61話【化け物退治】
「め、冥鬼……? 嘘、冥鬼は毒で死にかけてて……」
黒衣の鬼に抱かれている楓は、きょとんとした顔をしてから困惑気味に彼を見つめる。
冥鬼は落下途中の楓の体を抱きとめて身軽に地面へ降り立つなり、彼女の額にデコピンをした。
「死にかけてねえ。あんな毒跳ね返してやったっつーの」
久しぶりに喰らうデコピンは力加減をされているとは言え、十分痛い。
楓は思わず額を押さえた。
しかしその痛みが、彼女の目の前にいる少年は、夢でも幻でもそれこそ幽霊でもないのだと教えてくれる。
「こ、この痛み……本物の冥鬼だわ……」
「本物も何も俺様が冥鬼だ。全く、相変わらず間抜けなツラだな」
そんな楓を見て、冥鬼が肩を竦めた。
いつもの小憎たらしい表情を浮かべて、冥鬼の手が楓の頭を軽く撫でる。
緋色の穏やかな眼差しが、じっと楓を見つめていた。
今までとは雰囲気の違うその優しい眼差しに、楓の胸はどきんと跳ねる。
「な、何よ……」
楓は照れ隠しのように唇を尖らせる。
すると、頭に置かれた手はごく自然な動作で彼女の首筋に掛けられたお守りに伸びると、そのまま指を引っ掛ける。
軽くお守りごと引っ張られた楓は、自然と冥鬼に顔を近づける形になった。
暗がりの中でもハッキリと分かる緋色の瞳が伏せられる。
冥鬼は、静かに言った。
「お前に怪我がなくて、良かった」
それは驚くほどに優しい声。
少女にしか聞こえないほどの声でそう告げた冥鬼は、首飾りからお守りのツノを引き抜いてから体を離す。
「これ、借りるぜ。つーか元々は俺様の物か。すぐに返してやるから安心しな」
「い、良いけど……何に使うの?」
突然至近距離で告げられた言葉を耳にしたことで若干ドギマギしながら問いかける楓に、冥鬼はお守りを手にして不敵に笑うだけだった。
無事に再会を果たした楓と冥鬼のすぐ傍で、傷ついた白銀の獣も幼い鬼と久しぶりの再会を果たしている。
それは、わざと傷つけるような言い方をして自分の目の前から無理やり立ち去らせた中性的な顔立ちの幼い青鬼。
「ユキ……」
よろめく白銀の獣の前に、その子供は居た。
ユキと呼ばれたその鬼は、険しい表情を浮かべたままだったが、やがて静かに頷きを返すと傷ついた獣を労わるように白銀の毛並みを撫でる。
獣は金色の瞳を揺らして、まるで捨てられた子犬のような目を向けていたものだから、雪鬼は彼女を安心させるように、少しだけ微笑んだ。
雪鬼の笑みを目にした獣は、ゆるく尻尾を振って鼻先を雪鬼に擦り寄せる。
「ごめんなさい、ユキ……私、あなたに酷いことを……」
「響子が不器用なことくらい分かってます」
か細い鳴き声を上げて謝罪を述べる響子に、雪鬼は静かに微笑んだ。
獣を抱き寄せて、ふかふかとした柔らかい白銀の毛並みを撫でる。
しかし、雪鬼は遠慮がちに抱擁を解くと、すぐさま視線を化け物へと向けた。
「色々言いたいことはありますが……あの化け物退治が先ですね」
そう告げる雪鬼の目尻は、怒りを滲ませているのか普段よりもつり上がっている。
楓を自分の後ろに下がらせながら、冥鬼がからかうように笑った。
「王子様、手は貸さなくて良いのかよ?」
「貸してください。……あと、王子様は止めてほしいんですが」
いつか楓が雪鬼を王子と呼んだように、茶化すような問いかけをする冥鬼の言葉を冷静に訂正しながら、雪鬼が恥ずかしそうな咳払いをする。
化け物は相変わらず耳障りな鳴き声を上げた。
獲物が増えたことで興奮しているのだろうか。
「見れば見るほど不細工なツラだな。貴様の親もそんな顔してんのか?」
手の中でお守りを弄りながら冥鬼が口笛を鳴らす。
自信たっぷりの鬼王を制するように、手負いの獣が言った。
「冥鬼、挑発しないで。こいつは兄さんが用意した化け物に違いないの」
「貴様に言われなくたって分かってる」
冥鬼は不快そうに眉を寄せた。
以前よりも、響子への態度に敵意が見られる。
(響子ちゃんが狗神響也の妹だから……?)
推測する楓だったが、狗神響子は兄である響也とは違う。
先程のやりとりの中で、楓はそう感じていた。
「チビ、行くぞ」
「……雪鬼です!」
冥鬼は楓の傍から離れると、雪鬼に声をかけた。
同時に、彼の体は化け物を撹乱するように高く跳躍する。
化け物は長い尻尾で冥鬼を捕らえようとするが、その尻尾は黒衣に触れると直ちに弾かれた。
(やはり、思った通りだ……)
冥鬼は、黒衣自体に強力な妖気が宿っているのだと感じた。
化け物は尻尾をくねらせながら頭上に居る冥鬼を狙う。
しかしそのたびに黒衣が跳ね返す。
「いい服だ、気に入った」
冥鬼は自分の袖を靡かせて尻尾の一撃を防ぐと、満足そうにニヤリと笑った。
化け物は、器用に尻尾を使って冥鬼を狙いながら真正面に立っている小柄な鬼を威嚇するように見つめる。
「……僕の家族を、ずいぶん痛めつけてくれたらしいですね」
前足を踏み出した化け物を見て、雪鬼が静かに呟く。
衰弱していた体は、天狗兄妹の家で休んだことによってすっかり回復していた。
雪鬼の小さな体に、青い炎が纏う。
「そのせいで僕は今、とても機嫌が悪いんだ」
鬼特有の緋色の瞳が、殺意を滲ませて化け物を見据えた。
深く上体を屈めた瞬間、化け物の眼前から雪鬼の姿が消える。
化け物はぎょろりとした目で辺りを見回した。
「どこ見てんだ、不細工!」
同時に、化け物の頭上から小馬鹿にした声が聞こえて、化け物は顔を上げた。
頭上には赤と青の光が見える。
暗がりの中を照らしだしているその光は、二人の鬼が放つ闘気だった。
一際青い炎を纏った拳を掲げる雪鬼。
そして……。
赤い炎を纏った刀を構えた冥鬼の姿があった。
「ま、まさかあれって……」
目を丸くして楓が胸元をぎゅっと握る。
そこには既にお守りはない。
本来ならば冥鬼の額に付いているはずのそのツノは、1000年以上もの間、所有者の元から離れていた。
いつしかそれは鬼道家のお守りとなり、代々受け継がれてきていた。
しかし今、ツノは本来の所有者の手の中にある。
ツノは赤く光り輝き、巨大な刀のような形をしていた。
冥鬼の手にしているそれは細長く、冥鬼の身長ほどもある。
自らの妖気を自身の欠けたツノへと流し込むことによって武器を誕生させたのだ。
「喰らってみろ!」
そう叫んだ冥鬼が化け物の胴体へとツノを突き刺す。
赤い火花が激しく飛び散り、化け物の胴体は上半身と下半身で分かれるように真っ二つに裂かれた。
やった、と声を上げて駆け寄ろうとした楓を、響子が制する。
化け物は胴体を真っ二つにされてもなお生きていた。
下肢を失った上半身が、前足で這うようにして雪鬼の一撃から逃れようとする。
しかし、青い炎を纏った雪鬼の一撃は、化け物の額にまっすぐに叩き込まれた。
雪鬼の体が、勢いよく化け物を突き破る。
同時に、もがく化け物の下半身は、冥鬼の華麗な刀さばきによりバラバラに叩き切られる。
「す、すごい……」
二人の鬼が織り成す即興の連携に圧倒されて目を丸くしている楓と、険しい表情で冥鬼を見つめる白銀の獣。
化け物が完全に事切れたことを確認した冥鬼は、巨大な刀を肩に担ぐとおもむろに白銀の獣の前に歩み寄る。
「……次は貴様だ、クソ犬。今度こそ俺様にぶっ殺される覚悟は出来てんだろうな」
刃先で獣の顎をすくい上げた鬼は、ハッキリとした敵意を向けていた。




