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吉野倫は認めない

「おはよう。マチ、随分早くないか」


「おはよう。昨日英語のノート学校に置いてきちゃったの思い出したの。早めに行って予習する」


起きたばかりの倫と対照的に、すでに制服に着替えた真知は玄関で靴を履いているところだった。

真知は昔からどこか抜けていて目が離せない。


「リボン、ずれてるよ」


「あ、ありがとう」


歪んでいたセーラー服のリボンを整えてやれば、仄かに頬が朱に染まった。


「でも、私ももう子どもじゃないんだよ。言ってくれれば自分で直すのに……」


ぼそぼそつぶやく真知の言葉を爽やかな笑顔で黙殺し、「そういえば」と人差し指を立てた。


「真知の英語の担当は新井先生だったろう?多分今日くらい抜き打ち単語テストがあるぞ」


「えっ。先生そんなこと一言も言わなかったよ」


目を見開く真知につい「だから抜き打ちなんじゃない」と突っ込むものの、未だ半信半疑の彼女は「そうかなあ……」とぼやいていた。


「とにかく備えあれば憂いなしだよね。ありがとミチ。あずちゃんと加持くんにも教えてあげなきゃ……」


何気なく出た名前に眉間がぴくりと反応する。


「加持?あの加持か?」


「あの加持って、うちの学年には加持くんって一人しかいないと思うけど。急ぐから、じゃあね!」


「行ってきまーす」と駆け足で出て行った真知の背が見えなくなっても倫はその場に立ち尽くしていた。





「会長機嫌悪いスね」


黙々と書類を片付ける生徒会長を前に首を傾げたのは、三年会計平田航(こう)だ。

いざ仕事となると普段の爽やかな笑顔はどこへやら、冷酷なほど厳しいとされる倫に対してこの平田の態度は、他の執行部メンバーをはらはらさせるに充分だった。


「航くんは引っ込んどいてね」


「いてっ」


途端、平田はごつりとお盆で頭をはたかれる。


「痛いっス副会長ぉ~」


涙目になる平田に構わず、副会長と呼ばれた彼女・糸井静は冷えた眼差しをひたと倫に向ける。


「会長。……お茶です」


「お茶かい!」という平田の突っ込みを背に浴びながら、静は机の上の中でも奇跡的に書類に侵食されていない場所にお茶を置いた。

授業終了からひたすら机の上に向かっていた倫はやっと気付いたように顔を上げ、ゆっくりと首を回す。


「……平田先輩、うるさいです」


「ごめんなさい!でもねっ、でも僕一応この生徒会で唯一の年長者……ッ!」


平田の必死の主張も虚しく、綺麗に無視した倫は黙ってお茶を一口嚥下した。


「暑いね」


ぼそりと零された言葉に静は「あれっ」と口元を手で押さえた。


「お茶熱過ぎました?申し訳ございません」


「いや、そうじゃなくて。すまない。ややこしい言い方をしてしまったね。

もうすぐ五月だろう」


それがなにか?と言わんばかりの平田をはじめ、他の面々の訝しげな表情の中で唯一、みなから<氷の女>と称される静は倫の次の言葉を待った。


「……なんでもない」


ごくり、と誰かの生唾まで聞こえる沈黙を破った倫の返答に、みな一様に「なんだよー!」「会長が珍しく自分のこと話すと思ったのにぃ……」「猫かぶり会長のプライベートな話聞けると思ったのになあ」などと好き放題囁きあった。


「平田先輩、聞こえてますよ。……静」


猫かぶり会長などという、平田や一部の人間から言わせれば事実をたぶんに含んだこの呼び名を倫は気に入っていない。万が一真知に知られてたりなどしたら、全員まとめて学校前に流れる銀杏川に問答無用で投げ込んでやる。

そんな内心を露とも見せず、倫は優秀な副会長に呼びかけた。


「なんでしょうか。会長」


張り詰めていた倫の空気が破られたことにより堰を切ったように喋り出す生徒会の面々に気づかれぬよう、静はそっと倫に寄り添うように立つ。


「春って、恋の季節なのか?気の迷いだよな?」


「……は?」


じっと睨むように壁から目を離さない倫を唖然と見ることしかできない。


ただ、この会長の珍発言が彼の溺愛するたった一人の妹に起因するだろうことを静は正しく察知した。

そしてこんな厄介者に好かれる彼の妹に、静は心底同情するのだった。





倫が廊下を歩けば自然と人だかりが生まれ、同時にあらゆる情報もその場に集うのであった。

今朝の抜き打ちテスト情報も、他クラスの生徒から教えてもらったものだ。

「会長、ちはー」「吉野くんのフォローのお陰でこの間の数学助かった~!今度奢らせて!」「あっ会長。今日C組が抜き打ちテストあったって」「Cって言えば加持が……」


「加持?」


聞き覚えのある名に顔を上げると、発言者でもあるG組の羽賀(はが)は「そう。あの加持」と頷いた。


「新しい彼女作ったんだな。四六時中その子にべったりだって」


「バカお前!それ吉野さんのことだろ……!」


瞬間、その場の空気が凍りついた。そして無言の倫に、ぎこちなく視線が集まる。


加持潤一は遊び好きで誰とも気安く言葉を交わしはするが、特別仲の良い者などこの学校にはいない、言ってしまえば浮いた存在であった。

そんな厄介者の加持に目をつけられた女子生徒。生徒会長・吉野倫の双子の妹。

吸い込む空気さえ重く冷たいと、慌てて羽賀のフォローに入った八代(やしろ)は顔を青くさせた。


「……そうか!マチもあの年で初恋もまだなのかと心配していたところだ。なぜみんな暗い顔をする?加持は優しくマチに接するだろう。初恋の相手にぴったりだ。練習とさえ思えばね。あの子のためになるじゃないか!

さあみんな。昼休みももう終わるよ」


腕時計を確認しながらの倫の指摘に、前半の弾んだような彼の口調に硬直していた者たちも現実に引き戻される。人だかりが崩れ、散り散りとなっていった。

その波に紛れて同じG組の教室に向かう八代は、背の高い羽賀の腕を無理やり引っ張りながら涙目で文句を垂れ続けていた。


「もうっ。羽賀の天然ぶりにはほんっっと手を焼く!さっきのアレは肝が冷えたよ。全く……会長が怒らなかったから助かったけど」


「練習……」


「は?」


八代の言葉など耳にも入っていないように、遠ざかる倫の背を見つめていた羽賀はことりと首を傾げた。


「あの言い方はあんまり好ましくないな」


「なにが?」と問いかけるときには八代も足を止めて、国公立志望者クラスでもあるA組の戸の向こうに消える倫の背を見守っていた。


「だってあの言い方じゃ、まるで吉野さんが会長の所有物みたいだ。

(りょう)は小学生のときから一緒なんだろ。昔からあんななのか?」


黙って足元に目を落とした八代は、隣にいる羽賀にしか聞こえないほどの小さな声で答えた。


「変わらないよ。ずっと、変わらない」


刻み込むような声音に、八代は二人のなにを見たのだろうと羽賀はまた思案するのだった。

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