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鬼王の巫女  作者: ふみよ
37/63

37話【家族】

どれだけ長い間、頭を抱えてうずくまっていたのか、記憶にない。

いつの間にか冥鬼の意識は途切れていた。

既に、夕陽を示すオレンジ色の光が部屋の中に差し込んでいる。

冥鬼はそれをぼんやりと見つめていたが、次第に意識がハッキリしてきたのか本来ならツノが生えている部分ーーー今は折れてしまっているがーーーそこをくしゃくしゃと撫でながらため息をついた。

すると、ほぼ同時に障子が静かに開く音が聞こえる。

冥鬼が顔を上げると、仕事から帰ってきたのであろう楓の父親が顔を覗かせていた。

人の良さそうな、のほほんとした表情で父親が微笑む。


「よく眠ってたみたいだね。義母さんが言ってたよ、ごはんも食べずに楓の部屋で寝てるから起こさなかったって。何かあったのかい?」


「別に、何でもねーよ…」


父親からの問いかけに、冥鬼は髪から手を離してそっぽを向く。

しばしの沈黙の後、冥鬼が口を開いた。


「…親父殿、今日は早かったんだな」


冥鬼は彼を【親父殿】と呼ぶ。

別に自分の父親ではないが、桜と彼に関してのみ冥鬼にしては珍しく敬意を表している。

横目だけで父親を見やると、構ってもらえて嬉しいのか彼は嬉しそうに身を乗り出した。


「正解!議会はもう終わったから特にやることも無くてね。せっかくだからみんなで外食でも…と思ったんだけど、楓はまだ帰ってなかったかあ…」


楓によく似た笑顔で応えた男は、部屋をぐるりと見やってから心底残念そうにため息をつく。

そんな彼を、冥鬼は特に何のリアクションもなく黙ったまま見つめていた。

冥鬼の視線に気づいた父親は、構ってもらえると思ったのか嬉しそうな顔で話しかけてくる。


「冥鬼くん、よかったら少し僕とお喋りでもどうだい?」


何が楽しいのか、ニコニコと問いかけてくる楓の父。

冥鬼はそんな彼の姿を見つめたまま、大きな欠伸混じりに応える。


「めんどくせー」


「ははは、まあそう言わずに」


そう言って、笑いながら彼が冥鬼の傍へとやってきた。

楓の父、鬼道柊(きどうひいらぎ)は見るからに人の良さそうな男性だ。

鬼道家の婿養子であり、鬼だとかしきたりだとかそういった話に関しては全く詳しくないのだが鬼道家の大黒柱として地方議員の職をつとめている。

冥鬼には難しいことはよく分からなかったが、美味い飯を食べるための金をこの男が稼いでくるのだということだけは知っていた。

時々将棋の相手をしたり、テレビを見ながら世間話をする程度ではあったが男同士ということもあり、冥鬼は楓の父に悪い印象は持っていない。

そんな男がお喋りをしたいと申し出てくるのだから、面倒くさいとは言うものの拒否をする意思は冥鬼には無かった。

楓の父、柊は冥鬼の隣にゆっくりと腰掛けると、足を伸ばしながら問いかける。


「単刀直入に聞くけど…冥鬼くんは、楓のことをお嫁さんにしたいと思うかい?」


「は!?なっ、何言ってんだ親父殿、いきなりふざけたことを…」


突然、なんの前触れもなく問いかけてきた柊の言葉に、冥鬼は素っ頓狂な声を上げる。

珍しく目を丸くして狼狽えている様子の冥鬼を横目に見ながら、柊は言葉のフォローをするように笑って続けた。


「いや、ほら…楓はいずれこの家の巫女さんになるだろう?父親としては、娘を守ってくれるような男と一緒になってほしい。冥鬼くんなんか強いし頼りがいもあっていい子で、ピッタリじゃないかって思うんだよね」


身振り手振りでそう告げた柊の手は最終的に冥鬼の頭の上に落ち着く。

まるで犬や猫をかわいがるかのように、大きな手が冥鬼の頭を撫でた。


「強いのは当然だがいい子じゃねえ」


撫でるな、と冥鬼がジト目で柊を睨む。

彼は何がおかしいのか、アハハと笑いながら手を離した。

楓によく似た笑顔だな、と冥鬼は思う。

冥鬼は少しだけ目を細めると、ふと思い出したように口を開いた。


「…そういや、楓の母親は居ないのか?」


特に深い意味は無く、純粋な疑問として投げかけた冥鬼だったが、柊の不自然な間から不躾な問いかけだったろうかと少しだけ考えた。

答えなくていい、と言葉にしようとして口を開く冥鬼に、柊が普段通りに笑って応える。


「亡くなったんだ、去年」


そう告げる男の表情は普段の人の良さそうなものと変わらない。

冥鬼は開きかけた口を閉じて、誤魔化すように小さく咳払いをした。


「交通事故で…即死だった。遺体の、その…損壊があまりにも酷かったらしくて、僕や楓が彼女と会えたのは…骨上げの時だったよ」


ぽつりぽつりと、柊が語り始めるのを冥鬼は黙って聞いている。

柊は目を細めて、父親の顔で笑った。


「楓は気丈に振舞っているけど、本当はすごく寂しがり屋だ。冥鬼くんが来てから本当によく笑うようになったんだよ」


そう言って、柊が冥鬼を見やる。

何となく冥鬼は照れくさくなってしまうが、茶化すことはなく視線だけを柊へと向けたまま話の続きを待っていた。

柊は一度、深く深呼吸をするとハッキリとした口振りで続ける。


「だから、冥鬼くんさえ良ければこれからも楓の傍に居てやってくれないかな、って…父親として思う。あ、でも冥鬼くんは鬼の王なんだっけ…やっぱり人間を支配したりとか、奴隷にしたりとか食べたりとか…そういう目的のほうが大事かな」


「どんな目的だ。と言うか、俺様は人間なんか喰わねえって言ってんだろ」


「だよね、よかった」


いつかの楓のようなことを言う父親に、冥鬼は調子を崩されながらも肩をすくめて呆れたように突っ込みを入れる。

デコピンでもくれてやろうかと思う冥鬼だったが、それはしなかった。


「ま…当分はここに居てやるよ。桜の飯の美味さに感謝しろ」


これまで真面目に語りかけてくれた柊を茶化すことができなかったからだ。

楓を嫁にするかはともかくとして。


「ありがとう、冥鬼くん。本当に君は息子にしたいくらい良い子だなあ〜」


「馬鹿やめろ、撫でるな!」


部屋の隅に座り込んだままだった冥鬼は頭をぐしゃぐしゃと撫でられて思わず立ち上がろうとする。

楓の勉強机に手をついて体を起こすと、机の上に置かれていた写真立てがぐらりと揺らいで畳に落ちそうになった。

それを慌ててキャッチした冥鬼は、写真立ての中の写真に写った女性と目が合う。

写真の中には若い女性と幼い女の子の姿があった。


「ああ、それが楓の母親…僕の奥さんだった人だよ。すみれって言うんだ」


大丈夫かい?と声をかけながら柊が腰を上げる。

冥鬼は写真立てを手に持ったまま、写真の中の女性を見つめた。


「……楓にそっくりだな」


「素敵な人だよ。無邪気で優しくて、いつも僕や楓のことを一番に考えてくれていた」


楓の父はぽつぽつと話しながら、冥鬼の手から写真立てをゆっくりと受け取る。

白いワンピースを着てこちらへ笑顔を向ける黒髪の女性の輪郭を指でなぞりながら目を細めている彼の顔は、冥鬼が知っているいつも優しいだけの父親とはどこか違って見えた。


「今でも思うんだ、すみれはまだ生きていて…ひょっこり帰ってくるんじゃないか、って。何せ、骨になった彼女しかこの目で見ていないからね…実感もないし、涙も出なかった」


ただ、心に大きな穴が空いたような感覚だけが残っている。

そう呟いて、男は苦笑する。

彼の話を聞きながら、冥鬼はしばらく黙っていた。

自分には母が居た記憶はないし、さらに言えば家族の記憶もない。

紅葉という姉の存在すら狗神響子に教えられなければこの先ずっと知ることは無かっただろう。

もしかしたら、このままずっと自分の記憶すら戻らないままかもしれないのだ。


「あ…ごめんごめん!眠くなる話をしちゃったかな。冥鬼くん、朝ごはんを食べてないんだろ?夕飯の前に何か軽く食べておくかい?」


夕飯の前こそ何も食べずに居るのが普通なのだが、楓の父親は冥鬼の胃袋がブラックホールのようだと知っている。

だからこそ、夕飯の前に軽食を取るかと提案してきたのだ。

冥鬼は、声をかけられたことでようやく顔を上げると「いや」と前置きしてかぶりを振った。


「いや…貴重な話だった。飯は食う」


そう言って冥鬼が立ち上がる。

楓の父は嬉しそうに笑うと再び写真立てを楓の机の上へと戻した。

写真の中の女性は優しく微笑んでいる。

冥鬼はその女性をしばらく見つめていたが、すぐに楓の部屋を後にした。

窓から差し込むオレンジ色の光が眩しくて、少しだけ冥鬼は瞳を細める。

まるで小春日和にも似た、あたたかい光だった。

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