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鬼王の巫女  作者: ふみよ
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54話【目隠し鬼】

「鬼王の、巫女……?何だそりゃ」


冥鬼が眉を寄せる。

紅葉は少し困ったような顔で笑うと、すっかり水を含んで重くなってしまった着物の裾をギュッと絞った。


「だいぶ血は薄れてしまったけれど……鬼道楓には鬼王の巫女の血が流れているの。そして、巫女の中でも処女(おとめ)の血は永遠の命を与えると信じられてきました。ずっと、ずっと昔から……」


そう告げた紅葉はゆっくりと瞼を伏せた。

冥鬼は眉を寄せたまま、何か言いたそうに口を開きかける。

初めて耳にする言葉の数々、そして自分の記憶、紅葉自身のこと。

彼には聞きたいことがたくさんあるのだ。

しかし紅葉が目を開いたことで、冥鬼は慌てたように口を噤んだ。


「狗神響也は、永遠の命欲しさに……かつて一人の巫女を殺しました。けれど巫女は処女(おとめ)ではなかったから……彼が不死になることはありませんでした」


大人しく話を聞いている冥鬼に、紅葉が続ける。


「それから彼はずっと、何百年も鬼道家の巫女の生き血を狙っています。人間の世界に溶け込んで、人を食べ、延命を繰り返しながら」


緋色の瞳の奥には深い悲しみが窺える。

冥鬼は黙って話を聞いていたが、一度紅葉から顔を背けて大きく息を吐き出す。

一度にわけのわからない話をされたことでずいぶん頭は混乱していたが、それでも彼自身がやらなくてはいけないことくらいなら辛うじてわかる。

冥鬼は、紅葉と同じ緋色の瞳を真っ直ぐに向けた。


「つまり俺は……楓を変態野郎から守れば良いんだな」


低く、怒りを滲ませた声で確認をすると、紅葉は深く頷きを返した。


「詳しい話はあの人に伝えてあります。目覚めたら彼の元にお行きなさい」


「わかった。だがあの人ってのは誰だ?」


冥鬼の問いかけに、紅葉は楓とそっくりな顔でキョトンとした後、にっこり笑って言った。


「もちろん、鬼道澄真(きどうとうま)よ」


紅葉の言葉に、今度は冥鬼が瞳を丸くする番だった。


「待てよ。鬼道澄真はもう1000年以上も昔の人間だろ? そうだ、あの坊主何か知ってんじゃ……!」


慌てたように冥鬼が川岸へ視線を向ける。

あれほどよそ見をするなと口うるさく言っていた坊主の後ろ姿はない。

先に行ってしまったのだ。

冥鬼は舌打ちをしてから紅葉へと視線を戻した。

しかし……。


「……紅葉?」


傍にあったはずのぬくもりも、紅葉の姿も既にない。

紅葉の消えた川は、先程と違って濁って赤錆びた色をしている。

冥鬼は眉を寄せて川の水を掬い上げた。

先程まで流れていた川の水は、足元が見えるほど澄んでいたはずなのに、今はまるで鮮血を流したような色をしているのだ。


「こいつは……」


鮮血のような川の水を、首に巻いたマフラーで拭いながら、冥鬼は辺りを見回す。

すると先程まで晴れていた青空はどんよりと曇り、生い茂っていた草花は萎れてしまっていた。

あるのはどこまでも続く赤茶色をした土のみ。


「くそ……何がどうなってる」


冥鬼は、文句を言いつつじゃぶじゃぶと川の中を移動しながら元の岸へと近づく。

最初に川へ入った時よりもやけに足が重く感じた。

すっかり赤く染まり上がった川の水は次第に水かさを増し始めており、水位は冥鬼の腰まで上がってきている。


「鬼さん」


岸に上がろうと手を伸ばした冥鬼の腕に、ふと、血にまみれた幼い腕がしがみつく。

その腕は濁った川の中から伸びていた。

無理やり腕を上げようとした冥鬼に合わせて、腕にしがみついていた何者かが、ゆっくりと顔を覗かせる。

それは、幼い子供だった。

眼球は無く、眼窩はぽっかりと大きく開いて窪んでおり、そこから糸状の白い虫がうじゃうじゃと這い出している。

水面を揺らして、ベッタリとした長い黒髪の間から窪んだ眼窩を覗かせながら子供が笑う。

気がつくと、冥鬼の体を囲むようにして腐敗した子供たちが集まっていた。


「鬼さんこちら」


子供たちがニタリと笑った。

そこで冥鬼は気づいたのだ。

川の水位が上がっているのではない。

自分の体が川に沈んでいたのだと。


『二度と戻っては来られない』


そう告げた坊主の声が冥鬼の脳裏に蘇る。

何とも適当なことを言ってくれたものだ、と冥鬼は舌打ちした。

しがみつく子供の腕を振り払おうとするが、幼い子供ちはまとわりつくように冥鬼にしがみついてくる。


「この餓鬼っ!」


「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」


子供たちは口々に同じ言葉を繰り返してバシャバシャと耳障りな音を立てながら両手を叩いた。

冥鬼は自分を取り囲む子供たちを力任せに薙ぎ払うが、そのうちに彼の体は少しずつ元居た岸から離れていく。


「まずいっ!」


川に腰まで飲み込まれた冥鬼は舌打ちをして、自分が向こう岸へと誘導されていることに気がついた。

このままでは得体の知れない場所に誘導されて元の場所に戻れなくなってしまう。

もがけばもがくほど彼の体は赤い川に囚われ、子供たちの腕が腰や足に絡みつく。

水に濡れた冥鬼の服はまるで石のように重くなり、彼の体を水中へ引きずり込む手助けをしている。


「くそっ!」


冥鬼は子供たちの体を薙ぎ払うと、即座に水分を吸って重くなったチェスターコートを脱ぎ捨てた。

それだけで彼の体はずいぶん軽くなる。

しかし、コートを脱いだだけでは多少身軽になる程度で水中から抜け出す力は得られなかった。

既に赤い水は首元まで上がっており、次々に子供たちが冥鬼の肩に飛びかかってくる。


「鬼さん、遊んで。鬼さん」


まとわりつくようにして冥鬼の体を拘束する子供たちから逃げる手立てはない。

とうとう冥鬼の体は、胸元までが川の底の沼に嵌った。

既に胸から下の感覚は無い。

内臓がグチャグチャにかきまわされているという不快感だけがあった。

冥鬼の脳裏にふと、意識を失う直前に必死で自分の名を呼んでいた少女の顔がよぎる。


「か……」


楓、と叫んだつもりの声は、川の水が口腔に入ってきたために言葉にすらならなかった。

熱くて、息苦しい。体が重い。

口の中に入り込んできたその水は甘く、舌をとろとろに溶かしていく。

その味は、いつか飲まされた天狗の美酒によく似ていた。

意識を失ってしまいそうなその水から抗うように、冥鬼は頭上に手を伸ばす。


(楓、俺は……お前に……!)


舌を溶かす川の水に飲み込まれ、呼吸すら困難になりながらも、冥鬼は強く楓のことを想った。

自分は死なないと大見栄を切っておいて、あっさりくたばってたまるものか。

ここで消えるわけにはいかない。

生きたいと、強く願った。


(この感覚、どこかで……)


冥鬼は、川の中に飲まれながらぼんやりと懐かしい感覚を思い出していた。

折れたツノの根元からとめどなく鮮血が流れ、身体中傷だらけでボロボロになった1000年以上も昔のこと。

鬼の王は、死を覚悟した。

けれども、彼は死にたくなかった。

【彼女】を見守りたい。

まだ生きていたい。

そんな彼に救いの手を差し伸べた者が居た。

その手は冥鬼の手をしっかりと握りしめると、ハッキリとした声で言ったのだ。


「死ぬな、冥鬼!」


その声とともに、水面に上げていた手が掴まれて、一気に引き上げられる。

冥鬼は薄らぐ意識の中で、彼の顔をハッキリと目にした。

それはボロボロの着物を身にまとい、肩には黒い鴉を乗せた頭髪のない坊主。


「鬼道、澄真……」


冥鬼はぼんやりとその名前を口にすると、安心したように意識を手放した。

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