19話【再戦 後半】
「爆ぜろ、鬼火!」
その声と共に、水鬼の頭から伸びている黒髪に赤い火が燃え移る。
赤い火はみるみるうちに毛束を燃やし尽くし、冥鬼の首を拘束していた髪の毛まで燃やし始めていた。
「ごほっ…お前…」
拘束が解かれたため、自身の首周りにまとわりついた髪の毛を燃やす炎を呆然と眺めていた冥鬼は、すぐに浴室の入口に居る少女に目を向けた。
鬼符を手にして、ゼーゼーと荒い息をついているのは楓だった。
楓はすぐに親友二人に駆け寄る。
「アンちゃん、鈴蘭!大丈夫?」
「う、うう…楓ちゃあん…」
浴室のタイルのせいで滑りそうになりながら楓が駆け寄ると、鈴蘭は既に涙目で楓の足元にしがみついてくる。
杏子も気を失っているようだがちゃんと息はしているのを確認してから、楓は水鬼を睨みつけた。
「あんた…よくもあたしの友達に酷いことしたわね…」
「おい、それよりこれを何とかしろ。俺様にまで燃え移ってるだろうが」
恐怖よりも勝った怒りで水鬼を睨みつけていた楓だったが、水鬼の髪を燃やしたついでにうっかり飛び火した火が消えないと言う冥鬼の抗議を受けて我に返る。
鬼符から発せられた火は鬼にしか引火せず、水や湯で消すことも出来ない特殊なものだ。
その火を消す方法を教えてもらっていない楓は、あたふたしながら冥鬼の体に燃え広がる火を消そうと湯をかけたり冷水をかけたり、扇いだりしながら狼狽えた。
「え、ええ!?これどうやって消すの!?やだ!」
「ば…馬鹿、扇ぐな!余計広がってる!」
火が燃え広がっている冥鬼の腕を力いっぱい叩いたり扇いだりしている楓の努力も虚しく、火は広がっていく一方だ。
楓は完全にパニックになった。
「あああ…冥鬼、それすっごく熱いわよね!?ど、どうしよう!?お祖母様はユキくんと買い物中だしっ…あ、あたしどうしたらいいの!?」
「知るか、落ち着いて考えろ…あつっ」
首周りにまとわりついていた髪の毛を掴んで水鬼を逃がさないように引っ張りながら冥鬼が楓を叱咤する。
既に火は首周りから肩、肩から腕に燃え広がり始めていた。
楓が考えれば考えるほど冥鬼の体はみるみるうちに赤い炎で包まれていく。
水鬼は必死に火から顔を逸らしながら髪を引き抜こうともがいていた。
「や、やめろォ!熱いィ!火がっ、火がついちまうよォ~!」
冥鬼の腕に燃え広がった火は少しずつ手のひらに向かって進んでいく。
その先には掴まれたままの水鬼の髪の毛があった。
情けない水鬼の叫び声を耳にした楓は、ふと【あること】を思いつく。
「そうだわ…もっと大きい火を冥鬼につければいいのよ」
「今…何だかものすごく物騒なことを言わなかったか、お前」
楓の唐突な思いつきに、冥鬼が思わず顔をしかめる。
鬼か悪魔を見るような目を向けている冥鬼の燃える腕に手を添えた楓は真剣な声色で言った。
「今からもっと強力な火であんたを燃やすわ」
「おい」
「そしたらそのまま水鬼に引火させて」
「だから…」
「大丈夫、あんた鬼の王なんでしょ?気合でそんな火消せるわよ。…たぶん」
ところどころで口を挟もうとする冥鬼に反論の隙を与えず、楓がまくし立てる。
あまりにも危険で不穏すぎる提案に冥鬼は再び青筋を立てるが、楓は既に鬼符を構えていて。
その真剣な表情に、毒気を抜かれてしまった冥鬼は眉根を寄せると今までにないくらい大きなため息をついてから「もう勝手にしろ」と告げる。
「ちょっと、ううん…すごく熱いかもしれないけど…我慢してよね」
「死んだら必ず化けて出るぞ」
鬼符に意識を集中させながら楓が言うと、冥鬼は恨みがましくドスのきいた声で応えた。
これ以上の火に焼かれるのはさすがにごめんだが、今の冥鬼には異様に妖力を増した水鬼を倒すのは少し骨が折れる。
藁にもすがる思いという程でもなかったが、それに近い気持ちで楓のアイデアに乗った。
何せ、楓の火は間違いなく鬼に【効く】のだから。
「鬼符よ、あたしに力を貸して!」
鬼符を構えた楓が大きな声で宣言をする。
それは以前、怯えて何も出来ずに水鬼を取り逃した自分自身への喝。
そして何より親友たちを傷つけた怒りだった。
楓は、強く強く眉間に力を集めるイメージを膨らませていく。
握ったままの鬼符がゆらゆらと、やがて激しく揺らめき始めた。
「爆ぜろ!」
楓が宣言をすると、手の中からするりと抜け出した細い炎の糸は輪を描くように冥鬼と水鬼の頭上に移動する。
リング状になった炎はぐるぐると激しく回転しながら二人の鬼を包み込んだ。
同時に、炎が弾けて燃え広がる。
「ぎっ、ぎゃああああ!!火がっ!火がオレの体にィ!」
水鬼は絶叫しながら自ら髪を切り落として逃げようとするが彼が背を向けた途端、冥鬼に羽交い締めにされた。
既に冥鬼の全身からは炎が噴き出し、まるで夜叉のような形相をしている。
冥鬼は水鬼の体をがっちりと羽交い締めするなり、さらに火力を高めるように自身の妖力を表に噴き出していく。
「オオオオオッ!!!」
冥鬼の雄叫びに呼応して炎が強まる。
自身の皮膚すら焼いてしまいかねない地獄の炎を自らの妖気で作り出し、逃げようとする水鬼の体を焦がし始めた。
「燃える、燃え…嫌だァ…助け…ョヤ、さま…」
まるで魚の干物のようにカラカラに乾いた手を虚空に伸ばして水鬼が最期の声を上げるが、伸ばしかけた腕は水分を失い、カラカラに干からびてポッキリと折れた。
全身を炎に包んだままの冥鬼は腕の中でミイラのように干からびた水鬼をその場に落として踏みつける。
すると、既に事切れている水鬼の体は難なくボロボロと崩れ去った。
「や、やっ…た…やったー!あたしが倒したのよね、いまっ…あっつ!?」
鬼符に全神経を集中しきっていた楓は、しばらく気が抜けたようにぽかんとした顔をしていたがすぐに全身で喜びを表現するように飛び上がって冥鬼に駆け寄る。
だが冥鬼の体を纏っている火が思いのほか熱かったため、火傷をしてしまいそうになって慌てて距離を取った。
鬼火での火だけならば人間は熱さを感じないはずなのだが…冥鬼の体を纏う火はそれだけではなかったようだ。
「ふーっ…俺様の妖力を…火に変えたんだ。お前のチンケな火も…消火してやったぜ」
全身から火を噴き出していた冥鬼は、徐々に体に纏う火を弱めながら言う。
さすがに力を使いすぎたのか、その声は少し息が上がっていた。
そして程よく焦げてしまった両腕を一瞥すると、いつの間にか目を覚ましていた杏子と鈴蘭へと振り返る。
杏子も鈴蘭もポカンとした顔で冥鬼を見つめていた。
冥鬼の視線の先を追った楓が、遅れて二人の親友に抱きつく。
「アンちゃん!鈴蘭っ!怖い思いさせてごめんね…ごめん…」
「だ、大丈夫だよ楓ちゃん…アンちゃんも無事だったんだしっ…」
二人をめいっぱい抱きしめて楓が謝罪の言葉を口にする。
抱きつかれた鈴蘭があたふたとしながら楓の背中に腕を回した。
杏子はと言うと、熱に浮かされたようにぼーっとしたまま冥鬼を見つめている。
あんまりにも彼女が見つめてくるものだから、冥鬼は不審そうな表情を浮かべて上体を屈めた。
「…おい、水鬼に術でもかけられたか?」
「ひゃっ!?」
冥鬼が声をかけると、杏子は弾かれたように飛び上がって後ずさる。
何やらみるみるうちに杏子の顔が赤く染まっていくのだが、冥鬼はそれすら水鬼の術に掛けられたのかと疑いの目を向けた。
「水鬼は倒したはずだが…」
「だ、大丈夫っ!マジで何ともねーから…!助けてくれて、さんきゅ…」
やけにしおらしい態度で礼を告げた杏子を不思議そうに見つめる冥鬼。
そんな二人を、鈴蘭がどこか険しい表情で見つめていたのだが杏子はおろか、楓も冥鬼も気づかなかった。