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鬼王の巫女  作者: ふみよ
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51話【鬼になった少女】

「こいつ、鬼になりやがったのか……」


異質な妖気を纏う少女の体は、どんどん変貌していく。

冥鬼が呟くと、目を丸くしたまま友人を見つめていた杏子が慌てて声を荒らげる。


「ばっバカ言うな! 鈴蘭が鬼のはずないだろっ! 鈴蘭は人間だっ!」


「あれのどこが人間だ。よく見ろ」


涙目で怒鳴りつけてくる杏子を落ち着かせるように言った冥鬼の視線の先で、鈴蘭の風貌はみるみるうちに変わっていく。

額からは、まるで木の枝か何かのようにツノが伸び、彼女を完全なる妖怪へと生まれ変わらせていた。


(何だ、こいつは……)


冥鬼は表情を強ばらせた。

人の心に巣食う悪い感情が鬼を生み出すことはあっても、人間そのものを鬼に変えることなど出来るはずがないのだ。

何者かの力を借りない限りは。


「その力を貴様に与えたのは、あの人って奴か?」


冥鬼が問いかけると、鈴蘭はまるで人が変わったようにツリ上がった目を向けて鼻で笑う。

その瞳は憎悪に満ちていた。


「言うと思う?」


「ずいぶん嫌われたな、俺様は」


鈴蘭の返事に、冥鬼が肩を竦めて笑う。

無関係の杏子に被害が及ばないように、彼女の体を自分の後ろへと誘導する冥鬼を見た鈴蘭の目が、ゆっくりと細められた。


「アンちゃんから離れてよ」


鈴蘭が苛立ちを露わにして呟くと、同時に窓ガラスが音を立てて次々に割れた。

同時に、杏子たちの足元に亀裂が走る。


「う、わあっ!」


「杏子、掴まれ」


崩れ始めた足場から身動き出来なくなっている杏子に手を差し伸べた冥鬼が、やにわに観覧車のドアを蹴り破る。


「逃げるの?」


「俺様が暴れるには狭すぎるんだよ!貴様も来い」


冥鬼はそう言って、杏子を抱いたまま観覧車から飛び降りた。

ものすごいスピードで急降下していく恐怖に、杏子はたまらず意識を手放す。

ガクン、と体から力が抜けてしまった杏子の体をしっかりと抱きしめた冥鬼は自分のすぐ後ろに迫る妖気を感じて舌打ちした。

観覧車の窓からゆっくりと身を投げ出した鈴蘭が迫ってくる。

そして鈴蘭よりも早く、まるで生き物のようにウェーブのかかった三つ編みが冥鬼の腕に絡みついてきた。


「邪魔だ!」


冥鬼の口から赤い炎が放たれる。

以前の戦いで髪の毛を操る鬼を楓の助力で退治した時のことを思い出した。

あの時、楓の鬼符から放たれた炎が鬼を焼き尽くした。

冥鬼がしようとしているのはその応用だ。

彼は自分の腕に妖気を纏った炎を浴びせて、まとわりつこうとしてくる鈴蘭の髪を焼き切る。


「わたしの髪ッ!」


「ふん、さっぱりしたじゃねえか」


長く伸びた髪を焼き切ったために、鈴蘭の髪は肩につくかつかないか程度にまで短くなってしまう。

しかし、鈴蘭はもう人間ではない。

彼女の焼き切れた髪は切断面から再び高速で生え始めると自動的にゆるいお下げを作った。

冥鬼は落下しながら挑発的に笑うと、己の腕を炙っていた火を、まるでバースデーケーキに刺さったロウソクの火のように吐息で吹き消す。

鈴蘭は自身の再生した髪を手で撫でると、眉間を深く皺を刻んで冥鬼を睨みつけた。


「殺す……殺す、殺す、ぶっ殺すッ!」


ヒステリックに鈴蘭が喚き散らす。

同時に、二人の鬼は地面に降り立った。

気を失ってしまった杏子をゆっくりとその場に横たえた冥鬼は、そこでようやく周りの異質さに気づいた。

辺りは白と黒に染まり上がり、周りの人間は全て時が止まったかのように動かない。


「楓……」


ふと、脳裏に楓の顔が浮かんだ冥鬼が辺りを見回す。

観覧車の傍、彼女が座っていたベンチに楓の姿はない。

険しい表情で辺りを見回す冥鬼の視線の先に、こちらへ向かって走ってくるポニーテールの少女が居た。


「冥鬼っ! 何かおかしいのっ! 急に周りが変な色になって……す、鈴蘭!?」


息を切らして駆け寄ってくる楓を見て、冥鬼は少しだけ表情を和らげる。

以前は決して無かった感情だが、戦いの最中に楓の姿を確認して安心している自分に気づいた。

それは彼女が姉に似ているから、無意識に安心しているだけなのかもしれない。

未だ自分と姉の関係性は全く思い出せないでいるし、冥鬼自身が観覧車の中で言いかけた言葉の先もずっと気になっていた。


『楓……なら、どうして俺は……』


どうして俺は、澄真に封印されていたんだろう。

その言葉を、最後まで口にすることは出来なかった。

悪い鬼ではないと楓が言い切るのならそうなのだろうと信じたい。

けれど、彼はまだ大事なことを思い出せないでいる。


(それまでは、この気持ちを口にするわけにはいかない、か……)


冥鬼は僅かに綻んだ表情をすぐに引き締めると、横たえた少女の体を抱き起こして楓へと預ける。


「楓、杏子を連れて下がってな」


「下がってなって……ど、どうする気よ! 鈴蘭と戦うつもり!? そんなことさせるわけないでしょっ!」


息を切らせていた楓は、開口一番に気を失った友人を預けられて目を丸くすると自分たちを睨みつけている変貌した少女を二度見した。

明らかに狼狽えている楓とは真逆に、鈴蘭は口の端をニィ、と歪めて微笑む。


「んなこと言ってもな……あいつはやる気満々らしいぞ」


冥鬼はペロリと舌なめずりをして、彼女に応えるように鼻で笑った。

同時に、鈴蘭の足元に氷の花が咲いていく。

それはスノードロップだった。


「スノードロップの花言葉を知ってる?」


鈴蘭はそう言って長いスカートをはためかせる。

彼女の手は手首から先が漆黒に染まり上がり、まるで黒い手袋でも嵌めているかのようだ。


「興味ねえよ、花のことなんか」


冥鬼が吐き捨てると、一斉に氷のつぼみが頭をもたげて花を咲かせた。

ベルのようなかわいらしい氷の花は、一斉に冥鬼の方向を向いていた。

同時に鈴蘭が低く笑って告げる。


「あなたの死を望む……それがスノードロップの花言葉」


鈴蘭の言葉と共に、氷の花が粉々に砕け散る。

同時に、砕け散った氷の花は勢いよく冥鬼に向かって飛んでいく。


「鬼になりたての半人前が、一丁前に俺様の死を望むだと?」


冥鬼は肩を竦めて呆れたように笑ってみせた後、深く眉間に皺を刻んだ。

そして、一度瞼を伏せて深く息を吸い込むと、つり目がちの瞳で真っ直ぐに少女を睨みつける。


「決めたぜ、貴様は俺様が殺す」


「いや、殺したらダメだって!」


後方で楓が思わず突っ込むが、冥鬼にはもちろん聞こえていない。

冥鬼は、まず勢いよく飛び散った氷の花に対抗するために先程と同じように妖気で練った炎を腕に纏わせる。

その腕を胸の前で水平に振ると、無数の火の粉が生まれた。

氷の花の欠片よりも倍以上の数の火の粉が冥鬼の前に作り出される。


「……っ!」


「怖気付いたか?だが、まだだ」


膨大な数の火の粉を見て、鈴蘭が息を呑む。

冥鬼は満足そうに笑うと、小さくかぶりを振って炎を纏った腕でパチンと指を鳴らした。

その指の音に合わせるように火の粉が大きくなる。

鈴蘭の表情が僅かに強ばった。

自分にこの炎が防げるだろうかと頭の中でシミュレートしているのかもしれない。


「俺様には記憶が無い。……だが、これだけはハッキリ覚えてるぜ」


冥鬼がもう一度指を鳴らすと、火の粉がさらに倍の数になった。

後方で、気を失った杏子を抱きしめたままの楓が口をぱくぱくさせている。

いくら何でもあの量の炎を受けたら、生身の鈴蘭では勝ち目がないだろう。

楓は、今すぐにでも戦いを止めさせるべく声を上げようとするのだが、冥鬼の気迫に圧されてしまって声が出せなかった。

冥鬼は、人差し指を軽くクイクイと曲げて、火の粉を寄せ集める。

小さな火の粉たちは隣や上下の火の粉と触れ合い、その姿を膨らませていった。


「俺様は結構気が短いってことだ」


そう言って冥鬼が鈴蘭に人差し指を向けると、大きなひとつの塊となった火の玉から無数の雨が鈴蘭に向かって降り注ぐ。

膨大な数の炎を見て呆然としていた鈴蘭は咄嗟に大きな氷の花を自らの目の前に作り出して盾を作った。

しかし、火の雨は鋭い矢のように尖り、氷の盾を貫いていく。


「なっ!」


「気が短くても俺様は寛容だからな、もう一度聞くぜ」


防戦一方の鈴蘭に、冥鬼は涼しい顔をして再度問いかける。


「貴様にその力を与えたのは誰だ」


「絶対……言わない!」


鈴蘭が激昂すると、ヒビの入った氷の盾がみるみるうちに復元されていく。

何とか反撃を試みようとしているが、まだ力の使い方が十分に分からないらしい。

鈴蘭は肩で呼吸を繰り返しながら冥鬼を睨みつける。


「そーかよ」


冥鬼は興味がなさそうに肩を竦めた。

そして一度瞼を伏せると、しばらく口を閉ざしてからゆっくりと緋色の瞳を向ける。


「なら、死ね」


冥鬼がそう告げると同時に、火の雨は勢いを増して鈴蘭へ降り注いでいく。

彼女を守っていた分厚い氷の盾に、再び亀裂が入った。

鈴蘭は両手で氷の盾を強化するが、冥鬼の炎の勢いで反撃をする暇すらない。


(勝った……)


冥鬼が勝ちを確信して目を細めたその時。

すぐ後ろから不愉快な殺気を感じた。


「お楽しみのところ失礼します、冥鬼様」


ねっとりとした男の声が冥鬼の耳に掛けられるのと、楓の悲鳴が上がるのはほぼ同時だった。

冥鬼の背中に鋭い痛みが走る。

それは刃物で切り裂かれたかのような感覚だった。

冥鬼がよろめくと、もう一度、再び鋭い痛みが背中を襲う。


「な……」


深く抉られた背中から、得体の知れない力が流れ込んでくる。

それが毒だと気づくより先に、冥鬼の体は崩れ落ちた。

彼の背中から吹き出す鮮血を恍惚とした表情で男が見つめている。

その男の瞳は、冥鬼がかつてどこかで見たような、心底不愉快な金色をしていた。


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