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パイロット

作者: 野兎症候群

 イエローナイフに到着して二日目の夜、寿司ノースという何とも言えないネーミングの寿司屋さんで私は淡泊であっさりとした食感の北極イワナの握り寿司を食べていた。北極イワナがどういうものかは知らなかったがマグロのような厚い切り身になって握り飯の上に乗ってる姿を見ると大きめの魚なのかもしれない。店の人に聞くと氷に穴を開けてワカサギ釣りの様に釣るという事だった。なかなか大きさの掴めない魚だと思った。


 そんな時の事だった。


「あ、飛行機の時の」来客に気が付いて私は声をあげた。


 つい先日、イエローナイフの空港ロビーの待ち時間に少しだけ雑談し、別れ際に「Have a good journey!」と言ってくれたカナダ人の男が店の入り口に立っていた。名前を思い出そうとしたけど、そう言えば自己紹介はしなかったことを思い出した。


「やあ、昨日の空港の時の! オーロラはちゃんと見れたかい?」


「ええ。昨日の夜は凄かったんですよ、レヴェルファイブのオーロラだったんです」答えて私は撮ってきた写真を彼に見せた。慣れない英語だけで昨夜の光景を言えた切れる自信がなかったからだ。


「ファンタスティック! 君は運が良いね。この時期は曇の日が多いから見れないまま帰る観光客も多いんだよ。Wow、ところで何を食べてるんだい?」


「北極イワナ。此処にしかいないらしいから。ねえ、ところでこの魚はどれくらいの大きさか知っている?」


 確かこれくらいだよ、と言って彼は手を広げた。サンマくらいの大きさみたいだ。


 彼はカウンターで巻き寿司を頼んで私の目の前の席に腰を下ろした。まだ色々喋りたい様子だ。私も彼のフレンドリーな雰囲気が気に入ったので付き合うことにする。


「そうだ! 今夜は暇? 俺、九時半まで暇なんだけどさ、もし良ければ市内観光でもどう?」彼は巻き寿司を完食したところでそう訊いてきた。


 チラリと時計を見ると時刻は七時十分。今夜のオーロラ鑑賞ツアーまで後三時間近く時間があった。


「勿論! 深夜にオーロラ見る以外に予定はなかったんです」


 ファンタスティック! と彼は言って喜んだ。彼の口癖なのかもしれない。



* + * + *



 彼の名前はマットと言った。オタワ出身のパイロットでイエローナイフで働いているらしい。見知らぬ外国の街の夜を彼のマツダのエンブレムだったが走っていく。旧市街のモニュメントと高台から見下ろした風景、ダウンタウンの酒屋とオシャレなカフェ。彼は色々な場所に導いてくれた。私の英語能力はそこまで高くなかったけど、会話は不思議ととめどなく続いた。


「えっ!? 君も二十五歳なのかい。驚いた。俺も同い年なんだよ」


「Wow! 珍しい偶然もあるもんだね。でも二十五歳でパイロットなんて凄いじゃないですか!」


「小さな航空会社だけどね。でもいつかカナダエアーや日本のANAのパイロットになりたいんだ。知ってるかい? 777! あれは凄いんだ」


「ボーイングの飛行機?」


「そう! 大型機でロングフライト! 俺が乗るのは二十人乗りの古くて小さなプロペラ機だけど、やっぱり大型がいいんだよ。性能が全然違うんだ! 家で使ってる飛行シミュレータのコックピットのモデルは777なんだぜ」


 彼は熱っぽくそう言った。航空学校を出てパイロットとしての第一歩を歩み始めたばかりのマットにはまだ大きな夢がある。素敵なことだと思う。


 彼とは別の、情熱の灯が昔の自分にもあったと思う。しかし、私の情熱は東京のくだらない現実の雑踏に揉まれてもう消えかけてしまっていて、私にとって彼は眩しく感じられた。


「イエローナイフは長いの?」


「いや、全然!オタワの 航空学校を卒業して最初の勤務地ってだけでまだ一年とちょっとだけさ。でもさ、俺はね、この街にずっと居る気はないんだ。悪い街じゃないんだけど、いかんせん娯楽が少ないからね!」


「私は素朴で嫌いじゃないけれど、まあそういう面もあるよね。……そう言えば今はどこに向かっているの? 新市街?」


「ああ、俺の会社。飛行機、見たいだろ?」


「Of cource! でも良いの? 企業秘密とか」


「まあ大丈夫さ。それにこんな退屈な町に見る場所なんてほとんどないんだからね。せっかくはるばる日本から来たんだ。面白いものを見せてあげるよ」


「サービス精神旺盛だなぁ。それにしてもまさかノープランの私の旅行でこんな素敵なオプショナルツアーが発生するなんて思ってもみなかったよ」


「ははっ、出会いは全部偶然さ。偶然を掴むか掴まないかは君次第で、君はそれを掴んだんだ」


「なんだか詩的で良い言葉だね。何かの格言?」


「俺のママの受け売りだよ」


「That’s great!」


「ほら、すぐそこだ」


 ダウンタウンから十分ほど車で走ったところに大きな倉庫に事務所がくっついたような建物があった。事務所の入り口には小さく社名が入っている。ここら辺の土地で発着する地域限定の航空会社のようだった。


 事務所に簡単に挨拶だけして私たちはメンテナンス倉庫に入った。小さな会社と言う割には倉庫はかなり大きく、中には十数機の型の違うプロペラ機がエンジン部をむき出しにされて置いてあった。大体どれも四十人乗りくらいの小型機だった。


「どれも同じに見えるかもしれないけど、プロペラエンジンやコックピットの構造や用途が少しずつ違うんだ」


「ふうん、航空会社にも色々な種類の飛行機があるんだね。マットはどれを操縦しているの?」


「俺のは外だよ。寒いけど、見る?」


「もちろん!」


 倉庫の外に出ると、そこはマイナス十五度。指があっという間にかじかんだが我慢するしかない。私はマットの背を追いかけて一台の飛行機に近づいた。倉庫の中にあったものよりもさらに一回り小さなプロペラ機だった。


「夏は車輪をフロートに付け替えて水上飛行機にするんだ。結構人気なんだぜ」


「へえー。でも操縦方法とか変わったりして結構難しいんじゃないの?」


「まあ、多少はね。でもそんなでもないさ。……そうだ! 君も操縦席に乗ってみる?」


「えっ? それ、いいの?」


「No problem,,, maybe! 俺が副操縦席、君が操縦席に座って」


 流石にエンジンをかけるわけには行かず、操縦席と副操縦席を中心に取り巻くように広がるレバーやスイッチの説明、フットペダルと操縦桿を使って機体尾部の操作をやらせてくれた。飛行機の操縦はアナログな方法が多いことに驚いた。


 ひとしきり彼の飛行機を観終わった後に再び外に出る。途端に冷気が身体中に忍び込んできた。やはりこの国の冬は寒い。


「寒そうだね」


「この国に比べて温室育ちだからね」


「ははっ。でもこれくらいの寒さはまだまだ序の口だよ。この街が湖に囲まれているのを知っているだろ? これから大体一か月後くらいに湖の表面が全部凍ってからは気温はグンっと下がってマイナス三十度を下回るんだ」


 湖は寒さを和らげているというのは意外だった。イエローナイフという地域の特殊性はなかなか興味深い。


 マットに訊くと、そんな寒い時期になってもきちんと小型飛行機の需要はあって、彼は飛行機を飛ばすらしい。


「この小さな飛行機は俺にとっての始まりなんだ」


 彼の胸にどのような感情があるのかは分からなかったが、多分それは彼の情熱の着火点なのだろう。彼にとっての人生始まりのエンジンは極寒の飛行場に佇む小さなプロペラ機に灯っているのだと思った。

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