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鬼王の巫女  作者: ふみよ
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45話【鈴蘭の世界】

物心ついた時、少女の世界はモノクロだった。


度重なる父の転勤で友人を作ることもできず、新しい町にも馴染めなかった少女にとっていつも絵本だけが心の拠り所であり、友人であった。

父も娘と同じ口下手で多くを語ることはなかったけれど、その代わり娘に様々な絵本を与えてくれた。

お菓子の家やガラスの靴、鮮やかな色をした鳥の羽根、虹色の羽根を持つ妖精、絵本の世界にはたくさんの魅力的なものがあって。

少女の居るモノクロなだけの世界とは違い、不思議に溢れていた。

そうして絵本の世界にどっぷりと浸かった少女には、いつからか彼女にしか見えない友人が見えるようになっていった。

今思えば、現実と空想の区別がついていなかっただけなのかもしれない。


少女の名前は、三浦鈴蘭(みうらすずか)と言う。

普段は厚い眼鏡に隠された鳶色の瞳を強い恨みの色に変えて黙りこくっている少女。

イマジナリーフレンドという言葉があるように、鈴蘭には他の人には見えない彼女だけの友人が居た。

その友人は、墨を流し込んだようなシルエットに、座るとふんわり円形に広がる黒薔薇のドレスを身につけている。

頭には茨で編まれた黒薔薇の飾りがあって、鈴蘭はその友人をスノードロップと名付けていた。

スノードロップは鈴蘭にしか見えず、鈴蘭にしか触ることができない。

かわいらしい名前とは裏腹に、彼女は全身真っ黒で顔ものっぺらぼう。

まるで影のようだ。

スノードロップは言う。


『消しちゃえばいいのに、こんな奴』


こんな奴とは、聞かなくても鈴蘭には分かる。

冥鬼のことだ。

スノードロップは黒いドレスをなびかせながら鈴蘭の周囲をふわふわと舞う。

その姿はまるで蝶々のようだと鈴蘭は思った。

楓や杏子などの友人が出来てから、モノクロだった鈴蘭の世界は少しずつ色づき始めていた。

色んなものがキラキラと輝いて見えて、毎日が楽しかった。

しかし、最近またモノクロで面白みのない色に戻ってしまっている。

去年、楓の母が亡くなったことで、杏子と楓と鈴蘭の三人で都会で暮らす夢は絶たれた。

楓は一人娘であり、鬼道家の巫女になるのは彼女しか居ないからだ。


そんな矢先、楓の前に冥鬼と名乗る鬼が現れた。

1000年以上も前の大昔、鏡に封印されていたという邪悪な鬼。

楓の家に祀られていた鏡から現れたその鬼が、鈴蘭から全てを奪った。

楓をこの町に縛り付け、それどころか今度は鈴蘭が何より大切に想っている杏子まで奪おうとしているのだ。

以前、杏子は冥鬼によって悪鬼から救われたことがある。

その日から杏子は変わってしまった。

まるで初めて恋を知った女の子のような顔で、鬼の話を口にするのだ。

鈴蘭は、それがたまらなく嫌だった。


「本当にね、消えちゃえばいいのに」


観覧車に乗り込む二人の後ろ姿を見て、鈴蘭はスノードロップの言葉に同意するように小さく呟く。

楓には聞こえなかったようだ。

しかし、耳のいい冥鬼には聞こえたらしい。

不思議そうな顔で振り返って、鈴蘭に何かを問いかけようとする。

しかし、すぐに楓に腕を引かれて観覧車へと乗り込んで行った。


「はー…あと15分もしたら今度はオレが冥鬼くんと観覧車に乗るんだよなあ…緊張してきたー!」


観覧車に乗り込む二人を見送った杏子が恥ずかしそうに頭を抱える。

恋に悩む杏子はかわいい、と鈴蘭は思う。

だが、その瞳で冥鬼を見ていると思うと気が狂いそうになる自分も居た。

鈴蘭は杏子の横顔を見つめたまま眉を寄せる。


「こんな観覧車、無くなっちゃえばいいのに」


鈴蘭の願望は、すんなりと口から零れた。

物騒な言葉を口にする友人の発言の意味が頭の中で処理できない杏子はぱちぱちと目を瞬かせる。


「す、鈴蘭?今何て…?」


そう問いかけるのが精一杯だった。

杏子の問いかけに、鈴蘭はつまらなそうに鼻で笑う。


「いっそ観覧車から落ちてあいつが死ねばいいんだわ。そうすれば、アンちゃんも楓ちゃんも目が覚めるでしょ」


鈴蘭の口から零れるのは彼女の心からの願望だ。

ーーああ、でも鬼なんだから観覧車から落ちたくらいじゃ死なないか。

そこまで口にしてようやく、鈴蘭は杏子が自分のことを驚いたような表情で見つめていることに気づいた。

普段の穏やかな鈴蘭なら考えられないような言葉を口にしたことに、彼女自身も遅れて目を見張る。

まるで彼女の口が意思を持ったかのように言葉を紡いだものだから、鈴蘭は咄嗟に口を押さえた。


「す、鈴蘭…具合でも悪いのか?何か、変だぜ……」


突然黙ってしまった鈴蘭を見て、杏子が心配そうに声を掛けてくる。

鈴蘭は自分の内側からせりあがるような暴力的な感情を押さえるように後ずさった。


「ごめん、私…ちょっとお手洗いに行ってくる…」


「お、おい…オレも一緒に…」


一緒に行こうか?と問いかけようとする杏子から逃げるように、鈴蘭は背を向けた。

そのまま観覧車から駆けていく鈴蘭を、杏子は心配そうに見つめている。

無理に追いかけることも出来たはずだが、鬼気迫る表情で残酷な言葉を口にした鈴蘭の顔は、杏子の知らない顔をしていた。

幼い頃からずっと一緒に居たのにも関わらずだ。

最近の鈴蘭は、明らかに近寄り難い雰囲気を醸し出していた。

そのせいもあり、杏子は鈴蘭を追いかけることが出来なかったのだ。

杏子の心配をよそに、息を切らしながらいつの間にか小走りになっていた鈴蘭は、あえて人混みの中に入っていく。

冬休みと言えど、さほど混雑しているわけではない園内の飲食店や人気の遊具前では親子連れや中高生のカップルが固まっている。

せっかくの冬休みだから地元の遊園地よりみんな都会にでも行っているのだろうかと園内で行き交う人たちを見ながら鈴蘭は思った。


「…私は、アンちゃんと楓ちゃんと三人で居たかっただけなのに…」


小さく呟いて、鈴蘭はゆっくりと人混みから離れていく。

そうして、ベンチで愛を語っているカップルの邪魔をしないようにひとつ隣のベンチに腰掛けてため息をついた。

楽しそうな人々の声をぼんやりと聞きながら、鈴蘭はおもむろにバッグの中から手作りのブックカバーのついた文庫本を取り出す。

さすがに高校生にもなって絵本を持ち歩くのは恥ずかしいものだ。

ゆえに、出先での鈴蘭は主に活字を楽しんでいた。

鬼と楽しそうに観覧車に乗っている楓や杏子など見たくはない。

しばらくここで本を読みながら時間を潰そうか、などと。

そんなことを考えながら本を開いた時、ページの間に白い花が挟まれていることに気づいた。

押し花でもなければ、造花を挟んだ記憶もない。

今まさに摘み取ったかのような瑞々しい花がそこにはある。

鈴蘭はごく自然な動作でその花を取った。


「すず、らん…?」


美しい白い花弁をしたそれは、鈴蘭の名前の漢字と同じ意味を持つ花、鈴蘭だった。

彼女の名前は鈴蘭と書いて鈴蘭(すずか)と読むけれど、字面のせいで鈴蘭(すずらん)と読まれることが多い。

こうして、意識をして鈴蘭を見ることはない。

本の間にたった今摘んだばかりのような鈴蘭が挟まれていることに対する不気味さよりも、鈴蘭はその花の美しさに目を奪われていた。


「とても、綺麗…」


そう口にした鈴蘭の視界が、チカチカと点滅した。

いつの間にか、スイッチが切り替わるように彼女の景色はモノクロになっている。

鈴蘭(すずか)と鈴蘭以外の全てがモノクロに変わっていた。

けれども、恐怖はない。

彼女にとっては見慣れた世界だ。

それよりも鈴蘭が異質に感じたのは、人混みの中からゆっくりこちらに向かって歩いてくる長身の男。

長い銀髪の毛先には赤毛が混じっており、肌は雪のように白くて、女性的な顔立ちをした青年だ。

まるで死装束のように、白い着物を身にまとっている。

鈴蘭の友人が全身真っ黒のスノードロップなら、彼は全身真っ白のスノードロップと言ったらいいだろう。

しかしそのつり目がちの瞳は緋色をしていて、鈴蘭にはどこか不気味に感じられた。

端正な顔立ちはとても美しいものだったが、白馬の王子様と言うよりもどちらかと言うと…。


「美しい花だな」


ゆっくりと歩み寄ってきた男は心地よい低音の声でそう言った。

日本人離れしたその美しさはあまりにも異質なのに、彼が通り過ぎた家族連れやカップルは彼のことなど見向きもしない。

まるで、彼の姿など見えていないかのように。


「あ…は、はい…」


鈴蘭を持ったまま、鈴蘭(すずか)はぎこちなく返事をする。

人見知りの彼女は、杏子や楓以外の人間とはスムーズに喋れない。

そのせいで相手に嫌な思いをさせることも多く、きっと彼も自分を見て同じことを思ったかもしれない。

そう感じた。

けれど彼は鈴蘭(すずか)の手に握られた鈴蘭を見つめると再び言葉を紡ぐ。


「鈴蘭の花言葉は、再び幸せが訪れる……だったな」


会話を続けるようにそう口にした彼は、少なくとも鈴蘭の態度で嫌な気持ちにはなっていないようだ。

鈴蘭は少し安心すると、手元の花に視線を落として、ぽつりと呟く。


「私と、同じ名前なんです……この花」


鈴蘭がそう呟くと、肌寒い北風がゆるく編まれた栗色の三つ編みを揺らした。

素敵な花言葉を持ったその花と同じ名前なのに、鈴蘭(すずか)は自分自身に幸せを運ぶことができない。

そう自嘲気味に呟くと、男は表情を変えることなく静かに問いかけてきた。


「お前の名は、鈴蘭(すずらん)と言うのか?」


男の問いかけに、鈴蘭は顔を上げると三つ編みを揺らすように慌ててかぶりを振った。

その姿はまるで小動物のようでもある。


「いえ、お花の鈴蘭(すずらん)って書くんですけど…読みは鈴蘭(すずか)で……」


鈴蘭は聞かれてもいないことを喋りながら手の中の花をじっと見つめる。

先程まで本に挟まれていたとは思えないくらい、ぷっくりとした鈴蘭は冬の風に揺られて頭を下げていた。

男は黙って燃えるように赤い、だけれども冷たい氷のような眼差しを鈴蘭へと向ける。

緋色の瞳は目尻がつり上がっていて、この世の全てに興味がないといった眼差しをしている。

そんな瞳の男が鈴蘭に目を留めた理由とは何だったのか、なぜ鈴蘭に話しかけてきたのか、完全に問いかけるタイミングを逃した鈴蘭だったが、男は唐突にこんな言葉を口にした。


「お前からは、鬼の匂いがする」


男は静かに告げる。

緋色の瞳にじっと見つめられた鈴蘭は思わず体を硬くした。

もちろん鈴蘭に身に覚えのない言葉だったが、鬼と聞いてまず初めに思い当たるのが冥鬼のことだ。

この男は冥鬼と何らかの関係があるのだろうか。

あるとしたら彼は冥鬼と同じように鈴蘭から色々なものを奪っていくのだろうか。

そう思いながら警戒の色を強める鈴蘭に構わず、男は長い銀の髪をかきあげると遠くに見える観覧車に視線を向ける。

緋色の瞳が、キュッと細められた。

鈴蘭は男の視線を追って小さく「あっ」と声を上げる。

今、楓や杏子の居る方角が他でもない観覧車だからだ。

鈴蘭の反応を見ることも無く、それから、と続けた男が一度口を閉ざす。

しかし、やがてハッキリとした声色で告げた。


「鬼王の巫女も、お前の傍に居るのだな」


鈴蘭はもちろん楓ですら耳にしたことがない言葉を口にした男は、ゆっくりと赤い目を細めた。

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