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第1話



 高校を卒業してから、特にやりたいことなんてなかった。

 大学に行くことも考えたが……まあ、俺にだって色々と都合がある。それは諦めた。特段、行く必要性を感じなかったのもあるが。

 もちろん、現代社会はキビシイ。大学に行く奴も多い世の中で、特に特殊なスキルもステータスもない奴があっさりと就職できるなんてことは稀なのかもしれない。

 それでも、これ以上実家にいるつもりはなかった。

 色々反対もされたが、無理やりゴリ押しで話を通した。

 散々不動産関係のサイト、情報誌を漁りまくり、見つけたのは、実にボロいアパートだった。

 八畳のワンルームで床は畳、押入が一カ所。トイレにウォシュレットはついてなくて、水垢だらけの狭い浴室。一口コンロに、扇風機みたいな換気扇。洗面所と台所の蛇口は水しか出ないうえに、駅までも遠い。

 だがしかし、都会の中にして家賃三万五千円という格安価格である。

 それだけ見て飛び付いた。


 引っ越し当日、改めてそのアパートを見上げ、声が漏れた。 


「……うおぉ」


 下見に来た時はさほど気にならなかったが、こうして改めてマジマジと見るとよく分かる。とにかく、ボロい。ボロすぎる。震度五の地震でも来たらぶっ潰れるんじゃねえか? などと思ってしまうくらい年代ものだ。

 入口の朽ちかけた石柱には、色あせた文字で“しらゆり荘”と書いてある。アパートの名前だ。

 しらゆり……明らかに名前負けしている気がする。しらゆり荘というよりも、ざっ荘。もうそれでいいレベル。さすがに本家白百合に失礼だ。

 とは言え、礼金敷金それぞれ1ヶ月分は既に支払っているし、荷物だって届けている。もはや後戻りも出来ない。

 生唾を呑み込み、パンパンに膨れ上がったスポーツバッグを片手にアパートへと突撃する。

 そのアパートには、部屋が六つ。一階と二階に三つずつである。このアパートは値段の割に入居者が少ない。今のところ、人が住んでいるのは二階の両端の部屋だけだという。

 こんだけ安い部屋なら埋まっててもおかしくはないはずなのだが……深く考えると怖くなるので、そこで俺は思考を停止させていた。

 俺が契約したのは、二階の真ん中の部屋である。本当なら角部屋が良かったのだが、空いていないのであれば仕方がない。

 軋む通路を歩き、自分の部屋である202号室へと辿り着いた。 

 大家さんから受け取った鍵で玄関を開ける。扉を開けると、段ボールで満たされた部屋が姿を現した。

 確かにボロい。でも、なんだか感慨深い。

 こんな部屋でも、初めての一人暮らしである。俺はこの部屋の世帯主なのだ。

 少しだけ照れ臭さを感じつつ、部屋へと入った。

 荷物がゴチャゴチャしているが、とりあえず窓を開ける。こもった感じの部屋の中に、涼しい風が入って来た。そこから見える景色は、とても新鮮だった。

 

 物思いに耽るのもそこそこに、部屋の片づけを始めた。

 畳だったこともあるが、ベッドを用意しなかったのは正解だったかもしれない。布団なら畳めば部屋を広く使える。

 まあ、言っても独身世帯。荷物なんてものはほとんどなくて、思いのほかあっさりと終わった。

 そして日が落ちたところで、儀式へと移る。

 これからのアパート生活において大切なのは、隣人との関係性だと考えている。もしも嫌われでもしたら最悪だ。地獄の毎日が始まる可能性もある。

 それを防止すべく、賢しい俺は隣人にプレゼントを用意していた。いわゆる、引っ越し蕎麦的なやつである。

 とは言え、現代社会においてホントに蕎麦を配られても困るだろうから、そこは敢えて生活必需品である食器用洗剤とサランラップのセットを用意した。しかも、ちゃんとCMで流れている有名な商品だ。これなら万人受けするだろうし、貰っても困ることはないはずだ。

 まずは、201号室から攻める。

 深呼吸をして、呼び鈴を押す。……が、返事がない。

 部屋の電気は点いているのでいるはずなのだが……。

 ということで、もう一度だけ押した。

 すると今度は、玄関戸の奥から足音が聞こえて来た。そして、勢いよく扉が開かれる。


「――だから! 新聞はいらないって言ってるでしょ!?」


 中から現れた人物は、突然そんな言葉を怒鳴り上げた。

 どうやら新聞の勧誘だと思ったらしい。

 その部屋の住民は女性だった。しかも驚くべきことに、超美人である。

 身長は俺と同じくらいか。輝くような金色の長髪に整いまくった顔。キリリとした瞳は青く透き通っている。しかも薄着であり、長い四肢に滑らかな白い肌と胸のふくらみがこれでもかと視界に飛び込んで来る。

 しかし彼女は、全力の怪訝な表情で俺を見ていた。


「……ん~? あんた、誰?」


「え、ええと……。今日、隣に引っ越してきた者です……はい……」


「隣? ……ふーん、あっそ。で? 用件は?」


 実にめんどくさそうに美女は言う。


「その、挨拶に……。あ、これどうぞ」


 俺は用意していたナイスなプレゼントを差し出す。


「何これ……洗剤とラップ? ……まいっか。あんがと」


「こ、これからよろしくお願いします」


「はいはい。あ、うるさくしないでね」


 そして美女は、開けた時と等しいくらいに荒々しく扉を閉めた。

 ……なんというか、荒い。色々と。美人ではあるが死ぬほど態度がデカい。現時点では印象最悪だ。超美人なのに何ともったいない。ときめく間もなし。

 何やらこれからの生活に暗雲が立ち込めた気もするが、とりあえず、次の部屋である203号室へ向かった。

  

(さて、ここの住民はどうだろう……)


 玄関の前で心の準備をした。

 さっきの金髪姉ちゃん並かそれ以上にめんどくさそうな人じゃないことを祈り、呼び鈴を押す。

 すると部屋の奥から、小さく声が聞こえて来た。


「……は、はい」


 それに続き、トトトと部屋を小走りする音が。そして今度は、小声で「どなたですか?」と聞こえる。


「あ、今日隣に引っ越してきた者です」


 すると、玄関戸はゆっくりと開かれた。

 そして現れたのは、またしてもうら若き女性であった。しかし、金髪姉ちゃんとは正反対とも言える人である。

 艶のある黒髪であるが、無造作に一つ結びされていた。背は明らかに俺よりも低く、服は上下ジャージ。前髪と大きな黒縁眼鏡のおかげで表情ははっきりと分からず、しかもどこかビクつくようにしていた。


「あ、あの……それで、どういったご用件……でしょうか……」


 今にも消えそうな声で、彼女は尋ねて来た。


「いやその、挨拶に来ました。これ、どうぞ」


 そして洗剤とラップ入りのビニール袋を渡すと、彼女は丁寧に頭を下げて来た。


「す、すみません……。気を使っていただいて……」


「いえいえ、これからお隣ですので。迷惑をかけないように気を付けます」


「は、はい……。こちらこそ、気を付けます……」


「……」


「……」


 ……会話が途切れてしまった。

 これはあれだ。お互いにどう話を区切っていいか分からなくなってしまってるパターンだ。


「……じゃ、じゃあ俺はこれで」


「あ、は、はい……では……」


 そして玄関戸は、そーっと閉められた。

 何やら凄まじく大人しい人のようである。しかしながら、さっきの金髪姉ちゃんよりよっぽど好印象だ。可能な限りこっちの人と仲良くしよう。

 

 こうして、俺は入居一日目を終えた。色々とすげえ疲れたが、まあ、上々と言えるかもしれない。

 まだ早い時間ではあるが、明日からはバイトも始まる。今日は早々に寝ることにしよう。

 布団を敷き、電気を消した。

 見慣れない天井と、見慣れない部屋の様子。不安もあるが、期待も少しだけ。

 どこか修学旅行のような気分のまま、そのまま、微睡の中に沈んでいった。




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