第6話
さて、こうして俺は魔王というか累さんの配下(仮)となったわけだが……それとは別に、俺にも現実の生活というものがある。翌日はアルバイトがあるということで早々に切り上げさせてもらった。
当然と言えば当然であるが、現実への帰還方法は累さんも同じだったわけで、俺達は二人一緒に現実へと帰る。まあ行き着く先はそれぞれの部屋であるが。
起きたら正午前。あと一時間程で家を出ないといけない時間である。
異世界に行くのは楽しいっちゃ楽しいが、なんだか時間の流れが凄く掴みにくい。明らかに向こうで丸一日くらい過ごしたはずなのに、こっちでは数時間しか経っていなかったりするわけで。時間的に考えたら不眠状態が続いているわけだが、決してそんな様子もない。体もすこぶる元気である。
まあ細かいことは気にしても始まらんのかもしれん。そもそも魔法だかドラゴンだかが自動販売機レベルで当たり前のように存在する世界のことを、こちらの世界の科学的見地で考えること自体愚行の極みなのかもしれん。そんなことをしたところで、まともな答えなんぞ出て来るはずもない。
こちらの世界から異世界には自由に行ける。帰って来たらなんか寝てる。疲れることはなさそう。
それで十分なのである。それ以上の答えなんて誰が望もうか。
グダグダと眠気覚まし的に思考をフル回転させながら身支度を進め、頃合いを見て、部屋を出た。
そして通路を歩いていると、前から累さんが歩いてきた。言うまでもないが、普段着スタイルである。魔王のコスプレなんぞしてるはずもなし。
しかし、ホントにこっちの累さんは異世界の恰好の面影すらない。寝癖が付いた黒髪に黒縁眼鏡、上下黒色のジャージという黒尽くしである。
彼女は足元を見ながら、近くのスーパーの買い物袋を持って歩いていた。どうやら買い物に行っていたらしい。
「こんにちは」
俺が当たり障りのない挨拶をすると、彼女はようやく俺の存在を認知する。
「あっ……。こ、こんにちは……」
彼女はビクビクしながらも、辛うじて挨拶を返す。だがすぐに駆け出し、逃げるように部屋の中へと入ってしまった。
心なしか、異世界よりもコミュニティ能力が落ちている気がする。もしかしたら、他人が怖いのかもしれん。っていうか絶対そうだろう。
だがまあ完無視されるわけではない辺り、少しは打ち解けてくれたってことなのだろうか。それはそれで嬉しいものがあるが、贅沢を言えば、もう少しくらいは笑顔で雑談をする仲になると嬉しいのだが……。
「……り、陸くん……」
累さんの部屋の前を通り過ぎた時、ふと俺の名前を呼ぶ声が。
それは累さんの声であり、彼女は開けた玄関から顔を半分だけひょっこり出していた。
「あれ? どうしたんですか?」
「あ、あの……その……」
累さんはどこか恥ずかしそうに視線を泳がせる。そしてそのまま、一言だけ呟いた。
「……お、お仕事……頑張って……」
その直後、彼女はまるでミーアキャットのように素早く顔を引っ込め扉を閉めてしまった。
……うん、良い。全然今のままで良い。どうか気にすることなくそのままのあなたでいてください。
◆
「ぃらっしゃいまっせー」
今日も今日とてコンビニに俺の挨拶がこだまする。最近樋口さんの挨拶に寄り始めた気がするからホント気を付けよう。
バイトをしながら、ふと思ったことがある。それは決して、アルバイトのことではない。
今のアパートの状況って、考えてみたら相当殺伐としてね? ……ということである。
よくよく考えてみたら、異世界は天界と魔界があって、そして天界は魔界を、魔王を目の敵にしている。それは聖女ティシミア……つまり聖璃さんもハッキリと言っていたし。もっとも、魔界側は一切興味を持っていなかったが。
いずれにしても、天界側は打倒魔王の体裁を取っており、聖璃さんはそれを代表する立場の人らしい。
彼女は今、しらゆり荘になぜか住んでいる。ホントになぜか。
……そして、そのしらゆり荘には、魔王である累さんも住んでいる。
要するにアレだ。俺の部屋を挟んで天界の聖女と魔界の魔王が身近に生活しているというのが我らがしらゆり荘の現状ということだ。
(……ヤバくね?)
実にヤバいと思う。今のところ奇跡的に異世界におけるお互いの立場は分かっていないようではあるが、もしもバレてしまった時はこっちの世界で血が流れる可能性もある。
そしてもう一つ厄介なのが、異世界における俺の立場だった。
俺は天界の聖女と顔見知りであり、且つ、魔王の部下(仮)なわけで、非常に微妙な立場にいる。まさに真逆の立ち位置だ。赤道直下の灼熱地帯と南極に家があるようなものである。
別にどちらの味方をするってわけではないが、どうしたもんか感が凄まじい。正直、どうすりゃいいのか分からん。
ここは一つ、誰かに助言を仰ぎたいところであるが……。
「……」
チラリと、椅子に座って雑誌を読む樋口さんを見る。
今日も今日とて見事にサボっている。まあそれはいいとして、頼れるかと言われたら微妙な人ではある。しかしまあ、何かしらフラットな位置にいるので案外鋭い切り口の意見をくれるかもしれん。
「……樋口さん、ちょっと聞いていいっすか?」
「ん? 何を?」
「いきなりこんなこと聞くのはアレですが……例えば、二つのグループがあったとしてですね、そのグループはお互いいがみ合ってるわけですよ。そんで、何も知らずにその二つのグループのリーダー的な人と仲良くなってしまった場合、樋口さんならどうします?」
「なんだよそれ……。そのリーダー同士合わせて仲良くさせればいいんじゃねえの?」
「いやまあそうなんですけどね……。それが難しいとして……」
「なんで難しいんだよ」
「なんでって……それは……」
(……ん? なんでだ?)
言われてみれば、確かにそうかもしれん。
天界と魔界が敵対関係にあるのはテンプレート的に当たり前だと思っていたわけだが、そもそもの話、なぜそんな敵対関係にあるのだろうか。その理由を、俺は知らない。
これは意外な盲点だった。
もしかしたらそこを何とかすれば、胃がキリキリするような緊張感が凄まじいアパート生活を回避することができるかもしれない。
「……樋口さん、後でジュース奢ります」
「お、おう? まあ嬉しいけど……」
密かに樋口さんに感謝しつつ、時間が来るまで仕事に勤しむのだった。