課題実習 厄介な誘い-1
朝靄のかかるセルラノフィートでは夜の終わりを告げる日の光が朝一番の鐘の音と共に
徐々に街の姿を鮮明にしていく。
街の中心にある時計塔から延びる無数の通りでは既に人が行き交い始め、飲食や衣服を商いとする商人たちはその日の準備をと店先に出始めていた。
窓から差し込む光がベットの上で微睡む少女へと降り注ぐ。整った顔立ちで17、8位の年だろうか。どこか幼さを残すその顔は眠りのさなかである。
光の眩しさに少女はころころと寝返りを打って光から逃れようとする。そのたびに若干色の薄い土色の髪が乱れる。
絹のような柔らかい布で作られた彼女の薄いネグリジェが身動きに合わせてずれていき
白い肌が露になる。時折もれる彼女の声が小さな部屋の壁や床にと吸い込まれていく。
次第に明るさを増す降り注ぐ光。徐々に彼女は眠りから起こされてゆく。
「もう少しだけ寝かせて」
誰に言うでもなく彼女は寝ぼけた声で呟く。寝ぼけたまま掛け布を頭のほうへと引っ張り上げそのまま顔に被せようとする。
「こらっ起きろ寝ぼすけセフィー」
突然響く女の声。
「起きろ。起きないとまた遅刻するぞ」
掛け布からゆっくりと頭から出てくるセフィーと言われた少女。そろそろと開いた双眸から伺える空のような青い瞳は未だ虚ろだった。
「いいかげん起きろ。早く起きろ。すぐ起きろ」
セフィーは上半身だけのっそりと起き上がる。
「ルシーナ?ってそんなはずないか。」
そして部屋を見渡し自分を起こす親友の声の発信源を探す。発信源は傍の机の上に置いておいた小振りな時計だった。
それは技術学の学べる学校に通う生徒が考案したあらかじめ決めておいた時間になると音で知らせる時計だった。
雑貨や小物、生活用品などを売っている店が並ぶ通りで買ったものを、魔法技術の知識があるルシーナが自ら手を加え寝坊の多いセフィーに贈った物だった。
文字盤の12個の数字それぞれの位置に色とりどりの魔法石が埋め込まれている。
そのおかげで本来決められた時間に音を出すことしかできない代物に吹き込んだ声を出させるという離れ業をやらせている。
今ではセフィーを決められた時間に起こす道具となっていた。セフィーは手を伸ばす。
「早く起きないとその小さな胸をもむぞぉ。セフィーの小さなおっぱっ」
言葉の途中でセフィーは時計の上部についている停止用の突起を倒す。突起を倒すと同時に流れていた友人の声は止まる。
そして元の位置に時計を戻しながらぼそぼそと呟き始める。
「私、別に胸小さくないし。普通だもん。ううん普通より少し大きい位だし」
セフィーはベッドに腰掛大きく欠伸をし、
「だいたいルシーナが昔から大きすぎるんだよ。万年巨乳むすめ、め」
目元を擦りながらもセフィーはぶつぶつと呟く。
両手を高く上げ大きく伸びをする。そしてそのままセフィーはベッドに仰向けに倒れる。
なぜか目線は自らの胸元へと向いていた。
年頃の娘らしくしっかりと膨らんだ胸。布が少しずれ片方の上半分ほどが直に肌まで見えている。
同い年の娘こたちよりどう見ても一回りは大きい
いくつか年下の少女たちとはちがい膨らみ始めたばかりの胸のような尖がった感じではなく柔らかく丸みを帯びている。
「うんっ小さくはない」
しばらく自分の胸元を見ていたセフィーは満足げに頷きそして微笑み呟く。
寝返りをうち横向きになり目を閉じる。
「もう少しだけ。あと少しだけ」
誰に言うでもなく一人で言い訳をし再び眠りの世界に行くセフィーだった。
外では朝の到来を告げる小鳥のさえずりと都市に響く二つ目の鐘の音がなり続けるだけだった。
学園都市セルラノフィート
様々な学問が学べ、学ぶ意志がある者にとってはまさに楽園と称される場所。都市全体は円形に近い形をとっており中心の時計塔から12の方角にそれぞれ技術学、医学、武術学、工学、魔法学といった学問の学舎が建てられている。
時計塔から北に位置する神学および宗教学の学舎は都市の中では一番大きな教会として、西に位置する技術学や工学の実習棟は大規模な生産工場として機能するなど、これらの学舎は学舎として以外で使われる機会も多々あった。
神学や宗教学が学べる学舎の建つ位置から時計塔を挟んで正反対の位置に魔法学がまなべるフィラート魔法学園の学舎がある。
その魔法学園では、朝と昼の間の一時の休息の時間を告げる鐘がちょうど鳴っていた。
恋人とともに手作りの昼食をとる者、自宅へと食べに戻る者、学食へと急ぐ者などたくさんの人が動いていた。
休息を告げる鐘の音が響き渡ってから少し時間がたったころ学舎の中に存在する4つの内一番広い学食の片隅で一つのテーブルに二人の少女が座っていた。テーブルの上には昼食としては多少量の多い料理が並んでいる。それなのに二人とも一向に食べようとしない。
よくみると二人のうち一人がもう一人になにやら話し込んでいるようだった。
「でっ?今日はどうして遅れたの」
光るような金色の髪、褐色の肌をし切れ長で碧眼の少女が目の前で項垂れる少女に少々きつい口調で問いかける。問われた少女は空色の瞳で褐色の肌の少女を上目遣いでみる。
その表情からは勘弁してほしいという気持ちが見て取れた。
「そんな顔しても駄目。きちんと説明しなさいセフィー」
そんな事などお構いなしで褐色の肌の少女は目の前の少女を問い詰める。
ずっと項垂れていた少女は頭を上げ申し訳なさそうに話し出す。
「その、寝坊しちゃって、走ってきたんだけど間に合わなかった。ごめんねルシーナ」
ルシーナと謝られた少女は椅子に深く腰掛け腕を組み右目を閉じたまま左目を細めセフィーに言う。
「私があげた時計使わなかったの?」
切れ長で元々少しきつい目つきが半開きの状態になっているのでさらにその迫力を増している。セフィーはまともにルシーナの顔を見ることができずその視線は宙をさまよう。
「その、使ったよ。ちゃんと、あの、時計」
「じゃあ、どうして寝坊したの」
びくびくと話すセフィーにルシーナは問う。
しかしその問の答えはなかなかセフィーの口から出てこない。しばしの間沈黙が支配する。
テーブルを小刻みに叩くルシーナ。その指が奏でる音がまるで時を刻む音のように聞こえる。
「一度は起きたんだけど。二度寝したら寝過ごしちゃった」
沈黙を破りセフィーが答える。
「はぁあ、全く」
その答えを聞いたとたんルシーナは大きく溜め息をはいた。
片手を頭に据え軽く左右に振る。あらかじめ予測していた答えの為かもしくは予想外に呆れる内容だったからか彼女の溜め息はとても深いものだった。
「これで何度目その理由?」
頭痛を堪える様に手を額に乗せたままルシーナは問う
「えーっと何度目って聞かれてもそのぉ。とりあえず5度目?」
セフィーの答えにルシーナはまた、溜め息をつく。
「とっくに10や20は超えてるわよ」
ルシーナにそう言われセフィーはしょんぼりと俯く
「ごめんね、ルシーナ今度からはちゃんと起きるよ」
覇気のない声でセフィーが話す。それをきいてルシーナは三度溜め息をつく。
「もういいよ。セフィーの寝起きの悪さは昔からだし」
諦めの言葉など気にも留めず、何故かセフィーの表情は明るくなる。
「それじゃぁ。早くご飯食っ」
「ただしっ罰としてセフィーはお昼ご飯抜き」
セフィーが言い切る前に彼女の言葉はルシーナによって遮られる。
セフィーは瞬間的に悲しげな表情へと代わり目元に涙までためてルシーナに訴える。
「勘弁してよぉ。朝も食べてないんだよ」
そんな彼女にルシーナは容赦なく悪戯を叱る母親の様に言う。
「二度寝して寝坊するセフィーが悪い」
「そんなぁ」
今にも泣き出しそうになるセフィーにルシーナは小さく気づかれない様にそっと溜息をつく。
「仕方ないわね。今日は勘弁してあげる。だからそんな顔してないで食べようセフィー」
とたんに明るくなるセフィーを見てまだまだ自分は甘いと一人頷くルシーナだった。
それにしてもよく表情の変わるものだとルシーナが苦笑いしている事など気づきもせずセフィーはせっせと食べ物を自分の口へと運んでいた。
一時の休息の時間もだいぶすぎた頃、ルシーナはセフィーに話しかける。
「そういえばこの間の検定試験の結果どうだった。まぁ聞くまでもないけど」
それは先日行われた検定試験についての事だった。
セフィーは食後のデザートを口へと運ぶ手を止め、話に応じる。
「詠唱、降霊ともに合格。ルシーナは?」
傍らに置いておいたお茶を一口二口と飲みながらセフィーは笑顔で答えた後、逆に尋ねる。
「もちろんどちらも合格。それも文句なしのその場で合格」
片手をくいっと曲げポーズをとりながら片目をつぶりルシーナは答える。
その顔はとても晴れやかだった
「さすがはルシーナ凄いね。その場で合格なんて」
「それはお互い様でしょ。私の科でも大分話題になってたわよ。何の躊躇いもなく
第5範囲の魔法で不合格にしようとした検定員ごと吹き飛ばしたって」
「あはは、それは、また、、、、、、」
大げさな尾ひれがついた物だと頬を引き攣らせながらセフィーは事の成り行きを説明していく。
彼女たちが検定試験を受けてから既に一週間がたっていた。
検定試験を受けた生徒にはその後、合格の有無がそれぞれ個別に文書で通達される。
その文書は魔法学園の中央職員室で作られるのだが、その数の多さで受験した生徒全員の手元に通知が届くのは少なくとも一週間程かかる。その為受験した生徒たちが結果を知る事が出来るのは一週間以上後になる。
しかしセフィーとルシーナはすでに検定直後にその試験結果から合格を約束されていた為
通知書が届くより前に結果が分かっていた。
「ねぇそれよりさぁ」
検定試験の結果については早々に話を終わらせルシーナは新たな話題を持ち出す。
セフィーはデザートを食べ終え満足げに食後のお茶を飲んでいた。
「今度の課題実習どうする」
ルシーナの持ち出した話題にセフィーは嫌そうな顔をする。先程までの笑顔が消えた事に少し後悔しながらもルシーナは話し始める。
都市指定区域課題別合同研究課外実習。通称、課題実習。舌をかみそうな長ったらしい正式名称を誰も言わないこれは魔法学園に限らずこの学園都市にとって武術大会、その後にある舞踏祭に並ぶ都市が一番活気づく催しの一つだった。
学園都市の12の代表的な学問の学園が同時期に合同で開催する一大行事。学園の垣根を取り払い個人でも数人のグループでもはたまた何十人の団体でも自由に課題を選び校内、校外関係なく活動できる。
一人で技術研究をするもよし、団体で新しい魔法を開発するもよし、都市内にいる職人や医師のところに短期間の弟子入りするもよし、はたまた都市指定の遺跡や森といった場所に調査に出てもよしというように本人次第で何をしてもよかった。
セフィーやルシーナの通うフィラート魔法学園も12ある学園の中の一つである。
彼女達は初等科である魔法基礎三学科を卒業した後、そのまま魔法高等三学科へと進学した。
そこまで大きく差のない初等科に比べ、個人が力を入れて勉強したい科目を選び専門的に知識や技術を身に着けるのが高等科である。
セフィーは魔法の杖や装飾品の作り方等の技術を学ぶ魔法技術学科に、ルシーナは科学や工学に特殊な効果を付けたり魔法薬の研究等の応用を学ぶ魔法応用学科に在籍している。
「まだ決めてない。ルシーナは?」
セフィーはその整った眉をハの字にしながら言う。ルシーナはそんな彼女の答えにどこか安心したような表情をしていた。
「私もまだ。計画書提出の期日まで一週間しか無いから早く決めないとね」
課題実習にはいくつかの具体的な種類がある。
都市指定区域での遺跡や古墳での探索、調査。
都市の治安部隊経由で回ってくる魔物退治の依頼。
教会指定の神殿ならびに祠で封印陣の補強、補修。
この他にも職人の工房への弟子入りや病院への研修、個人やグループでの自主研究などがある。
これらの期間中は普段在籍している学園の出席は免除となる。これは実習中に落第や成績を気にせず存分に学んでほしいという都市の計らいだった。だがこの制度を悪用する生徒が近年増えてしまった為、学園都市セルラノフィートでは課題実習中の出席免除は期日までに計画書を提出した者達のみ認めるという事になっていた。
「すごい必死だね、みんな、、、、、、」
セフィーがお茶を飲み干したカップをテーブルに置きながら話す。
彼女の視線の先には彼女たちと同じようにまだ計画書を提出していない学園の生徒たちがあちらこちらで課題実習の仲間集めや計画書と睨み合う姿があった。
例え本当にに学園外へ赴き討伐依頼や研究の成果を上げたとしても、事前に計画書を出しておかなければ、事後報告ではその間の欠席を免除して貰えないからだ。
例年だと自主研究を希望している生徒や医療研修、弟子入り志願の生徒は期日よりもかなり早く計画書を提出してしまう。一刻でも早く研究や修行に取りかかる為、また相手先の都合などに合わせる為だ。
一方、毎年期日直前か出せずじまいになってしまう生徒もいる。探索仲間を見つけられず申請を出せない魔術師や冒険家、傭兵気取りの生徒。もしくはすっかり期日を忘れていたおっちょこちょいの生徒である。
「間に合うといいけどね」
どこか他人事のようにセフィーが語る。
「本当大変そう」
ルシーナの口調もどこか他人事のようだった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そしてお互い沈黙する。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
黙って見つめ合う二人。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
なぜか微動だにしない二人。
「お待たせしました」
動かない二人の元に二人分のケーキとお茶を持った黒い給仕服を着た女性が立っていた。
二人の机に黒い給仕服をきた女性がケーキとお茶をおく。ルシーナは無言のままセフィーを見つめる。
先ほどまで自分を見ていた空色の瞳は爛々と輝きケーキだけを見つめている。いつの間にかセフィーの右手には人差し指ほどの小さなフォークが握られていた。
「いただきまーす」
にこやかにケーキへと小さなフォークを持っていくセフィー。
大きく口を開けて今にもそれを食べんとする彼女に
「待ちなさい」
咄嗟にルシーナが止めに入る。彼女が器を自分の方へ引いた為セフィーのフォークは虚しく宙を切る
「うん、、、、、、わかった」
素直に言うことを聞くセフィー。右手に握っていたフォークをゆっくりとテーブルにおく。
「どうしようか。今回の実習。私は今回も弟子入りがいいとは思ってたんだけど」
現実から逃避しようとしていた親友を引き戻し、実習について話し出すルシーナ。彼女は自分なりの希望をセフィーに言う。
「私もそれがいいなって思ってたんだけど、、、、、、」
セフィーとしても今回の課題はルシーナと同じく弟子入りが希望だった。
彼女たちは前回の実習時にある一つの工房に弟子入りをした。
「カーボォさんもいつでも歓迎するって言ってたのにね」
「のにねぇ、、、、、、」
セルラノフィートの時計塔から学舎へと伸びる職人通りの一つに大きくはないが腕がいいと評判の工房がある。
中では髭を生やした初老の気のいい職人が一人おり、何人かの若い弟子と忙しく作業している。
「あんな魔法応用できる人ほかにいないわ」
「応用だけじゃないよルシーナ。魔法技術も相当な腕だった」
彼の名はカーボォ。魔法技術と魔法応用を使いこなす凄腕の職人。
セフィーとルシーナは前回の実習時そのカーボォの工房に弟子入りした。魔法技術を学ぶセフィーと魔法応用を学ぶルシーナにとってそれらを自由自在に使いこなすカーボォはとても尊敬できる人物だった。工房の若い弟子たちに交じり厳しくも充実した時間を過ごし工房の技術をいくつか身につけた二人。
「それなのに、、、、、、」
ルシーナが言いながら溜息をつく。
「それなのに、、、、、、」
セフィーも溜息をつく。
「「孫が生まれたからって工房しめてまで顔見に行くなんて」」
カーボォは一月ほど前から一人娘が嫁いだ西大陸の小さな港町に行っていた。
セフィーとルシーナが弟子入りの計画書を出せないのは彼の代わりの工房をみつけることが出来なかったからであった。
食堂ではあちらこちらで仲間集めをする生徒がおり、日の当たる窓際の席では二人の少女が溜息をつきつつケーキを食べていた。