人として生きたいのに、身体は魔族の側へと傾いていく。
街の光は優しい。
だけどその優しさは、
ブライスの胸の奥に隠した“痛み”まで癒してはくれなかった。
“人として生きたい”と願う心と、
“魔族の力に馴染んでいく身体”。
その日は、ブライスにとって穏やかな一日だった。
冒険者ギルドで受けた簡単な討伐依頼を無事にこなし、
いつものようにリュザリアの大通りを歩いて帰っていた。
路地裏から、数人の子どもたちが駆け寄ってくる。
「ブライスお兄ちゃん! 今日も帰ってきた!」
「ねえねえ、聞いて! 今日の市場でね――!」
元気に話しかけてくるその子どもたちを見て、
ブライスは自然と笑顔になった。
「そっか。今日も元気だったんだね。
暗くなる前に帰るんだよ?」
子どもたちは嬉しそうに手を振って、
石畳の間を駆けていく。
その姿が見えなくなるまで見送ったあと、
ブライスは胸の奥に温かいものが広がるのを感じた。
――こんな風に笑える日がまた来るなんて。
――この街なら、僕は人として生きていけるかもしれない。
ふと、そんな思いが浮かんだ。
だが、それはまだ“光のような希望”でしかなかった。
⸻
宿に戻り、ブライスは部屋で軽く息をついた。
今日の仕事も無事に終わった。
あの村のように誰かを傷つけることもなかった。
ベッドに腰を下ろし、
街の灯火が揺らめく窓をぼんやり眺めていると――
突然、胸の奥から
濃密な魔素が逆流するような感覚が走った。
「っ……!?」
まるで心臓を握られたような衝撃。
手が震え、呼吸が乱れる。
両手の指先から、
黒い燐光が微かに漏れ始める。
「ま、また……!?
ち、違う……落ち着け……!」
必死に押さえ込むが、
魔素は身体の中で暴れ、
血管の一本一本が火照るように熱くなる。
――これ、人間の体じゃない。
――僕の中の“何か”が目を覚まそうとしてる。
「やめろ……! 僕は……人間だ……!」
目を閉じて呼吸を整え、
十数分かけて魔素を無理に沈めていく。
落ち着いた頃には、
額から汗がぽたぽたと落ちていた。
「……なんで……
なんで僕の体は……魔族みたいに……」
温かい日常があるのに、
安心していたはずなのに、
胸の奥がじわじわと恐怖に染まっていく。
⸻
それでも次の日、
ブライスはいつものようにギルドへ向かった。
受付嬢が明るく声をかけてくる。
「ブライスさん、おかえりなさい!
昨日の依頼、報告受け取りましたよ!」
「ありがとうございます」
冒険者の先輩がニヤッと笑って肩を軽く叩く。
「よぉ新人! 今日もいい働きだったじゃねぇか!」
「い、いえ……そんな……」
昨日のあの暴走じみた魔素の感覚が嘘のように、
ギルドは賑やかで、温かくて、
人間としての“居場所”が確かにそこにあった。
ブライスは歩きながら、
昼間の街の光景を眺めて思わず笑ってしまった。
「……ここは、本当に良い街だな」
しかしその笑顔の奥底で――
あの夜の魔力のうねりは、消えていない。
⸻
日が暮れ、
街灯がぽつぽつと灯り始めた帰り道。
石畳にブライスの影が伸びる。
そのとき――
背後から、コツン……と小さな足音が響いた。
ブライスが振り返るより早く、
路地裏の闇からひとりの人物が姿を現した。
月明かりに照らされたその顔は“人間の形”をしている。
しかし、その瞳の奥に流れる魔素の色は、
明らかに人間のものではなかった。
「……こんばんは」
その男は静かに笑った。
そして、近づきながら囁くように言う。
「君みたいに――
“魔素の流れが綺麗な人間”なんて、初めて見たよ?」
ブライス
「……っ! 僕は……人間だよ」
男は肩をすくめ、
まるで本当に不思議そうに言う。
「ふぅん?
じゃあさ――どうして君、
魔族よりも魔の力が馴染んでるの?」
その瞬間、
ブライスの影が石畳の上で揺らぎ、
ほんの一瞬だけ赤い翼の形をつくった。
ブライスは言葉を失う。
男は“嗤う”でもなく“脅す”でもなく、
ただ淡々と問う。
「ねぇ、君。
人間のふり、上手だね。」
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
笑えたはずなのに、
暖かかったはずなのに――
夜の路地裏で囁かれた言葉が、
心に深い影を落とす。
人間か、魔族か。
その境界線が、静かに揺らぎ始めた。




