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鬼王の巫女  作者: ふみよ
22/63

22話【買い忘れにご注意】

それからと言うもの、楓は冥鬼と一言も話さず雪鬼の隣をキープしてあれやこれやと料理の相談をしながら歩いている。

時々冥鬼がスナック菓子を買い足してほしそうに声をかけるのだが、楓はそれすら無視をして買い物を続けていた。


「嫌われたわね、同情するわ」


ざまあみろとでも言いたげに狗神響子が上品に口元に手を当てて冥鬼に微笑みを送る。

その片手にはファミリーパックのチョコレート袋が握られていた。

足取りも軽く、雪鬼の下げた買い物かごにチョコレートを入れようと響子が近づいていく。


「買いませんから戻してきてください」


しかし、楓同様にこちらを見ようとしない雪鬼にキッパリと断られた響子がショックを受けたように立ち尽くしてから、悔しそうに顔を真っ赤にする。

今度は冥鬼が、響子の真似をするように上品に口に手を当てるとわざとらしく笑った。


「同情するぜ、クソ犬」


「…っ殺すわ…」


ざわ、と響子の髪がうねる。

明確な強い殺意を持って、冥鬼の前でかつてのように真の姿を現そうとする。

しかしここはスーパーの中だ。

人目につく場所で堂々と変身するわけにはいかない。

それに、白銀の獣へ変身するたびに衣服が破れ、その都度買い足していることを雪鬼に注意されている。

特に今日の服は彼女のお気に入りだ。

一時の感情に任せて服をダメにしたくはない。

響子は深く息を吸い込むと、心を落ち着けるようにゆっくりと吐いた。


(たかがこんな馬鹿鬼にムキになってどうするのよ。落ち着いて、深呼吸なさい…)


そう自分に言い聞かせて何回か深呼吸を繰り返した響子は、ようやく気持ちが落ち着いたのか、どんどん先に進んでしまう少女たちの後ろから冥鬼に話しかける。


「…こほん。ところで…冥鬼。あなた、人間のおつかいに同行するなんて王としてのプライドは何処へ行ったのかしら」


咳払いをして気を取り直してから響子が話しかけると、冥鬼は不意に足を止めてゆっくりと振り返った。

術で隠しているのかツノは綺麗さっぱり消え、狗神響子や鬼道楓とさほど変わらない年頃の少年にしか見えなくなった鬼の王は、眉根を寄せて響子を見やる。

あら、怒ったかしら?と含み笑いを持たせて響子が尋ねようとしたその時、冥鬼が口を開いた。


「大嫌いな鬼のおつかいに同行するなんて、犬神としてのプライドは何処に行ったんだろうな。…あ、犬にプライドなんか無かったか。悪かった」


眉根を寄せて心底憐れむように冥鬼が言う。

服をダメにしないためにもムキにならずに落ち着け、と自分に言い聞かせて深呼吸していた今さっきまでの響子はどこにも居なかった。


「ぶち殺すッ!!」


「店内で騒ぐならシュークリームは買いませんしケーキも作りません!」


ザワザワと髪の毛を逆立てて響子が叫ぶと同時に、すかさず雪鬼の厳しい叱責が飛ぶ。

響子は髪を逆立てたまま冥鬼を睨みつけ、今にも変身しそうなほどに目尻をつり上げて口の端をピキピキと鳴らしていたが、頭の中で、シュークリームとケーキとお気に入りの服、そして鬼との勝負を天秤にかける。

考えるまでもなく前者を選ぶべきなのだが、響子は一度頭に血がのぼるとすぐに手が出てしまう短気な性格をしていた。

冷静であれと思えば思うほど、彼女の中で膨れ上がる暴力的な一面が暴れだしそうになるのだ。


「うぅっ…くぅ…」


響子は裂けそうになる自分の口の端を押さえて何度も荒い呼吸を繰り返す。

そんな響子を見下ろしている冥鬼は、彼女が危害を加えてこないことが分かるとあからさまにニヤーッと笑ってから、すぐに買い物かごを持った二人組の後を追い始めた。

少女たちは既にレジ前に並んで会計を待っている。


「ユキくんは良いなぁ…小学生なのに料理が作れて。あたし、恥ずかしいんだけどこの年で肉じゃがも作ったことないのよ…」


「厳密に言うと小学生ではないですが、さすがに100余年も生きていると嫌でも覚えるというか…料理に早いとか遅いとか、関係ないですよ」


すっかり落ち込んだ様子の楓は、雪鬼の幼い外見を見つめて自信を無くしたようにため息をつく。

雪鬼はそんな楓を励ますように微笑みかけ、将来彼女の料理を食べられる人は幸せ者だな、と勝手な想像をしてはそこに自分を当てはめて一人で照れた。

雪鬼の頭の中で繰り広げられる妄想に気づくはずもなく、楓は少しだけ元気を取り戻したように頷きを返す。


「料理に早いも遅いもない…かあ。そうよね、大人になってから料理をする人もたくさんいるだろうし。ちょっと元気出たかも…ありがと、ユキくん」


「よかったです…」


落ち込んだ表情から一転してようやく笑顔を見せた楓に、雪鬼は心からホッとして笑みを返した。

楓が大人になってもこうして変わらず傍に居られたら、と密かな願いを胸に秘めて。

買い物の会計を済ませて各々が買い物袋に食品を詰め込む中、冥鬼が焦れたように荷物置き台の端に手をついてしゃがみこむ。


「おい、早く酒」


まるで駄々っ子のように冥鬼が言うと、それまで彼を無視していた楓はチラリと冥鬼を見てから大きなため息をついて「わかったから座らないで」と小さく応えた。

雪鬼と響子はそれぞれ買い物袋に食品を詰めて帰り支度を始めている。

楓の視線に気づいた雪鬼は深々と頭を下げて、響子は相変わらず不機嫌そうに楓たちから顔を逸らした。


「では、僕達はお先に失礼しますね。ご迷惑でなければ、また家の方にお邪魔させてください」


礼儀正しく頭を下げてそう告げた雪鬼は、足早にスーパーの入口に向かって歩いていく。

一人残された響子は、スーパーの袋を荷物置き台の上に置いたまましばらく楓と冥鬼を見つめていたが、やがて重い口を開いた。


「帰る前に、聞きたいことがあるのだけど」


そう、小さな声で前置きして。

冷たい目が楓を真っ直ぐに見つめてから、すぐに冥鬼へと向けられる。


「冥鬼、あなたは自分が良い心を持った鬼だと思う?それとも…悪い心を持った鬼?」


響子は意味深な問いかけをする。

問いかけられた冥鬼は僅かに口を開きかけたが、彼女の意図が読めずに何も言わない。

響子は注意深く冥鬼の表情を見つめると、もう一度、今度は別の質問をした。


「…いいわ。じゃあもうひとつ。あなたは何があっても鬼道楓を守れる力があるかしら?」


「…守る?」


再び響子に問いかけをされて、今度は冥鬼も口を開いた。

表情を顰めて逆に問いかけを返す。


「何で俺様が自分を封印した野郎の子孫を守らなきゃならないんだ?今だって殺意が湧かないのが不思議なくらいなんだぜ」


「そうでしょうね、殺せるはずないわよ」


冥鬼の言葉を聞いて、響子は目を細める。

怒りとも悲しみとも何とも言えない表情をして、続きの言葉を紡いだ。


「特に鬼道楓さんは、紅葉様に…あなたの姉様にそっくりだもの」


そこまで言って、響子が懐かしむように微笑む。

それは初めて楓が見た純粋な、心からの微笑みだった。

響子の微笑みに驚きながら楓が荷物置き台の傍でしゃがみこんでいる冥鬼を見やると、彼は俯きがちになってどこか気分が悪そうに額を押さえている。

ツノの折れた場所を強く押さえて、緋色の瞳を苦しげに細めた。


「め、冥鬼…大丈夫…?具合、悪いの?」


楓の呼びかけにも冥鬼は反応を示さない。

ただ、額を押さえて気分が悪そうに小さく唸っている。

紅葉、という言葉を途切れ途切れに呟いて。

響子はそんな冥鬼を見下ろすと、荷物を手に持って言った。


「覚えておきなさい、冥鬼」


響子はそう言って、しゃがみこんだまま脂汗を浮かべている冥鬼の耳を摘んで乱暴に引き寄せる。

そうして、冥鬼にしか聞こえないくらいの小さな声で囁いた。


「あなたのことは殺したいほど嫌いだけど教えてあげる。命を狙われているのは鬼道楓よ」


「おい、待て。紅葉って奴のことを詳しくっ…」


簡潔に伝えて立ち去ろうとする響子を追うように、冥鬼はよろめきながら立ち上がる。

しかし冥鬼の体は、力が抜けてしまったかのごとく膝から崩れ落ちる。

楓は慌てて冥鬼の体を支えた。


「め、冥鬼…!大丈夫!?」


「うる、さい…ッ離れろ!くそ…頭が割れる…」


へたりこんでしまった冥鬼の体を支えて心配する楓の声は届かないのか、冥鬼は彼女の手を乱暴に振り払って強く拒絶をする。

しかしすぐに頭を押さえてうずくまってしまった。

初めて耳にするはずの紅葉という名前がガンガンと頭の中に響いて、冥鬼の内側から溢れそうになる。

思い出そうとすればするほど手足の感覚は無くなっていき、目の前が真っ暗になっていった。

まるで鏡の中に封印されていた時に戻ったかのような感覚だ。

切れそうになる記憶の糸を必死で手繰り寄せる冥鬼の脳裏に、チカチカと映写機のように記憶のワンシーンが映し出される。


「クソ犬ッ…」


それは何かを喰らう白銀の獣だ。

ゆっくりと顔を上げた獣は狗神響子の本来の姿よりも雄々しく邪悪で、威圧的な様相をしている。

その白銀の口周りを赤く染めているのは、小さな子供だったものの肉だった。

獣はまるで人間のように、口の端を上げてニヤリと笑う。


「…ッ!!」


その瞬間、底知れぬ怒りと恐怖が冥鬼の体を駆け巡っていく。

獣が喰った子供は、冥鬼にとってどんな存在だったのか彼にもわからない。

自分の子供ではないだろうし、そもそも誰かと子を成した覚えもない。

もちろん彼には記憶がないのだから、それすら単なる思い込みかもしれなかった。


「くそ…」


それでも怒りよりも恐怖よりも強く彼の胸を締め付けるような悲しみは子供に向けられたもので、自分は間違いなく亡骸となったその子供を愛していたのだろう。

強烈な頭痛に耐えられず、頭を押さえたままうずくまる冥鬼を心配そうに見つめる楓は彼に強く拒絶された手前、何の言葉もかけられずにいた。


「……」


そんな二人の前に、ゆっくりと小さな影が伸びた。

冥鬼が顔を上げると、そこには血のように赤い布地に白い椿の花が施された和服を着た幼女が立っている。

年の頃は5歳くらいだろうか。

黒い前髪が異常に長く、目よりも下まで伸びており表情そのものが見えない。

唇にはおそらく紅が引かれているのか、真っ赤に染められていた。

一目でただ者ではないと、楓ですら思う。

初めて狗神響子に出会った時のような不気味さを感じた。


『飲め』


まるで冥鬼の脳に直接語りかけるような声。

少女はゆっくりと近づいてくると手に持った紙コップを冥鬼に差し出す。

そこには水がなみなみと注がれていた。

このスーパーにはセルフサービスで水を飲める場所があり、おそらくそこから持ってきたのであろう水を差し出しているようだ。

冥鬼はズキンズキンと痛む頭を押さえて息を荒らげたまま少女を睨みつける。


「消えろ、餓鬼」


『飲め』


冥鬼の言葉に被るようにして少女が機械的に同じ言葉を繰り返す。

だが、その唇は先程から全く動いていない。

それが余計に不気味だった。

紙コップを冥鬼の顔前に突き出して、再度飲むように告げる。

冥鬼のこめかみに青筋が浮かぶ。


「消えろって言っ…もが!」


「ちょ…冥鬼!?」


思わず楓が声を上げる。

苛立った冥鬼が彼女を追い払おうと凄んだ途端、幼い少女は紙コップごと冥鬼の口に押し付けた。

さすがに予想外の行動を受けて目を白黒させる冥鬼だったが押し付けられた紙コップの中の水を口に含まされると、反射的にそれを飲み込んでしまった。

紙コップの中身は水ではない。

舌を蕩かすような美酒だった。


「げほっ!何、しやが…」


舌を痺れさせるような美酒の味にむせて息を荒らげている冥鬼の姿を確認すると、少女は律儀に紙コップをゴミ箱に捨ててからもう一度冥鬼たちの前に戻ってくる。

今度は楓の前に立った少女は、重たい前髪で隠れた奥の暗がりからじっと楓を見つめるように顔を上げた。


「え、えっと…あの、ありがとうね。怖いお兄ちゃんにお水くれて」


『あれは水ではない、酒じゃ』


言葉に迷った楓が、ひとまずの礼をと少女の前にしゃがみこむと幼い少女は口を動かすことなく、脳裏に響くような声でハッキリと伝えた後に小さな指で楓を指した。


『お主が鬼道楓か?』


ふと、少女が唇を動かすことなく楓の名前を呼ぶ。

楓はキョトンとして少女を見つめた。

名乗ってもいないのに急にフルネームで楓の名前を呼ぶ少女に、冥鬼は先程の狗神響子の言葉が脳裏を過ぎる。

【命を狙われているのは鬼道楓】

確かに響子はそう言った。

誰に狙われているのか、何の目的があるのか響子は一切口にしていない。

冥鬼はよろめく体を起こして少女へと掴みかかろうとした。


「貴様、何者…っぐ!?」


「はいはい、店内での暴力行為は禁止ですよーっと」


その瞬間、背後から腕を掴みあげられる。

冥鬼の背後に立っていたのは痩せ型の優男だ。

まず目を引くのが毛先の跳ねたマッシュショートの金髪。

タレ目がちで胡散臭い笑みを浮かべた【いかにも】なチャラ男だ。

赤い和服の少女とは何もかもが正反対の雰囲気を纏っている。

ポカンとしていた楓は、その男を注意深くまじまじと見てから「あっ」と声を上げた。


「も、もしかして…大鳥さん!?お祖母様のお友達の…」


「ピンポーン!久しぶりっすねー楓ちゃん。10年ぶりくらい?」


楓に名前を呼ばれた男は細い目をさらに細めて胡散臭い笑みを人懐っこく綻ばせた。

10年振り、とは言っても楓には目の前の男が最後に会った時からさほど年を取っているようには見えない。

どう見ても、20歳前後の若者だ。

彼が言うように10年ほど前、楓がまだ幼かった時に祖母の知り合いということで何度か家にやってきた青年が居た。

それが大鳥。苗字なのか名前なのかは分からないが、楓は彼に何回か遊んでもらった記憶がある。

その頃から派手な見た目をしていたため幼い楓は疑問に思わなかったが、何故大鳥のような若者と祖母が知り合いなのか楓は知らない。

少なくとも、見た目とは裏腹に悪い人ではないのだが。


「ぐっ…離せ、馬鹿力か貴様…!」


「どうどう、暴れないでくださいよ冥鬼様。痛むんでしょ、頭」


大鳥と呼ばれた男に腕を掴まれた冥鬼は舌打ちをして凄んで見せるのだが、大鳥は胡散臭い笑顔でニコニコしながら冥鬼をなだめた。

まだ名乗ってすらいないというのに冥鬼の名前を呼ぶ謎の男、大鳥。

そして楓の傍で口を閉ざしている和服の幼女。

彼らは一体何者なのか、酒の回った頭で考えようとすればするほど冥鬼の体から力が抜けていく。


「おっと…ようやく寝てくれた。ちょっと強すぎたんじゃないの?普通の鬼なら致死量っすよ〜小鳥ちゃん。薬も過ぎれば毒となるってことわざ知ってます?」


やがて意識が遠のいていく冥鬼がその場に崩れ落ちないようにと大鳥が引っ張りあげる。

苦笑気味に黒髪の少女をたしなめるように言うが、幼い少女はじっと楓を見上げているままだ。

厚い前髪で隠れているであろう瞳は楓にも見えない。


「え、えと…小鳥ちゃん、って言うの?あたしが楓だけど…」


『そうか』


少女は鈴の鳴るような声で楓の脳に直接話しかける。

何せ、彼女の口は全く動いていないのだ。

口が動くことなく、少女の声は楓の脳に直接届く。

そのことに違和感を覚えて楓が口を開こうとすると、少女の代わりに大鳥が近づいてきた。


「楓ちゃんさ…ようやく巫女の修行をする気になったんでしょ?いやあよかった…桜さんも超喜んでたっすよ」


「う、うん」


まるで自分のことのように嬉しそうな顔を見せる大鳥に、楓は戸惑いながらも頷きを返す。

いつの間にか少女は大鳥の元へ近づいて、人混みを怖がるように足元にしがみついていた。

和服の幼女とチャラチャラとした若者、あまりにもあべこべな二人を見て楓が口を開こうとすると、先に大鳥が口を開く。


「ここじゃ人がいっぱい居て小鳥ちゃんが怖がるんで…ウチに来ませんか?体調の悪そうな冥鬼様も寝かしてやりたいし…そうそう、新しい鬼符も渡したいんすよね。最近特に消費が激しいって聞いたんで」


「あ…鬼符って、もしかして大鳥さんが…」


大鳥の言葉に、楓はふと幼い頃の記憶が蘇っていく。

たびたび桜に会いに来ていた若者は、いつも手に札束のようなものを持っていた。

今思い出すと、あれは鬼符だったのかもしれない。

桜が、鬼符は別の人が作っていると言っていたが大鳥がいつも作って渡していたのか…と楓が目を丸くする。

大鳥は冥鬼の体を支えながら「毎度ご利用ありがとーございます」と軽い口調で笑う。

ようやく、楓の緊張が解けた。

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