役立たずと追放された宮廷補助術師の私、ギルドの隅で拾った一行だけの手紙を頼りに辺境で成り上がります~「あなたの仕事は、誰かの命を救っていた」
「お前の魔法は地味すぎる。宮廷の恥だ、出ていけ」
バルザック魔術師長の言葉が、謁見の間にやけにはっきりと響いた。
──ああ、ついに来たか。
私、シノは内心でそう呟いただけだった。
喚かない。泣かない。縋らない。
前世で十五年、総務畑でサンドバッグにされ続けた社畜の精神は、この程度の理不尽ではもう揺らがない。
「私の魔法は、確かに地味です」
淡々と、私は答えた。
周囲を取り囲む宮廷術師たちが、くすくすと嘲笑を漏らす。その中心で、燃えるような赤毛の女──ルクレツィア・ファルケンが、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「聞きましたか皆さん? 自分でも認めてるじゃない。攻撃魔法も使えない、派手な治癒もできない。毎朝こそこそ何をしているのかと思えば、誰にも頼まれていない『お掃除魔法』ですって。宮廷術師の名が泣くわ」
どっと笑いが起きる。
私は黙って、その光景を眺めていた。
この人たちは、誰も知らない。
私が毎朝かけていた『地味な魔法』が──王宮全体の防腐、浄水、結界の微調整、魔物避けの維持、兵士たちの疲労軽減付与が──止まった瞬間、この国の何が崩れるのかを。
知らないなら、それでいい。
「わかりました。出ていきます」
私はぺこりと頭を下げた。
その淡白すぎる態度に、バルザックが一瞬たじろぐ。
「……っ。なんだ、その態度は。言い返すことはないのか」
「ございません。怒鳴り返すと思われていたなら、期待外れで申し訳ありませんね」
荷物は元々少ない。術師ローブと、わずかな私物。私は静かに机へ向かい、引き出しを開けた。
──その時。
ひらり、と一枚の古い羊皮紙が落ちた。
拾い上げて、目を落とす。色褪せたインクで、たった一行だけ書かれていた。
『あなたの地味な仕事は、いつか誰かの命を救う。だから、どうか折れないで』
……前任者の、誰かが残したものだろうか。
胸の奥が、ほんの少しだけ熱くなる。
私はそれを、そっと胸ポケットにしまった。
「では、皆さん。どうぞお元気で」
振り返らず、私は謁見の間を出た。
背中で、ルクレツィアの甲高い声が追ってくる。
「ふふっ、せいぜい辺境の溝でも掃除していなさい!」
せいぜい笑っておくといい。
あなたたちは、まだ気づいていないのだから。
──この国の何が、崩れるのかを。
*
辺境の街シャダム。
王都から馬車を乗り継いで五日。たどり着いたのは、埃っぽくて活気だけはある国境の街だった。
そしてその一角に建つ、ボロボロの冒険者ギルド。
「鑑定の結果は……えーっと」
受付嬢のミラが、そばかすの浮いた顔を引きつらせた。
「こ、攻撃力ほぼゼロ……? 治癒も使えない……? あの、お客さん、本当に冒険者登録するんですか?」
「はい」
「で、得意なのは……『防腐』『浄水』『耐久付与』『状態異常予防』『環境維持』……?」
「はい」
周囲の荒くれ冒険者たちが、げらげらと笑った。
「なんだそりゃ、家政婦かよ!」
「掃除魔法でゴブリンが倒せんのか? え?」
慣れたものだ。私は表情ひとつ変えない。
そして、用件を切り出した。
「報酬はいりません。このギルド、私に整理整頓させてください」
ミラが固まった。
「は……?」
「食料庫、湿気てますよね。あれだと三日で腐ります。井戸の水も濁ってる。装備の手入れも雑。負傷者の傷も化膿しかけてる。全部、私が予防できます」
「タダ働き!?」
ミラの絶叫がギルド中に響いた。
「いやいやいや、おかしいですって! 報酬を断る冒険者なんて聞いたことない! 怪しい! 絶対なんか裏がある!」
「裏はないです。落ち着かないんですよ、汚れてると」
「職業病!?」
そう、職業病だ。
「前世で十五年、誰も見ていない裏方をやってきましたから。段取りとリスク管理は、もう私のOSなんです」
評価されなくてもいい。
でも──救える命は、救う。
胸ポケットの手紙が、そう言っている気がした。
「では、始めますね」
私は袖をまくった。
「ちょ、勝手に!? まだ何も決まってないのに食料庫入っちゃ……ああもう、聞いてない!」
ミラが慌てる中、私は淡々と防腐魔法をかけ始めた。
この街が静かに変わり始めるなんて、まだ誰も知らない。
*
それから、ひと月。
シャダムのギルドは、明らかに変わっていた。
食料庫の食材は腐らなくなり、食中毒の報告がゼロに。井戸の水は澄み渡り、討伐帰りの冒険者たちの疲労が嘘のように軽くなった。外壁に張り直した魔物避けの結界のおかげで、街の魔物被害は月単位で激減している。
「あの人が来てから、食料庫が一度も腐ってないんです」
ミラは今やすっかり私の信奉者だった。
──そして、その日。
ギルドの扉が、蝶番ごと吹き飛ばんばかりの勢いで開いた。
二メートル近い偉丈夫が、ぬっと姿を現す。
褐色の肌に覗く鱗。背の角。そして、鋭く光る金色の竜眼。
荒くれ冒険者たちが一斉に青ざめ、口をつぐんだ。
竜人将軍ガルド。冷酷無比と恐れられる、辺境最強の傭兵団長。
彼はずかずかと歩み寄り、書類仕事をしていた私の前に立った。
見下ろす竜眼が、ぎらりと光る。
「貴様、何をした」
地を這うような低い声。周囲の空気が凍りつく。
だが、私は顔を上げて、平然と答えた。
「掃除と整理整頓と予防接種……みたいなものです」
しん、と静まり返った。
ガルドが、ぴたりと止まる。
「……は?」
「この一ヶ月で、街の魔物被害が減って、兵の疲労も減ったでしょう。あれ、私です。環境を整えただけです」
ガルドの竜眼が、見開かれた。
そして──彼は、長い沈黙のあと、深々と息を吐いた。
「……理解できん」
「でしょうね」
「だが、ひとつだけわかった」
彼はわずかに身を屈め、真剣な目で私を見た。
「お前がいないと、俺の部下が死ぬ。それだけはわかった」
……あれ。
冷酷無比の将軍、即落ち?
「あの、ガルド様。それ、本気で言ってます?」
「将軍は嘘をつかん」
きっぱりと言い切る彼に、ミラがそっと耳打ちしてきた。
「将軍、ああ見えてものすごい心配性で部下思いなんですよ。誰か軽い怪我しただけで、夜営の見回り三回するくらい……」
なるほど。見た目と中身のギャップが激しいタイプか。
「と、ともかくだ」ガルドが咳払いした。「正式に、傭兵団の支援を頼みたい。報酬は……出す。出させてくれ。頼む」
頭を下げる将軍に、荒くれたちが目を剥いている。
「うわっ、あの将軍が頭下げてる……荒くれの皆さん、目ん玉飛び出てますよ!?」
私は、ふっと小さく笑った。
久しぶりに、自分の仕事を必要とされた気がした。
──けれど、この時。遠く王都では、別の異変が静かに進行していた。
*
場面は変わって、王都。
王宮は、原因不明の異変に見舞われていた。
「兵糧庫が……また腐っているだと!? 井戸の水も異臭、北の結界には綻び……なぜだ、なぜ何もかもが一斉に崩れる!?」
バルザック魔術師長は、脂汗を滲ませて立ち尽くしていた。
彼にはわからなかった。
防腐も浄水も結界維持も、これまで『勝手に』機能していたものだと思い込んでいたからだ。
それが、誰かの手で毎朝維持されていたなどとは、想像もしていなかった。
「ルクレツィア! お前の炎魔法でなんとかしろ!」
寵愛する攻撃術師に、バルザックは縋るように叫んだ。
だが、ルクレツィアは赤毛を振り乱して狼狽するばかりだった。
「む、無理ですわ! 炎で腐った兵糧が元に戻りますの!? 疫病が治りますの!? 結界が直りますの!?」
「な──……そんな、馬鹿な……」
そう。派手な攻撃魔法では、腐敗も疫病も結界の劣化も、何ひとつ解決できない。
「わたくしの炎は城壁を焼けても、城を腐敗から守ることなんて……できませんわ……!」
「なぜ国が……こんなことに……いったい誰が、これまで全部を……」
ルクレツィアの脳裏に、一人の女の顔がよぎる。
(あの日、嘲笑とともに追い出した補助術師……名前は、確か……いえ、まさか、そんな……)
国家が、静かに崩れていく。
誰にも気づかれなかった『地味な魔法』が止まった、ただそれだけのことで。
*
シャダムに、緊急の報が届いた。
「スタンピードです! 王都方面から、大規模な魔物の氾濫が辺境へ! 規模は──過去最大級だって!」
ギルド中が凍りついた。
ミラが青ざめ、ガルドが鋭く眉を寄せる。
「なぜこのタイミングで、こんな規模が……」
私には、なんとなく察しがついていた。
王宮の防衛結界が綻んだのだ。私が抜けて、維持が止まったから。
あの国を覆っていた魔物避けの結界が機能しなくなり、行き場を失った魔物の群れが、堰を切ったように辺境へ押し寄せている。
──皮肉なものだ。
私を「無能」と切り捨てた人たちの失策が、いま辺境の人々の命を脅かそうとしている。
ガルドが私を見た。
「シノ。お前に頼むのは酷だとわかっている。お前は戦えん。後方に下がっていてくれて構わな──」
「いいえ」
私は彼の言葉を遮った。
胸ポケットに手を当てる。古い手紙の、たった一行が、私の背を押す。
『あなたの地味な仕事は、いつか誰かの命を救う。だから、どうか折れないで』
「私、決めたんです」
静かに、けれどはっきりと、私は言った。
「もう、評価のために我慢する人生は終わり。誰にも認められなくたっていい。称賛なんていらない」
顔を上げる。
「でも──救える命は、救います。それが私の、地味な仕事ですから」
ガルドが、息を呑んだ。
そして、彼の竜眼が、静かな炎を宿す。
「……いい目だ」
彼は剣を背負い直した。
「では、共に来い、支援術師シノ。お前が後ろにいるなら、俺の団は誰一人死なせん」
「ええ。死者ゼロで終わらせましょう」
地味な私が、地味なやり方で。
派手な連中が見落とした命を、ひとつ残らず拾い上げてみせる。
*
スタンピードは、地平線を黒く塗りつぶして押し寄せた。
無数の魔物の群れ。大地が、足音で揺れる。
「全軍、構えろ! 突撃ぃっ!」
ガルドの咆哮が戦場を貫いた。竜人将軍の率いる傭兵団が、雄叫びを上げて突撃する。
剣が閃き、魔法が炸裂し、戦場は阿鼻叫喚に包まれた。
──そして、その後方。
私は、誰の目にも留まらない場所で、淡々と手を動かしていた。
全軍に【疲労軽減】。長期戦でも兵が倒れないように。
全装備に【耐久強化】。剣が折れず、盾が砕けないように。
負傷者に【状態異常無効】。傷が化膿せず、毒が回らないように。
補給線に【防腐・浄水】。兵糧が腐らず、水が尽きないように。
撤退路に【結界維持】。退き際に背後を突かれないように。
ひとつひとつは、地味だ。誰も気づかない。誰も褒めない。
だが──
「将軍! 三時間戦い続けてるのに、誰も疲れてません!」
「装備が一本も壊れてないぞ!? あの大怪我した奴が、まだ動いてる! 死んでないっ!」
戦況が、覆っていく。
壊滅必至と言われた戦いで、ガルド団は一人も欠けることなく戦い続けた。
そして──日が傾く頃。
最後の魔物が、ガルドの一撃に沈んだ。
「……終わった。最後の一匹を、沈めた」
戦場に、静寂が降りる。
生き残った兵士たちが、信じられないという顔で互いを見回した。
「死者……ゼロ……? 壊滅必至って言われた戦いで、誰一人欠けてない……奇跡だ……!」
ミラが、震える声で呟いた。
ガルドが、血と泥にまみれた体で、まっすぐ私のもとへ歩いてきた。
そして、膝をつき、深く頭を垂れた。
「シノ。礼を言う」
竜人将軍が、一人の支援術師に頭を下げる。
「俺はずっと、強さとは前で剣を振るうことだと思っていた。だが違った。──強い前衛は、死なない後方があって初めて強い。お前の『地味』が、俺の部下全員の命を救った」
兵士たちも、次々と膝をつく。
「ありがとう、支援術師様!」
「あんたのおかげで、俺、生きて帰れる……!」
私は、しばらく言葉が出なかった。
前世から数えて、何十年。
初めて──本当に初めて、私の地味な仕事が、人の口から「ありがとう」と言われた。
胸ポケットの手紙が、温かい。
(クロエさん。あなたの言葉、本当でしたよ。地味な仕事は、確かに、誰かの命を救いました)
「……いえ。死者ゼロ、約束どおりですね。それで、十分です」
滲んだ視界を、私はそっと拭った。
*
スタンピードから数日後。
シャダムのギルドに、王都からの使者が訪れた。
豪華な馬車。仰々しい礼服。そして──頭を下げる使者の口から告げられたのは、帰還の懇願だった。
「シノ殿。どうか、王宮へお戻りください。あなたの補助術が国を支えていたと、ようやく我々は気づいたのです」
「兵糧は腐り、疫病が広がり、結界は綻び、国は崩壊寸前。バルザック魔術師長も、心から反省しております。どうか──」
私は、その様子を黙って聞いていた。
ミラが隣で「(どのツラさげて……!)」と小声で憤慨している。
ガルドは腕を組んで、不機嫌そうに使者を睨んでいた。
やがて使者が言葉を切ると、私は静かに口を開いた。
喚かない。怒鳴らない。ただ、淡々と。
「ひとつ、確認させてください」
「は、はい」
「私の仕事は──『地味』なんですよね?」
使者が、ぐっと言葉に詰まる。
「そ、それは……その、誤解と申しますか……」
「誤解ではありません。事実です。宮廷の恥だから出ていけと、皆さんの前で、笑われながら追い出されたんですから」
私は微笑んだ。とても穏やかに。
「では──地味な私は、地味な辺境がお似合いです」
使者の顔が、青ざめていく。
「どうぞ、ご自分たちで。あの『派手な』攻撃術師の皆さんと、『派手な』魔術師長で。立派に、派手に、国を立て直してください」
それは、刃のように静かな拒絶だった。
「腐った兵糧も、広がった疫病も、綻んだ結界も──きっと、華やかな炎魔法でなんとかなりますよ」
声を荒らげるでもなく、罵るでもなく。ただ、相手の言葉をそのまま返しただけ。
だからこそ、効いた。
使者は反論の言葉も見つからず、わなわなと震えるばかりだった。
「お引き取りを。お忙しいでしょう、立て直しで」
私は、丁寧に──けれど、にこやかに、彼を扉へと促した。
がっくりと肩を落として去っていく使者の背中を見送りながら、ミラが感極まったように私の腕を掴んだ。
「シノさん……かっこよすぎます……!」
ガルドも、満足げに鼻を鳴らした。
「いい断り方だ。お前は、もう、ここの人間だからな」
私は、そっと胸ポケットに触れた。
もう、評価のために我慢する人生は終わったのだ。
ここに、私の居場所がある。
*
それから、しばらくして。
私は、シャダム冒険者ギルドの正式な「支援術師」として迎えられた。
登録証を握りしめて、ミラが──なぜか私より先に──わんわん泣いた。
「よかった……本当によかったです……! 正式な支援術師ですよ、登録証ですよ! これでもう、勝手に働かなくていいんですからね! ちゃんとお給料もらってくださいね!」
「勝手に働くのは職業病なので、たぶん直りませんけど」
「直してくださいよ!」
笑い声が、ギルドに満ちる。
そんなある日のこと。
ギルドに、新人の見習い術師がやってきた。
攻撃魔法が苦手で、地味な補助系しか使えないと、自信なさげに俯いている少年だった。
受付で笑われ、しょげている彼の姿が──かつての私と、重なった。
私は、誰にも見られないように、彼の机の引き出しに、一枚の羊皮紙をそっと忍ばせた。
そこに書いたのは、たった一行。
『あなたの地味な仕事は、いつか誰かの命を救う。だから、どうか折れないで』
クロエさんから、私へ。そして、私から、次の誰かへ。
励ましは、こうして受け継がれていく。
地味で、目立たなくて、でも確かに誰かの命を支える仕事の、尊さとともに。
──その夜。
ギルドの外で、ガルドが私を待っていた。
なぜか、そわそわと落ち着かない様子で。
「シノ。その……これを」
彼が、ぶっきらぼうに一枚の紙を差し出した。
竜人の将軍が、顔を真っ赤にして、目を逸らしている。
受け取って、私はその文面に目を落とした。
……読めない。
ミミズがのたくったような、解読困難な暗号としか思えない文字。
だが、必死に目を凝らすと、たった一行、こう書いてあった。
『これからも、ここにいてくれ』
私は、思わず吹き出してしまった。
「ふっ……ガルド様、字が壊滅的に汚いですね」
「う、うるさい! 達筆のつもりだ!」
「これ、解読に三分かかりました」
「読めたならいいだろう!」
ぷいとそっぽを向く将軍。その褐色の頬が、夕焼けよりも赤い。
私は、もう一度、手の中の手紙を見た。
下手な字。でも、世界でいちばん不器用で、誠実な一行。
「ええ」
私は、笑って答えた。
「いますよ。これからも、ずっと──ここに」
地味な魔法しか使えない、元社畜の私。
けれど、ここには、私の仕事を必要としてくれる人がいる。私の「ありがとう」を言ってくれる人がいる。
もう、それで十分だった。
──王都が派手に立て直しに苦労しているらしい、なんて噂は。
まあ、私には、関係のない話だ。




