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3 アンダーグラウンド

2014年5月26日(月) 早朝


今日も朝方になった。


白に近いクリーム色にブリーチした長髪を揺らしながら、ヘッドフォンを首にかけ、マスクをしたその男は、急いでいた。


否、急ぎたくても、か。ハッ、と一人乾いた笑いを立てる。


ウォッシュタイプのDIESELディーゼルのジーンズは所々穴が開いている。一瞬、震える。羽織ったパーカーの中は半袖のTシャツ一枚ではまだ肌寒い。


息苦しくて一瞬外したマスクのすき間から、街のにおい、とでも言うのだろうか。朝の冷えた空気は澄んでいると感じられるのに、どこか嘔吐物が混じっているような、焦げたにおいがガムの跡やゴミが放置されたままのアスファルトから浮かび上がっている。


ついさっきまでの夜中には、客引きや浮かれた多国籍観光客でごった返していた歓楽街が、朝営業の店をのぞいて静けさを取り戻している。仕事を終えたであろう、嬢やネクタイ連中が次々入って行く評判の定食屋に目を一瞬向けた。


朝飯か、と一瞬考えたように立ち止まりながら、


「貯金、貯金。それに食えんし」


とボソッとひとりごちて男は再び歩を進める。坂を下って、ビルの間を抜け、スクランブル交差点で立ち止まり、広告の流れる巨大スクリーンを一瞬見上げてから、下を向き横断歩道をボーっと見る。


来月には、ここもきっと群青色に染まるのだろう。揃いもそろって日本代表のユニフォームレプリカを着た浮かれた奴らでごった返す。


本当に、サッカーが好きか?


要は、騒ぎたいだけだろ。酒の肴になれば何でもいいくせに、フィーバーみたいに浮かれた国中が、試合の結果に一喜一憂する。


栄光の向こうに、山のように踏みつけられた跡があることなんて気づきもしないんだろうが。


あのスクリーンにも、試合風景が映し出されて、計ったように熱狂の渦を煽ることだろう。


2年前のロンドンオリンピック時には、DJみたいに軽快な誘導が有名になった警官がいたらしいが。その頃の記憶はあいまいだ。


ジェットコースターどころか、天国と地獄、ってやつかな。


うざい。全部がうんざりだ。聞きたくもないのに、ヘッドフォンの向こうから喧噪が流れ込んでくる。


単なるナショナリズムなのか、誰かとつながっていたいだけの連中か。サッカーに興味すらない奴まで、ここぞとばかりに勝負に一喜一憂する。


とにかく、放っておいてくれ。巻き込まないでくれ。俺ごときを。


そう心で自嘲しながら男は、すれ違う人たちの見ていない振りをしている自分への視線に、気づいている。


は、こう思いたいだけだろう?



『よかった、自分の方が幸せだ』



病室で向かいのベッドだったおっさんの言葉を思い出す。


手術の前に、きっと術後は眠れないから、「坊主、ストロー持ってきな、ペットボトルから飲むといいよ」とストレッチャーの上の俺の手に握らせた。毎朝、無理やりカーテンを開けられ新聞を読まされて、同士のように思っていた。どうしようもない絶望の中で、同じ疾患同士だろう遠慮すんなって、って恥ずい位に浪花節。


熱が上がって、点滴で朦朧とした意識の中で、はっきりと聞こえてくるカーテンの向こうからの声のトーンは別人のように低い。


「若いのに、かわいそうだよなぁ」


聞こえるわよ、と笑いながらヒソヒソとつぶやく女の声と一緒に、坊主は寝てるさ、といういつものおじさんの調子が妙に響いた。


それは、単なるつぶやきだったのかもしれない。でも、憐れみって最悪。小さい傷が積み重なっていくと、人の心は止まるんだ。知りたくなかったけど。


なんで一気に来るんだ。

病気なんてなりたくなかった。

はじまりは、単なる風邪だと思った。

だって、あのスゲー連中と闘う中で休んだら、俺の居場所なんてあるわけねーだろ。

だからずぶ濡れでも、雪まみれでもピッチに立ち続けた。

しかも、なんで足にまで同時にくるんだよ、クソッタレが。


どんな環境でも耐えようと決めていた。ひいきばかりして理論も三流なコーチ、フェアではないチームメイトたち、もう思い出したくない。


でも、もっと上手くやれたのか。俺が上手く立ち回っていれば。


そもそも、もっと早く病院に行ってたら。


後悔の波にのまれたら、二度と戻っては来られない。たら、れば、の世界には、答えのない闇が広がっているだけだ。


殺したい奴が、人生で増えていく。だけど、実行する訳にはいかない。なぜなら、一番殺したいのは自分自身に他ならないのだから。


目が合う奴らがすべて自分を見下しているような気がしてしまう。被害妄想、とババアなら切り捨てるだろうが。


ちょっと前まで、俺には未来しかなかった。努力して踏ん張って、夢ってやつは、叶えるもんだと思ってた。だって・・・・・。


自分一人だけの人生ですら、がんばりもしない周りのヤツらなんてクソだと。学生のくせに勉強どころか、浮かれた恋愛ごっこする連中・・・あいつみたいな。


だけど、今はもう、そういうの全部どーでもいい。


楽しいとか、ワクワクするとか、どっかへ行ってしまった。



ボールはどこかへ消えた。俺はもう死んだんだ。



引きずる右足に入らない力を込め階段を一段ずつ滑るように登り、倒れ込むように電車に乗り込んで手すりにつかまる。


やべぇ、今日も遅刻しそう。・・・まぁ、どうでもいい。来年卒業さえできれば。そして、・・・・・消える。


つかれた。とにかく寝てしまおう。始発の意外に混んでいるシートのすき間に無理やり腰かけながら、この不良が!的に睨んでくる隣の始発帰りのサラリーマンにも気にしない振りをして、右膝は伸ばしたまま男は浅い眠りについた。





(発酵小話:第3話)

DIESELディーゼル・・・イタリアのファッションブランド。ディーゼルのDNAとは、勇敢であること。つまり、不可能に見えることにも常に挑戦し続け、人をあっといわせるようなものを創りだすこと(オフィシャルホームページより)。大阪のユースチームに入る時、餞別に父親から贈られたジーンズ、という設定です。

つまり、キョウ視点です。

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