朧気であったが、今なら鮮明に分かり過ぎることがあった。

 この樋口祐太郎という人物、相当なサボリアルバイターである。


「樋口さん、そろそろロスト確認の時間っすよ」


 ロスト確認とは、要するに消費期限がヤベエ商品を棚から回収するアレである。だが樋口さんは妙にソワソワし、時計をチラチラ見ながら、レジカウンターから動こうとしない。


「何やってんすか?」


 俺が近付くと、樋口さんはやけに入口の自動ドアを気にしながら耳打ちしてきた。


「……もうすぐ、俺が狙ってる客が来るんだよ」


「狙ってる……」


 その言葉が意味するものなど、一つしかない。

 つまり、異性だ。


「常連なんすか?」


「んや。頻繫に店の前を通るだけ」


「それ、来るって言えなくないっすか?」


「俺の視界に入って来るってことだ。はぁ~、常連になってくれないかなぁ」


 樋口さんは両手を胸の前で組み、まるで乙女のように祈りを捧げていた。


「そんなに好みなんですか?」


「好みなんてどころじゃねえよ! あの人のことがタイプじゃないなんていう男がいたら、そいつはもう男としては終わってるよ!」


「そ、そこまでっすか……」


「ああ。……あ! その人を狙ってるのは俺だからな!? お前は手出しするんじゃねえぞ!?」


「はいはい、しませんから」


 樋口さんの熱量はおそろしく高い。どうでもいいが、その熱量の一厘くらいは仕事に回して欲しい。

 色々と諦めた俺は、目をキラキラと輝かせる樋口さんを放置して仕事へと戻った。

 ……その、数分後のことであった。


「イ、イラッシャイマセエエエエ!!??」


 商品の整理をしていた俺は衝撃を受けた。

 あのヤル気の微塵もない樋口さんが、声が裏返るレベルの元気な挨拶をしたのである。


(な、なんだ!?)


 俺にとっては未曾有の出来事である。あの樋口さんが元気よく挨拶をするなどあり得ない。天変地異の前触れか、はたまた宇宙人でも来店したのか。

 顔を上げてカウンターにいる樋口さんを見てみた。

 彼の顔は緩みきり、鼻の下なんて5cmは伸びているだろう。まるで極楽浄土に辿り着いた修行僧のように愉悦に満ちた笑みである。失礼を承知で言えば、かなり気持ち悪い。

 しかしその表情を見て瞬時に理解した。

 彼が狙っているという女性が来店した……ということなのだろう。


(……どんな人だ?)


 俺だって男だ。

 樋口祐太郎という一人の男性をここまで虜にする女性に興味がないわけがない。

 商品棚越しに店内を見渡す……客は一人だけ。ということは、その客こそが樋口祐太郎の心を射止めた哀れな女性……。

 その女性は足音を響かせながら店内を歩き、徐々に俺の方へと近づいてきた。

 妙な緊張が走る中、ついに、その女性が姿を現す――。


「――よぉ少年。真面目に働いてる?」


「……げっ」

 

 何を隠そう、その人物とはただの聖璃さんであった。まあ確かに美人ではあることには違いない。それは俺も思う。だが、なんというか、残念だ。新たな出会いというわけにはいかなかった。

 聖璃さんは少しだけ不満そうにしていた。


「“げっ”って何かな? それが、親切にも色々と教えてあげたアタシに対する態度ってわけ?」


「い、いやそれは感謝してますけど……ただ、なんでこの店に?」


「そりゃもちろん、あんたがいるんじゃないかって思ったんだよ」


 今度はケラケラと笑う聖璃さん。ころころと表情が変わるその様は、さしずめ怪盗二十面相か。

 彼女はスーツ姿だった。時刻は夕方。どうやら帰宅途中に寄ったようだ。

 まあこの店のスタッフである俺としては、こうして客として来てくれるのはありがたい。この人が売上に貢献するということは、ひいては、俺の給料にも貢献するということ。おまけにビジュアルが完璧なこの人が頻繁に来てくれるようになるのであればそれに越したことはない。彼女を拝まんとする哀れな男共も来店するようになるかもしれん。

 初回ログインボーナスだ。ここは一つ貸しを作っておこう。


「……弁当っすか?」


「そうだねぇ……何かオススメある?」


「じゃあこれとかどうっすか? 新商品のオムライス、美味そうでしょ?」


「うーん、じゃあそれにする。あとは、ビールビールと……」


 彼女は買い物かごを手に取るなり、飲料コーナーにあったビールを大量に入れ始めた。そんなに買うならスーパーで買った方が安上がりだとは思うが、店のためだ。黙っていよう。

 そのままレジに移動する。口をあんぐり開けて真っ白になっている樋口さんを放置して、聖璃さんの商品を清算し始めた。

 

「温めます?」


「もちろん」


「あ、サービスでから揚げつけときますね」


「おお気が利くじゃん! これからも頼むよ!」


「初回だけですからね! これ俺の自腹なんですから!」


「ぶー……ケチ……」 


 などという雑談をした後、彼女に商品を渡した。


「……なかなかサマになってるじゃないの。こうして見ると、とてもドラゴンを踏みつけたとは思えないねぇ」


「ひ・じ・り・さん……?」


 この人はなんてことを口走るのか。とは言っても、普通は何のことか分からんとは思うが。

 

「ハハハ、じゃあね、陸」


 そして彼女は、どこか機嫌良さそうに店から出て行った。


(やれやれ……)


 彼女がまるで嵐のように去った後、レジから出て仕事に戻ろうとした。

 だが……。


「――待て」


 突然、樋口さんに腕を掴まれた。見れば樋口さんは、顔を般若のように歪ませ、薄らと涙を浮かべながら俺を睨んでいた。


「どういうことだ? 説明、してくれるよなぁ……?」


「え、ええと……」

 

 その後俺は、時間いっぱいまで樋口さんからの尋問を受けるはめになってしまったのである。





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