第6話
サッと……スッと……。木陰に隠れつつ、天界軍なる組織の行軍の後をつける俺。
俺の狙いはただ一人、聖女ティシミア……またの名を、勅使峰聖璃。
とりあえず彼女が気になりまくった俺は、どうするか悩んだ挙句こうして後をつけているのである。
傍から見るとヤバい奴に見えるかもしれんが、そんなことより今は俺のメンタルがヤバい。なぜこんなワケの分からん世界に聖璃さんがいるのやら。
とりあえず、考えられる可能性は三つ。
俺の夢に聖璃さんが出て来た可能性。聖璃さんの夢に俺が紛れ込んでる可能性。そして、二人揃って同じ夢を見ている可能性。
今のところ、俺の夢に聖璃さんに激似のキャラが登場したってのが一番ホットだろう。夕方けっこう話し込んでたし、強く印象に残っていてもおかしくはない。
(いやしかし……それにしてもだなぁ……)
あの聖璃さんが、よりによって聖女とは……。
どう考えても聖女とは真逆の属性にある気がするが。仕事終わりに薄着で酒飲みながらタバコ吸ってるなんて知れ渡ったら信者達ももれなく卒倒するかもしれん。
……とにかく、目下確認すべきことはただ一つである。
聖女ティシミアは勅使峰聖璃なのか、姿が似てるだけの別人なのか。
それを確かめないと気になって気になって仕方がない。そして、それを確かめる最も簡単で最も単純で最も有効な方法は、ただ一つである。
即ち、直談判。
もし違うなら違うと言うだろうし、本人なら何かしらの反応はあるはず。俺にしては冴えている。ナイスだ俺。起きたら冷蔵庫の中にあるプリンを食べることを許そう。
となれば、後はどうやって会うかだ。生憎聖女の周りはむさ苦しい兵士達で固められている。迂闊に近付けば、本人に会うことなく放り捨てられるかもしれない。
(……様子見るしかないかなぁ)
ここは絶妙な距離を保ちながら一行を尾行し、チャンスを待つのが最善だろう。今日の俺はやはり一味違うようだ。冴えまくってるぞ、俺。
そんなことを考えながらニヤニヤしていた時だった。
「――うわぁぁぁああああ!!!」
突然兵の悲鳴が響き渡った。
「なんだ……?」
改めて行軍を見る。少し目を離した間に、天界軍は巨大な影に覆われていた。
それは俺や兵達が見上げる程の巨体で、長い首と尖った牙、巨大な翼に尾を持つ巨像。鋭い目で兵達を睨み付け、威嚇するかのように唸り声を上げる。
かの姿を見た兵達は震え、慄き、うろたえる。そして兵の一人が、ようやくその口を動かした。
「ド、ドラゴンだぁぁぁぁ!!」
その言葉を皮切りに、兵達は一斉に騒ぎ始めた。
そう、ドラゴンである。
得てして物語で勇者一行に虐げられる哀れな空想の伝説的生物。口から炎を吐いたり翼から疾風を巻き起こしたりするんだろうなぁと、安易に想像することができるお決まりの怪物である。
「グオオオオオオオオオン!!」
ドラゴンは恐竜のような雄叫びを響かせ尾で薙ぐ。僅かでも触れた兵達はまるでボロ雑巾のように宙を舞い大地に打ち伏された。
俺は距離を取っていたおかげでドラゴンの視界には入っていないようだ。薄情な言い方だが一安心である。
しかしまあ兵達は見事に慌てふためいていた。
ある者は腰を抜かし、ある者は逃げ出し、ある者は死んだふりをする。……いや、あれは気絶か。
いずれにしても凄い慌てようである。如何に屈強な兵士であっても怖いものは怖いのだろう。ましてやドラゴンなど兵士じゃなければチビってしまうかもしれん。
……が、その中で一人だけは違っていた。
「――うろたえるなッ!!」
彼女は白馬を駆り、隊列を乱す兵達に声をかける。聖女ティシミアだ。彼女は一切臆することなく剣を抜きドラゴンに切っ先を向けた。
「ドラゴンと言えど生物だ! 不死身ではない! 各兵士は陣形を取れ!!」
混乱を極めていた兵らは落ち着きを取り戻し、各々の武器を手に取る。そしてそれまでとは打って変わり統率された動きで陣形を整え始めた。
「魔導兵は魔力を溜めろ! 弓兵! 構えッ!」
彼女の号令により、多くの弓兵は一斉に弓を構え矢を引いた。
「――放てッ!!」
その合図と共に雨のような矢が空からドラゴンへと降り注ぐ。体格さはあるが、さすがのドラゴンも怯んでいた。
「魔導兵! ドラゴンの顔に術を集中砲火! ――放てッ!!」
続いて杖を持った兵達が呪文を唱えると、ドラゴンの顔で大規模な爆発が起こった。たまらずドラゴンは顔を背けながら後退した。
(あれが魔法? すげえ……)
本当に何もないところから爆発が起きてしまった。初めて目にする魔法に見惚れていると、馬から降りたティシミアは大地を蹴る。重力から解放された彼女はまるで空を飛ぶかのように遥か上空まで跳び上がり、巨大な剣を構えた。その鋭い視線はドラゴンに向けられている。トドメを刺すつもりだろう。
だが――俺の脳裏に、突如として何かが過る。何かが頭に纏わり付いて離そうとしない。言うなれば嫌な予感だ。
「――ダ、ダメだ!!」
「――ッ!?」
俺の声を聞いたティシミアは、振りかぶっていた剣を咄嗟に楯のように持ち構える。その刹那、怯んでいたドラゴンは顔をティシミアに向けその大口を開けた。そしてドラゴンの口からは巨大な火柱が放たれた。
その瞬間、時がスローモーションで流れるように感じた。
放たれた火柱は見るからに威力が凄まじく、剣程度では到底防ぐことはできないだろう。空中にいるティシミアは身動きが取れない。そして地上の兵達でも間に合わない。
どうしようもない。彼女を救う手段がない。
ティシミアは……聖璃さんは、おそらく、死ぬ――。
「――聖璃さん!!」
無意識に俺はその場を駆け出す。すると異変が起こった。
体はまるで綿毛のように軽く、疾風のような速度で駆け出し瞬時にドラゴンとティシミアの付近まで体を運ぶ。そして空中へと跳び上がれば砲弾のように彼女の元へと向かい、抱きかかえ、更に上空へと昇った。
彼女が消えた空間では火柱が通り抜け雲の彼方まで景色を焼く。
「……あ、あんたは……ッ!?」
腕の中で、彼女の声が聞こえた気がした。だが今はそれどころじゃない。
遥か下の地上ではドラゴンが首を動かし俺達を探している。つまり、見失っている。
「聖璃さん! 俺に捕まってて!!」
「え!? ちょ、ちょっと――!!」
彼女の準備を待つことなく、俺達はそのまま地上へと急降下した。速度は上がり続け、風の音が耳をつんざく。そして隕石のような速度となった俺は、そのまま両足でドラゴンの頭に着地する。その凄まじい衝撃により、ドラゴンの頭は地面にめり込み巨体はふわりと宙を浮いた。衝撃波が周囲に飛散し地響きは轟く。大地は割れ、木々は圧し折れ、兵達もまた乾いた草のように飛ばされていた。
「……」
俺とティシミアは言葉を失い、目の前で浮き上がるドラゴンの体を呆然と見つめる。
そして巨体が重力を取り戻しけたたましく地面に落下した頃、兵達の雄叫びがこだました。
「ドラゴンを一撃で!?」
「奇跡だ!!」
そんな声も混じっていた。
「……あんたまさか……陸……!?」
ティシミアは俺の名前を口にする。だが、そんなことなどどうでもよかった。
俺は自分に起こった変化に、ただただ動揺する。
「な、なんじゃぁ……こりゃ……」
外見上に変化はない。だが、どう考えても人間の動きではなかった。あれほどの速度で移動し、あれほどの速度で降下し、ドラゴンを一撃でノビさせるなど、そんなのはもう人間じゃない。
(いったい……何が……)
と、ここで俺は思い出す。リュゼが俺の額をチクッとさせ、「おまじない」だとか言っていたことを。
もしや、これがおまじないの効果とでも言うのだろうか。もしそうだとするなら、あいつはいったい何をしたのだろうか。そもそも、あいついったい何なの。
(ワケがわからん……。俺に何をさせたいんだよ、リュゼの奴……)
巻き起こる疑問は尽きることなく、泉のように湧き出していた。