九十九の後輩くん
この作品は『お題小説:「秋の恋愛祭」』の中の「体育祭彼女」の続編となります。この話だけ読んでも、おそらくなんのこっちゃとなりますので、興味のある方は先にこちらをお読みください。 http://ncode.syosetu.com/n5148bv/3/
「つくも先輩」
「どうだね! 後輩くん」
「…。十問中二問正解です」
「おぉ、ニ十点!」
「いえ、最後の問題は途中式がないので、実質一問だけです」
計算して消したような跡もないし、完全に勘で書いたという事だ。
しかし、そんな計算もせずに当てずっぽうで書いて当たるような答えでもないのに。
なぜこの人は当てることが出来るのか…。
「そんな事より、こんな調子で大丈夫なんですか?」
「平気へーき。いつもこれくらいだよ」
「明日ですよ? 分かってます?」
「後輩くん、人生は意外に何とかなるものだよ」
「……」
楽天的すぎて、これ以上先の言葉が出てこない。
何とかなるんだったら、今こうして勉強を教えている意味がないんじゃないか?
卒業できるかどうかを決める重要なテストなのに、なぜそんなにのん気でいられるのか不思議だ。
「…ちょっと休憩しましょうか」
闇雲に教えてても、この調子じゃ埒が明かない。
教えられる範囲には限りがあるけど、効率の良い勉強法くらいなら教えられると思うし。
いや、でも普段から勉強してないのなら、今は休憩入れずに続けてた方のが良かっただろうか…。
「どうした後輩くん、難しい顔して」
「…何でもないです」
「そっか! じゃあ休憩なんだし、お茶しようか」
女の子らしい、女の子の部屋に置かれた白くて丸いテーブル。
その上には今使っていた教科書やらノートやらが置いてあるのに、腕で豪快に薙ぎ払って綺麗になった。
そのまま部屋を飛び出して、一人だけ残されてしまった。
テーブルの下のカーペットには消しカスは一つも存在せず、表紙を見せている勉強道具があるのみ。
それらを拾って、再びテーブルの上に戻した。
……女の子の部屋の中で、しかもたった一人で何もせず待っている事なんて出来なかった。
何かしていないと落ち着いていられなかった。
一応男なわけだから、いろいろと見て回りたいとか、ベッドに置いてある枕に顔をうずめてみたいとか。
そんな事を全く考えていないわけではない。
ピクリと自然に足が反応したところで、素早く先輩は戻ってきた。
カップを二つ、トレイに乗せて。
「お待たせ後輩くん! 紅茶で良かったかな?」
「大丈夫ですよ」
目の前に置かれたカップからは湯気が立ち上り、部屋の中にほのかな香りが充満していった。
「……先輩は、推薦なんですよね」
「そうだよ?」
「その大学……難しいですか?」
「うーん…。どうなんだろうね? そういう事はよく分かんないなぁ」
おそらく、察せていないのはつくも先輩だけだろう。
わざわざこの話題を、しかも真面目そうなトーンで話しているのだから、もう少し気付いてほしい。
そういうところが、良くも悪くもつくも先輩らしいんだけど。
ここで言わないと、次に会えるのはいつになるか分からない。
つくも先輩と、離れるのは――――。
「先輩と……同じところに行きたいです。勉強して、何が何でも受かってみせます。だから…」
後の言葉が続かない。
だから…、何だろうか。
必死に頭の中を模索していると、いつの間にか先輩は隣に座っていた。
「大丈夫。後輩くんならきっと、絶対」
先輩の優しい手が、俺の頭を撫でていた。
涙は見せたくなかったし、今はそんな事をしている場合じゃなかった。
だけど。
――――――――――
「どうでした、先輩」
広げられた数枚の解答用紙は、見るも無残なものだった。
勉強会という名の俺の恥じさら……まぁ、いいや。
とにかく今はこの現状を受け止めることが大事だ。
「……。何か言う事は?」
「いつも通りかな。悪くないんじゃない?」
どれも進級すら危ぶまれるレベルの点数なんですが…。
さすがに学年末でこれはヤバいんじゃないだろうか。
本人に危機感というものは一切ないみたいだけども。
「率直に言いますね。…大学いけないですよ?」
「えーでも推薦だよ? スポーツ推薦」
「卒業出来ないと無理です」
また勉強会を開くしかないのか…?
でも本人にやる気がない以上、意味なんて全くない。
今どれくらい危機的状況なのかを分からせないといけないが…どうやってこの人に…。
「えーっとですね…。留年です。推薦でも留年です。分かりますか? もう一度三年生を――――」
働いてはいけない悪知恵が、頭の中に根付いてしまった。
二度三度頭を左右に振ってみるが、一度生まれてしまったものは、そう簡単に離れてはくれなかった。
「後輩くん?」
「な、なんでもないです。とりあえず、追試があると思うのでそれに向けて勉強しましょうか」
「えー、また勉強?」
「……仕方ないですよ」
綺麗に整頓された先輩の勉強机から、国語の教科書とノートを取り出してテーブルに置いた。
先輩も渋々カバンの中から筆箱を取り出して、さっそく今日の勉強会が始まった。
しかしほとんど上の空で、先輩の質問も答えも耳に入らず、適当な相槌ばかりを返してしまっていた。
いつの間にか俺の視線は教科書やノートから外れ、文字を書く先輩の手つきや、悩む先輩の顔ばかりを見ていた。
「先輩…」
テーブル越しに触れた先輩の柔らかい唇。
もちろん先輩の方からやって来たわけではない。
自然と、自分の体が動いてしまっていた。
我に帰った時にはすでに遅く、先輩は混乱しているかのような表情をしていた。
…実際に混乱してるんだろうけど。
「す、すみません!」
「こう…はい、くん?」
「……。ごめんなさい。今日はもう、帰ります」
その場にいるのがつらくなって、自分の荷物だけ持って部屋を後にした。
後ろから呼び止める先輩の声がするが、その声を戻る気にはなれなかった。
自分からやっておいて、やり終わったらさっさと逃げる。
足早に歩く帰り道で自己嫌悪に陥っていた。
――――――――――
結局、追試の日が過ぎても先輩の家に行くことはなかった。
三年生は学年末考査が終われば卒業式まで休みなので、学校で顔を合わせることはない。
メールでのやり取りは少ししてたが、家に誘われるような内容は全て有耶無耶な返事をしていた。
そんな状態は卒業式のその日まで続いた。
今頃学校では式が執り行われ、号泣する生徒や先生で溢れている事だろう。
つくも先輩がそれに出席しているのかどうか、一通のメールが届くまでは分からなかった。
――――――――――
心機一転、とはいかなかったが、勉学の面においては問題なく進学することができた。
これでついに受験の波に呑まれるのかと思うと、あの人の事を思い出す。
何か部活に入って結果を残せていれば、苦しむこともないのだろうか。
すっかり新しくなった下駄箱に靴を入れ、校舎の中へと入って行った。
これが去年まで先輩たちがいた場所か。
同じ学校なんだからどこの廊下も同じはずなのに、学年が変わるとどういう訳か違うものに見えてくる。
同時に、一番上の学年としての優越感なども芽生えだしてきた。
まだそれほど実感はしていないが、新一年生の顔を見るとどうしてもそう思ってしまう。
予め確認しておいた教室に向かうと、そこそこ仲の良い友人もちらほら。
クラス替えでほとんど変わったが、去年まで二年生だった人ばかりなので知った顔が多い。
そんな中でも――――。
「後輩くん遅すぎー」
「まだセーフです。というより、これからつくも先輩と同学年ですからね?」
「えー、でも後輩くんだって私のこと先輩って呼んでるよ?」
「じゃあ……つくもさん?」
「後輩くんが好きなように呼んでいいよ」
「……。…今度はちゃんと勉強してくださいよ、つくも先輩」
「はーい。一緒にがんばろうね」
「はい」
こうして、同学年なのに先輩後輩という奇妙な関係が生まれた。
周囲の視線は多少感じるが、それほど気にはならなかった。
先輩の家に行くことを控えていたが、新学期以降それはなくなった。
むしろテスト前などは、先輩の家で勉強会を開くのがお決まりとなった。
すでに一周経験してるつくも先輩よりも、初めて三年生の単元を学ぶ俺の方が出来がいいのは秘密である。
今度こそ先輩は進学できるのか。
それはきっと2人にしか分からない。