それぞれの名
「ふふふ、ふふ、ふははははは!」
「おっさん、さっきから気持ち悪いぞ」
人が気持ちよく笑っていたら、女剣士から気持ち悪い呼ばわりされた。
ウェンネルソンから出発し、当てもなく歩く街道。見渡す限りの草原だ。遠くには薄い緑の山嶺と、森の濃緑が望める。
なぜわしが、こんなにも上機嫌なのかというと、それは先刻の出来事を振り返らざるを得ないだろう――。
魔泉で依頼人である青年の彼女を助けた後、街へ送り届けた。
感涙し咽び泣いていた青年がしつこいくらいに感謝を口にしていたのは記憶に新しい。
青年はぜひとも礼がしたいと言って引かず、あまりの熱意に押され、わしらはそれを受けた。
そこで聞かされた驚きの真実……。
「俺、実は伝説の鍛冶師の子孫なんだ」
一瞬、青年が何を言ったのかよく分からなかった。が、数瞬の後、女剣士が驚きの声を発したのだ。
よくよく聞けば、青年は勇者の鎧兜を作った鍛冶師の子孫だという。
剣と盾はこの世界を創造したとされる女神が作ったという情報も、同時に仕入れた。
「それでさ、俺にぜひ、あんたの剣を打たせてほしい」
その申し出は素直に嬉しかった。なんせ新品同様な銅の剣を、大して使う込む間もなく、魔王の幻影とやらに溶かされてしまったんだからな。
鞘に収めた刃のない柄だけの剣が、どうしようもなく惨めで仕方なかった。物に同情したのは、生まれて初めてだったかもしれん。
そうして、快諾したわしは、青年に新しい剣を打ってもらったのだ。
打たせてほしいと懇願されたのに……技術料を1000Gも取られたが。
「――気持ち悪いとは失礼な。これを見よ。この白銀に輝く鋼の美しさを。シンメトリーに聳える尖塔。芸術の都の民家に刺さっていても、それが剣だとは到底思えないほどの美術的価値を持った、洗練されたすばらしい出来ではないか。笑うなと言うのは酷な話だぞ、女剣士よ」
「あーうるせえうるせえ、何度目だよ、そのセリフ。もう聞き飽きて耳がオクトパスだぜ」
耳からタコ足が生えているのを想像する。
うねうねと鞭打つようにのた打ち回る、気色の悪い脳内映像に、危うくさっき食したピーナッツバターサンドをリバースしそうになった。
「気持ちの悪いことを言わんでくれ……」
「これだから野蛮な脳筋は浅学でいやになるわね。たこはたこでも、そのタコじゃないわよ」
呆れたようにクレリック。
同じことを考え想像したわしも、暗に馬鹿と言われているような気がして少し悲しくなった。
「ところでこれからどうします? 行くあてがないのも旅の醍醐味だと思いますけど、あんまり悠長なこともしていられないと思いますし」
そうだ。わしらは勇者一行。
旅の目的は魔王を打ち倒すこと。そして世界に平和をもたらす事だ。
鋼の剣ごときで浮かれてはいられない。これは通過点でしかないのだから。
ゆくゆくは、勇者の剣なんか手に入れちゃって……。
そうだ、閃いた。
「ところで、勇者の剣というのは、いまいずこに?」
「たしか女神の塔じゃなかったか?」
わしの問いに、刀の鞘を肩にとんとんと当てながら女剣士が答えた。
と――
ズバッ!!
「えっ?」
気づいた時、女剣士は、大股五歩分ほどのわしとの距離をいっきに詰め、刀を抜き、なにかを斬りながら横を通り抜けた。ぷぎぃと小さな悲鳴が聞こえる。
残心しつつ、チンッと納刀した音がした瞬間、続いてバシャアと水音が耳に響いた。
気になって背後、下に目をやると。そこには、鋭い牙を持ったイノシシが真っ二つになって血の海に倒れていた。
「油断しすぎだぞ、おっさん」
白い歯を覗かせながら、にっと笑う。
そのあまりに眩しい笑顔に、そして命の危機を救ってくれた仲間に対し、わしは心からの感謝の気持ちを体現しようと、駆け出した!
「うぅおぉぉぉおおおお!! ありがとうパティスちゅわぁぁあああん!!!!」
腹肉がぶるるんと踊る。
勢いに任せて抱きつこうとしたが、その思惑は寸でのところで失敗に終わった。
柄尻が眉間を突き、それ以上前に踏み出すことが出来なくなっていたのだ。
「痛い、なにをする」
なおもぐりぐりとねじ込まれる柄。その表情を確認しようと、女剣士の顔を見た。不浄なものでも見下すかのような視線で眼を射抜かれる。
「下心見え見えすぎて気持ちが悪い」
「そげなこと言わないでパティスちゃん」
「だから、その名前で呼ぶなよ! それは源氏名だ! ただでさえ、あんなところで働いてたのは黒歴史なのに……」
後悔しているのだろうか。がっくりとうな垂れるその姿は、いつもの強い女剣士からは程遠く弱弱しい。
しかし、そのおかげでわしは女剣士と出会えたんだし……あれ、そうでもないか?
「なら、本名はなんなんだ?」
言葉にぴくりと反応し、しばし思考しているように固まった。
ややあって、顔を上げた女剣士はいつもどおり溌剌として言った。
「しょうがない。仲間になったんだし、教えてやるよ。一度しか言わないから、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。あたしの名前はライア、女剣士ライアだ」
「ライア、いい名前ではないか」
いまさらだが、赤がよく似合いそうな名前だなって思った。
「次はおっさんの番だぜ?」
「わし……?」
とどのつまり、わしの名前が知りたいと、そういうことだろうか?
しかしこれは困った。わしはほぼ、王様としか呼ばれたことがない。名詞である王様が、もはやわしの名前だと自分でも思っていた。
名前という名前があったかすら、いまとなっては思い出せないのだ。
「……王様」
「喧嘩売ってんのか?」
素直に答えたのに、刀の唾で小突かれた。痛い。
「しかしだなー」
「ん? まさか、覚えてないとかいう冗談なのか?」
覚えていないという事実は冗談ではないと思うのだが……。
「まあ、そうなるかもしれん」
正直に答えると、あからさまに落胆したように憮然とされた。
と、いきなり頭が軽くなるのを感じた。脳みそが空になったとかいう冗談ではない。それは、わしの王様である最後の証でもある王冠が外されたことによるものだ。
振り返ると、クレリックがいた。
「勇者様、少し失礼します。もしかしたら王冠に名前が彫られているかもと思いまして……」
王冠を裏返し、その内周を精査し始める。
回転させたり、皿のようにして目を走らせる。
しばらくすると、なにかを見つけたようにはっとした。
「……ワルド」
「ワルド?」
「ワルド……?」
クレリックの言葉に、わしらは連続して鸚鵡返しした。
「それがおっさんの名前なのか?」
「ええ、そう書いてあるけど……」
ちらとクレリックが目配せしてくる。わしはあまりのショックに言葉が出ない。
「ははっ、なんか魔王よりも悪そうな名前だな」
ライアが笑いながら口にした。
ナイーブな心の傷を真綿で抉りかえすような、やわらかな痛みがちくちくともどかしい。
そうなのだ。悪そうなのだ。ワルドだなんて、どこの国の悪逆皇帝にだっていやしそうにない名前だ。そんな悪い王だって、こんな名前よりはかっこよくてスタイリッシュな名をしているだろう。
言い知れぬ悔しさに、自然と涙が浮かんできた。
「ワルドのおっさん、泣いてるのか?」
「泣いてない」
「泣いてるじゃねえか」
「泣いてないと言っておる」
つつーと頬を水が伝う。きっとこれは雨だ。もしくは先ほどのイノシシの返り血だ。そうに違いない。
「悔しかったら泣いていいんだぞ?」
ライアはそう言ってくれるが、名前が想像と違った。それが悔しかった。そんなことで泣く奴がどこにいるんだ。逆に惨めなだけではないか。四十を過ぎた渋くてナウいオヤジが、そんなことで泣いてどうする。わしは王、いまは勇者。どんな困難にも立ち向かう、それが勇者だ。こんなことでへこんでなんていられない。
ぐいっと服の袖で涙を拭う。そして気持ちを切り替えた。
「ふはは、まあ、魔王よりかはいいではないか。名詞でしか呼ばれない輩よりはマシだろう」
いままでそれが自身の名だと思っていたが、固有名詞があるだけで多少の優越感に浸れるというものだ。
「まあ、魔王にも名前はありますけどね」
「……えっ?」
クレリックの言葉に笑いが止まる。冷ややかな手で背筋を撫でられた気がした。
まさか、わしよりもかっちょいい名前が……っ!?
聞きたくない、聞きたくないと脳が拒絶の信号を発し、両耳を塞ぐ動作に移行した、瞬間、
「エルムって名前だったかと」
ぴたりと、両の手が止まった。
エルム?
「なんて弱そうな名前だ」
「名前だけならおっさんの勝ちだな!」
それは喜んでいいのか悪いのか。判断に迷うが、若干の勝利感。
魔泉での幻影の禍々しい姿、あのうねうねと蠢く触手、瘴気。とてもじゃないが、『エルム』だなんて名前だとは思えない。
どこの田舎の小奇麗な青年だ?
「さて、おっさんの名前も分かったことだし、最後は……」
わしとライアの視線が合わせてクレリックに注がれる。
なんの躊躇いもなく、クレリックはその小さな口を開いた。
「ソフィアです。以後よろしく」
ソフィアは丁寧な礼をしてみせる。
冒険を始めてからいまのパーティーを組み、数週間。
初めて互いに名乗り、その名を知ることが出来た。結束力が少し増した気がする。
……自分の名前にはショックを受けたが。
ここから新たな気持ちで一歩を踏み出そう。
ワシらには、魔王を倒すという指名があるのだ。気を引き締めていかないと。