24話【守るために】
「………」
まるで死んだように黙りこくった冥鬼は、あぐらをかいたまま眠っている。
そんな彼の肩に手を置いたまま、大鳥は口を開いた。
「おやすみなさい。それから…おはようございます、冥鬼様」
彼が静かに語りかけると、冥鬼の背中から引き剥がされるようにしてゆっくりと黒い影が起き上がる。
それは幼い子供だった。
「め、冥鬼…!?」
カラスの猛攻を避けながら楓が声を上げる。
冥鬼の背中から剥がれるようにして起き上がった幼い子供は、いつも楓の寝床にやってきては寝るまで喋りたがる鬼の子だった。
鬼の子は、ゆっくりとその場に降り立つと緋色の瞳を開けてキョロキョロと辺りを見回す。
しかしすぐに楓の姿を目に止めると、いつもの調子で口を開いた。
「おねーちゃん、なにしてるの?」
あどけない口振りで幼児が問いかける。
いつだったか、彼は自分の名前を冥鬼だと言った。
楓自身、冥鬼と幼子が同一人物なのかそうでないのかという問題は後回しにしてきたのだが目の前で冥鬼の体から現れた鬼子を見て、彼は紛れもなく【冥鬼】だったのだと改めて理解する。
「め、冥鬼…なのよね?」
「うん」
楓の問いかけに、鬼子が小さな頷きを返す。
同時にカラスの視線が一斉に冥鬼へと向いた。
その中の一羽が大きな翼の音を響かせながら冥鬼の元へと近づいてくる。
「……鳥さんだ…ひゃう!」
冥鬼は不思議そうに首を傾げると、無邪気にカラスのくちばしへ手を伸ばそうとする。
しかし、カラスはやにわに鳴き声を上げると冥鬼の頭をイタズラに突き始めた。
「ちょ…!冥鬼に何するのよ!やめなさいっ」
丈の長い袖で頭を覆ってしまった冥鬼はその場に座り込んでぷるぷると震えている。
楓はすかさず駆け寄ると、両手でカラスを追い払った。
追い払われたカラスは、一度冥鬼の傍から離れるもののまるで挑発するかのようにギャアギャアと鳴きながら楓たちの周りを低空飛行している。
「おねーちゃ…」
楓の足元で冥鬼が不安そうに抱きついてくる。
よほど驚いたのか、大きな緋色の瞳には涙が浮かんでいた。
楓はつつかれてしまった冥鬼の頭を優しく撫でて自分の傍へと抱き寄せる。
「よしよし、怖かったわね…。ってあんた、さっきは平気な顔してカラスを薙ぎ払ってたくせに…」
「こわいよぅ…」
楓に抱き寄せられた冥鬼はすっかり怯えてしまって、小動物のようにぷるぷると震えながら彼女を見上げる。
その瞳に見つめられると、楓は弱かった。
自分が守ってやらなくては、この生き物はすぐにやられてしまう。
何故かそんな気持ちにさせられるのだ。
「大丈夫、お姉ちゃんに任せて。あたしが守ってあげる」
楓は冥鬼と同じ視線になるように座り込むと、幼い体を抱き寄せて言った。
まるで自分自身を鼓舞するように。
冥鬼は目に涙を溜めて楓を見つめると、泣き腫らした顔でこくんと頷きを返す。
幼い鬼を自分の傍に抱き寄せた楓は、もう一度鬼符を握りしめて注意深くカラスたちを見回した。
(ゆっくり集中してたら拉致があかないわ…その間に襲われる!もっと素早く攻撃が出来たら…)
いつもは冥鬼のサポート等ゆっくり集中できる時間があり、そのおかげで練度の高い鬼火を放つことが出来た楓だったが、敵が素早いせいで今はそれが出来ない。
楓はどこから襲ってくるか分からない複数の敵を見て舌打ちをした。
カラスは相変わらず、耳障りな鳴き声を上げて周囲を飛び回っている。
わざとらしく体のスレスレにまで近づいて来ては攻撃せずに身を翻すカラスたちに冥鬼はすっかり怯えてしまい、楓の足にしっかりとしがみついていた。
楓は、一体どうすればカラスたちを倒すために素早く鬼符を使えるのだろうかと必死に考える。
そんな彼女に、ずっと沈黙を保っていた小鳥が声をかけた。
「鬼符は力の増幅器じゃ。集中などしなくとも、強い意志さえあれば鬼符は必ずお主に応えるであろう」
「つ、強い意志って言われても…」
小鳥のアドバイスを上手く理解出来ずに楓が眉を寄せる。
鬼符は集中しなければ使えないと祖母が言っていた。
しかし、小鳥は集中なんてしなくてもいいと言う。
一体どちらの言葉を信じたら良いのか、楓は内心焦りながら鬼符に集中する。
すると、一羽のカラスがけたたましく鳴きながら楓の持っている鬼符を奪おうとくちばしで掴みかかってきた。
「きゃあ!?ちょ、やめっ…!」
鬼符を奪われそうになった楓は思わずつんのめってしまう。
カラスが鬼符をくわえてそのまま引きちぎろうとするように首をぶんぶんと振った。
思わず楓が叫ぶ。
「こ…のっ!やめなさいっ!!」
楓が激昂すると同時に、カラスのくわえた鬼符が弾けた。
ボンッ!と爆発するような音が聞こえてカラスの体が散り散りの和紙へと変わる。
あまりの大きな音でびっくりしたのか、冥鬼がぎゅうっと楓にしがみつく。
楓自身も、突然鬼符が爆発したように弾けたものだから驚いて目を白黒させているのだが。
「まだまだ来ますよ〜、楓ちゃん」
一羽倒して脱力しそうになった楓に大鳥が声をかける。
楓は慌ててポケットの中の鬼符をもう1枚手にした。
足元では幼い鬼が相変わらず体を震わせているものだから、楓はその場にゆっくりと膝をつくと冥鬼に安心させるべく口を開く。
「冥鬼、あたしを見て…大丈夫」
楓が静かに語りかけると、冥鬼は泣きじゃくりながら顔を上げて「こわくない」と精一杯の強がりを言う。
そんな幼い鬼の頭をやんわりと撫でながら楓が笑った。
「うん…いい子ね」
短くそう言って立ち上がった楓は、一度大きく息を吸い込んでから握ったままの鬼符を見つめると意を決して頷いた。
強く願う力が増幅器である鬼符に伝わると言うのなら、この気持ちを保持していればきっと上手くいくはずだ。
そんな確信に満ちた楓は、ありったけの願いを込めて叫ぶ。
同時に、複数枚握った鬼符をそれぞれ手放した。
「爆ぜろっ!!」
楓の宣言と共に鬼符が音を立てて次々に空中で爆発する。
するとカラスたちの体がまるでポップコーンのように飛散し、散り散りの和紙へと変わっていく。
全てのカラスが和紙へ戻ったことを確認すると、楓は力が抜けたようにその場にへたりこんでしまった。
まるで全力疾走をした後のように全身が疲労を訴えているのだ。
「はあ〜…何でこんなに疲れるの…?」
「実戦経験が少ないどころか巫女としての修行もしてこなかったんじゃ…疲れぬほうがおかしいと言うもの」
へたりこんだままの楓の前に鳥の頭骨と黒いマントに身を包んだ小鳥が近づく。
小鳥は楓を見下ろすと、頭骨のくちばし部分を手で触りながら言った。
「お粗末な戦い…この一言に尽きる。今のままでは及第点をくれてやることは出来ん」
「………」
厳しく、淡々とした小鳥の言葉に楓が口を噤む。
小鳥の作った式神を全て倒す修行だったがこれ程まで大幅に時間がかかってしまったのだから、まさか合格と言われることはないだろう。
そう思っていた楓だったが、今持てる全ての力を使って倒したのだ。
少しくらい褒めて欲しい、などと心の隅で思う。
そんな彼女の心を知ってか知らずか、小鳥は長い袖の中から小さな珠がたくさんついた赤い数珠を取り出した。
長さは両手首を通してもまだゆとりがあるくらい。
まるで鬼の瞳のように赤いその数珠は、ただならぬ気を発していると素人の楓でもハッキリわかる。
僅かに表情を強ばらせる楓をちらりと見て、小鳥が言った。
「ほう…【気】が読めるのか?さすがにそのくらいは鬼道の巫女として出来て当然じゃな。ならば鬼や狗神の【気】も読めるだろう?」
「す、少しだけなら…。こう、寒いような…ぞわぞわする感じなんだけど…」
小鳥が数珠を摘んだまま問いかけると、楓はおずおずと頷きを返して応えた。
狗神響子や鬼が周囲に居る時、決まって感じる違和感。
それは彼らの持つ【気】を無意識に読んでいるからなのだと、小鳥が説明をする。
楓にしがみついたままの冥鬼は眠そうに何度も目を擦りながら難しい話についていけず、小鳥と楓を交互に見つめていた。
「この数珠は、本来ならお主がもう少し鬼符の使い方を学んでから渡すべき物じゃが…既にそうも言ってられん状況にある。これを受け取れ、御守りのようなものだと思えば良い」
「……?はい…」
小鳥の意味深な言葉に、楓が首を傾げる。
しかし、小鳥はそれ以上語ることなくゆっくりと手の中の数珠を差し出した。
おずおずとそれを楓が受け取る。
まるで羽のように軽いその数珠は、小鳥の手の中にあったときはどことなく禍々しい色合いに見えたのだが、今は不思議と温かみのある色合いをしていた。
冥鬼の瞳のように、いつも見慣れた赤い色。
どこか懐かしさすら感じながら、楓は袖を捲ると数珠を捻って右手首に巻き付ける。
「これでいいかしら…?何も変わったような気はしないけど…」
しげしげと、数珠をつけた手首を見下ろしてみたり腕を上げて数珠を自分の目線と合わせてみたりしながら楓が呟く。
小鳥は「付けているだけで良い」とだけ応えて頷きを返した。
もっと直接的な武器のようなものが渡されたのかと思いきや、ただの御守りであることに内心拍子抜けしながら楓は足元ですっかり夢の世界に入りかけている冥鬼に気づいてその場に屈む。
「どうしたの、冥鬼。眠くなっちゃった?」
「うん…」
楓の問いかけに冥鬼が眠そうな顔で頷く。
その言葉に大鳥は腕時計を確認して「お、もう4時じゃん」と呟いた。
「俺、送って行くっすよ。車の用意してくるんで、お先に」
そう言って、車のキーを鳴らしながら大鳥が部屋を出ていく。
その間にも冥鬼は、ふらふらと頭を揺らしながら眠そうに薄目を開けていた。
楓は、座布団に座ったまままるで死んだように動かない冥鬼へと視線を向ける。
呼吸はしているようだが、今楓の傍にいる幼い冥鬼が起きているため目を覚ますことはない。
「小鳥ちゃん、どうして冥鬼は二人居るのかしら…。と言うより、何で片方の冥鬼が眠るともう片方が起きるの?小さい冥鬼なんてあたしが小さい時からいつも現れるのよ」
うとうとしている幼い鬼を抱き寄せながら楓が問いかけると、小鳥は静かな沈黙の後にゆっくり立ち上がると楓たちに近づいてきた。
2mほどもある身長の小鳥に見下ろされる形となって、楓は少しだけ身構える。
小鳥は二人を見下ろしたまま言った。
「冥鬼殿は鬼道の人間を見守っている。見守りたいという強い意思が幼子の形となって現れるだけのこと」
「……よく、分からないんだけど…」
小鳥の返答は、以前楓の祖母である桜が言った話と似ている。
【冥鬼様は鬼道家を恨んでいるわけじゃない】と、桜はそう言った。
しかし楓には分からない。
自分を封印した人間の子孫のことなど見守ろうという気になるものだろうか。
この家で目覚めた冥鬼も口にしていたが、楓たちに殺意が湧かないのが不思議なくらいだと言っていた。
それどころかすっかり家に馴染んで飯はよく食べる、桜にわがままは言う、そして危険が起きるとすぐに楓や友達を守ってくれた。
お世辞にも正義の味方とは思えないし(いつか本人も言っていた)、どちらかと言えば悪党としか思えない風貌をしている。
しかし見た目と裏腹に中身は良い奴なのだと、一緒に暮らし始めて日は浅いものの楓も分かっていた。
「冥鬼」
楓は真剣な顔で、まるで死んだように眠り続ける鬼を見つめた。
「あんたは、正義の味方なの?それとも…」
いつかの質問をもう一度口にする。
その問いに答えるかのように、冥鬼の瞼がゆっくりと開く。
血のように赤い瞳が楓を見据えた。
「俺様が正義の味方に見えるか?」
寝起きのせいか少しだけ眠そうだが、それでもいつもの人を食ったような口振りで冥鬼が問いかける。
いつの間にか楓の傍から幼い鬼の気配は消えていた。
本来の冥鬼の中へ戻ったのだろう。
楓は「見えるわけない」と笑いながらかぶりを振ると、おもむろに両手を伸ばして冥鬼の体を抱き寄せた。
「あんたね…ちゃんと寝なさいよ。睡眠中まであたしのこと見守ってるとか…過労死ラインオーバーしてるじゃない」
「な、何だいきなり…おい、離せ」
突然抱き寄せられた冥鬼は目を白黒させながらも不機嫌そうに楓の体を引きはがす。
しかし、またもや楓に抱き寄せられてしまうと再度抵抗の意志を見せようとするがその力は先程よりも弱かった。
楓は冥鬼に突き飛ばされないようにしっかりとその体を抱きしめると、自分と同じシャンプーの香りがする髪をやんわり撫でてあやすような声で言う。
「心配しなくてもあたしは大丈夫なんだから、たまにはゆっくり寝てよ」
まるで小さな子供に言い聞かせるような声色で楓が言うと、僅かに抵抗しようとした冥鬼の手が止まる。
その手は、やがて大人しく下ろされた。
好き勝手に髪を撫でられていることに慣れないのか不機嫌そうな表情のまま、顔を逸らした鬼は「誰が人間なんかを心配するかよ」とぶっきらぼうに言う。
楓に抱きしめられていることに照れているわけではない。
人のぬくもりが嬉しいわけでもない。
ただ無性に懐かしい気持ちだけがあった。
(紅葉…姉さん、姉貴…どっちでもいいか)
名前すら覚えていない姉の名前を、心の中で冥鬼が呟く。
狗神響子は、楓が紅葉に似ていると言っていた。
だから、こんなにも傍に居ると懐かしい気持ちになるのだろうか。
「………」
顔を逸らしたままだった冥鬼が、おもむろに楓へと視線を向ける。
注意深く楓の顔を見つめて何かを思い出そうとするように睨みつけるが、冥鬼の記憶の扉は閉ざされたままだ。
「……楓」
「な、何…?」
冥鬼はジッと楓を見つめたまま口を開く。
何故か食い入るように見つめられた楓は、少し狼狽えながらも首を傾げる。
これほどまでに真剣な眼差しでまっすぐに冥鬼に見つめられたことはあまり、と言うよりも…ない。
そのせいか緊張してしまう楓だったが、珍しく自分から話そうとする冥鬼の話を聞こうと思った。
正面、しかも至近距離から見る冥鬼の真剣な顔は普段よりも整っているように感じられる。
いつも人を小馬鹿にした憎たらしい表情や戦いでの荒々しい表情しか見せてこなかった冥鬼だが、理知的な表情も出来るものなのか…と楓は少しだけ思った。
同時に、楓と同年代ほどの男子に見つめられるのは照れくさくもある。
一体彼が何を口にするのか、不自然に高鳴る胸を抑えつつ楓は冥鬼の言葉を待った。
冥鬼は真剣な眼差しで楓を見据え、ゆっくりと口を開く。
彼が口にしたその言葉は…。




