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鬼王の巫女  作者: ふみよ
31/63

31話【夢現】

獣の影と障子越しに遭遇した楓は、幼い冥鬼を抱きしめたまま眠りにつく。

その日、彼女は夢を見た。

ぼんやりと空中にふわふわと浮かんでいるような感覚を覚えて目を覚ますと、女性が暗くて狭い空間の中で子守唄を歌っている様子が確認できる。

楓がそれを夢だと認識したのは、子守唄のワンフレーズを聴き終わってからだった。


(ここはどこ…?)


暗がりの中で、子守唄を歌う黒髪の女性を見下ろしながら楓は辺りを見回す。

周りは暗くて、どのくらいの広さがある空間なのか、ひと目見ただけではよくわからなかった。


「紅葉」


ふと、若い男の声がして声のした方角を見やると両手いっぱいに作物を抱えた男が身を屈めてやってきた。

暗がりの中でもハッキリと分かる赤いツノは額から二本生え、つり上がった目尻は楓がいつも見慣れた顔をしている。


(め、冥鬼…!?)


思わず楓が声を上げるが、その声は風にかき消されるように消えてしまう。

これが夢である以上、楓の声が彼らに届くことはないのだ。

冥鬼は作物の中から白く大きな大根を見せびらかすようにして掲げた。


「見ろよこれ、俺が抜いたんだ。そしたら一番デカいやつをくれてやるってキクさんが…あ、キクさんってのはいっつも一人で野菜を作ってるおっさんでさ」


暗がりの中でも明るい口ぶりの冥鬼が言う。

楓の前では見せたことがない人懐っこい笑みだ。

年相応の、少年らしい表情。

楓の知っている冥鬼よりも純粋そうで、楓の知っている冥鬼よりもずっとかわいげがありそうだ。

冥鬼は作物を大事そうに下ろしてからその場に腰掛ける。


「…で、体の調子はどうだ?気分悪くなったり…あ、寒かったりしてないだろうな!特に女は足腰を冷やすと良くないって聞いたぜ」


いつになく真剣な表情で冥鬼が問いかける。

暗がりの中にいる女性は、楓には聞こえない声で応えた。

女性が何を言ったのかは楓には分からない。

おそらく、心配症め、とでも言ったのだろう。冥鬼は唇を尖らせて拗ねたような表情をしている。


「そりゃ…心配だってするだろ。それとも俺に心配されるのは迷惑か?」


拗ねたように素直な感情をぶつける冥鬼に、女性はくすくすと肩を揺らして笑うとかぶりを振って何かを告げる。

楓には聞こえなかったが、冥鬼の耳には聞こえたようだ。

彼は女性の言葉を聞くと、安心したように笑って「そっか」と言った。

その笑みは屈託のない、もちろん邪心もない心からの笑顔。

鬼道家では見せたことのない表情だ。

なんだかちょっぴり面白くない。

楓は横目で冥鬼の顔をまじまじと見つめて「楽しそうな顔しちゃって」と呟く。


「今から料理作るからさ、待ってろよ。体に良い料理の作り方、教えてもらったんだ。もうお前一人の体じゃないんだから…うんと栄養つけないとな」


冥鬼はそう言って、作物の中から一つ二つと選んでから狭く暗い暗がりから出ていく。

その後に続くようにして、楓も暗がりから抜け出した。

作物を手に暗がりの外へと出てきた冥鬼は照りつける日差しを気持ちよさそうに受けながら背伸びをする。

冥鬼と女性が暮らしていたのは、どうやら狭い洞窟の中だった。

まるで何かから隠れるように、入口にツタがたくさん垂れ下がった洞窟を見て楓は目を丸くする。

ここはどこかの山奥なのか、洞窟の傍は一歩足を滑らせると深い谷底になっていたが冥鬼はそんなことはお構い無しと言うようにその場に腰掛けて洞窟の外に晒したままの土鍋とまな板を引っ張り出す。


「さあて…冥鬼様の腕の見せ所だぜ」


まるで、これから楽しい遊びでも始めるかのように、冥鬼は作物を並べて笑った。

冥鬼の作る料理に興味を惹かれる楓だったが、暗がりの中から顔を見せない紅葉と言う女性のことが気になってゆっくりと洞窟の中へと引き返す。

明るい洞窟の外から洞窟内部へ戻ると、最初は真っ暗で手元すら見えなかったのだが次第に目が慣れ始めると、楓は手探りで洞窟の奥へと進んだ。

洞窟内部に反響する優しい子守唄が徐々に楓の耳に近づいてくる。

子守唄を歌う女性の顔をどうしても近くで見たくて、楓は暗がりの中で目を凝らしながら彼女の傍へ近づいた。

上品な着物姿で艶やかな長い黒髪を伸ばした歳若い女性が静かに髪をかきあげる。

愛しげに洞窟の外を見つめている女性の顔を見た楓は、思わず息をのんだ。


(あた、し……?)


その女性の顔立ちはあまりにも顔の見知った顔だった。

毎朝、楓が鏡の前で向き合う時の顔。

楓に瓜二つだが、女性のほうがいくつか年上のようだ。

まっすぐに切りそろえられた前髪までそっくりなものだから、楓はまじまじと女性を覗き込む。

女性は、冥鬼に【紅葉】と呼ばれていた。

もしかすると、冥鬼の恋人だろうか。

そんなことを考えている楓をよそに、紅葉は再び子守唄を歌い始めた。

大事そうに紅葉が撫でるその腹部には、大きな膨らみが確認出来る。

どうやら、紅葉はお腹に子供を身ごもっているようだ。


(冥鬼との、子供…?)


楓は普段の冥鬼の顔を思い出してみるが、どうしても冥鬼が良い父親となっている絵面が想像できずに思わずかぶりを振る。

だが紅葉という女性の体を気遣って、料理をすると宣言した冥鬼はまさに夫の顔をしていたし、普段の冥鬼より夢の中の冥鬼のほうがよっぽども生活力がありそうだった。


(冥鬼がお父さん…ダメ、全然想像できないわ)


楓はため息をついて考えるのを止めると、改めて紅葉を見つめる。

紅葉は見れば見るほど楓にそっくりな顔立ちをしていて、楓は何となく気恥ずかしくなった。


(こ…これじゃまるで、あたしが冥鬼と結婚したいって思ってるみたいじゃない…)


夢は人が心の中で無意識に抱いている願望を映し出すと言われている。

それに楓自身、自分にそっくりな女性と冥鬼のやりとりを見て照れくさいようなこそばゆいような、おかしな気持ちになってしまった。


(あはは、ありえないわよ…)


楓は熱くなった額を手で押さえて笑う。

すると、彼女の手が堅くて尖ったものに触れた。

彼女の額に触れたものは長く、それはまるでツノのようだ。

おそるおそる、スカートのポケットから折りたたみのコンパクトミラーを取り出した楓は自分の顔を覗き込む。

鏡の中では、普段通り見慣れた自分の顔が映し出される。

しかしその額には赤く伸びる二本のツノが生えていた。


「なっ!」


思わず声を上げる楓の背後で、突然強烈な寒気を感じてすくみ上がる。

振り返ってはいけないと本能が訴えてくるのだが、楓の体は本人の意思とは正反対にゆっくりと後方へと振り返っていく。

そこには、金の瞳をギラつかせて白銀の毛を逆立てている巨大な化け物が楓を見つめていた。


「み、つ、け、た」


白銀の化け物は耳まで裂けた口の端をニィ、と歪める。

耳障りなその声に、楓は吐き気にも近い恐怖を覚えた。

意識が急速に遠のいて、闇に吸い込まれそうになる。

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