4. 代わりになんてしない
侍女長に今日の夕食は部屋でとりたいと伝えると、その時間に二人分の食事が運ばれて来た。
「ノエル様……ご一緒してはいけませんか……?」
食事の乗ったワゴンを押して来たのは、ルーファスだった。
家主自ら運んでくれたのかと、ついクスリと笑う。ルーファスが人見知りの子供のようにおずおずとしている姿も初めてで、今さっきまでの沈んだ気持ちも吹き飛んでしまう。
「いいよ、一緒に食べよう。わざわざ運んで来てくれて、ありがとう」
皿をテーブルに運ぼうとすると、「ノエル様はこちらへ」と席に座らされてしまった。
「お加減が悪いわけではありませんか?」
「うん。心配させてごめん。ちょっとひとりで食べたくなっただけなんだ」
「そうでしたか。……私がご不快な思いをさせたのではと思っておりました。ノエル様を婚約者としてこの屋敷にお迎えできて、浮かれており……数々のご無礼な要求を致しましたので」
カトラリーまで綺麗に並べて、グラスに水を注いでくれる。
「要求、って?」
「見送って欲しいとお願いし、頬にキスまでねだりました」
「っ……あれは、恥ずかしいけど、無礼じゃないよ……必要なことだし」
今朝のことを思い出して、頬が熱くなる。頬とはいえ人前でキスをするのは、前世でも経験がない。
「……必要ならば、受け入れてくださるのですか?」
「うん。俺にできることなら何でもするよ。こんなによくして貰っているんだから」
そう言ったら、ルーファスは困惑した様子を見せた。でも、そうだよな。ルーファスは真面目だから、少し前まで主人だった俺に、あれもこれもとすぐに言えるわけがない。
「何かあったらいつでも言ってよ。……ご飯、今日も美味しそうだなぁ。冷える前に食べよう」
「……今更ですが、主人と食事を共にするなど、本来ならばあってはならないことですが」
「この屋敷の主はルーファスだから、いいんだよ」
ほら、と言うと、ルーファスは初日に両親から同席を求められた時のように躊躇いながら、席についた。
(もう、俺たちはルーファスの主人じゃないしな……)
それを言葉にしたらルーファスを悲しませそうで、言えなかった。
前世なら軽く二万はいきそうな豪華な料理を食べ終え、いい香りのする紅茶を飲む。
前世では一般的な家庭だったし、社会人になってからも一人暮しで彼女もいなかったから、こういう食事は縁がなかった。
覚えていないけど……この世界に転生したということは、俺は事故か何かで死んでしまったのだろう。
(父さんも母さんも、妹たちも、悲しませただろうな……)
俺にはひとつ年下の双子の弟妹がいて、俺よりもしっかり者だった。だから俺がいなくなった後のことは心配していない。それでも、家族仲が良かったから、きっととても悲しませたと思う。
(せめて別れを告げたかったな……)
叶わないと分かっていても、そう願ってしまう。
叶わないなら、俺に出来ることは、この世界で家族の幸せを願うことだけだ。
「ノエル様。ご無理をされてはいませんか?」
「してないよ?」
笑顔で答えたのに、ルーファスは俺をきつく抱き締めた。
「大丈夫だよ。あの人のことは思い出していないから」
「ですが……」
「ルーファスがずっと傍にいてくれたから、俺はもう、大丈夫だよ」
まだ一週間ほどしか経っていないのに、ステファン様のことを思い出すことは殆どなくなった。
だから、俺は大丈夫だから、ルーファスの幸せのために婚約解消して、離れることを考えなくてはいけない。
ルーファスと離れる……そう考えたら、胸が締め付けられるように痛む。子供の頃から一緒にいたのだから、当然かもしれない。
それならこの屋敷の使用人になって、ルーファスの幸せを見守るのはどうだろう。それがいいと思ったのに、ますます胸が苦しくなる。
「……貴方に想われるあの男を、殺してしまいたい」
「!?」
「申し訳ございません。妬ましい、と言おうとしたのですが」
「そ、そっか……」
ルーファスなら本当にやってしまいそうでヒヤッとした。
あまりに驚きすぎて、胸の痛みはどこかへ行ってしまう。代わりに込み上げたのは……。
(ルーファスの奥さんになる人は、こんな風に強く想って貰えるんだ……)
羨ましい、と思ってしまう。
俺もステファン様に、こんな風に強く想われたかった。
想像して、違和感を覚える。羨ましいのは、そういうことではない気がした。何故だろうと考える俺の頬に、ルーファスの手がそっと触れる。
「ノエル様。大丈夫だと仰るなら、何故、泣きそうな顔をされているのですか」
「そんな顔……」
「しています」
何故、なんて、俺が知りたい。
俺自身の感情なのに、分からない。
胸が痛いのに、その理由がはっきりと形を持ってくれなかった。
「私では、あの男の代わりになれませんか?」
「代わりになんてしないよ。ルーファスは、あの人とは違うから」
「……私では、代わりにすらなれないのですね」
ルーファスの手が、俺の腰を抱き寄せる。顎を掴まれ、顔を上げられて……。
「まっ……待って!! ファーストキスもまだだから!!」
触れる距離まで顔を近付けられては、さすがにその意図に気付いてしまう。
手のひらでルーファスの顔を押し退けると、思いのほかあっさりと離れてくれた。
「あの男とは、何度もされているのでは?」
「するわけないだろっ、結婚前なんだからっ」
今世の体が思いきり否定したところで、前世の記憶が初々しさに震える。
(さすがに前世では、キスくらいは婚前でも当たり前だと思っていたし……)
でも今の俺には、ノエルとして十八年生きてきた記憶がある。婚前にキスなんてとんでもない、という主張が当然のように思えた。
「……そうでしたか」
信じられないというように俺を見るものの、すぐに目元を緩ませた。子供の頃から仕えてくれているから、少し過保護なところがあるんだよな。
ルーファスは嬉しそうにしながら、俺の頬を撫でる。今までみたいに手袋越しではない温かい手のひらに、思わず頬を擦り寄せた。
「ルーファスは今も俺を敬ってくれているのに、触ってくれるようになったよな」
「以前に申し上げた通り、浮かれているのです。貴方への忠誠は変わりませんが、貴方に触れてはならない理由が一つ減ったのですから」
一つどころか、もう無いも同然だ。
主従関係は逆転している。ルーファスが俺に伺いを立てる必要はない。先程のキスも、俺が止めようとも無視して良かったのに。
「ルーファスのそういう真面目なところ、昔から好きだよ」
「ノエル様……私は、貴方を愛しています」
俺の前に跪いて、指先にキスをする。
未だに俺を主人として慕ってくれている。だからこそ、ルーファスに正式な婚約者が出来たら、俺はこの屋敷を出た方がいい。俺はもう、これ以上、ルーファスの未来を潰したくなかった。




