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鬼王の巫女  作者: ふみよ
40/63

40話【二人きり】

賑やかな外食を終えて帰宅した楓は、大鳥と小鳥が痛車で帰っていくのを見送ってから家の中へと戻った。

冥鬼は、楓が大鳥たちを見送っている間にさっさと風呂を済ませていたらしい。

バスタオルで濡れた髪をぐしゃぐしゃとさせながら廊下を歩いているところをすれ違った。

すれ違いざまに、楓の愛用しているシャンプーの香りがする。


(こいつ、また私のシャンプーを勝手に…)


楓は眉をピクピクさせながら横目で冥鬼を睨むが、風呂上がりの彼がどこか熱を孕んだような眼差しで楓に視線を返したものだから、楓は車中での会話を思い出して顔を赤らめた。

慌てたように自分の部屋へと戻って着替えを手にした楓は、地下の大浴場へと向かう。

そこで普段よりもずっと念入りに体を洗いながら考え込んだ。

マシュマロのように弾力があり、たっぷり作った柔らかい泡を両手に包んで、肌へと滑らせる。

過酷な修行の後ということもあり明日は間違いなく筋肉痛になるであろう二の腕、デコルテから形のいい乳房を大きな泡で撫でていく。


(あいつ、風呂から出たら本殿に来いって言ってたけど、あたしが寝るまでって…それってつまり…)


楓はシャワーで髪と体を流してから湯船へと向かう道中で考え込む。

彼女の推測通りなら、言葉通り今夜は冥鬼の部屋で寝るということだろう。

彼に幼い冥鬼としての記憶は無いのだから、彼が眠った後に楓の部屋に来るという意味でもない。

そもそも、彼はハッキリと本殿に来いと言ったのだから。


(め、冥鬼のことだもん…変な意味は無いに決まってる!)


大浴場に向かう前に冥鬼から送られた熱っぽい視線を思い出して妙に意識してしまう気持ちを押さえながら、楓は湯船の中でぐっと拳を作る。

十分に体をあたためてから浴室を出て一度部屋に戻った楓は、しっかりと頭皮を乾かして艶やかなストレートの髪にスペシャルケアを施してからパジャマの上に桜柄の半纏を羽織った。

さすがに風呂から出てパジャマを着てしまうと日中の疲れが祟って眠気が襲ってくる。

楓は瞼を軽く擦ってから、ゆっくりと部屋を抜け出した。

そのまま庭へと足を運び、明かりのついていない本殿へと向かう。

本殿の入口に楓が立つと、彼女を待っていたかのようにゆっくりと扉が開いた。

扉の奥には既にグレーのスウェットを着た冥鬼が彼女を見下ろしている。


「め、冥鬼…あの…」


「入れ」


冥鬼はそれだけを短く告げると本殿の奥へと入っていく。

部屋に明かりを灯すべく、マッチに火をつけてから古めかしい皿燭台へその火を移した。

軽くマッチを振って火を消し、燭台を持ったまま楓へと振り返る。


「何をやってやがる。さっさと中に入って戸を閉めろ。冷えるんだよ」


「わ…わかったわよ!もう…」


暗がりの中で冥鬼に睨まれた楓は意を決したように本殿へ上がると、音を立てないように戸を閉めた。

不意に背後から衣擦れの音が聞こえたために楓が振り返ると、冥鬼が本殿の床に布団を敷き始めている。


「あ、あんた何してるのよ?あたしの話を聞くって言っ…」


「聞くから敷いてんだろ。お前も手伝え」


上擦った楓の問いかけは、あっさりと面倒くさそうに返事をした冥鬼に退けられる。

楓は、しばらく惑うように立ち往生していたが言われるがままにシーツを敷いて冥鬼の寝床を整え始めた。

暗がりの部屋、二人きりで布団を敷いているという奇妙なシチュエーションの中、楓は緊張した面持ちで俯いている。

ようやく布団を敷き終えた冥鬼は、掛け布団を捲って布団の中へと入った。


「こっちに来い」


「…っ…」


体を横にして半分ほどのスペースを空けた冥鬼は、突っ立ったままの楓を見上げる。

楓は、言葉の意味を理解して顔を赤らめた。


「な、何で…その、あたしまで布団に入る意味が…」


「いいから、入れ」


冥鬼は少し怒っているような声で言った。

拒否権など与えないといったように。

楓は恥ずかしさでいっぱいになりながら半纏を脱ぐと、冥鬼の布団の中へと潜り込む。

一枚の布団の中で、息がかかるほど近づいた二人の間には沈黙が流れた。

冥鬼は肘をついた体勢で楓を見つめており、楓はと言うとどこに視線を向けていいのかわからないと言ったふうに布団の中で縮こまっている。


「何なのよ、黙ってないで何か言ってよ…もう…」


楓は恥ずかしさでいっぱいになりながら俯く。

そんな楓を黙って見つめていた冥鬼は、据わったような目を向けてようやく口を開く。


「お前、いつからあいつと寝てるんだ」


「は…?あ、あいつって…?」


突然の問いかけに、楓は目を点にして冥鬼を見つめる。

冥鬼はと言えば、普段と変わらず怒ったような顔のまま楓の返事を待つように黙っていた。

問われた言葉の意味が分からないままでいた楓は、ふと思い出したように口を開く。


「もしかして、小さい冥鬼の…こと?それならあたしが物心ついた時から…」


寝てるけど、と言いかけた楓はそこで言葉を止めた。

間髪入れずに冥鬼が噛み付くような勢いで怒鳴る。


「はあ?物心ついた時からだとッ!?」


「いっ、いきなり大声出さないでよ馬鹿!」


突然怒鳴るように問いかけられたことで、楓が両耳を塞いで怒鳴り返す。

怒鳴り返した楓の声の方がよっぽどもうるさかったのだが、冥鬼は何とか怒りをこらえるようにして据わった目を向けた。


「……それで、昨日もあいつと寝たんだな」


その目は先程と同じ眼差しだったが、最初よりもどこか嫉妬を孕んでいるようにも見える。

しかし、今の楓にはそんなことを推測する余裕は無かった。

何せ、一枚の布団の中で自分とさほど外見年齢の変わらない少年と話しているのだ。

緊張しないはずがない。


「ね、寝たわよ…。というか、いつもあたしの枕元に現れる…し、素直でかわいいし…無碍にできるわけない」


しどろもどろになってぽつぽつと応え始める楓に、冥鬼は目を細めたまま話を聞いていたがやがて一言。

至極当然のような口ぶりで言い放った。


「なら今日は俺様と寝ろ」


キッパリと告げた冥鬼に、楓は思わず「はあ!?」と声を上げた。

風呂上がりとは言え、ようやく火照りの冷めてきた頬がまたもや瞬時に赤く染まる。


「ど、どどどどういう理屈っ!?恥ずかしいこと言わないでよ!今朝のことだって、まだ謝ってもらってない!」


顔を真っ赤にして楓が言い返す。

冥鬼は目を細めて赤い瞳を向ける。

また機嫌を悪くしただろうかと楓が身を縮こませながら冥鬼を見つめた。

彼はしばらく眉間に皺を寄せて何かを考えているようだったが、おもむろに布団を剥ぎ取って体を起こす。

あぐらをかいた自分の両膝に手をついて。


「うわ、寒っ!」


「………悪かった」


思わず身震いして声を上げる楓のことなどお構い無しと言ったように、冥鬼が絞り出すような声で言う。

相変わらず眉間に皺を寄せたままの仏頂面ではあったが。


「今朝は嫌な思いをさせて、悪かった。許せ」


そう言って、冥鬼が頭を下げる。

楓はつられたようにして体を起こすと桜色の半纏に袖を通しながら呟いた。


「あんた…謝れたんだ」


デコピンを喰らっても文句は言えないような言い草ではあったが、楓は素直な感想を口にする。

頭を下げたままの冥鬼がちょっとムッとしたように顔を上げた。


「当たり前だ、俺様をなんだと思ってる」


「…偉そうな馬鹿」


「どつくぞ」


またもや素直な感想が楓の口から語られると、冥鬼が赤い瞳を鈍く光らせて睨んできた。

さすがに今度こそデコピンだろう。

そう思って反射的に額を押さえるが彼が何もしない様子であることを確認すると、楓は拍子抜けしたようにゆっくりと手を下ろす。

冥鬼は黙ったまま何もしなかった。

相変わらず怒ったような、ふてくされたような表情のままでいる。

楓への謝罪を口にしたのを最後に、自分からは何も喋らなくなった冥鬼を見て、ようやく楓は彼の謝罪が意外にも大真面目だったのだと悟ってさりげなく姿勢を正した。


「その、あたしこそ…ごめんなさい。あんたが知りたがってることを…つまんない意地で隠そうとして」


そう告げて、楓は冥鬼をまっすぐ見つめて頭を下げる。

冥鬼は何も言わなかった。

ただ楓の言葉を待つように視線を向けている。

楓は、少し惑ってからではあったが、苦笑気味に口を開く。

これを口にしたことで冥鬼に呆れられても構わないと、半ば投げやりな気持ちで。


「あたし、紅葉さんに嫉妬してたのかも。あんなに楽しそうに笑う冥鬼なんて初めて見たから…冥鬼を取られたような気がしたのね」


俯きがちに楓が語り始める。

冥鬼は何も言わず、軽口を挟むこともしなかった。

そのため、自然と楓の唇からは素直な言葉が紡がれていく。


「あたしが見たのは、洞窟であんたと紅葉さんが暮らしてる夢だった。あんたは紅葉さんの体を気遣って、料理を作ろうとしてたわ」


少しずつ夢の内容を楓が語り始める。

冥鬼は黙ったまま、何も言わない。

楓は、揺れる蝋燭の火を見つめながら続けた。


「紅葉さんのお腹には子供が居たの。あたしは、冥鬼との子供なのかなって勘違いしちゃって」


あはは、と楓が笑う。

冥鬼は笑わなかった。

先程から何も口にすることがないまま、黙って楓の話を聞いている。

楓は大きく息を吐き出して少しだけ姿勢を崩した。


「夢はそこでおしまいよ。変な夢でしょ」


「そうか…」


ようやく、冥鬼が口を開く。

その声色も眼差しも普段の冥鬼そのものだ。

楓は少しほっとしたような気持ちで思い出したように再度口を開いた。


「あっ、それとね…大鳥さんと小鳥ちゃんの家でご先祖さまに関する日記を見たわ。ご先祖さまが書いたものだと思うんだけど」


そう言って日記の存在について語り始めると、冥鬼は少しだけ表情を曇らせて楓に視線を向ける。

その顔は怒りや恨みなどではなく、もっと複雑な感情の入り交じった表情をしていた。


「俺様を封じた男か」


冥鬼がそう言って楓に確認をする。

小さく頷きを返した楓は小鳥に教えてもらった日記の内容をそのまま冥鬼へと伝えた。


「彼の名前は鬼道澄真。帝に仕える陰陽師で、不老不死の薬を探して澄真に色んな無茶を言ったみたいなの」


小鳥に言われた言葉を、そのまま伝える楓。

冥鬼は少しだけ眉を寄せて楓を見つめた。


「不老不死の薬…?待てよ、そんな話をどこかで聞いたぞ」


冥鬼は折れたツノに手を添えて考え込むような素振りを見せる。

しかし、次第に古傷が痛み始めたのか冥鬼の表情が歪む。

記憶を辿ろうとすればするほど、折れたツノがじくじくと痛み、冥鬼の息遣いが乱れ始める。

そんな彼の思考を遮断させるように楓の手が冥鬼に添えられた。


「辛いことを無理に思い出すなんて体にも心にも良くないわ。時間はまだいっぱいあるんだから、ゆっくり思い出せばいいのよ」


すっかり夜の気温で冷やされた楓の手が、冥鬼の手に添えられる。

古傷が傷んでいるのは本当らしく、彼の押さえた部分は異常な熱を持っていた。

楓の手のひらで冷やされたことで痛みが和らいだのか、冥鬼は少しだけ表情を和らげてゆっくりと手を下ろす。

呼吸を整えている冥鬼に心配そうな眼差しを向けていた楓は、やがて遠慮がちに口を開いた。


「冥鬼は…さ、記憶が戻ったらどうするの?」


楓の静かな問いかけに、ツノの痛みから意識が逸れたらしい冥鬼が視線を合わせた。

その眼差しは不思議そうに見開かれている。

どう言う意味だ、と冥鬼が口にする前に楓が続けた。


「あんたの記憶が戻った時、何か大切な目的を思い出したら…もうこの家には帰ってこないのかな、って…何言ってるのかしらね、あたし」


楓は静かに言いながら、先程まで痛むツノを押さえ込んでいた冥鬼の大きな手をぎゅっと握りしめる。

幼子の時は折れそうなほどに小さな手のひらだが、今では倍以上に大きい。


「ほんと、大きくなっちゃって…」


楓が困ったように笑う。

その表情が泣きそうにも見えて、冥鬼は目を丸くした。

彼女を見る瞳が、一瞬だけ紅葉を見つめるような眼差しへと変わる。

しかし、それはほんの一瞬だった。

冥鬼の手が楓の小さな手を握りしめると、自分の傍へと引き寄せる。

あたたかな半纏ごと彼女の体を抱き寄せて、腕の中に収めた。


「…楓、鬼道家の人間は俺様の所有物だ」


そう切り出した冥鬼は、楓の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

突然髪を乱された楓は慌てたように頭を押さえようとするが、思いのほか真剣な表情の冥鬼を見て手が止まってしまう。


「俺様がどこか遠くへ行く時は、お前も連れていく。忘れるな」


楓を抱きしめたまま、冥鬼が言った。

突然抱き寄せられたために腕の中で目を丸くしていた楓は、次第にその頬を赤く染めると嬉しそうに頷きを返して瞼を伏せる。

その内、楓は安心したように体の力を抜いて冥鬼に寄りかかった。


「……重いぞ」


冥鬼が少し怒ったような声で言う。

楓からの返事はなかった。

彼女は冥鬼に寄りかかったまま、気持ちよさそうに寝息を立てていたからだ。

日中の疲れが溜まりすぎて、さすがに我慢できなかったのだろう。


「無防備な奴」


冥鬼は呆れたように肩を竦めてから、そっと楓の体を布団に寝かせる。

まるで幼子を見守る親のように、冥鬼は肘をつくと気持ちよさそうに眠っている少女の様子を見つめていた。

時折、指で楓の頬をつついてみるが彼女はよほど疲れているのかピクリとも反応せずに寝入っている。


「……あの餓鬼が出てくる前に眠って正解だぜ」


冥鬼は満足そうに、だが意地悪な笑みを浮かべて語りかける。

幼い鬼子の姿では楓を守る力はないだろう。

自分がこうして見ていれば、楓が【しろいおばけ】とやらに狙われる心配も無いのだ。

我ながら天才的発想だな、と冥鬼は思いながら楓の前髪を指で払う。


「うーん…」


楓が僅かに身じろいで冥鬼に顔を向ける。

すると、彼女の首筋にキラリと光るものを見つけた。

冥鬼は、その光るものを手にしようとして楓の胸元へ手を伸ばす。

首に掛かった紐の先は胸の谷間へと続いており、その先は衣服に隠されていて見えなかった。

冥鬼は長い爪で紐を引っ掛けると、そのまま上へと引き上げる。

楓の乳房に挟まれるようにして埋まっていた紐のその先が冥鬼の指先に絡む。

それは、かつて冥鬼の額にあったもの。


「俺様のツノ、か…」


くすんだ赤銅色のツノを軽く握って冥鬼が呟く。

ツノには確かに冥鬼の力が宿っており、内部に強力な妖気が眠っていると手のひらから伝わる。

おそらく、今の冥鬼が出せる全力の妖気よりも遥かに高く濃厚な【気】がツノの中には眠っているようだ。


「こいつの力をどうにかして解放できりゃ、犬だろうが鳥だろうが怖くはねえ」


冥鬼はツノを握ったまま、口の端を歪めて笑った。

そうしてすぐに興味を無くしたようにツノを手放す。

互いの体に布団をかけて、冥鬼が天井を見つめる。

楓は気持ちよさそうに眠りながら冥鬼に体を預けてきた。


「……重い」


冥鬼は再度呟くが、楓の体を払い除けることはしなかった。

自分と同じシャンプーの香りがする少女のぬくもりを傍に感じながら、冥鬼がゆっくりと瞼を伏せる。

今朝まで気になって仕方がなかった姉の存在や自分自身の失われた記憶について思い悩んでいた気持ちが、楓と話しただけでいつの間にか優しく解されていた。

彼女がこうして傍に居るだけで、孤独な夜さえあたたかい気持ちになれる。


(冥鬼くんは、楓のことをお嫁さんにしたいと思うかい?)


ふと、夕方に楓の父と話した会話が冥鬼の頭に過ぎる。

突然の問いかけには驚いたものだが、不思議と嫌悪感はなかった。

冥鬼は目を瞑ったまま、楓の寝息が聞こえる本殿の中で黙っていたが、やがて一言。

眠っている楓を起こさない程度の小声で、静かに呟いた。


「……親父殿はああ言ってたが、お前は俺様のことをどう思ってる?」


静かな問いかけに、楓は気持ちよさそうに眠ったまま応えない。

少女はただ静かに、幸せそうな寝顔で眠り続ける。

そんな楓の寝息を聞きながら、その内に冥鬼は意識がとろけるような感覚を覚えてゆっくりと意識を手放していくのだった。

眠ったままの楓に触れられた手を、しっかりと握りしめて。

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