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鬼王の巫女  作者: ふみよ
39/63

39話【外食】

ようやく、楓の父と共に居間へ向かった冥鬼は桜特製の出来たて鮭茶漬けを見て目を輝かせた。


「桜、俺様が来るのが分かってて用意したのか?それもたった今…この短時間で…」


「今朝の残り物なんで用意するのは簡単でしたけどね」


タイミングよく食事を用意してくれたことに感激している冥鬼に、桜が苦笑する。

一度あたためたのだろうか、ほどよく脂の乗った鮭が一口サイズにカットされ、刻み海苔とわさびを白米の上に乗せた茶碗が冥鬼の目の前にある。

桜は、アツアツのほうじ茶を茶碗に回しかけてくれた。

専用の箸を手にして、冥鬼は大きめの茶碗を手に取った。

白米の上に乗った鮭を箸でほぐしながら、何も考えず一気に鮭茶漬けをかきこむ。


「むぐっ!ごほっ、ごほ!」


「そんなに慌てて食べなくても…。何だか楓に似てきましたねえ、冥鬼様」


桜が目を丸くして、ほうじ茶の熱さにむせている冥鬼の背中をさする。

冥鬼は水を口にして桜をジト目で睨んだ。


「あいつが俺様に似てきたんだ。…っと、こいつはやらんぞ」


冥鬼が起きてきたことを喜ぶように、いつの間にか彼の膝の上には子猫が乗っている。

お茶漬けを狙っているのか物欲しそうにミャーミャーと鳴くものだから、冥鬼は茶碗を頭上高くに上げながら子猫のおねだりを拒否した。

既に陽は沈み始めており、窓の外は暗がりに染まり出していた。


「楓はまだ帰らないのか」


鮭を箸で解しながら冥鬼が問いかける。

桜は壁掛け時計を見て、既に夕方の5時半を回った時間を確認すると肩を竦めた。


「そうですねぇ…大鳥から連絡もないし、そろそろ帰ってきてもおかしくないんですけど。いっぺん電話を入れましょうか」


そう言って今どき珍しい黒電話を両手で引き寄せる。

しかし、冥鬼の一声で制止を受けた。


「いや、呼び出しは不要だ。俺様が迎えに行ってやる」


「へえ?冥鬼様がですか?」


他人のため、とくに楓のために行動したことがない冥鬼からの宣言に意外すぎると目を丸くする桜の視線を浴びながら、冥鬼はお茶漬けを一気にサラサラとかきこんだ。

きっちりと米粒ひとつすら残さずに平らげてその場から立ち上がる。


「明日は雪でも降るんじゃないかね…」


どこか軽い足取りで部屋を出ていった冥鬼の後ろ姿を見て桜が呟く。

しかし、バタバタとした足音と共に再び居間へ戻ってきた冥鬼は桜にプレゼントしてもらった黒いコートを羽織ってもう一度居間から出ていった。

丈の長いそのコートを靡かせながら玄関に出た冥鬼が、綺麗に向きを揃えられた下駄を履く。

寝る時も楓を見守っていたと告げた幼い自分に張り合うように、幼い鬼よりもずっと自分のほうが頼りになるんだぞ、とアピールするために彼は楓を迎えに行ってやろうと思ったのだ。

心配だとか善意だとか、そういった言葉は王の辞書には初めから入っていない。

せいぜい感謝して朝の非礼を詫びろ、と冥鬼は意地の悪い笑みを浮かべる。

そうして下駄を履いた冥鬼がカランカランと音を立てて庭先へと出ていき、鬼道家の玄関でもある数奇屋門の戸を開けたのとほぼ同時にぐったりとした様子の楓が倒れ込んできた。


「な…」


もたれるようにして倒れ込んできた楓を冥鬼が咄嗟に抱きとめる。

同時に、先程までわざわざ迎えに行ってやって楓を見返してやろうという冥鬼の子供っぽい考えは吹っ飛んだ。

抱きとめた少女の体は驚く程に軽い。

楓は潤んだ瞳で冥鬼を見上げて口をぱくぱくと動かしながら何かを訴えていた。

冥鬼は、ただ事ではない雰囲気に表情を強ばらせて少女を真っ直ぐに見つめる。


「……誰にやられた?」


「め、めい…き…あたし…ね」


力なく楓が手を伸ばす。

冥鬼は躊躇わずにその手を握りしめた。

楓の後ろでは例の痛車が停まっており、ちょうど運転席から胡散臭い顔の金髪男、大鳥が降りてきたばかりだ。


「クソ鳥野郎…貴様の仕業か」


冥鬼は楓を玄関に座らせるなり大股で大鳥に歩み寄ると、彼の胸ぐらを乱暴に掴みあげる。

突然胸ぐらを掴まれた大鳥は、慌てたように顔の前で両手を振る。


「いやいや、オレは何もしてませんて〜!」


「嘘をつくんじゃねえ」


大鳥の言葉も聞かずに、冥鬼は彼の体を乱暴に車に押し付ける。

打ちどころが悪かったのか、大鳥は潰れたカエルのような声を上げて顔をしかめる。

すると、助手席から暗い影が姿を現した。

暗がりの中にも映える赤い着物を着た幼い少女だ。

彼女の顔には鳥の仮面が付けられており、表情は読めない。

冥鬼は目を細めて小鳥を睨みつける。


「クソ鳥女…」


「やれやれ、乱暴なお人じゃ。ちゃんと楓の話を聞け」


小鳥が呆れたようにため息をついて玄関を指す。

言われるがままに振り返った冥鬼は、玄関から傍まで歩み寄ってきた楓が足元にすがりついていたことにちょっとびっくりして後ずさる。


「め、冥鬼…聞いてほしいことが、あるの…」


楓は力なく冥鬼のコートを引っ張る。

僅かに後ずさった冥鬼だったが、すぐにその場に屈むと暗がりの中で楓の顔色を確認するように覗き込む。


「何だ、早く言え。俺様は気が短いんだ」


冥鬼は乱暴な言い方をしながら、楓に外傷がないことを目視で確認した。

体に関しては怪我はないらしい。

楓は小さく腕を震わせながら冥鬼の服にしがみつく。

ただ事ではないその様子に、冥鬼の顔は再び強ばった。

普段よりもずっと小さく見える人間の少女に何か声をかけてやりたくて手を伸ばそうとした時、楓が震えた声で言う。


「あたし…お腹…減った…」


「は!?」


伸ばしかけた手が固まる。

楓は、いかにも深刻そうに自分の腹を擦りながら再度空腹を訴えてきた。


「だからぁ…修行のしすぎでお腹が減ったのよぅ…もう歩けない…家の中に連れてって…」


「………」


楓の必死かつ情けない訴えに、だんだん目を細める冥鬼。

伸ばしかけていた手を楓の額に近づけると、思い切り指で弾いてやった。


「あああ…!」


「野垂れ死ね馬鹿女」


額を押さえてうずくまる楓のことなど気にもとめず、冥鬼が口早に罵って立ち上がる。

大鳥と小鳥の兄妹がニヤニヤしながらこちらを窺っているのが分かった。

小鳥に関しては仮面を被っているために表情は分からないが恐らくこの上なくニヤニヤしているのだろう。

兄によく似た胡散臭い笑顔で。


「見世物じゃねえ!散れッ!」


冥鬼はまるでカラスや鳩を追い払うように手で兄妹を遠ざける。

騒ぎを聞きつけて、桜と楓の父も庭先まで出てきた。


「おやおや、何を騒いでるのかと思ったら大鳥に小鳥じゃないか」


「あ、桜さんお久しぶりーっす」


桜が目を丸くして一同を見やると大鳥は嬉しそうに手をひらひらとさせて挨拶をした。

小鳥はと言うと、上品に桜へ一礼をして大鳥の傍に近づく。

冥鬼に見限られた楓は、地べたに座り込んだまま桜にすがろうとする。


「お、お祖母様…あたし…おなか減って死にそ…」


「いいんだ桜、死なせとけ」


そんな楓から桜を遠ざけるように冥鬼がしれっと告げた。

桜は苦笑して、双方を見やる。

唯一の味方は先程から外食をしたがっている楓の父、柊だけだ。


「大丈夫だよ楓、今夜は外食なんだ。おなかいっぱい食べられるよ」


そう優しく話しかけてきた柊に、楓は瞳をうるうるさせながら顔を上げる。

どいつもこいつも楓を甘やかしすぎだろう、と冥鬼は内心思った。


「お、お父さん…本当?」


楓の問いかけに、柊はにっこりと笑って頷きを返す。

そんな鬼道家を見て、大鳥は子供っぽく唇を尖らせた。


「へー!桜さんちは外食かあ。羨ましいっすねー、小鳥ちゃん。オレもたまには家事をお休みしたいなー?」


「外食など高くつくだけだろうが」


兄の問いかけに年の離れた幼い妹は鳥仮面のままでクールに応える。

そんな兄妹のやりとりを聞いていたのか、桜がふと声をかけた。


「大鳥、よかったらあんたたちも一緒に行くかい?外食。車さえ出してもらえりゃ金ならこっちが払うし」


その問いかけの意味を頭の中で整理しているらしき大鳥が長い間を作る。

しかしすぐに思いがけない桜のお誘いに、鳶色の瞳をキラキラさせてすぐさま妹を抱き上げるなりその小さな手を掲げる。


「え、マジ?行く行くー!」


「おい、大鳥離せ」


無抵抗に抱き上げられている小鳥が不快そうに大鳥の脇腹へと肘鉄を入れる。

冥鬼が慌てたように天狗兄妹を指した。


「桜!こんなクソ鳥共と同じ飯なんか食えるわけねえだろ!【てれび】で【鳥いんふるえんざ】が流行ってるって言ってたぞ!」


そう言って冥鬼が二人を指すと、小鳥を降ろした大鳥が顔の前で手を振って笑った。

逆に小鳥はちょっとムッとしたらしくそっぽを向いている。


「あ、インフルエンザの予防接種は毎年やってるんでご心配なく!冥鬼様も鬼インフルエンザの予防接種は大丈夫っすかぁ?」


「な、何だ【鬼いんふるえんざ】って」


冥鬼の抗議に大鳥がヘラヘラと笑って訂正を入れて逆に問いかけを返すと、冥鬼がギョッとした表情で身構える。

そんな天狗と鬼のやりとりなど聞いていないのか、うずくまったままの楓がうなだれた。


「何でもいいから早く食べたい…」


「お父さんもだよ…」


そんな楓の肩に手を置いて柊がため息をつく。

朝早くに満員電車に揺られながら電車を乗り継ぎ、新幹線に乗って都会まで出向き、議会を終えてようやく帰ってきたにも関わらずまだ夕飯が食べられていないのだから空腹の度合いは楓と同等だろう。


「んーじゃ、決まりっすねー?皆さん車のほうにどーぞどーぞ!」


明るい口ぶりの大鳥が、鬼道家の面々が車へと乗るように促す。

冥鬼は最後まで渋っていたが、今日はステーキを食べるんだよと楓の父に言われると未知なる食べ物につられるようにして車に乗った。

既に【ネージュたん】のぬいぐるみでいっぱいになっていた車内だが、鬼道一家が入ってきたことでさらに満員になってしまう。

まるで大家族だ。

彼らは街の外れにある老舗の元祖鉄板焼きステーキが食べられる店にやってきた。

地元通しか知らない隠れた名店である。

鉄板の上でサッと焼き上げられた香ばしいステーキは全て国産のもので、舌づつみを打っている家族たちと共に食事を味わいながら、柊は顔なじみの店主に日本酒を注文する。


「ふわぁ…このサイコロステーキ、お肉がとっても柔らかいのね…」


とろけるような表情で楓がステーキを頬張る。

食事を口にしたことでようやく気力が回復したのだろう、その顔は生気に満ちてツヤツヤしている。


「小鳥ちゃん平気?噛みきれる?」


サイコロステーキをさらに小さくナイフで切って妹の皿に取り分けながら大鳥が尋ねる。

小鳥は普段の鳥仮面を膝の上に置いて、もくもくと子供用フォークを使ってステーキを食べていた。

いつもの人見知りはどこへ行ったのか、熱心に食事を進めている。


「ことり、これおかわりしたい」


「あはは…どんどん食べていいんだよ」


舌足らずな声でステーキのお代わりをねだる小鳥に、柊は笑って再度店主に声をかけた。

冥鬼はと言うと、初めて見るステーキという食べ物に緊張したような表情を浮かべている。

しかし店主のコテさばきによって鉄板の上で自在に焼き上げられていくステーキが皿に添えられると、冷めないうちにと急かされてフォークをこんがりと焼き目のついた肉にプツッと差し込む。

差し込んだフォークと肉の合間から、じゅわっと透明な肉汁が溢れた。


「むぐ…こ、これは…」


「どうです冥鬼様、あたしの料理より美味しいでしょう?」


機嫌良さそうに、ちびちびと酒を飲みながら桜が問いかける。

冥鬼は即座に否定しようとしたが、口の中でとろけるロースの甘みに舌が痺れるような快感を覚えて悶絶してしまい、言葉にならなかった。

そして、ステーキを食べながら飲む酒もまた格別だったのだ。

すっかり食事に体も心も満たされた一行は夢見心地の気分で店を出た。

男らしくスマートに支払いを済ませた柊は大鳥と小鳥を気遣ってタクシーを呼ぼうとする。


「いや、支払いまでしてもらっちゃったのにここで解散なんて嫌っすよ。送らせてください、親父さん」


しかし彼を遮るようにして、大鳥は鬼道家を自宅まで送らせて欲しいと頼み込んだ。

送らせて欲しいと言っても乗り込むのはあの痛車なのだが。

冥鬼は楓と共に後部座席の後ろに追いやられて腰掛ける。


「くっそ、相変わらず狭いったらねえな…」


「冥鬼、お酒くさーい」


ぬいぐるみをかきわけるようにして座席に腰掛けた冥鬼とは正反対に、楓が機嫌良さそうに笑う。

よっぽどステーキが美味しかったのだろう。

冥鬼は適当にあしらうように楓の額にデコピンをくれてから窓の外を見やった。

田舎の夜ということもあり、景色を楽しむ外の明かりはあまりない。

窓の外を見つめたままの冥鬼をチラチラと見て、楓が口を開く。


「ねえ、冥鬼」


「何だよ」


冥鬼は窓の外を見つめたまま、楓と顔を合わせようとはしない。

そんな鬼王を見て楓は少しだけ嬉しそうに笑う。


「あたしがヘトヘトで帰ってきた時、心配した?」


楓の問いかけに、冥鬼が窓の外を見つめたまま楓の顔面にデコピンの構えを取った手を近づける。

慌ててその手を掴んだ楓は、冥鬼のデコピンから逃れた。

力加減をされているとはいえ、デコピンは当然ながら痛い。


「ちょっ…デコピンは止めてよね!?あたしは真面目に聞いてるのに!」


上ずった声で拒否をする楓に、冥鬼は小さく舌を鳴らして手を引っ込める。

楓は安心したようにため息をついた後、冥鬼にしか聞こえないように声量を抑えて告げる。


「もし心配してくれてたなら…すごく嬉しいなって思ったの。朝、あんなこと言っちゃったばかりだったでしょ」


楓の言葉の意味は、考えなくても分かる。

今朝、紅葉の名を呟いてうなされていた彼女の姿を、冥鬼はハッキリおぼえていたからだ。

そして、その夢の内容について無理やり問い詰めようとした苦い記憶も、彼の脳裏にはある。


「ごめんなさい、冥鬼の気持ちも知らないで。知りたかったこと…なのに」


「当たり前だ」


冥鬼は大きくため息をつくと、窓際に肘をつきながら楓を見やる。

少しだけふてくされては居たが、その表情は穏やかだった。

僅かに楓が目を見張ったのが暗闇の中でも確認できる。


「今夜しっかり教えてもらうぞ、お前が寝るまでな」


「ええ、もちろん…って、寝るまで?そ、それってどういう…」


冥鬼の言葉に、楓は目を白黒させる。

暗がりの中で顔を赤らめているようにも見える楓を無表情で見つめたまま、鬼王はぽつりと呟くと。


「風呂から出たら、本殿に来い」


冥鬼はそれだけ言って、家に着くまで口を閉ざした。

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