表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼王の巫女  作者: ふみよ
6/63

6話【意外な歓迎】

彼女が家に帰ってまず驚いたのが、家族の順応性の高さだろう。

突然、先祖代々保管していた鬼を封印した鏡から凶悪な鬼が復活したという事実に直面しても、さほど驚いた様子はない。

それどころか、だ。

楓の祖母、桜は大皿いっぱいのおにぎりを握って冥鬼に振舞っていた。


「あんた、冥鬼様に失礼なことしてないだろうね」


「様!?冥鬼様って何!?こいつそんなに偉いの!?」


「おう、偉いぞ」


祖母の問いかけに思わず声を上げてしまう楓。

思わず叱責しようとする桜より先に、おにぎりを頬張っている冥鬼が口を挟んだ。

俺様は鬼を統べる王だからな、と応えながらテーブルの上の新聞を興味深そうに眺めている。


「いやあ、しかし生きてる内に鬼に会えるとは思わなかったよね…」


呑気に父親が笑う。

緊張感がまるでないのは彼が婿養子だからであり、鬼道家の風習だとか封印されし鬼の話などとはほとんど無縁の一般人だからだ。

そんな呑気さに楓が和まされている事もあるのだが。


「桜、お茶」


馴れ馴れしく祖母を名前で呼んで、冥鬼が一番茶をすする。

楓は何とも言えない顔で祖母へ視線を移した。


「ねえお祖母様、確認していいかな?私たちは冥鬼が封印から解けないように先祖代々あの鏡を守ってたんだよね?」


「そんなこと言ったっけかね」


空になった皿を片付け始める祖母を手伝うためにキッチンへ向かった楓は、祖母のとぼけた返答に困惑した。

彼女が何を考えているのか、その意図すら分からずモヤモヤしたままの楓を見かねて、桜が耳打ちする。


「安心しな。あの鬼は、あたしらを傷つけたりしないよ」


「なんでそんなことがわかるの?あいつ、あたしのことを殺そうとしたのよ」


声をひそめた桜に合わせて楓も声のトーンを抑える。

不安そうな孫を安心させるように、シワだらけの手が楓の頭を撫でた。


「大丈夫、冥鬼はあたしらのご先祖さまを恨んでやしないんだからね」


「…どういうこと?」


祖母の返答の意味がよく分からずに楓が問いかける。

冥鬼は楓や桜の先祖に封印されて1200年もの間を1人で過ごした。

そんな仕打ちをした人間を恨んでいないなんてありえるだろうか?

楓は、それ以上応えない祖母から離れて居間に戻っていく。

いつの間にか父親と将棋をしている冥鬼を見下ろして、楓が尋ねた。


「…あんた、あたしたちを殺すんじゃないの?」


楓の問いかけに、盤上を見つめて思案していた冥鬼が目だけを楓に向ける。

その目に、初めて出会った時に感じた敵意はない。


「恨んでるんでしょ?ご先祖さまのこと」


「知らん」


駒を進めながら冥鬼があっさりと応える。

正面で楓の父が唸った。

別の意味で、楓も困惑したように唸る。

あぐらをかいたまま盤上を見つめている冥鬼が、長い耳を爪の先でカリカリとかきながら続けた。


「何せ1200年も封印されてついさっき目覚めたばかりだからな、記憶が曖昧だ。俺様を封印したのは確かに貴様たちの先祖ではあるが…俺様が憎くてたまらんのは狗神のほうだぜ」


再度駒を進めて、冥鬼が応える。

彼が嘘を話しているようには見えなかったが、楓はどうにも腑に落ちない。

やにわに、首飾りについているツノを冥鬼の顔前に突き出した。


「これ、あんたの大事なものなんでしょ?取り返そうとか、そういう気は起きないわけ?」


自分の折られたツノを目の前に差し出されて一瞬だけ目を見張る冥鬼。


「大事なものだと分かっていて犬コロに渡そうとしていたのは誰だったか」


「う…」


しかしすぐに、咎めるような口振りと呆れたような眼差しで楓を見やった。

その場の空気に流されてツノを渡そうとしてしまったことは事実なので、楓は気まずそうに視線を逸らす。


「そのツノを俺様に渡されても、一度折れたものはくっつけようがない。…が、これ自体には俺様の力が半分ばかり宿ってるな」


目の前で揺らされているツノを手に取って、複雑そうな表情を浮かべた冥鬼が告げた。

そしてそのツノを、再び楓の手の中へと押し戻す。


「このツノは、おそらく巫女が持っていることで力が失われずに済んでいる。巫女の肌から離れればすぐに力が抜けて、ただの物に成り果てるだろうからな。今はまだ貴様が持っていろ、必要になったら殺してでも奪い返すから」


「わ、わかったから物騒なこと言わないでよ。それと、ごめん…大事な物を狗神さんに渡そうとして…」


手の中に戻されたツノは、楓の手のひらの上で静かに熱を持っていた。

これが冥鬼の力というものなのだろうか。

そんなことを思いながら、楓は再びツノに結ばれた紐を解しながら首にかけ直す。

その一連の仕草を黙って見つめていた冥鬼は、少し考えるような表情を浮かべてから口を開いた。


「狗神響子…とか言ったか。あの犬とはどこで知り合った?」


「どこで、も何も…今日、庭で…犬の姿だったけど。その後は学校に来たわ…転校生として」


しどろもどろに応える楓に、冥鬼は舌打ちをして立ち上がる。


「もう住処は知られてるわけか。ならやることは1つしかない。あの犬を今すぐ殺る」


「や、殺る!?狗神さんを?」


驚くほど短絡的な冥鬼の発想に、楓は目を丸くする。

冥鬼は当然だと言わんばかりに頷きを返して今度は桜を見やった。


「桜、握り飯の用意をしておけ。帰ってきたら食う」


「かしこまりました、冥鬼様」


桜が恭しく頭を下げる。

狼狽える楓をよそに、冥鬼は踵を返して玄関へと向かって行った。


「楓、これも巫女としての修行だと思いな。冥鬼と一緒に行くんだ。そしてその目で見ておいで」


毅然と桜に言いつけられて、しらばっくれるタイミングを逃してしまった楓は、あまり気は進まないのだが数歩遅れて冥鬼の後へ続く。

そんな楓に声をかけたのは父だった。


「昔、付き合い始めたばかりの頃に母さんが言ってたんだけど…犬の妖怪って言うのは強い意志を持った人に弱いらしいね。これ、アドバイスになってるかな?頑張って」


あはは、と呑気に笑って父が手を振る。

そんなゆるい父に少しだけ緊張を解されたような、そんな気持ちになりながら楓は頷きを返した。

冥鬼に続いて玄関を出ていくと、彼はふと足を止めて楓を肩越しに見やる。


「貴様の母は聡明な女性だったらしいな。あの犬は強い意志を持つ者を嫌う。つまり俺様の前で醜態を晒すなと言うことだ」


先程のような無様な姿を見せるな、と冥鬼の赤い瞳が言っている。

狗神響子の誘いに負けてツノを差し出そうとしてしまった自分の弱さは事実であり、何も言い返せない楓は小さな頷きを返すだけだった。

その頷きを合図とするように、楓の体がふわりと空に浮く。

冥鬼の腕が、楓の体を抱き上げて肩に乗せた。

高く跳躍した冥鬼の体は、風を切りながら屋根の上を飛び越えていく。

楓は振り落とされないように必死で冥鬼にしがみついていた。

そうして、彼はどこまで駆けたのだろう。

楓がゆっくりと目を開けると、そこはすっかり紅葉の落ち着いた山の中だった。


「俺様の鼻が正しければ、ここが狗神の巣だ。十中八九あいつが居ると見て間違いない」


楓をその場に下ろしながら冥鬼が言う。

すっかり散らばった落ち葉をザクザクと踏みしめて、山の中腹へと向かって行った。

人間が踏み入らないような、木々の奥深く。

そこに小さな小屋が建っているのがわかった。

そして、その家を守るようにまっすぐにこちらを睨みつけている少女、狗神響子の姿も確認できる。


「無断で人の庭に入るなんて、住居侵入罪よね…全く」


嘲笑うように制服姿の響子が言う。

氷のように冷たい微笑みと、長い手足。

作り物のように美しい顔立ちも、さらに不気味さを醸し出していた。


「野良犬に人の法なんざ適用しないだろ」


そんな少女を鼻で笑ったのは冥鬼だった。

心の底から小馬鹿にするように、悪意たっぷりの笑みで。

これは誰だって怒る、と楓が思うよりも早く少女の口の端に亀裂が走る。


「ぶち殺すわッ!!」


不自然なほど釣り上がった口の端が、目尻が大きく裂けていく。

まるで陸上選手のように勢いよく駆け寄ってくる少女の、狗神響子の体が4つ足の獣になるまでに時間はかからなかった。

大きな爪が地面を抉る。

間一髪、冥鬼が楓を抱えて飛び上がった。


「ぎゃおおおう!」


響子が吼える。

冥鬼は一度、太くてしっかりとした木の股に降り立った。

木の下では響子が唸り声を上げながら、全身の毛を逆立てている。

今にも木に飛びかかってきそうなほどの気迫だ。


「楓とか言ったか、貴様はここで俺様の勇姿をその目に焼き付けていろ。瞬きはするなよ、特等席だぞ」


「そんな無茶な」


冥鬼は、抱えたままでいた彼女の体をその場へと下ろす。

思わず言い返してしまう楓のことも気にせず、冥鬼はゆっくり目を細めて響子を見下ろすと単身で再び地面に降り立った。

4つ足の獣は、全身の毛を逆立てながら怒りに満ちた唸り声を上げている。


「…これで思う存分やれるぜ、クソ犬」


ニヤリと冥鬼が言うが早いか、響子が勢いよく飛びかかって冥鬼の体を前足で潰すように地面に押し付けた。

大きな地響きで大地が揺れる。

楓は思わず木にしがみついて衝撃に耐えた。

地面を抉りながら冥鬼を押しつぶそうとする響子は、大きく開けた口で冥鬼の喉元に食らいついた…ように見えた。


「勘違いするな。俺様は犬と遊びに来たんじゃない」


酷く冷たいその声が、響子の頭上から聞こえると同時に、首筋から背中にかけて鋭い爪が振り下ろされた。

白銀の体毛が赤い血に染まる。


「うぎゃあああ!!」


痛みにのたうちまわりながらも、響子が冥鬼の足首に噛み付いた。

ちっ、と冥鬼が舌打ちをして眉間にシワを寄せる。

ぎちぎちと音を立てて、足の肉に太い牙が食いこむ。

冥鬼はもう一方の足を使って響子の腹を思い切り蹴りあげた。

ドン、と鈍い音が響く。

確実に致命傷に近い傷は与えているはずだが、しかし響子は足首に噛み付いて離さない。

冥鬼と響子は、もつれるようにして地面を転がった。

白銀の背中を真っ赤に染め上げながら、足首に噛み付いたままの響子が前足で冥鬼の皮膚を引き裂こうとする。

それをすかさず両腕で押さえ込んだ冥鬼は一度大きく息を吸い込むと、会心の一撃を込めて響子の腹を蹴りあげた。


「がはっ…」


響子の口から血が溢れる。

それでも彼女は足首に食らいついて離れない。

冥鬼は足の自由を奪われながらも確実に急所を狙うように響子の体へ幾度も打撃を加える。

その内、彼女が出血のしすぎで失神してしまった後も、攻撃の手を止めなかった。


「め、冥鬼…!ねえ、ちょっと!」


「何だ、やかましいな貴様は」


木から何とか飛び降りた楓が切迫した様子で声をかける。

ボロ雑巾のようになってしまった響子はすっかり白目を向いて意識を失い、冥鬼は足首に噛み付く顎を両手で掴んで上下に押し上げていた。


「も、もう十分でしょ?そこまでしなくてもいいじゃない…」


今のままでは狗神響子が一方的にやられているだけだし、この怪我ではどっちみち死んでしまう。

力の差は明白であり、冥鬼の勝ちだ。

もうこれ以上痛めつける必要はあるのかと楓が問う。

冥鬼にとっては1200年来の恨みが募った相手であり、殺しても足りないほどのはずだが何を思ったか冥鬼は楓に言われるがままに響子の体を地面に放り投げた。

幸い息はあるらしく、血に濡れた白銀の体を震わせながら荒い息をついている。


「これが1200年前、俺様のツノをへし折った狗神の力か?子犬かと思ったぜ」


物言わぬ響子を冥鬼が一瞥する。

その瞳は、どこか物足りなさそうにも見えた。

記憶が確かならば、1200年前に瀕死寸前まで追い詰められたのは自分のほうだったはずだ。

立派な体躯をした白銀の獣は、難なく冥鬼のツノを食いちぎるようにへし折って氷のような冷たい目で見上げてきた。

その獣と共に、自分を封印した男が自分を見下ろしている。

しかし、大きな白銀の獣も自分を封印した男も記憶を手繰り寄せようとすればするほど脳裏にボヤけて映る。

冥鬼は、自分が正義の味方などではない純粋な鬼の血を引く妖怪であることはハッキリと分かるし、自分の名前も言える。

だが、それ以上のこと…特に白銀の獣と自分を封印した男についてはどうにも記憶が曖昧だ。


(封印から目覚めたばかりで、まだ記憶が混乱してやがるか…)


思い出そうとすると途端に霞がかかってしまう記憶を何とか保持するべく、冥鬼は一度考えるのをやめた。

ボロ雑巾のように捨てられた響子を一瞥して踵を返すと楓が心配そうに冥鬼の足元を見つめている。

そこは響子に深く噛み付かれた歯型がくっきりと残っており、空洞から血が流れ出ていた。


「冥鬼、早く止血しないと…」


「鬼の体を薄皮みたいな人間の皮膚と一緒にするなよ。まあ見てろ」


心配そうな楓を遮って冥鬼が応えた。

しばらくしてから、血の溢れていた皮膚が驚異的な速度で再生を始める。

皮膚と皮膚を結合するように、自動的に傷が塞がっていくのだ。


「す、すごい……」


目を丸くして、先程まで血まみれだった足を見つめる楓。

冥鬼は返事をすることなく、楓を連れて人里離れた山を後にした。

かつて冥鬼が生きていた平安の世とは大きく変貌した町並みの上を疾走していく。


「……あんた、これからどうするのよ。人間の世界を支配するの?」


「はあ?何だそれは」


肩の上で楓が問いかけてくる。

人間の世界を支配して鬼のための国を作ることは、きっと冥鬼の悲願であろうし殺した鬼たちも元はと言えば冥鬼の部下のようなものだ。

楓は強ばった表情で問いかけるが、冥鬼にはいまいちピンとこない話であった。


「物事には順序があるだろうが。まずは腹ごしらえだ」


後のことは、それから考える。

冥鬼は楓を見ずに応えた。

よっぽど腹が減っているのか、それとも桜の握り飯が気に入ったのかは分からないが、当分人間たちの寿命は伸びそうだと楓は思った。

そんなことを考えながら、ちらりと後方を見やる。

人里離れた静かな山、そこに狗神響子は住んでおり、そして冥鬼に敗れた。

あれほど力の差を見せつけられたのだから、彼女の自信も根元から折れただろうと冥鬼が言う。

どうやら、しばらくは楓を狙いに来ることはなさそうだ。

彼女が生きていればの話だが。


(でも、何だろう…この違和感)


何だか釈然としない気持ちを抱きながら、遠くなる山を見つめたままの楓。

しかし家に戻ってくると、すぐにそんな気持ちよりも疲れの方が上回ってしまい、あっさりと考えるのをやめた。

桜の用意した握り飯を遠慮なく食べている冥鬼を放って、楓はフラフラとした足取りで自室へと帰る。


「はあ…今日は疲れた…」


長く続く廊下を抜けて襖を開け放つ。

室内は、朝の支度を終えて出かけた時のままだ。

楓は張り替えたばかりの畳に上がると、その場で仰向けに転がった。


「今日一日で変なことありすぎだよ…。鬼とか、狗神とか…わけわかんない」


誰に言うでもなく、楓が呟く。

服の中で静かに熱を持つ首飾りを取り出して、その古びたツノを眺める。

冥鬼の力が半分宿っているというそのツノは、まるで生きているかのように確かな熱を持っていた。


「………」


しばらく黙ったままツノを見つめていた楓は自然と重くなる瞼に抗えず、ゆっくり体の力を抜こうとする。

その時、部屋の入り口で衣擦れの音が聞こえた。

お祖母様かな、と意識の片隅でそんなことを考えている楓の傍に近づいてきた気配は、すぐ近くまで距離を詰めてから立ち止まった。


「ごめんお祖母様、ちょっとねむくて…」


あまりの眠気に舌が回らなくなりながらも楓が口を開く。

すっかり重くなってしまった瞼を押し上げるようにして自分の傍にいる人物を確認しようとすると、それは小さな人影だった。


「おねーちゃん」


どこかで聞いたことがあるような子供の声だ。

楓は眠気に抗いながら、その人物を注意深く見つめた。

赤毛の入った黒髪を揺らして、その小さな人影は不思議そうに楓を見下ろしている。


「あ、なた…ええと、いつも夜に…」


呂律の回らない声で楓が言う。

いつも枕元で楓の話を聞きたがる子供の幽霊がそこにいた。


「うん、おねーちゃんの今日のお話…聞きに来た」


こくんと頷いて、楓の顔を覗き込んできた幽霊は赤い瞳をまんまるに開いている。

その瞳と顔立ちが、冥鬼に似ているような気がした楓は重くなった瞼を持ち上げて笑う。


「何か…あなた、あいつに似てるね」


楓の声に反応して、幽霊が首を傾げる。

あいつ?と呟く小さな唇は、への字に曲げられてかわいらしい。

赤毛がかった黒髪から覗くツノがチラリと見える。

楓はゆっくりと腕を上げて幽霊を手招いた。


「おねーちゃん、つかれたの?へーき?」


「うん、疲れた…かも」


幽霊は律儀に楓の傍に近づいてくると、楓の手を小さな両手で握った。

幽霊だと言うのに、ちゃんと感触もある。

幼いその両手は大事そうに楓の手を握っていた。

楓はしばらく幽霊の手の感触を楽しんでいたが、ゆっくりと腕を持ち上げて幽霊の頬に手を当てる。

傷一つない幽霊の肌をそっと撫でると、幽霊はくすぐったそうな、恥ずかしそうな表情を浮かべた。


「そういえばさ、あなたの名前…聞いたことなかったな。お名前は?」


楓の問いかけに、幽霊は少しだけ首を傾げた。

問いかけの意味が分かっていないのか、赤い瞳を丸くして不思議そうな表情を浮かべている。

楓は質問を変えようとして、もう一度口を開こうとした。

その時。


「俺様の名前は冥鬼だと言っただろうが」


楓の耳に飛び込んできたそれは、低く響く地鳴りのような鬼の声。

思わず目を見張ると、幽霊が居たはずのそこには大きな体躯をした鬼の王があぐらをかいている。

冥鬼は楓に頬を撫でられたままの姿で呆れたような眼差しを向けていた。


「ひゃあああ!?目が覚めたっ!」


慌てて手を引っ込めてから弾かれたように楓が上体を起こす。

いつの間に部屋に来ていたのか、開け放たれたままの襖を閉めることもせずに冥鬼は楓の傍であぐらをかいていた。

襖の外では夕日の光が差し込んできており、電気もつけていない室内に明かりを呼び込んでいる。


「な、何か用なのっ…?」


後ずさろうとする楓を気にすることもなく、冥鬼がゆっくりと立ち上がって背中を向けた。

いつ頃作った傷なのか、冥鬼の背中は切り傷や刺傷の痛ましい痕がたくさん残っている。

きっと封印される前はよっぽどの悪事を重ねたのだろう、と推測した楓は一層警戒して後ずさる。


「用というほどのことじゃねえよ。今日からこの家が俺様の新たな住処だ。だから間取りの確認をしにきた」


冥鬼は楓に背を向けたまま、とんでもないことを言ってのける。

後ずさりかけていた楓は慌てて冥鬼に近づいた。


「ちょっ!どういうこと…!?まさかあたしの部屋で寝泊まりするんじゃ…」


「誰が貴様と相部屋なんぞ望むかよ」


慌てた口振りの楓に、冥鬼は心底嫌そうな顔をして振り返る。

部屋数の確認と、防犯ができているか見に来ただけだと告げて拗ねたように舌を出す。

楓は思わず、子供か!と言いたくなったが何とか言葉を飲み込んだ。

天井や押し入れの場所を確認したり、勉強机に視線を移したりしながら冥鬼は楓の部屋を観察している。


「部屋の戸に施錠できないところは難点だが、他は特に問題ねえか…」


独り言のように呟いてゆっくりと立ち上がった冥鬼は、開け放したままの襖に手をかけて言った。


「これからは鬼に襲われることが増えるだろうし…せいぜい寝首をかかれないようにしろよ、特に貴様」


「な、何であたしが鬼に襲われるのよ?」


楓の問いかけに、冥鬼が黙る。

そうして、少し黙ってから再び口を開いた。


「俺様が悪鬼を殺したからだ」


「答えになってない!」


冥鬼の回答にすかさず楓が突っ込む。

どういうことかと慌てて身を乗り出す楓に、めんどくさそうな顔をした冥鬼が続けた。


「鬼同士の殺生はルール違反だとか、あいつらが言ってたのを覚えてるか?」


楓が頷きを返す。

鬼は人を殺してもいいし食ってもいい。

あらゆる人の法は適用されない。

ただし、鬼同士の殺生はルール違反だと悪鬼が言っていた。

しかし、冥鬼は鬼を2匹殺した。


「今の俺様は、言うなれば全国に指名手配された凶悪犯罪者だ。そして貴様らはそんな凶悪犯罪者をかくまっている。人の法で言うなら…犯人蔵匿罪、とか言ったか?貴様の親父がそんなようなことを言ってたぜ」


そこまで一息に言って、冥鬼が「鬼同士の殺生は極刑らしいしな」と言って鼻で笑う。

楓は笑わなかった。

知らない間に犯罪の片棒を担がされていたことにようやく気づいて顔を青くする。


「そ、それってあんた1人の責任でしょ!しかも勝手に居座ってるし、あたしたちはあんたを家に匿いたいなんて思ってないから!」


「まあ落ち着いて聞け、楓」


慌ててまくし立てる楓をなだめるように手をひらひらと軽く振った冥鬼は、楓の名前を呼んで制止させた。

これが落ち着いていられるかと楓が言い返そうとしたその時、冥鬼の続けた言葉に声を失ってしまう。


「そもそもここは俺様を祀るために作られた家だ。鬼道家はそういう家系なんだ。つまり貴様たちは俺様の家臣、奴隷、所有物」


「え、え…ちょっと待って。鬼を祀るために作られた家?」


突拍子もない冥鬼の発言に楓は混乱しっぱなしだ。

そんな楓に、冥鬼は何ともないような口振りで続けた。


「1200年前はどうだったか知らんが、鬼道の家はずっと封印された俺様の体とツノを守ってきたと…さっき、桜に説明された」


「わ、わけがわかんないわよ…何でご先祖さまはあんたを封印しておいて子孫に守らせたの?あんたが悪者だから退治するために封印したんじゃないの?」


「知るか。奴に聞きたいことは俺様のほうが山ほどある。何せ記憶が無いんだからな」


楓の質問攻めを一蹴して、冥鬼がため息をつく。

彼が何を考えているのか、楓には分からない。

くしゃっと前髪を乱す冥鬼の額には根元から折られたツノの痕が残っている。

このツノは狗神響子が噛み砕いたと言っていた。

それが何故、鬼道の家に祀られていたのだろう。

楓は首飾りに繋がれたツノを見つめて首を傾げる。

今は何の熱も感じないが、折れたツノには確かに冥鬼の力を感じた。


「……ともかくだ…俺様はこの家を新たな拠点とする。貴様が言うように人の世を支配するかどうかは…まあ明日考える」


本気なのか冗談なのか、冥鬼はククッと喉の奥で笑ってからゆっくりと楓から離れる。

その手が、首飾りを握った楓の手を掴んだ。

咄嗟のことに距離を取ろうとする楓を難なく引き寄せ、彼女の耳元に唇を寄せる。

それはまるで恐喝するような口振りで、ハッキリと告げた。


「楓、貴様も共犯だ」


ぞくりとするような低い声に、思わず楓が身震いする。

おそるおそる顔を上げると、冥鬼と視線がぶつかった。

意外にも冥鬼は、悪どい笑みを浮かべているかと思いきや偉そうな態度とは裏腹に真剣な眼差しをしているものだから楓は少しだけ狼狽えてしまう。


(何考えてるのよ、こいつは…)


だがすぐにキュッと唇を結んで、冥鬼を睨みつける。

共犯になどなるものか、という強い意志を示すように。

狗神が強い意志を嫌うなら、鬼だってきっと同じはずだ。

しかし冥鬼にその意志が通じた様子はなく、しばらく楓を観察するように真剣な眼差しで見つめていた彼は握ったままの手を離した刹那、楓の額に強めのデコピンをしてから早々に踵を返してしまった。

デコピンを喰らった額を押さえて楓が蹲る。

そんな冥鬼の後ろ姿を横目で見つめながら、首飾りを強く握りしめた。

不安な気持ちを押し殺すように。

手のひらの中で握りこまれたツノが呼応するように脈打つ。


この首飾りを巡って、楓はまた新たな騒動に巻き込まれることになるのだが…今の彼女の頭は既にキャパオーバーだった。

鬼王の巫女をご覧くださりありがとうございます。学生の時以来すっかり一次創作からは離れていましたが突然降ってきた創作意欲に駆られ、リハビリも兼ねて勢いに任せるように始めました。

ドタバタバトルコメディ(恋愛)といった内容になるかと思います。

スローペースの更新になりますが、長い目でお付き合いくださると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ