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エルフの少女が微笑んだ理由

穏やかな朝

魔族領ヴァル=ガルデの朝は、人間の街とは少し違う匂いがした。

鉄と香草、そして微かに漂う濃密な魔素の香り。

宿屋の柔らかいベッドの上で、ブライスはゆっくりと目を開けた。


(……やっちまった……)


目覚めと同時に、昨日の闘技場での記憶がフラッシュバックする。


「ただの人間じゃないでしょうね?」


サリエラのその一言で、ブライスの理性は完全に吹き飛んでいた。

孤児の冷たい身体。

神官の蔑むような視線。

それらが頭をよぎった瞬間、抑えきれない怒りと共に《シャドウランス》を何度も叩き込んでしまった。


ブライス

「……リエルを、怖がらせちゃったよな……」


ベッドの中で頭を抱える。

せっかく助けたのに、あんな残虐な戦い方を見せたら、人間と同じかそれ以上に恐ろしい存在だと思われても仕方がない。

その時、ガチャリと部屋の扉が開いた。


リエル

「あ、ブライス様。おはようございます!」


木のお盆に湯気を立てるスープと黒パンを乗せて、リエルが笑顔で入ってきた。

その表情に、怯えや警戒の色は一切ない。


ブライス

「リエル……おはよう。

……あのさ、昨日はごめん。」


リエルは不思議そうに小首を傾げる。


リエル

「ごめん、とは?」


ブライス

「闘技場のことだよ。あんな……我を忘れてひどい戦い方をして。

リエルも、怖かっただろ?」


ブライスが視線を落とすと、リエルはお盆をテーブルに置き、トテトテとブライスのベッドのそばまで歩み寄ってきた。

そして、ブライスの両手を自分の小さな手でぎゅっと包み込んだ。


リエル

「怖くなんて、ありませんでしたよ。」


ブライス

「……え?」


リエルは、透き通るような緑色の瞳でブライスをまっすぐ見つめていた。

昨夜、宿に向かう道中で彼女が見せていた“嬉しそうな微笑み”と同じ顔だった。


リエル


「私……嬉しかったんです。

ブライス様が、『人間は大嫌いだ』って叫んでくれたこと。」

ブライスの目がわずかに見開かれる。


リエル

「私を攫ったのも、森の同胞たちを傷つけてきたのも……全部、人間です。

人間は、自分たちと違うものを平気で見下して、モノのように扱います。」


リエルの手が、わずかに震えていた。

彼女もまた、人間の身勝手さによって深い傷を負った一人だった。


リエル

「だから……圧倒的な力を持つブライス様が、人間の側じゃなくて、人間を憎む側にいてくれるって分かって……心の底から安心したんです。

ああ、この人は絶対に人間あっち側にはいかない。私の、本当の味方なんだって。」


ブライス

「リエル……」


リエル

「残虐だなんて思いません。あれは、ブライス様が今まで傷ついてきた分の“痛み”です。

……だから、謝らないでください。私は、ブライス様がどんな姿になっても、絶対におそばにいますから。」


その言葉は、ブライスの胸の奥にこびりついていた冷たい塊を、じんわりと溶かしていくようだった。


(……そうか。

僕が魔族のように振る舞っても……それを『安心』だと言ってくれる子がいるんだ。)


人間の街では、少しでも魔の力を見せれば化け物扱いされた。

でも、リエルは違う。

彼女にとって、ブライスのその力は「自分を守ってくれる絶対的な盾」なのだ。

ブライスは、リエルの小さな頭をそっと撫でた。


ブライス

「……ありがとう、リエル。

君がそう言ってくれて、すごく救われたよ。」


リエルは目を細め、えへへ、と嬉しそうに笑った。



朝食を終えた二人は、今後のことを話し合うために街へと出た。


ブライス

「闘技場が出禁になっちゃったからなぁ……当面の生活費、どうやって稼ごうか。」


リエル

「私が薬草を採取して売りましょうか? エルフの知識ならお役に立てますよ!」


ブライス

「いやいや、リエルを働かせるわけにはいかないよ。僕がなんとかするから。」


そんな会話をしながら大通りを歩いていると、すれ違う魔族たちがチラチラとブライスを見てヒソヒソと話し合っているのに気づいた。



『おい、あれ……昨日の半魔だろ?』

『ああ、筆頭魔術師のサリエラ様を圧倒したっていう……』

『やべぇな、近づかない方がいいぜ。怒らせたら何されるか分かったもんじゃねぇ』



(……やっぱり、噂になってるか……)


人間の街なら、ここで石を投げられたり、神官が飛んできたりする場面だ。

ブライスは無意識に身体を強張らせ、リエルを庇うように一歩前に出た。

しかし――


魔族の商人

「おう、そこの半魔の兄ちゃん! 昨日はすごい試合だったな!」


ブライス

「えっ?」


屋台で肉の串焼きを売っていた豚の獣人が、豪快に笑いながら声をかけてきた。


魔族の商人

「サリエラ様をボコボコにするたぁ、大したもんよ! 帝国じゃ『強さ』が一番の身分証だからな。

ほれ、お近づきの印だ! 嬢ちゃんの分も持ってきな!」

そう言って、熱々の巨大な肉串を二本、押し付けられた。


ブライス

「あ、いや、お金は……」


魔族の商人

「いらねぇよ! 次は俺が賭けで勝てるように、なんか面白いことやってくれや!」


ガハハと笑う商人に、周囲の魔族たちも「俺も見てたぜ!」「恐ろしい魔法だったな!」と口々に声をかけてくる。

そこにあるのは、恐怖や排斥ではなく、純粋な「強者への畏敬と興味」だった。


(……なんだこれ。

誰も、僕の角や翼を気にしてない。それどころか……受け入れてる。)


人間の街で感じていた、あの息の詰まるような同調圧力も、不気味なほどの偏見も、ここには一切存在しない。

ただ「強い奴はすげぇ」という、単純で裏表のない世界。


リエルが、串焼きをかじりながらブライスを見上げた。

リエル

「美味しいですね、ブライス様!」


ブライス

「……うん。そうだね。」


ブライスは、自分の串焼きを一口食べた。

肉の脂の旨味と一緒に、肩に入っていた余計な力がスッと抜けていくのを感じた。


(……僕は、もう無理して人間のふりをする必要はないんだ。)


誰かを傷つけることを恐れて、自分を隠し続けてきた。

でも、この魔族領では、隠さない自分が「ブライス」として認められている。


ブライス

「リエル。僕、この街が好きになれそうだよ。」


リエル

「はい! 私もです!」

二人は顔を見合わせて笑い合った。

魔族領での生活は、思っていたよりもずっと温かく、そして自由だった。



――だが、圧倒的な力を見せつけた強者を、帝国の上層部が放っておくはずもなかった。



その日の午後。

宿に戻ろうとした二人の前に、包帯でぐるぐる巻きにされた人影が立ちはだかった。


サリエラ

「……見つけたわよ、規格外の半魔くん。」


ブライス

「サ、サリエラさん!?」


昨日、自分が串刺しにしたはずの筆頭魔術師が、杖を突きながらニヤリと笑っていた。


サリエラ

「闘技場を出禁になって、暇してるんでしょう?

ちょっと、私と『ビジネス』の話をしない?」


穏やかな朝を終え、ブライスの魔族領での生活は、思わぬ方向へと転がり始めようとしていた。

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