28話【終業式】
その日、一日中冥鬼が楓と話す事はなかった。
遅く起きてきた朝飯の席でも楓と顔を合わせようとしないし「行ってきます」にすら応えない。
意地でも楓と話そうとしない冥鬼を心配して父と祖母が楓に尋ねるが、鬼王の名誉のために楓は笑って誤魔化して家を出ていった。
「おはよっ、二人とも!」
家の外で待っている親友二人に声をかけて、楓たちは学校へと向かう。
冬休みはどうやって過ごそうか、課題はいつ終わらせようか、そんな話をしながら道中を進んでいく。
教室では既にクラスメイトたちが時間を潰しており、その中には狗神響子の姿もあった。
「おはよう、狗神さん」
「………」
近寄り難い雰囲気を醸し出している響子へ、勇気を出して楓が声をかける。
しかし響子はどこかぼうっとしたまま応えない。
普段はあからさまに話しかけるなオーラを纏わせている彼女だが、今日はどこかが違った。
「……?」
「楓っ、ちょっといいか?」
楓は何となく元気がないように見える響子にもう一度声をかけようとするが、すぐに響子の隣の席に腰掛けた杏子がちょっぴりかしこまった様子で声をかけてきた。
どこかそわそわとした雰囲気の杏子は、おもむろに鞄からかわいらしくラッピングされた包みを取り出す。
「あのさ、冥鬼…くん、って甘いお菓子とか…嫌いか?」
「うーんと…割となんでも食べるけど、何で?」
杏子の手の中でラッピングされているのはチョコチップがちりばめられたクッキーだった。
楓は杏子に問われるまま、冥鬼の食の好みを思い出して応える。
冥鬼は基本的に何でも食べる。
好き嫌いは無いし、酒も飲むしお菓子も好む。
本当に何でも口にするから、彼が嫌いなものは楓にも想像がつかないのだ。
すると、杏子は一層そわそわとし始めた。
いつもの杏子らしくない、と楓は思う。
思えば以前、家に招いた後からやけに冥鬼の話を聞きたがったり、響子とは別の意味で杏子もボーッとすることが増えた。
鈴蘭は鈴蘭で、そんな杏子にヤキモキしてしまうのか不機嫌そうに一人で本を読むことが増えた。
自分の知らない間に何かあったんだろうかと思う楓だったが、理由を聞いても照れた杏子にははぐらかされ、鈴蘭には怒った顔で「知らない」と言われてしまう始末。
故に、楓もそれ以上の詮索はしなかったのだが。
「あ、あのさぁ…これ、冥鬼くんに渡してくれッ!頼む!」
しばらくそわそわしながら視線を泳がせていた杏子だったが、やにわにラッピング袋を楓へと差し出す。
楓は、杏子の勢いに押されて反射的にラッピング袋を受け取った。
「え?冥鬼に…?良いけど、どうしたの?もしかしてアンちゃん、冥鬼のことが好きとか〜…アハハ」
「うっ…」
わざと明るい声で楓が茶化すと、杏子は顔を真っ赤にして机の上に突っ伏した。
楓は冗談で言ったつもりだったのだが、杏子は否定をしないどころか恥ずかしがって顔を伏せてしまったのだ。
まさか本当に?と楓が問いかけると、顔を伏せたままの杏子がくぐもった声で肯定した。
いつの間に話を聞いていたのか、隣の席に座ってボーッとしているはずだった響子が恐ろしいものを見るような顔で楓と杏子の双方を見やる。
「あなたたち…冥鬼のことが好きって、正気?」
「いや、あたしじゃなくてアンちゃんね」
すかさず楓が否定をするが狗神響子は聞いていない。
顔を伏せたまま恥ずかしがっている杏子の肩に触れて「あなたのためを思って言うけど」と前置きをした。
「恋愛対象なら他にも居るはずよ…クラスメイトや先輩、教師とか」
「いや、さすがに教師は不味いでしょ」
真剣な顔をして、杏子の心から冥鬼への恋心を消そうとする響子だったが少し顔を上げた杏子はムッとした表情を浮かべて唇を尖らせた。
だんまりを決め込んだままの杏子をそのままに、今度は響子が声を落として楓へと問いかける。
「鬼道さん、あなたはどうなの?」
「だ…だから、あたしはアンちゃんとは違うって。冥鬼のことなんて何とも思ってないし…」
睨むように見つめられた楓は思わずたじろぎながらも慌てて否定する。
響子は疑い深く、鋭い輝きを放つ金色の瞳で楓を見つめるがやがて険しい表情を解いてため息をつく。
「…あいつに恋なんてするだけ無駄よ。鬼に愛や恋なんて感情は無いのだから」
響子は口元に笑みを浮かべて言った。
その瞳は、どこか狂気を孕んでいる。
楓はその言い方に何となく引っ掛かりを覚えるが、突っ伏したままの杏子からやにわに腕を引っ張られて大きくよろめいた。
「うわ…!アンちゃん、何!?」
「確認のために聞くけど…楓は冥鬼くんのこと、好きじゃないんだな?」
杏子は真剣な眼差しで楓を見つめる。
念を押すように尋ねられると、楓も困ったように視線を泳がせた。
一緒に暮らしているだけの居候という存在ではあるが、冥鬼を異性として全く意識していないと断言は出来ない。
(……なんて、言えないよね)
楓は言葉を探すように視線を泳がせたまま口を噤む。
すると、杏子は真剣な表情のままで続けた。
「オレは、冥鬼くんがオレを好きじゃなくても…玉砕覚悟で伝えたいんだ。言わなきゃ、頭がヘンになりそーなんだよ…」
そう言って、杏子が泣きそうな表情で頭を抱える。
昔から杏子は嘘をつけない性格だし、【こう】と決めたら一直線に突き進む少女だと楓は知っていた。
だからこそ、ライバル関係になるであろう楓に話したのだ。
「これ…冥鬼くんを誘って一緒に行かない、か?今度の金曜日なんだけど」
そう言って杏子が差し出してきたのは、遊園地のチケットだった。
杏子の手の中にはチケットが四枚握られている。
楓は目を丸くして自分の指で人数を数え始めた。
まず冥鬼に杏子で二人。自分も入れると三人になる。
四人目は…と悩んで狗神響子を横目で見やると、彼女は至極嫌そうな顔をした。
「行くわけないでしょ」
「ですよね…」
キッパリと拒否された楓は苦笑しながら、本を読んだままこちらの様子を気にしている眼鏡の少女へと視線を向ける。
楓と目が合った鈴蘭は、慌てたように本で顔を隠してしまった。
不機嫌そうな態度は取りつつも杏子のことを気にかけている鈴蘭に気づいた楓は小さく笑って、杏子の手からチケットを三枚引き抜くとその内の一枚を鈴蘭へと渡しに向かう。
「鈴蘭、今度の金曜日に遊園地…行かない?アンちゃんが誘ってくれたの」
そう言ってチケットを差し出すが、鈴蘭は一層本で顔を隠して体を縮こませる。
楓は根気よく鈴蘭の隣である自分の席に腰掛けて続けた。
「…アンちゃんが冥鬼のことばっかり気にしてるのがつまらないんだよね、鈴蘭は」
なだめるように問いかけると、鈴蘭は小さく肩を震わせて本の間から楓の顔を見つめ返す。
分厚い眼鏡の奥でその瞳は揺れているのだろう。
肯定とも否定とも取れない態度で、鈴蘭が俯く。
「……冥鬼くんは、これからもずっと楓ちゃんの家に居るの?」
「え、っと…」
逆に鈴蘭に問い返された楓は、彼女の質問に応えることができずに口ごもる。
封印が解けて鏡も割れたのだから再び封印することは出来ないだろうし、居候のような形で鬼道家に寝泊まりしている鬼の王がいつまで自分の家で過ごすのか、楓には分からない。
かと言って、今更冥鬼を追い出すようなことは考えられなかった。
当初は、仲間の鬼を殺して犯罪者という扱いになり、あらゆる鬼に命を狙われている彼との同居などできないと思った。
命を狙われているのは冥鬼の自業自得だし、自分たち鬼道家には関係がない。
だが…そんな冥鬼とは、いつの間にか家族同然の付き合いをしている。
きっと、楓の抱いている感情は家族に対する愛だけではないのかもしれないが。
傍にいると心地良い、なんて感じている気持ちもあった。
それに、幼い頃からずっと話していた小さい冥鬼のことだって楓は大好きだ。
両方の冥鬼への情は、しっかり移ってしまっている。
言い淀んでいる楓の様子を黙って見つめた鈴蘭は、小さなため息をついてから彼女の手に握られたチケットを遠慮がちに取った。
「いい、よ…行く…。金曜日だよね」
相変わらず不機嫌そうな表情ではあるが、鈴蘭としても杏子と冥鬼を二人きりにさせたくはないようだ。
思わず安堵の吐息を漏らす楓を見ずに、鈴蘭は「ただし…」と小さな声で告げる。
「冥鬼くんとアンちゃんを二人きりにしたくないの。協力してくれる?協力してくれるよね。楓ちゃんだって冥鬼くんのことが好きなんでしょ。きっとそうだよ。アンちゃんに冥鬼くんを取られたくないに決まってるよね」
そう淡々と告げた鈴蘭の声は驚く程に静かで、冷たくて。
楓は背筋にぞわぞわとした寒気すら感じた。
否定をするタイミングを完全に失った楓は、ぎこちなく頷きを返すのが精一杯で。
何とか笑みを浮かべながら、乾いた声で「わかった」と楓が答える。
鈴蘭はその返事を聞くと真っ赤な唇を歪ませるように微笑んで、チケットを大切そうに本の間に挟んだ。
「うふふ… よかった…。終業式、始まるから…先に行くね」
そう言って、鈴蘭が席を立つ。
楓の背筋にはまだぞわぞわとした不気味な感覚が残っていた。
そんな彼女の背中を、狗神響子が何かを考えるように黙って見つめていたのだが楓は気づかないまま、遅れて教室を出ていく。
明日から冬休みが始まるということもあり、体調管理に気をつけるのはもちろんのこと学生として羽目を外すような行動は控えるように、などと校長が終業式で長々と話しているがほとんど生徒達の耳には届いていない。
皆が各々に明日からの冬休みをどう過ごそうか、クリスマスや大晦日は誰と過ごそうか、そればかりを考えている。
楓も、終業式が終わって帰路に向かう頃にはすっかり明日からの冬休みをどう過ごそうか考えていた。
金曜日は遊園地へ行く予定があるから冥鬼を誘わなければならない。
それに、杏子から渡されたクッキーもある。
楓はラッピング済みのクッキーを持ったまま少しだけ考えた。
(冥鬼の奴、ちゃんと受け取るかしら)
朝、一言も口をきかなかった男が素直に楓の話を聞いてくれるだろうか。
寝ぼけてわけのわからないことを言ってしまうことなんて誰にでもあるのだから、気にしなくていいのに…なんて楽観的に考えながら楓は自宅の玄関へと向かった。
扉の奥から人の動く気配を感じる。
桜が買い物の支度にでも出ようとしているのだろうか。
そう思って楓が声を上げるよりも先に、玄関が開け放たれる。
戸を開けたのは、仏頂面を浮かべた冥鬼だった。




