狂都怨霊改め方『左近』
怨霊蔓延る魔の都『狂都』。
古より伝わる陰陽術と縁の深いこの地では、相応に縁の深い物の怪どもと、それを調伏する事を生業とする陰陽師達との間で激しい争いが繰り返されてきた。
街が栄え人が増え、時を経て建物が趣を帯びると共に、蔓延る物の怪の数も増していく。そこで、時の権力者『監夢天皇』は新たに役所を設け、怨霊物の怪の退治に当たらせた。
即ち『怨霊改め方』。
その初代担当に、陰陽師として名を馳せていた私が命じられた事は誇らしく、喜ばしい事だと言わねばならない。
今日も今日とて狂の街。光と闇が交差する街道で怪しの気配を追いつつ、私は街の入り口である羅召門に足を向けていた。
「はぁ……めんどい」
ひとつ息を吐き、強大なる羅召の門を見上げる。先日此処に設置した結界術は恙無く効果を発揮しているらしく、街中に闇の気配を感じることは少なくなった。街の中のことは部下に任せても問題ないだろう。問題が有るとしたらむしろ町の外だ。
結界に押し出され、門の外でこの街と結界の様子を探るように徘徊する物の怪は後を絶たない。この街に如何して其れほどの魅力があるのか、一度調べる必要があるのかも知れなかった。
「サボっちゃおうかなー。『門の外を調査していた』とか言ったらバレないよね、きっと」
探るように門の外へと視界を巡らせると、黄昏に煙る瘴気が目に映る。そして聞こえてくる足音。砂利を踏む音は駆け足で近付いてくるようだった。
「やべ、物の怪かな?」
音の正体を探ろうと、私は柱の影に身を隠した。音は次第にはっきりと聞こえてくるようになる。軽く、小刻みに、急ぎ足で、音は一つ。物の怪ではないだろう、どうやら人の足音らしい。
一先ず安堵して、瘴気の奥を覗き見る。こんな時間に、それもたった一人で門の外を出歩くなど命知らずもいい所だ。役職にあるものとしては一言注意しなければならない。
「こんばんはー……うわぁ!」
声をかけた次の瞬間、駆けて来た影は私の胸元へと飛び込んできた。驚きはしたが、思いの他軽い衝撃によろめきかけた姿勢を正すと、長い髪から草花の香りが鼻腔をくすぐる。そこでようやく私は、自分の胸に居るのが小柄な女性である事を認識したのだった。
「あっ……お、おと……あと、おか……も……。お、おねが……します……!」
「落ち着いて話してね。大丈夫。こう見えても私は役所に勤める身だから安心して。何かあったの?」
出来うるかぎり優しい声で諭すように話しかけると、彼女はまだ潤む大きな瞳をこちらに向けた。目鼻の通った顔には、みだれた髪と土が付いたままであったが整えればなかなかの美人になるであろう事がうかがえた。
「住所と名前を聞いても良い? 後、出来れば年齢も。あ、そうだ。立ち話もなんだから、近くの茶屋でお団子でも食べながらってどう?」
なんとか娘を落ち着かせようと取り留めの無い事を口に出したりしていると、彼女もようやく落ち着きを取り戻したのか息を整え始めたようだ。
「お願い、します。助けてください。お父さんとお母さんが、急に倒れてっ! お、お医者さまを! あ、あとっ」
一気に吐き出した息を吸いなおし、そのまま深呼吸をした後、彼女ははっきりとした意志を持って、その言葉を紡いだ。
「お団子、いただきますっ!」
兎にも角にも娘に休息を与えようと、私達は行きつけの茶屋に腰を落ち着けた。明らかに農民の薄汚れた娘を見て店主は良い顔をしなかったが、多めに料金を払えば騒ぎ立てたりはしないだろう。給仕に二人分の団子と茶の注文を言い渡した後、娘はぽつりぽつりと詳しい事情を語り始めた。
それによると、彼女の父親が先日足に怪我をしてしまい、年老いた母に任せるよりはと自分が畑仕事をする事になった、それが今朝早くの事だったらしい。早起きをして父母の分の朝食を用意し、見かけよりもずっと重量のある父親の鍬を担いだ彼女は、見よう見まねで畑を耕し始める。どれくらいの時間そうしていたのだろう。手に出来たまめはつぶれ、陽も傾き始めたのを確認した彼女は、疲れた体を引きずるように家路に着く。そこで彼女が目にしたものは、低く呻きながら腹を抑えてうずくまる両親の姿だった。
「へぇ、それで医者を探してここまで来たんだ。大変だったねぇ。あ、お団子来たよ」
「はい、一刻も早くお医者様に診てもらわなきゃと思いまして。あ、美味しいですお団子」
「じゃあ、私が医者を呼んできてあげるよ。お茶もどうぞ」
「本当ですか!? 助かりますっ。ふぅ、お茶、いい香りですね」
よほど焦っていたのだろう、彼女はお茶を喉の奥に流し込むと、ようやく一息つけたようだ。
その姿を横目に見ながら、私は懐から携帯できる筆や紙等の筆記用具を取り出し、事のあらましと呪印を書き込む。そしてそれを鶴の形に織り上げると、これに仮初めの命を吹き込み式として使役する。陰陽術としてはごく一般的なものである。
「名前は何にしようかな」
「何ですか、それ?」
「鶴だよ」
「まぁ、お上手ですね」
説明に、娘は首を傾けた。
簡素な説明では理解しがたかったのだろうが、かまわず私は術式を発動する。実際に見たほうが早いだろう。
「よし、お前の名前は『鶴丸』にしよう」
「良い名前ですね」
完成した式を手のひらに乗せ、呪文を唱える。
「天地五行に従いて『名』は『命』に ―― 属性は『木』救急如律令!」
呪文と共に息を吹き込むと、式はその紙で出来た羽を振るわせ宙に舞い、くるりと私の頭の上を旋回する。折鶴は自分に命が下るのを待っているのだ。
「医者の所に行ってくれ。頼んだよ」
命を受けた式は黄昏の空に消えていった。式で医者を呼ぶ事はこれが初めてではない。手紙を読めばすぐに彼女の両親の元へ行ってくれるだろう。飛び去った折鶴を口を開けたまま眺めていた娘に微笑を返しながら、私は茶屋の席を立つ。
「彼が医者を呼んできてくれるよ。私達は先に行って待っている事にしよう。応急処置くらいは出来るからさ」
「はわぁ、すごいんですねぇ、お役人様って」
彼女の感心の仕方はどこかずれている様にも感じたが、詳しく説明しても理解が得られるとは思えない。それよりも彼女の両親の事の方が気がかりだ。
「私の名前は『左近』だよ。そう呼んでくれたら嬉しいな」
「は、はい。わたしは『右里』と申します。よろしくお願いします、左近様」
互いに名を名乗りあった後、私達は彼女の住まいが有るという近隣の集落へ足を向ける。
黄昏はその色を深めはじめていた。
右里の住む集落へは、都から半刻も歩かずにたどり着く事が出来た。
家の扉を開くと聞こえてくる人のうめき声。どこか酸い匂い。奥の間に彼女の両親が並んで横になっている。
「ただいまー。ささ、狭いところですが上がってください」
「おじゃましまーす。この匂い……親御さん吐いたの?」
「あ、はい少し。一応ふき取ったのですが、まだ匂いますか?」
「少しね。そうか、もしかしたら『毒』かもね」
「ど、毒ですか!? そ、そんなものが……」
陰陽師ならば、人体について少なからず知識が必要になる場合がある。私に医学の知識があるのもその為なのだが。彼女に聞いた状況と、目の前の現状を合わせてみると、その可能性も否定するわけにはいかなかった。
寝ている二人の側に寄り、失礼と知りながらも簡単な検診をしてみる。脈拍はやや速い。眼球の運動は正常。熱も少しあるだろうか。
「どうでしょうか、左近様」
「うん、わかんないけど、とりあえず水分はとった方が良いかな。二人分の水を持ってきてくれる?」
「あ、はい」
右里は短い返事の後、裏口から出て行く。おそらく井戸があるのだろう。
それにしても、この家に入ってから、何者かの気配を感じる。ねっとりと絡みつくような視線。窓の外に人影が見えたような気がして外を覗いてみるが、誰も居ない。警戒しながら寝ている二人の下に戻ると、丁度右里が二つの茶碗を持って戻ってきたところだった。
「これで良いですか? 左近様」
「うん、ちょっとそこに置いといてねー」
「はい。えっと、これに毒が入ってるなんて事は無いですよね?」
「ん? どうかな。まぁ、一度清めるつもりだったから、丁度良いよ」
茶碗の中の水が静まるのを待って、そこに呪文を乗せる。
「天地五行に従いて『静』は『清』に――属性は『水』救急如律令!」
茶碗に手の平をかざすと、それぞれの水面に一度だけ波紋が落ちる。見た目には解らない程度に澄んだ水。私はそれを、彼女の両親の口へ運んだ。
体を起こさせて口に流し込んだ水は少し零れてしまったが、どうにか飲み込んでくれたようだった。この分なら命に別状は無いだろう。
「まぁ、これで大丈夫だと思うよ。後は本職の人に任せよう」
「はい、でも毒だなんて……」
両親の呼吸が幾分か落ち着いたのを見て、右里は少しだけ表情を緩めた。しかしすぐに眉を寄せ、考えるような仕草をする。
「どうかしたの?」
「いえ。毒と……関係ないのかもしれないのですが、近くの山で蜘蛛の化け物を見たと、凸郎さんが言っていたのを思い出したもので……」
「トツロー?」
「あ、はい。最近越してきた隣の家に住んでいる方です」
「ふーん、となりのトツローか……」
「はい、となりの凸郎さんです」
狂の街の周辺を物の怪どもが徘徊しているのはわかっていた事だが、彼女の言葉には何か引っかかる物を感じた。
「話を、聞きに行ってみようかな」
「あ、はい。そうですね。解りました。ご案内します」
丁度入れ替えるようにやって来た医者に右里の両親の事を任せた後、私達は隣の家へと向かう事にしたのだった。
「此処?」
「はい。凸郎さーん、居ますかー?」
隣近所とはいえ、農家の敷地は広い。右里の家から四半刻ほど歩いた先にあった凸郎の家は、余っていた家屋を与えられたという事もあって、どこか廃れた面持ちを残したままだった。それに、あきらかに不穏な空気をまとっている。警戒を強めながら、私は扉が開かれるのを待った。
「……なんだ、右里ちゃんか。何の用だ?」
「あ、ちょっと聞きたい事が……」
「今、忙しいんだ。後にしてくれ」
取り付くしまもなく閉じられようとする扉に足を挟んで阻止すると、凸郎は盛大に眉をしかめ、恐ろしい形相でこちらを睨む。その眼光は鋭く、正常な人間が持つそれとはまるで違う怪しさを秘めていた。
「うわ、足痛。えっと、そう邪険にしないでよ。ちょっと蜘蛛の話を聞きたいだけなんだからさ」
出来るだけ警戒心を与えないようにと引っ張りあげた口角には、やはり無理があったのだろう。凸郎は更に顔を歪め、まるで親の敵でも見るような目つきに変わっていった。
「……何故気付いた」
「へっ? あ、あの。蜘蛛の話をね」
低い声で返ってきた言葉には、瘴気が混ざり始めていた。急激な変化に戸惑いつつも、もう一度問いただすと、凸郎は立て付けの悪い扉を一気に開け放った。その力で吹き飛ぶ扉。とても常人の力だとは思えない。
「何故、俺様が蜘蛛の化身だと気付いたのか聞いているんだっ! この変化の術は完璧だったはずだ。隣に住むそこの暢気な娘にさえ気付かれていなかったというのに! 糞っ! このままでは少しづつ時間をかけてジワジワとこの集落を乗っ取り、狂の街を襲う足掛かりにするという俺様の計算尽くされた計画が狂ってしまう。おいそこの若造! 悪いが口封じの為に死んでもらうぞ!」
おぞましい妖気を解き放つと共に、凸郎は自らの計画を語る。その勢いは凄まじく、私は右里を後ろ手に庇いながら、必死に気圧されまいと足を踏ん張った。
「えっと、まだ何も聞いてなかったんだけど、何だって?」
「と、凸郎さん。貴方、人じゃなかったの!?」
「ふふふっ、そうだ。貴様らの言うとおり俺様は蜘蛛の化身、土蜘蛛さまだ!」
恐ろしい妖気を感じ取った私が躊躇した隙に、右里は前に出る。そして正体を明かした土蜘蛛と会話を始めた。
好機だ。そう思った。
私は土蜘蛛の意識が右里に向いている隙に、彼らの周りに陣を敷く。
「どうしてこんな事を!」
「くくくっ、ならば聞かせてやろう。俺様の祖先はその昔朝廷の命を狙い、戦いに敗れ封じられた。その恨み。口惜しさ。この俺が変わりに果たしてやろうというのだ。高尚なものだろう?」
「そ、そんな恐ろしい事を……!」
恐怖に慄く娘に気を良くしたのか、土蜘蛛の口は更に滑らかになる。この分ならこちらの作業には感付かないだろう。
「かかかっ、今こそ我が真の姿を見て、恐れ慄くが良い……って、貴様何をしている!」
急にこちらに話を振られ焦燥が我が身を襲う。陣はもうすぐ完成する。それまで何とか間を持たせなければならない。
「えっ? あ、な、なんでもないよ。気にしないでよ。真の姿でしょ? 早く見たいなあ」
「ふんっ、良いだろう。そんなに見たければ見せてや……」
「でーきたっと」
どうにか土蜘蛛の周囲をまわり、元の位置に戻ってくる事に成功した。囲んだ円が呪を帯びる。
「おい、おい最後まで聞……」
「何ですか、これ?」
「円だよ」
「まぁ、お上手ですね」
右里の手を引き後退すると、円の中には土蜘蛛のみが残る。陣となった円に手を触れ、心を落ち着けて呪文を口にした。
「天地五行に従いて、『円』は『炎』に ―― 属性は『火』救急如律令っ!」
轟、という音と共に、炎が爆ぜる。
一瞬にして円の中のみを焦がした其れは、断末魔も許さずに土蜘蛛を消し炭へと変えた。その妖気すら残さずに。
「凸郎さん……」
「安らかに眠ってくれると良いなー」
「……そう、ですね」
冥福を祈る言葉も、野望が終えた彼には慰めにはならないのかも知れない。だがそれでもと、空を仰ぐ。
まだ低い月が、闇を照らし始めていた。
「ええっ!? しょ、食中毒ですか!?」
陽が落ちて燈台に火を灯した右里の家に、彼女の声が響く。
医者の診断は、狂の街を狙っていた物の怪とはまったく関係なく、どちらかと言えば彼女とその家族に問題がある事件だったわけだ。
「うう、わ、わたしのせいですか?」
「いや、夏場だからかな? 注意しないとね」
少なからず彼女に責任はあったのかもしれない。顔を歪める彼女の髪にそっと触れる。涙を堪えてこちらを見上げる彼女に抱いた感情は、おそらく今後も消し去る事はできないだろう。
「これからは君が家族を支えなきゃだしね」
「うう、わたしにできるでしょうか」
「大丈夫じゃない?」
他人事のような答えに、右里はまた泣きそうになった。だから私は彼女にしてあげられる事を考えなければならないと思ったのだ。安心させる為に笑顔を返しながら。
「もし、困った事があったらさ、また私を頼ってよ。いつでも力になるからさ」
そして、携帯用の筆で自分の手の平に丸を書く。其れを見た右里は蜘蛛退治を思い出したのか、困惑した表情を見せた。
「ここに手を置いてくれる?」
「え、だ、大丈夫なんですか?」
「だいじょぶだいじょぶ」
「じゃ、じゃあ……」
恐る恐る手を重ね、上目遣いで不安を訴える右里は、何とも愛らしく感じた。
「天地神明に従いて『円』は『縁』に ―― 属性は『人』救急如律令っ!」
円は赤く発光し、重なる笑顔。二人の間に確かな絆が生まれる。
「また来るよ、君に会いに」
「……はい」
狂の夜に浮かぶ月。二人を照らす怪しの光。それでもそれは、温かい。包み込むようなやわらかい想いに満たされていた。
<完>