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鬼王の巫女  作者: ふみよ
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5話【鬼王、冥鬼】※挿絵あり

「お、お前…ッ!!何故そこにいる!」


響子の怒号が聞こえて、楓は思わず顔を上げた。

その顔は涙でぐっしょりと濡れている。

楓の手を掴みあげた【それ】は、睨むように楓を見下ろしていた。

毛先が赤みがかった漆黒の髪を無造作に伸ばし、真紅の瞳が鋭く尖った男。

前髪の隙間から覗く赤みがかったツノは、楓の見慣れたものだった。


(首飾りと同じ…ツノ…?)


キョトンとツノを見上げているだけの楓に、【それ】はゆっくりと口を開いた。


「貴様、人の所有物を犬にくれてやるなんざどういうつもりだ」


忌々しそうに吐き捨てた【それ】は、まるでおとぎ話で伝え聞く鬼のような、荒々しい風貌の男だった。

ぽかんと口を開けている楓が何の反応も示さない事を知ると、さすがに不審に思ったのか男は無造作に楓のほっぺたを引っ張りあげる。


「おい貴様…ちゃんと俺様の言葉が理解出来てるんだろうな?それとも1200年も経って言語が変わったのか?」


「い、いひゃい…聞こえてるわよ!あまりにびっくりしすぎてコメントできなかっただけなんだから…」


引っ張られた頬を擦りながら楓が反論する。

そのおかげで、ずいぶんと恐怖は和らいだ。

しかし一体この男が何者なのか、楓は知らない。

どこからどうやって現れたのか、どうして首飾りと同じツノを頭から生やしているのか。


「なぜ蘇った!!冥鬼ィィーーッ!!!」


怒りに任せた響子の巨大な咆哮が窓ガラスを次々と割り始める。

思わず楓が身を縮こませるが、冥鬼と呼ばれた男は微動だにしなかった。

それどころか、小馬鹿にするように鼻で笑う。


「なぜ?封印が甘かったんだろ」


そう言った冥鬼は、鞄の中で粉々に砕けた鏡を取り出してみせた。

その無残な姿を見て思わず響子だけでなく楓さえも悲鳴のような声を上げる。


(割れちゃってるー!あれどうやって直すの!?絶対お祖母様に怒られる!)


修復できないほど粉々に砕けた鏡を前にして目が点になっている楓にも構わず、冥鬼はそれを地面に落とすと思い切り足で踏み壊した。

楓の口からまた悲鳴が上がるが、冥鬼はしてやったりという表情を浮かべて響子に向き直った。


「どうする?犬コロ。俺様を封じるものはもうない。ツノもこの手にある。悔しいだろ?」


「許さないっ!!」


冥鬼の挑発に、怒りで我を忘れた響子が牙をむき出して飛びかかる。

しかし、冥鬼は足元に散らばった鏡の破片を響子に向かって蹴りあげた。

同時に楓の首根っこを掴んで大きく後ろに後退する。


「待って!?ここ3階…!ぎゃあ!」


楓の叫び声が悲鳴に変わる。

割れた窓ガラスの外へ跳躍した冥鬼は楓を抱えたまま、器用に屋根から屋根へと飛びうつって行った。

蹴りあげられた鏡の破片で足を傷つけてしまった響子は、その顔を怒りに震わせながら怨嗟のこもった咆哮を繰り返す。


「ふん、まさに負け犬の遠吠えだな」


器用に屋根から屋根へと飛び移りながら冥鬼が鼻で笑う。

そのスピードたるや、地上からは目視で確認できないほどだ。

とんでもないスピードで揺られながら、楓は振り落とされないように必死で冥鬼の腕にしがみつく。


「あ…あんたっ…一体何なの!?正義の味方…っじゃあ、ないのよね?」


舌を噛みそうになりながら問いかける楓に、冥鬼は楽しげに笑って応えた。

その間にも、屋根から屋根へ、木から木へと飛び移っていく。


「ははは!俺様が正義の味方に見えるか?」


「見えないっ!」


精一杯の大きな声で楓が反論する。

同時に体がふわりと跳躍して、大木の下へと下ろされた。

軽く190cmはあるだろう体躯の男が、小柄な少女を木に押し付ける形で見下ろす。


「俺様は冥鬼。1200年間、鏡に封じられていた鬼だ。今はそれしか思い出せないがこれだけは言える。ずっとこの時を待ったぞ」


とても正義の味方とは思えない邪悪な笑みを浮かべて冥鬼が顔を近づけてくる。

明らかに楓へ好意を向けているわけではないことは目を見ればわかった。

狗神響子と言い冥鬼と言い、どうしてこんなにも笑顔が怖いのかと思いながら楓が顔を逸らす。


「な、なにを待ったの…」


「知りたいか?」


油断すればすぐにも食い殺されそうな雰囲気の中で楓が問いかけると、冥鬼は笑いながらさらに顔を近づけた。

もちろん、目は笑っていない。


「今朝、俺様の前で美味そうな握り飯を食っていただろうが。俺様は空腹の時に目の前で食事を見せびらかされるのが大嫌いだ。だから絶対に貴様を一番に喰ってやると決めていた」


「なんて理不尽な奴!」


あまりにも理不尽な理由に楓がツッコミを入れた。

同時に、ギラリと冥鬼の瞳に光が走る。

すぐさま楓は大木の陰に隠れようとするがその腕をがっしりと冥鬼に掴まれた。


「いやあああー!!!」


耳をつんざくような悲鳴を上げて拒否を示す楓が、思わず冥鬼の体を突き飛ばそうとするが…。

その時、何とも言えない感覚が冥鬼の脳裏を過ぎった。

それはどこか懐かしい、不思議な感覚。

本能的に、この人間を傷つけてはいけないと感じる。


「…………?」


思わず手を離してしまう冥鬼は、しばらく考え込むような素振りを見せた。

そして、今度はおもむろに楓の腕を掴むと注意深く彼女を観察するように覗き込む。


「貴様、今何か術を使ったか…?」


「い、いやー!」


あまりにも食い入るような眼差しで冥鬼に見つめられた楓はまた命の危険を感じて冥鬼の胸をぽかぽかと殴る。

冥鬼は意外にもあっさりと手を離した。


「これは…呪術、か何かか?」


考え込む冥鬼の隙をついて、楓は少しずつ距離を取り始める。

今なら逃げ出せると思ったからだ。

大木の後ろ側に回り込んで隣の木によじ登る。

少しでもこの男から離れなければ、と楓は思った。

しかし。


「おい、どこに逃げる気だ」


「ひゃあっ!」


懸命に木の幹を登っている楓の頭上から声がして、思わず楓は登りかけた木からずり落ちた。

その様子を見下ろして、こいつアホだなと思うとともに、やはり何か考え込んでいる表情の冥鬼は楓に対する処罰をどうするべきか考えていた。

自分が空腹であるにも関わらず目の前で飯を食っていた人間を生かしておくことはできないという理不尽な怒り。

しかし、楓に手をかけようとするたびに謎の感覚が働いて拒絶をされるため、冥鬼は楓を傷つけることが出来ずにいた。


(……俺様は)


楓に近づけた手のひらをじっと見つめた冥鬼は険しい顔立ちをさらに歪めるように眉を寄せた。


(あいつの子孫に傷をつけられない?)


拳を作ったまま、冥鬼が楓を睨み付ける。

狗神響子へ殺意はあるし敵意もある。

だが、自分を封じたはずの者の子孫である楓に殺意が向けられる事は無かった。

殺してやる、と言うよりも俺様の目の前で美味そうな飯を食ったな、という怒りの方が強すぎて。

理由は冥鬼にも分からない。

自分を封印したのは楓の先祖であることは間違いないのだが。


(自分の子孫に敵意を向けることができない……そういう呪いでもかけたのか?)


もしそうだとしたら、あまりにも用意周到すぎるし、自分の封印が解けることを見越していたかのようだ。

冥鬼は難しい顔で考え込んでから、作ったままの拳から中指を突き出して楓の額を弾いた。

座り込んで悶絶する楓を見てちょっとスカッとしている自分が居る。


「ま、貴様に対する罰はこんなもんでいいか…」


と、ため息混じりに呟いて顔を逸らす冥鬼。

思い切り弾かれた額を両手で押さえて悶絶していた楓は置かれている状況が全く理解できないままでいた。

ずっとおとぎ話や作り話だと思っていた、先祖が鏡に封印していたという鬼がこうして自分の目の前にいる。

1200年もの間、鏡の中に閉じ込められていた(明らかに)邪悪の化身といった風貌の男。

ツノのおもちゃを装着した趣味の悪いコスプレでもなんでもない。


(……封印されていたって言うからには…悪い鬼、なのよね…?)


額を押さえたまま、楓がチラリと冥鬼を見上げる。

冥鬼は何か考え込んでいる様子で、楓から顔を逸らしたまま口を閉ざしていた。

…彼は明らかに人ならざるものだと、冥鬼を見れば見るほど実感する。

両手から異様に伸びた黒い爪、虎のような鋭い歯が口から覗き、何よりキツくつり上がった目付きが彼のことを正義の味方ではないと物語っている。

年の頃は楓と同じくらいだろうか。

でも冥鬼は鬼だから外見年齢は関係ないのかしら?などと自問しながら彼の風貌を観察していた楓は、ふとざわつくような鳥肌を感じて辺りを見回した。


(……なにかに見られてる…それもたくさん)


キョロキョロと辺りを見回す楓が気になったのか、考え込むのをやめた冥鬼が楓の視線を追ってつまらなそうな表情を浮かべた。


「……悪鬼か」


「あっき?さ、サルミアッキの仲間…?」


「何だそれは。どうでもいいが狙われてるのは貴様だぞ」


もちろん楓は冗談で言ったのだが、冥鬼は笑わなかった。

彼の言うように、狙われているのは楓らしい。

小高い丘の上に立った無数の木。

その一際大きな木の下に居た2人を囲むように、木々の隙間から顔を覗かせている土気色の肌をした小さな子供のような、はたまた老人のような半裸の生き物が居た。

どれも額にツノのようなものが生えており、口々に「獲物を見つけた」と囁いている。


「人間の女は美味いらしいな、特に足」


「食べるならまず腕からだろ」


「馬鹿だな、ツウは頭からバリバリいくんだぜ」


物騒な会話が楓の耳に届いて彼女を震え上がらせる。

思わず木の幹を背にするように後退する。

パキ、と枝を踏む音が響く。

それを合図にするようにして1匹の悪鬼が甲高い叫び声を上げて飛びかかった。


「きゃあっ!!」


何か武器になるものはないだろうか。

そんなことを考えてみるものの、咄嗟の出来事に体は動かなかった。

狗神響子と対峙した時でさえ後ずさるだけで精一杯だったのだから、無理はない。

思わず頭を両手で覆うようにしてしゃがみこむ楓。

同時に、冥鬼の体が動いた。


「な…」


鋭い爪が悪鬼の体を切り裂く。

胸から顎にかけて一気に抉られた悪鬼は顎から上、胸から下とバラバラに崩れ落ちる。

大きな丸い目玉が地面に転がった。

その瞳は驚愕に見開かれている。

その場にいた誰もが驚いていた。

たった今、悪鬼を手にかけた冥鬼でさえも。


「……あー、つい手が出ちまった」


どす黒く血で濡れた手を見つめて思わずポツリと漏らす冥鬼。

その声で顔を上げた楓は、地面に散らばる死骸を見て思わず顔を逸らした。

しん、とその場が静まり返る。

永遠とも感じられるその静寂を破ったのは1人の悪鬼だった。


「殺したな!お前!殺したな!俺たちは仲間なのに!」


まるで信じられないものを見るような顔をしてまくしたてる悪鬼に倣って、周りの鬼たちもそうだそうだと騒ぎ始める。

裏切り者、だとか、地獄に落ちろ、などと言いたい放題叫んでいた。


「鬼同士は殺しあっちゃいけない!そのルールを破ったな!」


ある者は木の枝を、ある者は冥鬼に果実を投げつけて叫ぶ。

楓は恐る恐る冥鬼に声をかけた。


「鬼同士は、殺しあっちゃいけない…?どう言うこと…?」


楓の質問に、冥鬼は鼻を鳴らして答えない。

その代わりと言うように、するすると木の幹を伝って降りてきた悪鬼がいたずらに笑って楓の後ろから声をかけた。


「人間社会にルールがあるように、俺たち鬼にもルールがある。鬼は人を食っていい。盗みを働いてもいい。法を犯してもいい。ただひとつ、鬼同士での殺生はタブーなんだ」


「タブーを犯すと、どうなるの…?」


後ろから声をかけてきた悪鬼に振り返らず、楓が尋ねる。

悪鬼はニタァ、と笑って続けた。


「そりゃあ、俺たちに殺されても文句は言え…プギャッ!」


間抜けな声がして、悪鬼がその場に崩れ落ちる。

楓が恐る恐る振り返ると、悪鬼はカエルがひっくり返ったような格好で倒れていた。

頭が吹っ飛ばされており、木の幹に頭の残骸がトマトジュースのように飛び散っている。

冥鬼が地面に落ちた果実を恐ろしいスピードで投げつけたせいだ。


「また殺した!俺たちの仲間を!」


ワンテンポ遅れて悪鬼たちが騒ぎ立てる。

まるで親の仇を見るような目で、発言がどんどんヒートアップしていた。

殺せだの、はらわたを引きずり出してやる、だのと物騒な怒号が飛び交う。

狼狽える楓とは真逆に、冥鬼は面倒くさそうに血で汚れた手を軽く払いながら口を開いた。


「悪い、話が長すぎてまた手が出ちまった」


面倒くさそうに、それでいて凄むような声色を聞いて悪鬼たちが怯む。


「俺様は冥鬼。さっき目が覚めたばかりで腹も減ってるし機嫌が悪い。貴様らの作った決まり事なんかとっくに忘れたぞ。なんせ1200年も封印されてたんだからな」


「め、冥鬼!?鬼一族の中でも最も純血なる鬼の王じゃないかっ!」


悪鬼たちが口々にざわつく。

ほかの鬼たちと風貌も立ち振る舞いも違うため、やはりそれなりに冥鬼という妖怪は有名であるらしい。

そんな鬼を封印した自分の先祖とはものすごい人物だったのではないか…と楓は思った。

その楓の考えを読んだかのように、冥鬼が楓を顎で示す。


「あと…この人間は俺様を封印した一族の子孫だ。貴様らも生きながらにして気の狂う年月を封印してもらったらどうだ?」


「ひ、ひぃぃっ!」


冗談まじりの脅しを聞いて、完全に悪鬼たちが怯む。

1匹また1匹とその場を離れ始め、あっという間に楓と冥鬼の周りは静かになった。


「……私、封印とか出来ないんだけど」


「だろうな。ノリで言った」


冥鬼を咎めるように楓が呟くが、彼はそんなことはお構い無しと言ったように地面に置きっぱなしの学生鞄を拾い上げた。

鞄の中に手を突っ込んで、すっかり形の崩れたおにぎりを取り出す。

それは楓が昼休みに食べようとして持ってきていたものだった。

結局学食という話にはなっていたが。

長い爪で器用にアルミホイルを剥がして、冥鬼はおにぎりを口に含む。

程よい塩気と米のしっとり感が食欲をそそった。


「人間の餌にしておくにはもったいない」


悪鬼の死体が転がる木の下で平然と昼食を始める冥鬼に、楓は小さくため息をついた。

頬に米粒をつけながらおにぎりを食べる姿はどこか無邪気、にも見える。

よくもまあこんな場所でリラックスできるものだと思いながら、楓はクタクタになった学生鞄を拾い上げていた。


「1200年振りの食事だ」


「……ああそう、よかったわね」


挿絵(By みてみん)


ホコリや取っ手についた狗神響子の体毛を払いながら楓が応える。

そんな楓の動作を眺めて冥鬼が尋ねた。


「おかわりは無いのか?」


「家に帰れば…あるけど…」


おにぎりに入っていた梅干しの種をその辺に吐き出しておかわりを要求する冥鬼に、あまり関わりたくないと言った雰囲気を醸し出す楓が歯切れ悪く返す。

その答えを聞いた冥鬼は迷うことなく立ち上がるなり、楓の首根っこを掴んで自分の肩へと座らせた。


「なら案内しろ。貴様の家はどっちの方角だ?」


米粒のついた指を舐めながら冥鬼が尋ねる。

突然肩に座らされることになった楓は、言葉の意味を悟って思わず胸の前で大きく腕をクロスさせた。


「ま、まさかあたしの家に来る気!?ダメったらダメだからね!」


「貴様の意見なんか聞いてない。俺様は腹が減ってるんだぜ」


ムッとした表情で冥鬼が楓を見上げる。

まるで駄々っ子じゃないか、と楓は頭を抱えそうになった。

かと言って、死体の転がるこの場に置き去りにされても困る。

楓は渋々、家の方角を指して冥鬼を自宅へと招き入れることになった。

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