赤鱗の古代竜
「……ビジネス、ですか?」
宿屋の廊下。
扉を開けたブライスの前には、頭から足先まで見事なまでに包帯でぐるぐる巻きにされた帝国筆頭魔術師、サリエラ・ヴェルデが杖をついて立っていた。
サリエラ
「そう。ビジネスよ。中に入れてくれない?」
部屋に通すと、サリエラは痛む身体を庇いながら椅子に腰を下ろした。
リエルが慌ててお茶を淹れる。
ブライス
「あの……昨日は本当に、すみませんでした。我を忘れてしまって……」
サリエラは包帯の隙間からニヤリと笑った。
サリエラ
「謝らなくていいわよ。むしろ、感謝したいくらいね。」
ブライス
「え?」
サリエラ
「私が十年かけて編み出した魔法を一瞬でコピーした上に、見たこともない闇の槍で私を串刺しにするなんて。……あなた、控えめに言って『最高』の実験体よ。」
魔術を探求する者特有の、ギラギラとした知的好奇心。
サリエラは怪我の恨みなど微塵も持っていなかった。むしろ、ブライスの底知れない力に完全に惚れ込んでいた。
サリエラ
「さて、本題よ。あなたは闘技場を出禁になって、稼ぎ口がない。私はあなたにボコボコにされて、しばらく満足に魔法が使えない。」
杖の先で床をコツンと叩く。
サリエラ
「だから、治るまで私の『護衛』兼『研究パートナー』になりなさい。もちろん、帝国の裏金からたっぷり報酬は払うわ。それに、ギルドを通せない帝国の『汚れ仕事』も任せたいの。」
ブライス
「汚れ仕事、ですか?」
サリエラ
「ええ。手始めに――東の岩山に棲みついた『火竜』の群れを大人しくさせてきなさい。最近、帝国の言うことを聞かずに暴れ回っててね。正規軍を動かすと面倒なのよ。」
リエルが不安そうにブライスの袖を掴む。
だがブライスは、少し考えた後、小さく頷いた。
ブライス
「……分かりました。引き受けます。」
人間から逃げるためじゃない。リエルとの生活を守り、この魔族領で生きていくための「仕事」だ。
ブライスは、かつてないほど前向きな気持ちで依頼を受けた。
⸻
――東の岩山。
見上げるような断崖絶壁に囲まれたすり鉢状の荒野。
そこに、数十頭の巨大な火竜たちが群れをなしていた。
全長は十メートルを超え、口からは常に黒い煙が漏れている。
火竜の長
『グルル……なんだ貴様らは。ひ弱な半魔とエルフ、それに怪我人だと? 丸かじりにされたくなければ失せろ!!』
ドスッ! と太い尾が地面を叩き、威嚇の炎が空に向けて吐き出される。
サリエラは岩陰から顔だけ出してメモ帳を構えている。
ブライス
「言葉が通じるなら、話し合いで解決したかったんだけど……」
ブライスはため息をついた。
人間相手なら、ここで怯えて逃げ出していたかもしれない。
しかし、相手は魔物。しかも「竜」だ。
(……そういえば、前にワイバーンのDNAを取り込んだよな。あれに、今の僕の魔素を限界まで注ぎ込んだら……どうなるんだろう。)
ブライスは一歩前へ出ると、スゥッと深呼吸をした。
⸻
《有機擬態オーガニック・ドッペル:対象『竜種』》
《魔素出力:規格外リミット・ブレイク》
⸻
ズンッ……!!!
その瞬間、大気が爆発したように震えた。
ブライスの足元から、禍々しくも美しい赤黒い魔法陣が岩山全体を覆い尽くすほどの規模で展開される。
火竜の長
『な、なんだこの魔力は……!?』
光の奔流がブライスの身体を包み込む。
骨が軋み、肉が膨張し、魔素が物理的な質量を持って再構築されていく。
だが、現れたのは以前のようなワイバーンではなかった。
バサァァァァァァァァッッ!!!
岩山に影を落とすほどの、圧倒的な巨体。
燃えるような紅蓮の鱗。
空を切り裂く漆黒の双角。
そして、神々しいまでの魔力の波動を纏った、金色の縦長瞳孔。
伝説の御伽噺にしか登場しない、すべての竜の頂点。
『赤鱗の古代竜』そのものが、そこに顕現していた。
火竜たち
『…………は?』
『えっ……?』
火竜たちは、自分たちが吐き出していた炎をポカンと口から漏らし、完全に固まった。
圧倒的な「格の違い」。
魂の次元から叩き伏せられるような、絶対王者の覇気。
古代竜は、ズンッと地を揺らして一歩前に出た。
そして、低く腹の底に響く声で問う。
ブライス(古代竜)
『……これで、少しは話を聞いてくれる気になった?』
ドサァァァァァァッ!!
次の瞬間、数十頭の火竜たちが一斉に地面に腹をつけ、見事なまでの土下座(最敬礼)の姿勢をとった。
火竜の長
『こ、こ、古代竜様ァァァァ!!!』
『申し訳ございません!! 我らが浅はかでした!!』
『どうかお命だけは! いや、我らが王よ! 今日から我々を配下にしてくだせぇ!!』
ブライス(古代竜)
『えっ、あ、うん。とりあえず、帝国の言うことは聞いてね?』
火竜たち
『御意のままにィィィ!!!』
あっけなすぎる決着だった。
暴力すら振るっていない。「変身しただけ」で、群れが丸ごと平伏してしまった。
リエル
「わぁ……ブライス様、すっごく大きくて、綺麗です……!」
エルフの少女は恐怖するどころか、目をキラキラさせて古代竜の巨体を見上げている。
一方、岩陰のサリエラはというと――。
サリエラ
「す、すばらしいわ……!! なによ今の魔素の変換効率!? 変身魔法の次元を超えてる! ちょ、ちょっとウロコ一枚剥がさせて!! いや解剖させて!!」
鼻血を出しながら、猛スピードでメモ帳に羽ペンを走らせていた。
⸻
すべてが丸く収まった後。
ブライスは古代竜の姿のまま、そっと伏せて背中を差し出した。
ブライス(古代竜)
『リエル。乗ってみる?』
リエル
「えっ!? いいんですか!?」
リエルは満面の笑みで、ブライスの首の付け根あたりにそっとよじ登った。
ブライスは巨大な翼を広げ、ゆっくりと空へ舞い上がる。
バサッ……バサッ……
魔族領の広大な大地が、眼下に広がっていく。
風を切り裂き、雲を突き抜ける。
リエル
「すごーい!! 雲が下に見えます!! ブライス様、最高です!!」
背中から聞こえるリエルの楽しそうな笑い声。
竜の姿で空を飛ぶのは、信じられないほど自由で、気持ちが良かった。
(……僕、人間だった頃より、今のほうがずっと生き生きてる気がするな。)
空を飛びながら、ブライスはふとそんなことを思った。
下を見下ろすと、岩山に残った火竜たちが「アニキー!」「王よー!」とぶんぶんと手を振っているのが見える。
偶然とはいえ、強力な竜の軍団を手に入れてしまったブライス。
彼の魔族領での「伝説」は、こうしてひっそりと、しかし確実に幕を開けたのだった。




