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鬼王の巫女  作者: ふみよ
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52話【デートは唐突に終わりを迎える】

背中を深く切りつけられた冥鬼は僅かによろめいた後、足元で広がる血溜まりを確認して大して面白くもなさそうに笑った。

よろめきながらも背後の人物と距離を取るようにして後ずさる。

彼の背後に立っていたのは、高価そうな黒いスーツを着た長身の青年だった。

白銀の髪を腰まで伸ばし、ゆるくみつあみにしている。

楽しそうに細められたその瞳は、まるで月のような金色だ。


「……やりやが、ったな……」


冥鬼は眉間に深く皺を刻んで男を睨みつける。

彼を切り裂いたのは、男の爪だった。

異常に伸びた長い爪には紫色の液体が塗られており、まだ新しい鮮血がこびりついている。


「我が爪に塗った毒の味はいかがですか、冥鬼様?あなたの治癒能力では癒せないでしょう」


銀髪の男はニコニコと笑って告げる。

爪に塗られていた毒のせいだろう、冥鬼の体から力が抜けていった。

完成に力が抜ける前に傷だけでも癒そうと試みた冥鬼だったが、男の言うように毒の回り始めた体は彼の治癒能力すら受け付けない。

冥鬼の生み出した炎は消え、氷の盾を張り続けていた鈴蘭は力を使い果たしてその場に倒れ込む。


「う、ぐっ……」


「ふふふふ……いい眺めですね」


そう言って、男は自分の前で膝をついた冥鬼を楽しそうに見下ろす。

その目は楽しそうに細められていたが、金色の瞳の奥は底知れない憎悪を宿している。

冥鬼は地面に片手をついて男を見上げると、長い前髪の間から不愉快そうに歪められた緋色の瞳を向けて言った。


「俺様は、貴様なんか知らん……」


息も絶え絶えに冥鬼が告げると、男は目を細めてから指に滴る鮮血を恍惚とした表情で舐めた。

毒のせいで体に力が入らない冥鬼は明らかに不快そうな表情を浮かべている。

男は、長く伸びた爪を冥鬼の喉元に当てながら言った。


「言葉遣いが悪いですよ、冥鬼様。昔はもう少し上品だったように記憶していますがね」


「や、やめなさいっ!」


突然現れた男に圧倒されて事態を見守っていた楓が、冥鬼を庇うように立ち塞がる。

男は楓の姿を見て目を丸くすると、恭しく頭を下げて言った。


「紅葉様。お久しぶりです……お会い出来る日を心待ちにしておりました」


「あ、あたしは紅葉じゃないわ……」


楓は、僅かに後ずさりながらかぶりを振る。

しかし、男は迷わず応えた。


「いいえ。そのお顔立ち、美しい黒髪……間違いなく紅葉様です。しかもこの匂い……」


男は恍惚とした顔で楓の首筋に顔を寄せる。

思わず距離を取ろうとした楓だったが、それよりも早く、男が耳元に囁いた。


「処女の匂い、ですね」


これ以上のないご馳走を目にしたかのような顔で男はニタリと笑う。

楓の全身に強烈な寒気が走る。

足先から凍ってしまいそうなほど、冷たい感覚だ。

その場から逃げ出すこともできずに固まってしまった楓の手を、冥鬼の手が掴んだ。


「ペチャクチャうるせえ。楓から離れろ……変態野郎」


楓の腕を引いて、冥鬼が不機嫌極まりないと言った眼差しを男に向ける。

男は涼しい顔で冥鬼を見下ろすと、金色の瞳を煌めかせて言った。


「冥鬼様は相変わらず……この響也の神経を逆撫でするのがお上手でいらっしゃる」


「響也……?」


震えた声で楓が問いかける。

すると、男は目を細めて笑った。


「ええ、紅葉様。我が名は狗神響也。はるか昔、彼の気高きツノを折った響也でございます」


その言葉に冥鬼も楓も絶句する。

冥鬼は霞み始めた視界の中で目を凝らしながら男の顔を脳裏に刻み付ける。


(この男が……俺様の、ツノを……)


「ぐうっ!」


失われた記憶の中で唯一焼き付いている巨大な獣の姿が冥鬼の脳裏に映し出され、ずきん、ずきんと折れたツノが激しく痛む。

まるで思い出すなどでも言うように、頭が割れるような痛みが襲う。

そして、彼の皮膚を裂いた部分から広がっている毒も確実に冥鬼を蝕んでいた。

激しく痛み始めたツノと同時に、指先は痺れ始めて体に力が入らない。

血の気が引くというのはこういう感覚か、と冥鬼はぼんやり思いながら折れたツノを押さえた。


「ごほ、ッ!」


冥鬼が激しく咳き込むことで地面に鮮血が滴り落ちる。

毒は、既に彼の臓器をも破壊し始めていた。


「貰い物なので詳しくは知りませんけど……それは一日以内に対象の速やかに命を奪う猛毒だそうです。毒に苦しんで無様に死になさい」


響也はニタリと笑って自分の爪に塗られた紫色の猛毒を見せる。

そして、楓の肩を抱いて自分の傍へと抱き寄せた。


「さあ行きましょう、紅葉様……この響也と共に」


まるで何事もなかったかのように響也が微笑みかけた。

楓は青ざめた顔でかぶりを振り、響也の体を押しのける。


「い……いやよっ! 冥鬼を助ける方法はないの!?」


「そんなの私が知るはずないでしょう。じきに死ぬんですよ、そこの鬼は」


響也は冷たく言い放つ。

目の前の楓以外には興味がないとでも言うような、底冷えするような冷たさだった。

楓の瞳からポロポロと涙が零れる。


「冥鬼が死んじゃうなんて、いや……」


涙を浮かべた楓は、泣きじゃくりながら顔を覆う。

その涙は、冥鬼が死んでしまうかもしれない恐怖と、彼のために何も出来ない自分への不甲斐なさだった。

そんな彼女を、冥鬼は肩で呼吸を繰り返しながら見つめている。

毒が回り始めているとは言え、彼にはまだ余裕があった。

目の前の少女を、安心させられるくらいの余裕は。


「俺様が、こんなチンケな毒で死ぬわけねーだろ。まだ鈴蘭とか言う女へのお仕置きも済んでねえんだぜ……」


そう言って、冥鬼は楓の頭に軽く手を置く。

その言葉がいかに強がりか、楓の目から見ても明らかだったが、冥鬼は重ねて「俺様は死なねーよ」と告げた。

そのまっすぐで、真剣な緋色の瞳に、楓はただ頷きを返す。


「ああ、悲しむ紅葉様はとても美しい……このまま永遠に見つめていたいほどに」


響也は泣きじゃくる楓を、舐めるように見つめて笑う。

その眼差しは依然として、ごちそうを目にした肉食獣のような視線だった。

その時、遊園地の園内に爆音を響かせながら勢いよく痛車が突っ込んでくる。

楓にはその痛車に見覚えがあった。


「大鳥さん……小鳥ちゃん!」


助手席から飛び出してきたのは鳥仮面をつけた和服の幼女。

そして運転席にはぐったりと伸びた大鳥が居た。


「こ、小鳥ちゃん……いきなりアクセル踏みつけたら不味いって、マジで……オレのネージュたんは安全運転第一なんすよぉ〜」


「そんなことを言っておる場合か、馬鹿者」


運転席で伸びている男を叱咤した幼女は動きづらい和服であるにも関わらず身軽に車外へと躍り出る。

そして、まっすぐに響也を睨みつけた小鳥は凛とした声色で言った。


「久しいな、獣の妖よ」


「どこかで会いましたか?」


響也は興味がなさそうに幼女を見下ろす。

運転席からよろめきながら出てきた金髪の男が、幼女の頭を軽く撫でて片手を上げた。


「どうもー、その毒をあんたに盗られた天狗ですけど」


「ああ、あの時の天狗ですか」


胡散臭い笑みを浮かべて軽く手を振る金髪男に、響也は鼻で笑って目を伏せた。

そして何を思ったのか、突然肩を震わせて笑い始める。


「巫女一人も守れずに無様な醜態を晒した年寄りの肉はなかなかに美味でした……おやつくらいにはなりましたよ」


「おっと、それ以上言わない方がいい。うちの小鳥ちゃんがキレると死ぬほど怖いんで」


大鳥が静かに響也の言葉を制す。

その顔はいつもの胡散臭い笑顔だったが、鳶色の瞳は一切笑っていなかった。

響也は鼻で笑って幼女を見下ろす。

鳥仮面を被った幼女は、響也を見上げたまま何も言わなかった。

ただ、殺気だけが幼女の体を覆っている。


「死んだ年寄りの骨など被って、悪趣味なものです。小汚い鳥にはお似合いのアクセサリーですがね」


響也が冷たく言い放って、小鳥の被った頭骨に触れようとする。

しかしそれよりも早く、小鳥の手が響也の手首を掴んだ。

大人の男以上に強い力が、響也の手首をへし折るように圧迫していく。


「……ちっ」


みしみしと骨の軋む音を立てる手首を庇うように、響也が小鳥の手を振り払おうとする。

小鳥は、意外にもアッサリと響也の手を離した。

響也は手首を庇うように後退すると、一度名残惜しそうに楓を見やってから静かに告げる。


「……紅葉様、今度は邪魔の入らない時にまたお会いしましょう。この響也、すぐにお迎えに上がります」


響也の言葉に、楓が返事をすることは無かった。

楓は泣きじゃくりながら冥鬼の胸に顔を埋めている。

いつの間にか、騒動に紛れるようにして鈴蘭の姿が消えていたことにも気づかないまま。


「楓ちゃん、大丈夫?」


大鳥が声をかけると、楓は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

既に冥鬼は意識が朦朧とした様子で膝をついている。


「冥鬼が……冥鬼が死んじゃうかもしれないのっ!」


「うん、こりゃ死にますわ」


「馬鹿!言い切る奴があるか」


楓の言葉にあっさりと死を予告する大鳥を制するように、小鳥が大鳥の頭をポカッと叩く。

後頭部を押さえて悶えている大鳥をそのままに、小鳥がまっすぐに楓を見つめる。


「ひとまず、鬼道の家へ連れていこう。そこの娘もついでにな。大鳥、車を出せ」


「あいよ……って、あの子は?」


痛車に振り返った大鳥が誰も乗っていない後部座席を見て、目をぱちくりさせる。

ツノの生えた幼い鬼の少女が確かに後部座席に乗っていたはずなのに、少女はいつの間にかその姿を消していた。


「急げ、大鳥! 時間がない」


「はいはい! でも、帰りは安全運転っすよ!」


小鳥に急かされるようにして大鳥は気を失った杏子の体を抱き上げて後部座席に横たえると、楓と共に冥鬼に肩を貸す。


「冥鬼様、まだ生きてます?」


「殺す……ぞ、クソ鳥……」


息も絶え絶えに、冥鬼は掠れた声で告げるがその言葉を最後に意識を手放してしまったのか瞼を伏せてうなだれる。


「冥鬼……!」


「大丈夫、気を失っただけっすよ。さあ、楓ちゃんも早く乗って」


冥鬼の口元に手を当てて呼吸を確認した大鳥は、彼の体を後部座席に押し込むと楓に一声かけてから運転席に乗り込んだ。


「さーて、総員シートベルトよろしく!」


大鳥は茶目っ気いっぱいにバックミラーを見て片目を瞑る。

しかし当然、後部座席で気を失っている杏子はもちろん楓と冥鬼にも聞こえていない。

それどころか、助手席に座っている小鳥に思い切り足を踏まれた。


「早くしろ」


「い゛っ! 踵で踏まないで小鳥ちゃん!」


大鳥は半泣きになりながら車を発進させる。

後部座席に体を預けている冥鬼は、額に汗を浮かべながら荒い息をついていた。

そんな冥鬼を、楓が心配そうに見つめている。


「冥鬼、絶対助けるから……だから、死なないで……」


体を小さく震わせながら、楓は祈るように呟く。

既に冥鬼の耳には届いていないのか、ぐったりとした鬼はゼェゼェと荒い息をついたまま何も応えない。

もしもこのまま冥鬼が死んでしまったら…。

そんなことを考えて、楓は再び泣きだしそうになってしまう。


「さん……」


ふと、冥鬼の唇が小さく動いた。

思わず楓が声をかけるが、冥鬼に反応はない。

意識を失ったまま、うわ言のように何かを呟いているのだ。

楓はそっと冥鬼の口元に耳を寄せる。


「紅葉、姉さん……」


冥鬼は苦しそうに呟いた。

楓は目を丸くすると、冥鬼の手をしっかりと握って強く目を伏せた。


「お願い、紅葉さん……冥鬼を助けて」


切なる願いは車中に居る全員の耳に届いた。

シートベルトをしっかりと締めた小鳥が、何か言いたそうに運転席に座っている大鳥を見やる。

彼は先程の宣言通り、安全運転を心がけているようだが小鳥の視線には応えない。

小鳥は、すぐに視線を外して窓の外に目を向ける。

車は、まっすぐに鬼道家に向かっていた。

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