16話【穏やかな時間】
「ふーん、鬼ってのは割とどこにでもいるんだなあ。ほい、次は鈴蘭の番」
赤い夕日が照らす部屋の中で、がさつな言葉遣いの少女が感心したように言う。
朝早くから鬼道家に遊びに来た少女二人は、楓を町へと連れ出していた。
ウィンドウショッピングを楽しむついでに、日頃の学校でのストレスを発散するといったところだ。
日中、雪鬼は修行をするために楓たちについて行くことはなかったが、彼女たちが楓の家に戻ってきた時に改めて顔を合わせる形となった。
まだ帰宅するには早い時間だと杏子がゴネたため、一同は楓の部屋でトランプ…正確に言うとババ抜きをしているのである。
「雪鬼くんは、魔法とか使えたりするの…?」
杏子からカードを引いて、鈴蘭が手持ちのトランプを雪鬼へと見せる。
同時に杏子は手持ちのトランプが無くなったために【1抜け】した。
雪鬼は透視でもするかのように真剣に鈴蘭の手元を見つめながらかぶりを振って答える。
「いいえ、似たようなものなら使えるかもしれませんが魔法とは違うと言うか…何と説明したら良いでしょうね、楓殿」
「そ、そーね…」
鈴蘭からカードを抜いた雪鬼は、手持ちにたった1枚残ったカードを楓に見せる。
それによって、今度は鈴蘭が【2抜け】した。
楓は今、【ババ】となるカードを持っていない。
おそらく雪鬼が持っている最後の1枚が【ババ】なのだろう。
食い入るように楓がトランプを見つめるものだから、まるで自分に熱烈な視線を向けられているように思えて、雪鬼は恥ずかしがりながらトランプで顔を隠してしまった。
「うっ!!」
「すみません楓殿…」
決死の覚悟で楓が引き当てたカードは【ババ】だ。
雪鬼は心底申し訳なさそうに頭を垂れて【3抜け】した。
楓は手持ちのカードを懸命にシャッフルする。
人数が多い方が楽しめると強引に参加させられた冥鬼は面倒くさそうに欠伸を噛み殺していた。
「さっさとしろ、馬鹿」
「あんた最近言葉遣い悪くない!?もうちょっと待ちなさいよ…」
何とか冥鬼に【ババ】を引かせようとカードをシャッフルしている楓は、改めて冥鬼に向き直った。
冥鬼のカードは1枚のみ。
ここで【ババ】を引かせることが出来れば、後は冥鬼から【ババ】を引き当てないようにすれば良いだけだ。
ごくり、と楓の喉が鳴る。
「へ、変な術とかで透視しないでよね…公平にいきましょ、公平に…」
そう言って、楓がカードを2枚突き出す。
楓から見て右のカードが【ババ】なのだが、この鬼がどちらを引くかは分からない。
冥鬼は面倒くさそうに欠伸をして、無造作に楓のカードに手を伸ばす。
長い爪が、ピタリとカードに触れた。
そして長い爪と爪で挟むようにして1枚のカードを引き抜く。
「上がりだ」
ポイ、と手持ちのカードを投げ捨てる冥鬼。
楓の手の中に最後に残ったのは【ババ】のカードだった。
「冥鬼、あんた絶対ズルしたでしょ…」
「見苦しいぞ下僕」
「下僕じゃないわよ!所有物より酷くなってない!?」
【ババ】のカードを手に楓が冥鬼に掴みかかるが、冥鬼はまるで子供でもあしらうように楓を押し返す。
そんな二人のやりとりを見て、鈴蘭がぽつりと言った。
「楓ちゃん…冥鬼くんとお話してる時、すっごく楽しそうだよね」
「えっ」
鈴蘭の呟きに、楓と雪鬼が同時に声を上げる。
雪鬼はすぐに頬を膨らませて、嫉妬に満ちた視線を冥鬼に送り、楓は苦笑しながらキッパリと否定した。
「何を言ってるのよ、楽しいわけないでしょ?何が楽しくて勝手に人のシャンプーを使うような男と…」
「へへへ、楓ってわかりやすいなあ…そっかそっか」
「いや、何か誤解してるわよね!?冥鬼はそういうのじゃないの!」
楓が必死に否定をすればするほど鈴蘭はニコニコと、杏子はニヤニヤと笑う。
これ以上何か言うと、それだけで一週間は冷やかされそうな気がする。
楓はグッとこらえてトランプを片付け始めた。
同時に、部屋の襖を開ける音が聞こえて振り返る。
祖母の桜だった。
「アンちゃん、スズちゃん、お風呂沸かしてあるけど入ってくかい?その間に夕飯の買い出しに行ってくるからさ…夕飯、食べていくだろ?」
「よっしゃー!食う!」
「ありがとう、おばあちゃん」
桜の声掛けに、杏子が元気よく返事をする。
鈴蘭はペコリと頭を下げて感謝を述べた。
夕飯の買い出しと聞いて無意識に立ち上がろうとする冥鬼を、桜が制する。
冥鬼は何故か、買い出しの荷物持ちを自らやりたがるのだ。
おそらく自分の好きな酒を買ってもらえるから、というのも理由のひとつかもしれないが。
いや、おそらくそれが狙いとしか思えない。
「ああ、冥鬼様は楓たちと居てあげてくださいな。…お酒はいつものでよろしい?」
「おう。いつも助かる」
自分の欲しいものを言い当てる桜こそ透視の術でも使ったのではないかと思いながら冥鬼は目をキラキラさせながら満足そうに応える。
桜には素直に礼を言う冥鬼を見て、すっかり胃袋を掴まれているな…と冷静に思いながら雪鬼が桜の元へ歩み寄った。
「桜殿、よければ僕に買い出しのお手伝いをさせてもらえませんか?」
「おや…悪いねえユキちゃん」
雪鬼の申し出に、桜は嬉しそうに表情を綻ばせた。
今度は冥鬼が据わった目を雪鬼に向ける。
「貴様、まさか桜に取り入って一人だけ美味い酒を買ってもらおうとか…そんな汚い手を…」
「僕は酒は飲まない」
冥鬼の言葉に被るようにしてピシャリと雪鬼が断言する。
お前と一緒にするなと呆れたような顔をして冥鬼を一瞥した後、楓たちに深く頭を下げてから桜と共に家を出た。
「ユキちゃんは、家で料理とかするのかい?」
「ええ、家事をしない同居人のせいで必然的に」
ゆっくりと町へ向かって歩きながら、桜と雪鬼は穏やかな会話を始めていた。
雪鬼は人里離れた山の中で狗神響子と同居をしているが、この響子が全く家事が出来ないのだ。
というよりも、家事をさせたらいけないタイプというやつである。
よって雪鬼は家事全般を引き受けており、一通りの家事はこなせる。
人より長い時を生きているため、自然と身についたとも言うのだが。
しかし人の作った食事には憧れるもので、桜の料理は鬼道家に立ち寄るたびに楽しみにしていた。
「桜殿の料理は、とても温かみを感じます。これが家庭の味と言うのでしょうね」
「ユキちゃん、褒めすぎよ。亡くなった旦那にも言われたことないのに…」
雪鬼に手料理を褒められた桜は、すっかり上機嫌で楽しそうに笑う。
楽しそうな桜を見ていると、自然と雪鬼も笑顔になってしまう。
まるで友達のように、姉妹のように二人は会話に花を咲かせた。
「…桜殿、冥鬼のことなのですが」
和やかな雰囲気を保ちながらも、雪鬼が遠慮がちに切り出す。
両手には今晩の食事の材料と、酒を持って。
「今朝、冥鬼と名乗る幼い鬼に出会いました」
「そうかい…」
桜は、驚くそぶりもなく応える。
一体あの小鬼は何者なのかと口から出かかって、また自分は余計なことを言おうとしてやしないだろうかと雪鬼が口を噤む。
そんな雪鬼の心中を知ってか知らずか、桜が口を開いた。
「あたしの娘…すみれってんだけどね、楓にとっちゃ母親だが。すみれも小さい頃から鬼の幽霊が見えるとか何とかって…よく言ってたね」
「………」
雪鬼は黙って桜の話を聞いている。
昔を思い出すように、懐かしむように桜が顔を上げた。
「あたしも、見たことあるらしいんだよ。らしい、ってのは…昔過ぎて覚えてないからなんだけどさ。小さい頃に何回か、ツノの生えた幽霊を見たとか言ってた時期があったらしいんだ」
そこまで言って、桜が一旦言葉を止める。
これはあたしの想像なんだけど、と前置きしてから再び話し始めた。
「冥鬼様はずっと楓やすみれ、あたしや母様、そのまた母様…もっと言うとあたしたち鬼道の血を引く者を見守ってくれてたんじゃないかって思うんだよ。もしかすると鬼じゃあなくて守り神様なのかねえ…」
しみじみと呟く桜の言葉を聞きながら、雪鬼は小さく唸る。
桜は冥鬼を守り神と言うが、彼は邪悪な妖怪であると雪鬼は感じていた。
それもただの鬼ではなく、鬼の王だ。
動物が自然と上下関係を作り出すように、本能で冥鬼に逆らってはならないと感じる。
きっと同じ鬼でないとこの感覚は分からないのかもしれないが。
(間違いなく、奴は正義の味方ではない…)
強烈に腹へ掌底を受けた時のことを思い出して、雪鬼は苦い顔をしたのだった。




