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天界観測室 〜消えかけた魂の観測録〜  作者: まっつぃ17@短編100本ノック実施中!


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7/8

ドラゴン、保険に入る


 勇者は天災である。

 それが、この世界における公式見解だった。

 干ばつ、洪水、隕石、そして勇者。いずれも予測は可能だが回避は困難。ひとたび彼らが「正義」を掲げて進軍すれば、地形は変わり、生態系は乱れ、だいたい城が一つは景気よく燃える。抗うことは物理法則に逆らうのと同義だった。

 火山の中腹、煮えくり返るマグマの熱気に包まれた広大な洞窟。そこに住まう老竜グラディウス(八百二十三歳・独身・持ち家)は、最近その「兆し」を肌で感じ取っていた。

 古傷の鱗がうずき、大気の魔素が妙に泡立っている。見上げれば、夜空に一つ、不自然なほどに輝きを増す星があった。

「……あれは、来るな。また、あの忌々しい光だ」

 彼は太い鉤爪で溶岩を無造作にかき混ぜながら、重々しく呟いた。

 過去三度、彼は勇者に討伐されかけた。幸いにも、いずれも「絶体絶命の窮地で勇者が真の力に目覚める前の撤退」という、物語上の奇跡的デウス・エクス・マキナによって命だけは拾った。しかし、代償は安くない。自慢の巣は二回焼失して更地になり、先祖代々の宝物は「軍資金」の名目で没収され、剥がされた鱗は何枚か王都のオークションで高値で取引された。

 八百年生きて、ようやく彼は学んだ。力だけでは、この「物語の強制力」には勝てないのだと。

「……保険に、入るか」

 彼は溜息とともに、溶岩を魔力で固めて造った特製スマートフォンを取り出した。画面をスワイプし、絶望的な予測検索ワードを打ち込む。

 ――悪役専門 損害保険

 検索結果の最上段、禍々しいフォントで躍り出たのは、

『ヘルファイア損害保険株式会社(悪役専用:あんしん魔王ライフをサポート)』

 レビューは星三つ。

 コメント欄には「免責事項が多すぎて詐欺に近い」「担当者が勇者ギルドと癒着している」「焼けた巣の瓦礫からさらに保険料を取られた」など不穏な書き込みが散見されたが、背に腹は代えられない。彼は震える爪で、資料請求のボタンをタップした。

 三日後、硫黄の煙が立ち込める火口に、一人の訪問者が現れた。

 埃ひとつないスーツに身を包んだ、銀縁メガネの美しいエルフだった。彼女はドラゴンの威圧感を完全に無視し、流れるような動作で名刺を差し出す。

「ヘルファイア損保、査定課のリーフェと申します。本日は辺境まで、ご足労ありがとうございます」

「……ここ、俺の家なんだがな」

「ええ、現地査定(現場検証)です。被害が出る前に現状を記録させていただきます」

 彼女は溶岩から放射される数千度の熱を、まるで春の陽気か何かのように受け流し、慣れた手つきでタブレットを操作し始めた。その瞳は冷徹な会計士のそれだ。

「まず、過去の被討伐歴を確認します。……三回、ですね?」

「ああ。毎回死ぬ思いをしている」

「損害状況は? 全損ですか?」

「一回目と二回目は半壊。三回目は……その、メンタルをやられた。精神的全損だ」

「あいにくですが、精神的全損は弊社の規約上、補償対象外となっております。魂の摩耗は自己責任ですので」

 食い気味の回答。早い。慈悲の欠片もない。

「次に、リスクアセスメント(危険度査定)を。放火癖は?」

「癖ではない。侵入者への正当な防衛行動、つまり仕事だ」

「人間誘拐の頻度は?」

「年に二回。だが最近はコンプライアンスが厳しくてな。姫をさらっても、三食昼寝付きで丁重にもてなさないとSNSで叩かれる」

「勇者との接触履歴は?」

「……向こうから、勝手に、土足で、BGMを鳴らしながら入ってくるんだ」

 リーフェは淡々とデータを入力し、最後に満足げにうなずいた。

「状況は把握しました。では、最適なプランをご提案します。基本の『勇者討伐補償プラン』。こちらは不慮の討伐により巣が焼失した場合、最大五千ゴールドまで補償されます」

「五千ゴールドか。まあ、屋根の修繕くらいにはなるな」

「ただし、勇者の正当防衛は免責となります」

「……正当防衛? 奴らが俺の家に押し入ってくるんだぞ?」

「勇者は常に『正義』の側に属します。彼らが剣を振るうのは世界を守るため、つまり法的には常に正当防衛、あるいは緊急避難とみなされるのです」

 彼女は事務的な微笑みを浮かべ、さらに続けた。

「その他、巣穴焼失特約、聖剣貫通オプション、伝説武器によるオーバーキル割増もございます。なお、もっとも重要な点として――“物語上必要な破壊”は、自然災害(天災)扱いで一律免責となります」

「物語上必要な破壊とは、一体何だ」

「たとえば、勇者が覚醒するためにどうしても必要な劇的な演出。あるいは、パーティの絆を深めるための拠点の炎上などですね」

「……それ、俺が遭遇する破壊のほぼ全部ではないか?」

「体感には個人差がございます」

 グラディウスは憤怒で喉を鳴らしたが、星の輝きは刻一刻と強まっている。彼は諦めたように、横溢する溶岩を一口飲み込んで心を鎮めた。

「……入る。契約だ」

 巨大な爪で契約書にサインをした瞬間、空の星が、まるで「待ってました」と言わんばかりに爆発的な光を放った。

 翌週。

 予測通り、勇者が来た。

 まだ髭も生え揃わぬ若造。装備はピカピカの支給品。後ろには震える手で杖を握る僧侶と、不機嫌そうな魔法使い。

「邪悪なる竜グラディウス! 世界を闇から救うため、いざ尋常に勝負!」

「……来たか。お前ら、靴の泥くらい落として入れと言っただろう」

 グラディウスは深く息を吐き、保険証券を鱗の隙間(胸ポケット相当)に丁寧にしまい込んだ。

 戦闘は、様式美に則った絶望的な展開だった。

 グラディウスが本気でブレスを吐けば、なぜかその瞬間だけ風向きが変わり、自身の煙に巻かれる。尻尾を薙ぎ払えば、勇者は運良く小石に躓いてその一撃を回避する。

 そして、勇者が膝を突き、絶体絶命のピンチになったその時――どこからともなく壮大なオーケストラのBGMが響き始めた。

「(……嫌な予感しかしないぞ)」

「ここで……ここで負けるわけにはいかないんだ! 僕には、守るべき約束があるんだぁぁぁ!」

 勇者の瞳が黄金色に輝いた。夜空の星が、その呼びかけに呼応して地表へ光の柱を降ろす。

 ――強制イベント:聖剣覚醒。

「待て! ストップだ! それは免責事項だぞ!」

 ドラゴンの叫びは、天を衝く光の奔流にかき消された。

 一閃。

 聖剣から放たれた光波が、火山の山頂ごとドラゴンの巣を消し飛ばした。

 数日後。

 ドラゴンの驚異的な生命力で再生を果たしたグラディウスは、煙の燻る瓦礫の中で、一通の手紙を受け取った。

 『保険金支払査定結果通知書』

 震える爪で、封筒を引き裂く。

> 【査定詳細】

> ・焼失理由:勇者の宿命、および情緒的覚醒

> ・判定:免責(不支給)

> 【理由】

> * 勇者の物語進行上、極めて劇的な演出として不可避な焼失であった。

> * 勇者の叫びに呼応した「正義の波動」による破壊は、全額自己負担とする。

> * 結果として世界が平和になったため、破壊は「公共の福祉」に該当する。

> 【支払額:0ゴールド】

>

「…………」

 あまりの理不尽に言葉を失っていると、火山のふもとに一台の高級馬車が止まった。

 泥一つついていない靴で、リーフェが降りてくる。

「このたびは、誠に残念でございました。お怪我はありませんか? あ、再生されたんですね。それは重畳」

「……リーフェ。この世に、免責にならないケースなんて存在するのか?」

「そうですね。たとえば勇者が道中で食あたりを起こして自爆した場合や、パーティ内で内紛が起きて勝手に瓦解した場合などでしょうか」

「それ、そもそも保険が必要ない状況だろうが」

「おっしゃる通りです。さすが八百歳、洞察が鋭い」

 彼女はにこやかに、しかし手際よく次のパンフレットを差し出した。

「なお、次回に備えた更新プランをご用意しました。『勇者複数対応型・ハーレム覚醒特約付き』。最近は異世界からの転生者が増えておりまして、パーティの人数に比例して破壊規模もインフレする傾向にありますので」

「……もう、次が来る前提なのか」

「勇者出現率は、ここ数年で指数関数的に上昇しております。いわば、バブルですね」

 空を見上げれば、また新しい星が、控えめながらも確実に光を宿し始めていた。

 グラディウスは、かつて宝物庫だった場所にある、ただの焦げた石ころの上に腰を下ろした。

「……天災は、保険の対象外か」

「いいえ。勇者はもはや、この世界の『制度』ですから。天災よりも避けがたい、法そのものなのです」

 エルフは当然の真理を述べるように言った。

 グラディウスは長い首を空へ向け、肺の中の熱をすべて吐き出すような、深く、長く、重い溜息をついた。

 火山の山頂から立ちのぼる黒煙は、まるで神に対する最後通牒クレームのように空を覆っていく。

 遠くで、新しい勇者が「伝説の剣」を岩から引き抜く、乾いた金属音が響いた。

「……更新プラン、資料だけ置いていけ。読むだけだ」

「ありがとうございます。継続割引はございませんが、特製のリレイズ薬(別売り)をセットにできますよ」

「だろうな。……全部、お前の計画通りなんだろうな」

 焼け跡の上で、彼は自嘲気味に、静かに笑った。

 世界は今日も平和で、

 悪役は今日も、規約の隅々まで自己責任である。


【観測後記録:第5観測】

「いかがでしたか」


「保険と制度の不条理ですね」


「そこですか」


「そこですね」


「ドラゴンは壮大でかっこいいというテンプレは失われたようです」


「なんだかもう少しドラゴンはかっこいいイメージでした」


「苦労とストレスで寿命が短くなりそうですね......基本ドラゴンは1万年は生きた気がしますが」


「......なんとなく、記憶が戻ってきたような気がします」


「それはいい事ですね」


「私は勇者だった記憶があります」


「そうですね」


「……知ってるんですね」


「ええ、もちろん。しかし実感として思い出さねば魂の治療になりませんからね」


「なるほど」


「あなたの思い出した記憶。教えてください」


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