魔王人事部:離職率が高すぎる件
勇者の求人倍率が6000倍の世界で、魔王のそれは0.8倍だった。
天界庁舎第七ブロック。そこは「神々の祝祭」が聞こえる本庁舎とは対照的に、常に重苦しい低気圧が停滞している悪役管轄エリアだ。
白く神々しい大理石の廊下の突き当たり、不自然に影が濃い一角に、古びた黒い案内板が立っている。
――魔王人事部・戦略悪役配置課。
配属初日。私は支給されたばかりの職員証を握りしめ、その看板を見上げて激しく後悔していた。
「人事って、冷房の効いた部屋で判子押すだけの楽な仕事だよね」
そう能天気に笑っていたのは、ほんの三日前の自分だ。
同期の高瀬は、現場に飛ばされた。泥にまみれ、回復薬をがぶ飲みしながら「勇者一行」の足止めに奔走する最前線だ。それを見た私は「命を懸けない裏方で、定時上がりの安定した仕事がしたい」と切望し、この課を志望した。
だが、現実はこれである。
オフィスの壁を埋め尽くすのは、扇情的なリクルートポスター。
【魔王募集中! 未経験歓迎! 転生歴・種族不問!】
【君の「絶望」を世界にデリバリーしてみないか?】
フォントはポップだが、背景はどろりと不吉な鮮血色だ。手元の資料によれば、現在の有効求人倍率は0.8倍。
「……おかしくないですか? 勇者枠は倍率6000倍の超難関だって聞いたんですけど」
私の呟きに、隣でエナジードリンクを啜っていた先輩職員が、死んだ魚のような目で乾いた笑いを漏らした。
「今は逆転就活時代だよ。勇者は供給過多でダンジョンに行列ができてる。対して魔王は慢性的不足。最近じゃ『勇者のレベル上げに付き合うのが苦痛』って、最終決戦前にバックレる個体も珍しくない」
その瞬間、オフィスに鼓膜を裂くような非常ベルが鳴り響いた。
赤いパトランプが狂ったように回転し、メインモニターに血文字のようなアラートが踊る。
《緊急事態:四天王 一斉退職申請を受理》
「は……?」
私の喉から、間の抜けた声が漏れた。初出勤、開始15分後の出来事である。
緊急転送の重力加速度で胃をシェイクされながら、視界が暗転する。
次に目を開けた時、私は不気味な紫の炎が揺らめく「魔王城・玉座の間」に立っていた。
玉座に深々と腰掛け、眉間を指で揉んでいるのが、クライアントである魔王だ。
そしてその前には、かつて世界を震え上がらせたはずの四つの影が、どこか疲れ切った背中で並んでいた。
炎帝バーン:かつて一国を灰にした豪炎の主。今は火力が落ち、種火のように弱々しい。
氷将フロスト:絶対零度の剣士。鎧の隙間から、冷気ではなく溜息が漏れている。
毒姫ヴェノム:万物を腐らせる美貌の主。ストレスのせいか肌荒れが酷い。
死霊騎士グレイブ:不死の軍団を率いる騎士。兜の奥の眼光が、現実逃避気味に泳いでいる。
彼らの足元には、禍々しい装飾が施された——しかし書式は完璧な——四枚の退職届が置かれていた。
「……理由を、伺っても?」
震える声で私が問うと、リーダー格のバーンがその角を力なく揺らした。
「勇者が、強すぎるんだ。物理法則を無視してる」
「毎回、開幕ワンパンなんですけど?」
フロストが氷のように冷ややかな、しかし切実なトーンで補足する。
「こちらは演出用のセリフ、第二形態への変身ギミック、HPトリガーによる特殊行動……全部完備して待ってるんですよ。なのに、あいつらムービースキップして初手で『神殺しの極大魔法』を撃ってくる。第一形態のHPバーが見えた瞬間に画面が真っ白。私たちのアイデンティティはどうなるんですか?」
ヴェノムが、カツカツとヒールを鳴らして詰め寄ってきた。
「私の毒による持続ダメージ(DoT)なんて、計算上は5分かけてじわじわ削る仕様なの。でもね、あいつら1.5秒で私を溶かすのよ。毒が回る暇もない。これはもう、職務放棄じゃなくて労災よ」
死霊騎士グレイブは無言で、最新型のタブレットを私に差し出した。そこには残酷なまでの『勇者ステータス推移グラフ』が映し出されている。
攻撃力:二次関数を突き抜けて、垂直に近い上昇。
スキル:パッシブスキルで「全属性無効」が標準装備。
装備:前回の期間限定コラボイベントで配布された「運営の匙加減調整ミス」とされる聖剣。
凄まじいインフレだ。
「近年、天界庁(運営)による勇者側への強化施策が、歯止めが効かない状態にありまして……」
私は持参した業界資料をめくる。
勇者側には、多額の『異世界転生補助金』、初期装備がSSR確定の『スタートダッシュ・ボーナス』、さらには詰んだ時のための『初回無料リセマラ権』まで与えられている。
対して、魔王軍側の福利厚生は悲惨だ。
居住環境:湿気とカビの多い城に住み込み(家賃天引き)。
勤務時間:勇者がいつ来るか不明なため、24時間365日待機。
保障:討伐後の復活は自己責任。
「……俺はな、本当は“恐れられたかった”だけなんだ」
バーンが、消え入りそうな種火を揺らして呟いた。
「一晩かけて国を焼き、勇者と三日三晩死闘を演じて、最後に『また会おう』と言って散る。そんな悪役の矜持を守りたかった。なのに今は挨拶する暇もなく光の速さで消される。……これ、俺である必要ありますか?」
猛将の背中が、リストラを宣告されたサラリーマンのように小さく震えていた。
「部下が三日で蒸発するんだ」
玉座で魔王が低く、地の底から響くような声で呟いた。
「四天王の離職率は、今期でついに**年120%**を記録した。補充しても補充しても、勇者が現れた瞬間に空席になる。もはや椅子の温まる暇もない」
「正直、もう転職サイトに登録しました」
フロストがスマホを掲げる。画面には、最近流行りの転職エージェントの求人が並んでいた。
『勇者サポートセンター:回復魔法の場所案内。未経験OK!』
『異世界労基署:モンスターの不当労働を調査する社会派の仕事。』
「私はもう、動画配信に切り替えてます」
グレイブが咳払いしながら、自身のYouTubeチャンネルを見せてきた。
チャンネル名は【討伐される側のリアル:死霊騎士が語るワンパンの世界】。登録者数は三万人。コメント欄には「草」「耐久なさすぎ」「運営修正しろ」の文字が並ぶ。
「副業は禁止のはずですが......」
「契約書に『配信禁止』の項目はありませんでした。そもそも福利厚生がこれでは、生活が維持できません」
ヴェノムが冷たく笑い、私の顔に「労働組合加入通知書」を突きつけた。
「私は既に労基に相談済み。勇者の過剰強化による一方的な虐殺は、国際モンスター法におけるパワーバランス違反よ」
私は額を押さえた。頭痛がする。
これが、私の人事キャリアの初日だ。
その夜、魔王城の会議室。重厚な石造りのテーブルを囲む面々は、どこか倒産間際の中小企業のような悲哀を漂わせていた。
「どうすれば定着率が上がると思う?」
魔王の問いに、私はホワイトボードを真っ黒に埋めていく。
勇者側(天界庁)へのインフレ抑制、難易度調整の公式抗議。
四天王手当の三倍増。
「第二形態保障制度」:HPがゼロになっても、一度だけ無敵時間で演出を完遂できる権利。
討伐された際の「見事だ……」という散り際台詞への特別ボーナス支給。
「あと、有給が欲しい」
炎帝バーンが、消えかかったライターのような火を灯しながら手を挙げた。
「勇者が来る前に、一週間くらい温泉に行きたい。いつ来るか分からない奴を待つのは、精神的に限界だ」
「却下だ。お前がいない間に城を落とされたら、私の首が飛ぶ」
魔王が即答する。会議室に再び重い沈黙が流れた。
その時、テーブルの中央にある通信用水晶が、激しく明滅した。
勇者側からの、ダイレクトなクレームだ。
『おい、魔王軍。弱すぎて話になんねーんだけど』
スピーカーから響くのは、全盛期の若者のような不遜な声。
『最近の四天王、バフ盛る前に溶けるんだけど? やり込み要素ゼロ。金返せよ』
フロストの眉間がピクリと跳ねる。
『炎帝バーンの耐性、ガバガバすぎない? アイス魔法で即死とかバグだろ。もっと歯応えのあるコンテ
ンツ用意しろよ』
「……なんですって?」
ヴェノムの瞳に、久々にドス黒い殺意が宿った。
魔王がゆっくりと私を見る。その目は、絶望ではなく、ある種の「事務的な怒り」に満ちていた。
「……担当者。これはどういうことだ」
「勇者側からは……その、ゲームバランスが崩壊しており、『エンドコンテンツとしての魅力に欠ける』との苦情が殺到しております」
「難易度不足だと!?」
四天王が同時に立ち上がる。
「こっちは命懸けでワンパンされてるんだぞ!」
「あっちの過剰な重課金のせいで、こっちの守備力が紙同然になってるだけだろうが!」
「明日から全員ストライキよ! 勇者が来ても誰も玉座の間に入れないから!」
会議室は、かつてないほどの混沌に包まれた。
―
数時間後。
私は天界庁舎の自席に戻り、キーボードに突っ伏していた。
深夜のオフィスは静まり返り、モニターの光だけが私の顔を青白く照らしている。
最新の求人データを確認する。
魔王枠:応募者0.8人/枠1。
四天王枠:欠員補充が間に合わず、現在「中ボス」が代行中。
勇者枠:応募6000人オーバー。飽和状態。
構造的な欠陥だ。勇者は「もっと強い敵」を求め、魔王軍は「生存権」を求める。
その板挟みになり、今日もどこかでモンスターが履歴書を書き、勇者が聖剣を振るう。
ふいに、デスクの電話が鳴った。
「はい、魔王人事部・戦略悪役配置課です……」
『あの、魔王の求人を見たんですけど……ここって、やっぱりブラックですか?』
若く、どこか自信のなさそうな声。おそらく転生したての新人だろう。
私は一瞬、受話器を握りしめて沈黙した。
「……正直に申し上げますと、非常に厳しい環境です」
『……やっぱり、ワンパンされますか?』
「……はい。現状の環境下では、耐えられても二ターンかと」
通話は、短いツーツーという音とともに切れた。
私は天井を見上げる。
壁のポスターに書かれたキャッチコピーが、虚しく目に飛び込んでくる。
【未経験歓迎! 世界に絶望を届けるお仕事です!】
その一番下に、米粒のようなフォントで追記された注釈。
※勇者過剰強化環境につき、高度な精神的耐久力および、倒された際の演技力が必須となります。
魔王の求人倍率は、今日も0.8倍だった。
誰かが無残に倒れることで、誰かが英雄になる。
悪役にも、生活がある。
だから私は明日も――悪役たちの履歴書を整理するのだろう。
【観測後記録:第1観測】
「いかがでしたか」
女神様の問いに、私は女神から貰ったお菓子を飲み込み、少し考えてから答えた。
「……正直、魔王側が気の毒に思えました。強すぎる勇者に振り回されるのは、さすがに理不尽かと」
「同情ですか」
「はい。悪役にも生活があるのだと、妙に実感してしまいました」
自分でも意外だった。笑って終わるはずの話に、ほんのわずか胸がざわついている。
「反応できています。良い傾向です」
女神様は淡々と告げる。
「ほかの世界も見てみましょう」




