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鬼王の巫女  作者: ふみよ
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30話【しろいおばけ】

冥鬼が鬼道家にやってきて初めてのクリスマスは終わりを迎えようとしていた。

彼ら鬼道家の人間は神社を経営しているとは言え、クリスマスには普通にごちそうを食べるしプレゼント交換もする。

楓は桜に保湿たっぷりのハンドクリーム、父親にはネクタイ、冥鬼には赤いマフラーをクリスマスプレゼントとして渡した。

きちんとラッピングされた箱からマフラーを取り出した冥鬼は、いつも親父殿から借りてるマフラーのほうが好きだとか手触りが気に入らんだとか好き勝手な文句を言っていたが、楓にマフラーを巻いてもらうとふてくされたような表情で大人しくなった。


「それじゃ、ばあちゃんからも二人にプレゼントしようかね」


楓からプレゼントされたハンドクリームを大切そうに戸棚に仕舞った桜はそう言って立ち上がると、一度自分の部屋に戻ってから大きな紙袋を二つ手にして戻って来る。

そして、その紙袋を楓と冥鬼のそれぞれに差し出した。

思ったよりも大きな紙袋を受け取って、楓は目を丸くする。

早速中身を覗き込むと、紙袋の中には大人っぽいアイボリーのワンピースが入っていた。


「お祖母様ありがとう!大切にするね」


ぎゅっとワンピースを抱きしめて楓が礼を言う。

冥鬼へのプレゼントは何だったのかと横目で見やると彼の紙袋からは黒いチェスターコートが顔を覗かせた。


「あら、かっこいい服じゃない!ねえ冥鬼、ちょっと着てみせてよ」


「誰がそんな面倒な真似をするかよ」


楓の提案にそっけなく応える冥鬼だったが、袋の底に未開封の酒瓶が入っていることに気づくとパッと顔を上げて、さすが桜だと言わんばかりの羨望に近い眼差しを送る。

桜はにっこりと微笑んで、思い出したように冷蔵庫の中で冷やしたままのケーキを取りに向かった。


鬼道家の長い夜は、賑やかに更けていく。

桜と楓が腕によりをかけて作ったローストビーフや、じゃがいもがゴロゴロと入ったカレーライス。

色とりどりの野菜がクリスマスリースのように添えられたバーニャカウダなど、いつもより多めに白飯を炊いて、どれも冥鬼が何杯おかわりしてもいいようにと用意されたものだ。

そうして腹いっぱいごちそうを食し、ケーキを平らげた各々が眠りについた夜、それはこっそりと現れた。

小さな体に大きなマフラーをぐるぐるに巻き付けて、無邪気に楓の部屋へと入ってくる幼い影。


「料理、美味しかった?」


楓が尋ねると、幼い姿をした鬼は無表情ながらも機嫌良さそうに大きく頷きを返した。

冥鬼が眠りに落ちると必ず現れる幽霊。

…とは言っても実際は幽霊ではなく、彼の意識が形となって実体を持っているのだと以前小鳥が言っていた。

冥鬼自身、毎夜意識を彷徨わせている自覚はないようだったが。


「おねーちゃん、これ、とってもふわふわだね」


幼い冥鬼は赤いマフラーの端を持ってひらひらと揺らした。

顔の半分を覆い隠すようにマフラーをぐるぐると巻き付けている冥鬼は、髪を乾かしている楓の傍で小さく跳ねる。

そうすると、冥鬼の動きに合わせてマフラーの端がぴょこぴょこと揺れた。

楓は熱心に髪の毛をブローしながら、無邪気な幼い鬼へ笑みを返す。


「気に入ってくれて良かった。あいつ、お父さんのマフラーのほうが良いって言うんだもん」


「そんなことないよ」


楓の軽口を聞いて、冥鬼は紅い瞳を丸くすると彼女の膝に顎を乗せて甘えたようなそぶりを見せた。

そんな仕草がかわいくて、楓は冥鬼の髪を優しく撫でる。


「おねーちゃんにもらったまふらー…たいせつにするんだもん」


「ふふっ…そう?」


膝に顔を埋めてそう言った冥鬼は、大判のマフラーをぐるぐると体に巻き付けて暖を取りながら楓を見上げる。

珍しく表情豊かにしている冥鬼の髪を撫でて片手でブローを続けながら、楓は何となく問いかける。


「冥鬼はさ…家族、居たの?思えばあたし、あなたのこと全然知らないんだ」


いつかの朝に感じた疑問を幼い冥鬼へと投げかけてみた。

無邪気な瞳で楓を見上げている幼い鬼は、マフラーの感触を楽しむように小さな手で触りながら、考える素振りを見せる。

やがて、少しの間の後に「うん、いるよ」と応えた。

普段、自分のことを全く話さない彼が、家族は居たと告げた事実が嬉しくて、楓は表情を綻ばせる。


「そうなんだ。どんな家族だったの?お兄ちゃんとか、お姉ちゃんは居た?」


楓が続けて問いかけるが、冥鬼は口を閉ざして応えない。

感情の起伏が少ないため普段からニコリともしない冥鬼だがその表情は、珍しく何かを考えているようにも見えた。


「冥鬼、どうしたの…?」


楓が問いかけると、突然パッと立ち上がった冥鬼が楓に抱きつく。

髪をブローし終わった楓は、幼い体を抱き寄せて柔らかい髪を撫でてやる。

腕の中の小さな体が甘えるようにすりついてきた。


「おねーちゃんがぼくの家族」


楓の腕の中で冥鬼が甘えて言う。

気をよくした楓は、冥鬼の髪を優しく撫でながら笑みを零した。


「…うん、確かに。あたしたちはとっくに家族よね」


楓がそう言って髪を撫でると、腕の中に居る幼い鬼の子は気持ちよさげに目を細めて微睡む。

そんな冥鬼がかわいらしくて、楓はまるで母親のような気分を覚えながらおもむろに口を開いた。

それはどこかで耳にした子守唄。

楓は囁くような微かな声で歌い始める。


おやすみ おやすみ かわいいこ

しろいおばけがくるまえに

しろいおばけがあらわれて

おまえをたべてしまうまえに


おやすみ おやすみ かわいいこ

しろいおばけがあらわれて

しろいおばけがたべちゃった

おまえのあたまをばりばりと


おやすみ おやすみ かわいいこ

しろいおばけはおぼえてる

おまえのにおいをしっている

だからおやすみ かわいいこ


しずかになった かわいいこ


一通り歌い終えてから、楓はふと我に返って口を噤む。

彼女の口をついて出た歌は、とても愛する子供を寝かしつけるような歌詞ではない。

ゆったりとしたメロディーに反して、言っていることは酷く物騒なものだ。

楓は自分でも不思議に思いながら冥鬼の髪を撫でた。


(あたし、この歌をどこで覚えたのかしら)


ぼんやりとそんなことを考えていた刹那、部屋の明かりがチカチカと不自然に点滅し始める。

電気切れだろうかと視線を上げた楓だったが、突然言いようのない寒気を背中に感じて息を呑んでしまう。

しばらくチカ、チカ、と点滅していた部屋の明かりが、やがてぷつんと切れた。


「やだ、電気が…」


「おねーちゃん、ダメ!」


明かりが消えたことで不安になった楓がその場から立ち上がろうとする。

しかし、彼女の腕を思いのほか強い力で冥鬼が掴んだ。

暗闇の中でぼんやりとした幼い鬼の輪郭が動く。

冥鬼は、楓の腕を引っ張ってしがみついてきた。


「声を出しちゃ、ダメ」


小さく、囁くような声で冥鬼が言う。

冥鬼の言っている意味がわからずに、楓は部屋の明かりをつけるべく立ち上がる。

しかし、立ち上がった途端に背中の寒気は一層強くなった。

障子でしっかりと閉められた楓の部屋。

その障子の向こうにハッキリと浮かび上がるシルエットがひとつ、楓の瞳に映った。

【それ】は、巨大な獣の姿をしている。

シルエットからして犬か猫の類いであることは間違いなかったが、楓はこれほどまでに大きな犬や猫は見たことがない。

獣は障子の向こうでじっと座っているのだ。

部屋の中の様子を窺うように、息を殺して。


「…っ、何なの…あれは」


「おねーちゃん、声を出さないで。あいつは耳がいいんだ」


思わず声を上げそうになる楓の口を、冥鬼の小さな手が塞ぐ。

まるで獣の正体を知っているかのような口ぶりだ。

楓は暗闇の中で冥鬼へと視線を向ける。

暗がりの中で幼い鬼王がどんな表情をしているのか、楓には分からない。

ただ、今彼女が感じている恐怖を冥鬼も感じていることだけはハッキリとわかった。

その証拠に、楓の口を覆っている小さな手が震えている。


「……っ…」


楓は冥鬼の体をしっかりと抱きしめて、障子の向こうで座ったままの獣を見つめた。

獣は何も言わず、そこに座ったままで中の様子を探るように聞き耳を立てている。

無音の状態が続く永遠に近い時間の中、恐怖で気を失いそうになりながらも楓は幼い体を強く抱きしめることで何とか意識を保つ。

そのまま呼吸すら忘れて障子の向こうを見つめていた楓だったが、ふと獣の影が動いたために思わずビクリと肩を震わせてしまう。

衣擦れの音が獣の耳に届いたのか、大きな耳が動いた。


(気づかれたっ…!)


身を縮こませて楓が震える。

例えようのない恐怖が楓の全身を支配する。

そんな彼女を、今度は冥鬼が小さな体で抱きしめた。


「おや、すみ。おやすみ、かわいいこ」


やにわに、冥鬼の唇から歌声が零れる。

声を上げたら獣に気づかれてしまう、と慌てて楓が叱咤しようとするが、冥鬼が楓に覆いかぶさった。

まるで、声を出すなどでも言うように。


「しろ、い、おばけが、あらわれて…」


冥鬼の声はあきらかに恐怖で震えている。

しかし、楓に覆いかぶさったままの体勢で気丈に歌い続けた。

まるで、楓を守ろうとするように。


「………」


幼子が同じメロディを何度も口ずさんでどれくらい経ったのか、障子の向こうで黒い影がゆっくりと身を翻した。

大きな耳だけはしっかりと部屋に向けて。


「…っ…しろい、おばけは…おぼえてる」


冥鬼が、泣きそうな声で精一杯歌を続ける。

まるで魔よけの歌だ、と楓は思う。

すると、その歌に呼応するかのように獣が遠吠えを上げた。

おまえのにおいをしっている、とでも言うように。


「ひっ…!」


たまらず楓が耳を塞ぐ。

獣は長い長い遠吠えを上げると、ゆっくりとした足取りで部屋の前から姿を消した。

しかし獣の気配が消えた後も、楓たちはその場から動けない。

極度の緊張状態から抜けきれていないのだ。

ぶるぶると震えながら身を縮こませる楓と、そんな楓を守るようにしがみついた冥鬼は冬の寒さのせいだけではなく底冷えするような恐怖で唇を紫色に染め上げている。

やがて、ようやく収まり始めた恐怖から解放された楓は、忘れかけていた呼吸を繰り返して大きく咳き込んだ。


「げほっ…はあっ、はあ…」


「おねーちゃん…大丈夫?こわかったよね…もうへいきだよ…」


過呼吸を起こしたように肩を上下させている楓を心配して、冥鬼が小さな手で少女の背中を撫でる。

楓は冥鬼の手の動きに合わせるように必死に呼吸を整えながら、涙目で障子の向こうを見つめた。


「あれは何…?何であたしの部屋の前に…」


しゃくり上げながら楓が尋ねる。

冥鬼は黙ったまま楓の背中を撫でていたが、やがて楓の顔を覗き込むようにして視線を合わせた。


「あのね、いまからぼくの言うこと、きいてね」


一言一言を噛み締めるように、冥鬼が語りかける。

いつになく真剣な冥鬼の表情に、楓は黙って頷きを返すことしかできない。

冥鬼は、まるで内緒話をするように声を潜めた。


「大きいぼくはね、知らないの」


そこまで言って、冥鬼が一旦言葉を止める。

彼の視線が先程まで獣が居たであろう障子へと向けられた。


「あのおっきな奴が、おねーちゃんをたべたがってること…知らないの」


「なっ…!?食べたがってるって何よ…!」


冥鬼の告白を聞いて、楓はひっくり返ったような声を上げる。

天井まで伸びるほどの巨大な影をした獣に噛み付かれただけで間違いなく即死だろう。

思わず身震いしてしまう楓を安心させるように、冥鬼はかぶりを振った。


「安心して。さっきはバレてなかった」


「そ、そうなの…?」


冥鬼の言葉を聞いて、楓はひとまず安心する。

楓が落ち着いたのを確認してから、幼い鬼の王は再び口を開いた。


「これのおかげかな。おねーちゃんの匂い、あいつに届いてなかったみたい」


冥鬼が指したのは楓の手首に巻かれた数珠だった。

小鳥から受け取ったお守り。

まさか小鳥は、こうなることを予知して預けたのだろうかと考えながら、楓が手首に巻かれたお守りを見つめる。

ようやく安心した様子の楓を見て強ばっていた表情をゆるめた冥鬼は、改めて再び口を開いた。


「大きいぼくは知らないことがいっぱいだけど……でも、あいつのことをきらいだってことだけは知ってるんだ。倒さなきゃいけないってことも」


冥鬼が一度口を噤む。


「もし、この先…大きいぼくがあいつと出会っても、一人じゃ倒せるかどうか分かんない。大きいぼくは一人でも平気って言うかもしれない、けど…」


冥鬼は自分の前髪を払って折れたツノを触った。

ツノがひとつ折れているせいで、彼の力は全盛期よりも遥かに劣っている。

そう示唆するように。

その時は…と言いかけて冥鬼が縋るような眼差しで楓を見つめた。

その瞳に弱い楓は、幼子を安心させるように口を開く。


「冥鬼を一人で戦わせたりしない!あたしだって、修行してるんだもん…。二人ならきっと何とかなるわ…安心して」


「ありがとう…おねーちゃん、大好き」


楓の力強い言葉を聞いて、冥鬼が安心したように目を細める。

ぎゅう、と抱きついてきた幼い体を抱きとめて優しく抱擁した楓だったが、ふと疑問符が頭に浮かぶ。


「それにしても、あなたは何で大きい冥鬼が【知らない】ことを知ってるの?あなたたちは、その…同一人物、なのよね?」


楓の問いかけに、冥鬼が少し考えるように目を細める。

しかし、ゆっくりと体を離した冥鬼は楓の頬を優しく撫でて応えた。


「ぼくは、大きいぼくがわすれちゃいけないことをわすれないために生まれたの」


そう言った冥鬼の声はまるで子守唄のように優しい。

幼子をあやすように、冥鬼が楓の頬を優しく撫でて続ける。


「わすれちゃいけないたいせつなものをずっとずっと見守りたかったから」


「大切なもの?」


楓の問いかけに、冥鬼は応えない。

その代わりに、眠そうに自分の瞼を擦り始めた。

もう一人の、本殿で眠っている冥鬼が目覚めそうなのだ。

幼い冥鬼はふにゃふにゃと眠そうな声を漏らしながらも楓に語りかける。


「ごめん…おねーちゃん、また…お歌きかせてくれる?」


「もちろん、いつでも聞かせてあげる」


「ありがと…」


ふあ、と欠伸をして冥鬼が楓に抱きつく。

楓は冥鬼の体を抱き上げると、自分の布団の中へと迎え入れた。

目を瞑ると脳裏に先程の獣の影が過ぎる。

思わず身震いしてしまう楓を安心させるように、冥鬼がぎゅっとしがみつく。

眠気に抗いながらも自分を心配してくれる幼子が愛しく思えて、楓は冥鬼を抱きしめたまま深い眠りについたのだった。

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